ミダスの館 1日目・出立

そうして今日が来た。あなたは出立の準備を整え、荷物を手に空港へ向かう。サナトリウム・ホラーハウスがあるのは英国だから、長い旅になる……と身構えたあなたの手元で、スマホが震えた。メールが届いたらしい。

その差出人は『サナトリウム・ホラーハウス』だ。

あなたは思い出すだろう。数日前にも、サナトリウム・ホラーハウスから連絡があったはずだ。連絡は送迎に関するもので、ホラーハウスの最寄駅まで車で迎えに来てくれるとのこと。その最寄駅まではバスと鉄道どちらかで向かう必要があるのだが、希望があればチケットの手配も可能との話だった。

今回の連絡はその続きの話だったらしい。

電子チケットが添付されたメールには、有事の連絡先と共にこう記されている。

『車での送迎になるため、交通状況によっては予定時刻より遅くなる事もございます』

だから、その場合に暇つぶしの予定はあるか気がかりであるらしい。

これについてはあなたに考えがあった。

『早めに駅に向かって、駅の周りや近場の文化財を見ているつもりだった。時間が余ってしまったら手頃な飲食店で待とうと思う』

そう回答すれば間もなく、それは良いことだと返信があった。また、返信には画像ファイルが一つ添付されている。写真のようだ。

中央写っているのは黒い車だった。ロンドンタクシーと呼ばれる車のようだが、やや角張っていて、ボンネットと後部座席が長い。クラシカルな霊柩車みたい、とあなたは思うかもしれない。

その横で黒服の運転手が女性の……おそらく運転手自身の……にこやかに微笑む生首を小脇に抱えて立っている。

『こちらの者が迎えに参ります。セントデイビッド駅を出たあたりでお待ちください』

画像に付記された言に曰く、そういうことであるらしい。あなたはこのメールに了解の意を返し、そこへ向かう列車に乗り込んだ。これからしばらく揺られることになるが、あなたにはちょうどいい課題がある。帳面の再確認だ。


あなたは座席に腰を落ち着けて、帳面の終盤を開いた。残るページは所々破れているほか、焼け焦げたような跡まである。また、ほぼ全体が残るページについては随分と文字が乱れていた。文字と文字が重なっていたり、一文が斜めに書かれている。あなたは手元のメモ帳に書き写したりしながら、内容を読み進めていくだろう。


『こうなると思っていた。

欲の館よ、おまえを燃やすことができたら!

できようはずもない。

できないと知られてもいる。知っていて、私をも富の一部にしようとした。

否、そうしたのか。

私は逃げ出せたのか。

お前は私の鎖を引きながらこれを読んでいるのか。あるいは、弟の鎖をか。

ならば呪われろ、欲の館の主人ども。

けれど、もし、私が逃げ延び、これが弟の手に残っただけであるなら。お前がこれを譲られたのであれば。そしてお前も囚われ人であるのなら、幸運を。あの子の知る全てが役立つように祈っている。

あるいはもし、弟の自由も断たれていたなら、どうか私の言葉を頼ってほしい。

石櫃の床に残した獣の後を追え。

一角獣は太陽を追い、獅子はその影を行く。

二頭の一歩目は一番星として残り、外へ外へと星図を広げるだろう。

星図の果てに光はない。言葉なき言葉だけがある。始まりのまじないを逆向きに辿れば、どこより暖かく、小さい部屋まで戻れるだろう。そのまじないは、獣の足跡の間を私たちが後ろ向きに歩き、唱えている。


私にも時間がない、

ここで筆を置くことを許してほしい。

どうか幸運を。お前に山の王の祝福を。

Riebe zagel』


読み取れた内容はおおむねこんなところだろう。文は整っているのに、その文字や書き方が乱雑だ。書き手の精神状態が影響したというよりは、帳面を見ずに書いたような乱れ方だとあなたは感じるかもしれない。急いで書かれたのだろうか。それとも、帳面も見えないような暗闇で?

帳面を確認し終え、あなたは物思いに耽るかもしれない。帳面の持ち主、"ガスパール・ホール"の建築家の行く末は果たしてどうなってしまったのか、はたまた、彼はそもそも、館をただ設計するためだけにここに来ていたのだろうか。

そうするうちに、あなたは目的地に到着した。セントデイビッド駅だ。


さて、待ち合わせの時間まで二時間ほどある。英国の列車は遅れやすいと聞いたので早めに着くようにしたわけだが、そのおかげでゆっくり散策できそうだ。駅から北に向かうと、旧市街の古い街並みを利用した繁華街があるらしい。その先の大聖堂まで行って戻ることにしよう。

そうしてあなたは石畳の街路に踏み出した。住宅街を行くことになるが、煉瓦塀の家々や路上駐車の車、電信柱のない景色……あなたの住む街とは違う街並みが続く。しばらく坂道を上がり下がりすれば、左手に住宅とは違った景色が見えて来るだろう。繁華街だ。

繁華街の一部には古い住宅が並んでいる。ガス燈の時代よりなお古い漆喰や煉瓦壁で覆われ、木の骨組みで作られた家屋が続く。かと思えば、不意にその先にコンクリートの外壁をしたスーパーや有名な洋服のチェーン店が現れたりした。また、開けた場所には露店のワゴンなども並んでいる。


