第6話 古民家の花子さん
ミツナリくんが明日お迎えに来てくれなかったらどうしよう。その日の夜、布団に入ってからずっと悩んでいた。呪いのことだけじゃない。リュウセイくんのことでケンカみたいになったから、そのこともミツナリくんはよく思ってないかもしれない。
そんなことを考えていたら、いつのまにか枕もとの目覚まし時計は深夜の2時を指していた。こんなに遅くまで起きていたら、きっと明日は大寝坊だ。眠れなくてあせってくると余計に目がさえて眠れなかった。
なんの物音もしない暗闇の中、羊を数えようと思いついた時だった。突然、窓の外からコンコンと音がした。心臓が止まるかと思うほどドキっと大きな鼓動を感じた。そして、この前見たビデオ映像に白い顔の女の子が現れたのがちょうどこの時間だったことを思い出した。
後悔しかなかった。どうして幽霊が出る時間までぼくは起きていたんだろう。怖くて窓の方を見ることができない。心臓がドキドキして、体に力が入らない。お母さんを呼ぶ声さえ出すことができなくなっていた。すると、枕元に置いてある目覚まし時計のあたりから、女の子の声が聞こてきた。
「ねえ……」
いつのまにか幽霊が窓から入って来たんだ。ついにぼくの前にも幽霊が現れた。気が動転して、とにかくギャーとでもワーとでも大声を出そうとした。ところが、お腹に力が入らず、まったく声が出なかった。何度もくりかえし大きな声で叫んだけど、ちっとも声が出ない。こんなことは初めてだ。
「ねえ、リュウタ。ずっと見てたんだよ……」
幽霊がぼくに話しかけてきている。幽霊の声なんて聴きたくない。見たくもない。布団の中に潜り込みたい。でも、手が動かない。これはきっと、かなしばりってやつだ。もう終わりだ。ぼくは、今日ここで呪い殺されるんだ。
「ねえ、私を助けて……」
「無理だよ、助けられないよ」
やっと小さな声を出すことができた。でも、怖くて目を開けられない。幽霊を自分の目で見るなんて、ぜったいにイヤだ。
「どうして怖がるの? リュウタはあたしの味方でしょ?」
「味方?」
女の子の幽霊はおかしなことを言い出した。そう思って、ちょっとだけ目を開けた。すると、うっすらと顔のようなものが見えた気がして「ひゃっ」と驚いて再び目を閉じた。そして、目を閉じたまま女の子にたずねた。
「味方ってどういうこと?」
「だって、意地悪する子は大嫌いだって言ってたでしょ。あたしもそう思うの」
夕方のぼくとミツナリくんの会話を女の子の幽霊は聞いていたんだ。神棚が落っこちて窓からコンコンと音がしたとき、やっぱりそこにいたということだ。
でも、なんだかおかしい。声を聞くかぎり怖い感じがしない。ぼくが想像していた、人を呪い殺したり、地獄へ引きずり込んだりする恐ろしい悪霊ではないみたいだ。いちかばちか勇気を出しておそるおそる目を開けた。すると、枕元にごく普通の小学生の女の子が立っていた。白い服に色あせた赤いスカートをはいて、ぼくを見て笑っている。お父さんの撮ってくれたビデオ映像では、真っ白で悲しそうな顔をしていたけど、目の前の女の子は赤いほっぺで楽しそうな顔をしている。
「名前はなんていうの?」
「ハナコ」
「さっき意地悪する子は大嫌いっていってたけど、ハナコはだれかに意地悪されたの?」
「うん、意地悪されたから、あたしは死んだの……。ずっと、ずっと昔に、お父さんとお母さんと三人で一緒に……」
「誰から意地悪されたの?」
「みんなから……。でも、あたしは正しいことをしたの。おとなが間違ったことをしたら、間違ってるって言ってあげないといけないと思うの」
ふとコテハシ先生の顔が浮かんだ。
「ハナコは先生から怒られたことある?」
