第3話

三話


 料理を待っている間、俺達は様々な会話をした。

 まずは、今日来るまで何をしていたの? とか、どこに住んでいるの? とか。案外、こういう話題はここまで話していなかった。


 無論、体調についても尋ねた。

『事情』を思えば、本当は邂逅していの一番に訊くべきことだったかもしれない。


「全然大丈夫。普通に街中歩いているし」


 本人が大丈夫と言っているのだから大丈夫……なのか?

 俺に気を遣って無茶をしているのではないだろうか。

 深入りしたかったが、俺達はまだそこまでの関係ではないので葉那子は嫌がるだろう。事はナイーブだ。彼女からしたら更なる詮索は、ナイフを突き立てられている気分になるかもしれない。そう思った俺は「気分が悪くなったら遠慮せずに言ってね」と口添えするのみに留めた。


 話は弾み、学生時代の話をした。部活は何をしていたか、小学校では何が流行っていたか、などだ。こういう話題は結構共通項が見つかり面白い。『〇〇って、そっちでもあったんだー』みたいな。北海道の片田舎出身の俺は札幌出身であろう葉那子と学校のギャップがあるだろうと考えていたが、大きく違いはなかった。

 学校は学校なのだ。

 都会であろうと田舎であろうと。

 まあ、地域差が大きかったら今頃、日本教育は崩壊しているか。


 こうして子供の頃を振り返っていると、俺はあることが気になった。


「そういえば、葉那子の初恋っていつ?」


「……へ?」


 きょとんとした顔を見せる葉那子。

 そりゃあそうだ。人に初恋を訊かれるなんてそうそうないのだから。


「初恋ねえ……」


 しかし、次には顔を斜めに上げて思い出すようにしている葉那子だった。ノリがいい。


「高校一年生の頃かな。同い年の幼馴染みたいな人がいて、その人が好きだったんだ」


「へえ……」


 その発言に俺の心臓は抉られた。

 質問した身がそうなるのはおかしな話で、事実ある程度の覚悟を決めて挑んだのだけれど、実際にその言を聞くと覚悟が全然足りなかった。

 コンクリートの堅いバリアを作ったつもりだったが、和紙のように脆かった──一瞬で崩れ落ちた。


 ショックを顔に見せまいと平静を装って、会話を続けた。


「初恋の人とは付き合ったの?」


「うん」


「その人ってどんな人?」


「うんとね。優しくて、楽しくて、一緒にいて安心感を与えてくれる人だったんだ」


 葉那子は高校時代の彼を懐かしみながら語っている。

 そのたびになんとも言えない複雑な心境になった。

 俺にもかつては彼女がいた。だから、葉那子にも彼氏がいたことがあるのも当然だ。

 少し妬ましい気分になるのは理不尽極まりない。これも表に出さないでおこう。


「で、その人とは別れて」


「さすがにね。じゃなきゃ、マッチングアプリなんてしてないって」


 と、苦笑い。


「そりゃあそうか。じゃあ、これまで何人と付き合っているの?」


「切り込んでくるね。まあ、そういう勇敢なところ、嫌いじゃないけれど」


 葉那子は一拍置いた。


「10人くらいかな」


 口に含んだお冷を吹き出しそうになった。

 4、5人くらいと思っていたけれど、その倍だった。


「でも、そのほとんどとはいい恋愛をしていないんだよね」


「……と、いうと?」


「それを訊くの? 勇敢を通り越して無遠慮だね」


 さっきの質問もデリカシーはない。

 勇敢なんて、持ち上げすぎだ。


「私、男運なくてさ。最初の恋人を除いて、碌な彼氏じゃなかったの。ほっとかれたり罵られたり……DVをする男もいたなあ」


「そうなんだ。……ごめんね、変なこと聞いて」


「ううん、いいの。祐くんだから話せる。祐くんと話していて楽しいもん」


 楽しんでもらえていて何よりだけれど、それでもやはり過去のトラウマを掘り返してしまったのではないかという罪悪感はあった。


「話してくれるのはありがたいけれど、気分が悪くなったらやめていいからね」


「うん、ありがとう。やっぱり優しいね、祐くんは」


 葉那子は微笑んでから語った。


「さっきも話したけれど、私、大学を中退しているんだよね。それで、中退前の大学生時代に付き合っていた男がいたの。同じサークルの先輩ね。最初はいいなって思ったけれど、三ヶ月くらいで本性を表したんだよね」


 葉那子は躊躇う。

 俺は「もういいよ」と止めようとしたけれど、その前に彼女は話を続けた。


「会うたびに殴るわ蹴るわ。もうどうしようもないクズだったの」


 最低だ。そして、最悪だ。


「……すぐに別れたりしなかったの?」


「別れたかった。だけど、別れを切り出すたびに泣きついて謝ってきてさ。跪く彼を見ていると罪悪感が湧いてきて、結局別れない。それの繰り返しだったの」


 男と共依存のような心理状態だったのだろうか。

 そうなると、離れるに離れられないだろう。


「でも、その男とはもう別れたんでしょう? どうやったの?」


「病院に運ばれた」


 葉那子は端的にそう言った。


「あるとき、私に限界が来て、ぶっ倒れたの。それで入院。物理的に距離をとることになって、結果的に別れることができた」


 絶句した。

 別れるにしても代償があまりにも大きすぎる。

 俺の人生もそれなりに辛いものがあったけれど、彼女の人生は俺のそれよりもはるかに壮絶だ。


「私の『事情』、話したよね。これまでもそれに悩まされてきたけれど、DV男との件で更に悪化したんだよ」


『事情』とは、彼女が抱えている病と特性のことだ。

 ひどいストレスを抱えると発作が生じ、倒れてしまう。日頃、ストレスを抱えないように過ごし、かつ投薬で抑え込んでいるけれど、完全ではないという。最近まで入院していたのは、その発作によるものだ。


 先天性であるとは聞いていたけれど、最低な男と関わったばかりに一層悪くなっていたとは――そんな裏話があったなんて知らなかった。


「他の男も似たり寄ったり。大切にされたことがなかった。周りには碌な男はいない。だけど、彼氏は欲しい。だから、マッチングアプリに一縷の望みを託したの」


「そうだったんだ。ありがとうね、話してくれて」


「うん」


 俺に向けたその笑顔は晴れやかなものではなかったけれど、変に気を遣わせまいとする気配が感じられた。

 どれだけできた娘なのだろう。過去の恐怖を語りながら、俺を思いやれるなんて。

 苦しいのは自分のはずなのに。

 天使であり、聖女なのか。


「お待たせしました」


 と、場の空気を読んでいたのか、話が切り上がったタイミングで店員が注文した二品を運んできてくれた。

 それぞれの手前に置かれる料理。

 オムライスとハヤシライス。


「では、ごゆっくり」


 後ずさる店員に俺達はお礼を述べた。


「美味しそう〜。早速食べよう!」


 と、にこやかに笑って葉那子は両手を合わせた。

 俺もそれに倣って食事の挨拶をする。

 挨拶をしながら、彼女に目をむけてこう思った。


 これから先、葉那子を守っていきたいと。

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