文化財として残された裁判所……とはいえ昔のものだから、現代の一戸建て程度の小ぶりなものだ……を覗き、土産物屋に入り、そうして今度は露店に目を奪われて。気ままに歩くあなたの前へ、不意に少年が立ち塞がった。息を切らして走ってきた彼に、遅れて追いついた友人達が並ぶ。

旅行者さん、と少年があなたに呼びかける。目の前に持ち上げた手に、小ぶりな茶封筒が握られていた。

「落としたって、言ったよ……何度も……」

ぜえぜえと荒い息を繰り返すあたり、それはもう必死に追いかけてくれたらしい。あなたは礼を言うが、見覚えは無い封筒だ。

自分のではないと言いかけるかもしれない。けれど、その前に差出人の署名に目を向けよう。

すなわち、"デリリウム・デライト•トレメンス"。

この茶封筒はあなたが落としたものではない。けれど、受け取るべきものなのだ。

あなたが茶封筒を受け取ると、少年たちは口々に"気をつけてね"と言いそえて立ち去った。


あなたは手頃な喫茶店に立ち寄ると、軽食をつまみながら茶封筒の封を切った。

一目眺めただけで、あなたは中身を畳みなおすかもしれない。それともしばらくの間、書面に目を落としたまま固まるだろうか。

中身はメモ書きだった。レポート用紙に羅列された、サーカス芸人たちとその最期の一覧表だ。例えば……


「"不死身の男クリゾンテーム"

 →1918年 手品の失敗で死亡」

「"茸人間マタンゴ・マッシュルーム"

 →1981年 糖尿病悪化で巡業中に死亡」

「"腹話術士 サムディ男爵"

 →1973年 国境にて死体を発見」

「"ダンサー ドレスアップ・ファナティック"

 →1931年 緞帳の落下により全員事故死」


そしてなにより用紙の中央には、情報屋トレメンスの警句が太い朱筆で書き殴られている。


『死んでる!死んでるんだよ!

全員死んでるはずなんだ!

生きてたとして百歳超えだ!

それとも名前を取ったのか?なんのために!


なんでもいい、これはだめだ

生きてる死人に関わるな!』


調査のメモをそのまま……清書すらせず、慌ててあなたへ向けたのだ。お得意様へ向けた"おまけ"にしては切羽詰まった様子を感じ、あなたの背筋が凍るかもしれない。また、あなたの目が良ければ……あるいは右手で手紙をもっていたなら……右端に書かれた一文に気付くだろう。


「芸人道楽は嘘だ

違うものを囲ってる」


光沢のある透明な文字だった。それでいてぷっくらとわずかに膨らんでいる。そういうインクを使い、便箋を手にした相手だけが読めるよう書かれたのだ。情報屋トレメンスはミダスの館を警戒している。不死身の男、メキシコの人狼、腹話術士……リストにあったのは、館に関わりのある芸人達の名前だろう。彼らがまだ生きてそこにいるとして、あなたも十分に気をつけたほうが良さそうだ。

そんなことも考えながら、あなたはこっそりと周りを見渡すかもしれない。

情報屋トレメンスは密かにあなたを追いかけ、警告の手紙を渡してくれた。それなら、やはり気付かれないようあなたを尾け回し、その行動を監視している相手がいてもおかしくはない。『ミダスの館』は既に始まっているようなのだから。

とはいえ、ここはそもそもあなたの慣れ親しんだ街ではない。全ての人々が疑わしく、あるいは無関係に見えてくる。

あなたは卓上のドリンクを飲み干し、席を立った。そこで思いつく。ひとけの無い所に行ってもまだ着いてくる相手がいたとしたら、それは……。

あなたは喫茶店を出、すぐ近くの大聖堂に向かう。文化財としても解放されているので観光客も多いが、礼拝堂そのものや天文時計などが目を引くだけに、より奥、司祭の控室の方へ向かってしまえば、ここまで見に来るひとも限られてくる。

裏の扉から出ながら、あなたは肩越しに後ろを見た。同じ方向に来るのは二人連れの男女と、あなたと同じ観光客らしい、大聖堂のパンフレットを手にした青年だ。これは違うかな、とあなたは肩の力を抜くかもしれない。

その瞬間、背後から声がかかった。

「すいません、教えてほしいんですけど……」

朗らかな微笑を浮かべて、パンフレットを手にした青年があなたの顔を覗き込む。あなたは身構えるかもしれないが、大型の老犬めいた人懐こさを窺わせる顔つきの彼は暗殺者よろしくあなたを尾行するような相手には見えない。道を教えてほしいのだけど、と彼が小首を傾げた。

自分も旅行者だけど……と前置きしてから、あなたは彼に向き直るかもしれない。聞くに、どうやらあなたが寄った喫茶店は有名だったらしい。そこに行きたいと言う青年を連れて、あなたは来た道を戻ることになった。その道すがら聞いたことによれば、青年は里帰りの途中にここへ寄ったようだ。

旅行の目的を問われたあなたは、観光……もしくは観光兼仕事……と言葉を濁した。ミステリーツアーの話をするにも、あるいは"遺産探偵"のロールプレイをするにも、ホラーハウスの迎えの時間を考えると厳しい気がしたからだ。


そうしてあなたは繁華街を離れ、駅へ戻った。

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