「うん、先生にも周りの大人にも怒られたり、叩かれたりした……。だから助けてほしいの……」
「助けられないよ、小学生のぼくにはなにもできないよ……」
助けてあげられないと言ったらハナコは黙ってしまった。ビデオ映像のときのように、悲しそうな顔になった。
「ハナコ、ごめんね……。でも、悲しいからってぼくたち家族を呪ったりしないでほしいんだ。ぼくたちをいじめたってハナコは幸せになれないよ」
「あたし、リュウタたちのこといじめたりしないもん!」
ハナコはぼくたちのことを決して呪ったりしないと言った。そこで、このまえ田んぼで起こったできごとをハナコに話した。リュウセイくんが田んぼに落ちたときのことだ。あのとき、お姉ちゃんが呪われたようになって、そのあとすぐに、ぼくの足が勝手に動いた。あれはきっとハナコのしわざにちがいない。
「ちがうよ、あたし見てただけだもん!」
「うそだぁ!」
「ほんとよ。リュウタが意地悪な子を投げ飛ばすところを見たかっただけなの」
ぼくは理由もなく人を投げ飛ばしたりはしない。ぼくの足が呪いで勝手に動いたから、あんなことが起きたんだ。
「あたしなにもやってないよ。あの二人がうしろから押したのよ」
「えっ、ほんとう?」
「うん、ほんとうだよ。あたし見てたんだから」
やっぱりミツナリくんの言うことが正しかった。ぼくは悪くなかったんだ。
「でも、お姉ちゃんに憑りついたでしょ? お姉ちゃんすごく悩んでいるから、やめてほしいんだ」
「そうね、考えておくわ」
「考えておくじゃだめだよ、絶対にやめてよ!」
「だって、あの子、あたしと性格が似てるから憑りつきやすいの。それに、あたしだってマンガとか読みたいもん! おしゃれだってしたいもん!」
そうか、やっとわかった。呪われたようになったお姉ちゃんが正座してスマホを見ていた時、あれは、お姉ちゃんがマンガを読んでいたように見えて、実はお姉ちゃんに憑りついたハナコが読んでいたんだ。だから、お姉ちゃんはインターネットからマンガをダウンロードしたことすら覚えてなかったんだ。
「どうして、マンガが読みたかったの?」
ぼくがたずねると、ハナコが生きていた時代は世の中全体が暗くて、マンガやアニメみたいなものはほとんどなくて、ちっとも楽しくなかったと教えてくれた。でも、だからといってぼくたち家族に憑りついたりするのはよくないことだ。
「じゃあもう憑りついたりしない」
あんがいハナコは素直だ。
「それから、窓を叩いたり、トイレで助けてとか言ってきたりするのもやめてね」
「ごめんなさい。あたしに気が付いてほしかっただけなの……」
「あと、呪いの天狗のお面も! 顔が変わるんだ!」
「あはは、お面の顔が変わるわけないでしょ。あたしのお父さんが買ってきた京都土産だよ!」
ハナコが笑った。ぼくのこと怖がりだと思ったかもしれない。
「じゃあ、神棚を何度も落として嫌がらせしたのはなぜ?」
「ちがうよ。あれは、リュウタのお父さんが棚を吊るのが下手くそなだけよ」
そう言われてしまうと、確かにそうかもしれない。おじいちゃんもお父さんは大工仕事が下手くそだって笑っていたから。でも、家庭菜園を荒らしたのはハナコのしわざにちがいない。それから、家の前にタヌキの死骸を置いたりしたのもきっとそうだ。そう思ってハナコに聞くと、田舎ではよくあることだとハナコは再び大笑いした。田舎で家庭菜園をする時は、網のようなものを畑の周りに張って、動物に荒らされないようにするのが常識なんだって。タヌキも田舎ではよく車にはねられたりして、道のあちこちに死体が転がってるのが普通なんだって。
「へえ、ハナコってなんでも知ってるんだね」
「あたし、戦争の時からずっと、もう何十年とここに住んでるの。ここらへんで起こることは全部わかってるんだから」
戦争中ということは、ハナコはおじいちゃんと同じくらいの年齢なのかもしれない。でも見た目は小学生だ。なんだか頭がこんがらがってきた。
「じゃあ、つまり……、ハナコはなんにも悪いことしてないってこと?」
「そうよ、あたしは昔から良い子なの! 周りの人たちは、あたしのこと悪い子だって言ってたけどね、ふふふっ!」
その時だった。部屋のドアがいきなり開いた。
「リュウタ、だれと話してるの?」
お母さんだった。その瞬間、そばにいたハナコは消えていなくなっていた。
「こんな夜中にリュウタの話し声が聞こえてきたから、びっくりして起きて来たのよ……」
「ごめん、寝言……、言ってたかもしれない……」
お母さんは心配そうにぼくの額に手を当てて、熱がないことを確かめた。そして、「やっぱり、この家は……」と、なにかを言いかけて寝室に戻って行った。
次の日、不思議と6時に目が覚めた。たいして寝てないのにぜんぜん眠くなかった。ハナコのおかげだろうか。
テレビを見ながら余裕をもって朝ご飯を食べた。そして、朝の7時半になると、いつもどおりミツナリくんが「学校へ行こう」とぼくを呼びに来てくれた。来てくれるか心配だったけど、取り越し苦労だった。ただ、ぼくを呼ぶ声がいつもより小さかったのは気になった。遠くの方から呼んでいるように聞こえた。
「リュウタくーん」
「はーい」
返事をして玄関を出ると、目の前にミツナリくんはいなくて、家の敷地の外の道路わきからぼくを呼んでいた。きっと、昨日うちに来た時、神棚が落ちたり、窓をコンコンと叩く音が聞こえたから、怖くて家に近づきたくないんだなと思った。でも、ぼくのことを怒っていないみたいだし、こうしてお迎えに来てくれてほっとした。ぼくたちは、今日も二人で学校へ向かった。
「ねえ、あたしもいるよ」
突然耳元でハナコの声が聞こえたような気がした。
「えっ? なんて?」
ぼくが驚いてハナコに聞き返すと、代わりにミツナリくんが「何も言ってないよ」と答えた。ぼくがあたりをキョロキョロと見回していると、ミツナリくんがおびえだした。
「もしかして、オバケの声が聞こえたの?」
「ち、ちがうよ、鳥の鳴き声だったかもしれない……」
ごまかしてやりすごそうとしたけど、ミツナリくんは学校に着くまでずっと怖がっていた。
「リュウタはもうあたしのこと怖くないでしょ?」
またハナコの声が聞こえた。ここでもう一度返事をするとミツナリくんが怖がってしまう。
「ねえ、あたしのことは、二人の秘密だよ」
ぼくは心の中で「うん」と言った。
帰りの会が終わった。今日もまた授業中、うしろからリュウセイくんに消しゴムのカスをぶつけられたりしてとても嫌な気持ちになった。もちろん、先生は気が付いてくれない。今日の帰り道こそは、リュウセイくんとは会いたくないなと思っていたら、またハナコの声が聞こえた。
「あのいじめっ子、田んぼのところでまちぶせしてるよ」
小さな声でありがとうと言って、ぼくはミツナリくんに「あっちから行こう」と、いつもとは違う道を指さした。ミツナリくんは不思議そうな顔をしていたけど、こっちから行けばリュウセイくんと会わずにすむんだと言ったら納得してくれた。ぐるっと遠回りして、ぼくらは再びいつもの通学路に出た。うしろを振り返ってみると、ずっと遠くの方で待ち伏せしていたリュウセイくんたちが、急に現れたぼくらに気が付いてさわいでいた。
「通学路を外れるなんてズルいぞ! 先生に言ってやろー」
ぼくとミツナリくんは二人でよろこんだ。
「やーい、ざまーみろー」
ミツナリくんは、どうしてリュウセイくんが待ち伏せしていたことがわかったのか聞いてきたから「なんとなく」と答えると、不思議そうな顔をしていた。
そのあと、しばらく歩いていると再びハナコの声が聞こえた。
「家にあいつがくるよ。気を付けてね」
しかし、あいつが誰なのかハナコは教えてくれなかった。でも、家に帰らないわけにはいかない。おそるおそる家に帰りしばらくたつと、予想もしてなかった人がやって来た。ハナコの言う「あいつ」とはコテハシ先生だった。どうやら、ぼくとミツナリくんが通学路から外れて遠くへ遊びに行ってしまったとリュウセイくんたちが先生に告げ口をしたらしい。コテハシ先生は周辺を車で探し回ったけどぼくらを見つけられず、心配してぼくの家に寄ったみたいだ。居間でコテハシ先生とお母さんのお説教が始まった。
「リュウタ、どうして通学路を守らないの?」
「だって、リュウセイがいたんだもん」
「リュウセイくんって、あの親御さんが議員さんの子?」
お母さんは眉をひそめた。その様子を見たコテハシ先生は、リュウセイくんのお父さんのことをお母さんに説明した。もともとは建設会社や不動産屋を手広くやっていた経営者だったけど、10年くらい前から町会議員もっやている立派な人だそうだ。
「不動産屋さんですか……」
不動産屋と聞いて、お母さんはさらに眉間にしわを寄せた。するとコテハシ先生は、どうしてリュウセイくんがいると通学路を守らないのかと、学校にいる時よりもずいぶんとやさしい口調でぼくにたずねた。
「リュウセイくんが通学路で待ち伏せして、ぼくらに嫌がらせをするから逃げました」
ぼくは正直に伝えた。今日はお母さんの前だし、先生もぼくの言うことを信じてくれるだろうと思ったけど、予想もしない返事が返って来た。
「リュウタくん、こう考えてみようか。逃げるから相手は追ってくるんだよ。犬もそうだろ、逃げると追いかけてくるんだよ」
コテハシ先生が何を言いたいのかよくわからなかった。お母さんも呆気にとられたような顔をしていた。
「先生、リュウセイは犬なの?」
「いやいや、犬じゃないけど、これは例え話だ」
お母さんは少し笑顔になって、うんうんとうなづいた。
「リュウタくん、前から言ってるだろ、きらいな友達でも、男として正面から思い切りぶつかり合いなさいって。いじめられて、泣いて家に帰って来たんじゃ、お母さんも悲しむぞ。情けない男だって思わせちゃいけないぞ」
お母さんの顔が曇った。
「あの、先生、私は思うんですけど……」
お母さんが何かを先生に言おうとした時だった。散歩から帰って来たおじいちゃんが突然居間に入って来た。コテハシ先生はおじいちゃんを見て、さっと立ち上がって、ぺこりと腰を90度に曲げて自己紹介をした。
「おぉ、学校の先生でしたか、これはこれはようこそ……、こう見えてわしも学校のセンセでしたからな!」
おじいちゃんが昔、小学校の先生をしていたことはお父さんから聞いたことがあった。でも、お父さんが生まれてしばらくすると、先生を辞めて東京に引っ越してサラリーマンをするようになったらしい。辞めた事情は聞いてないけど、いつもふざけているおじいちゃんが学校の先生だったなんて、とてもじゃないけど信じられない話だ。
すると、コテハシ先生が、おじいちゃんの顔をまじまじと見て、小さな声でたずねた。
「あの……、もしかして……、烏田森小のヒガシマルゲンタ先生ですか?」
「おぉ、よくご存じで……、ん、まさかあのコテハシくんか!」
「はあ、さようでございます……。先生、お久しぶりでございます……」
コテハシ先生は急に声が小さくなった。体も小さく丸まって、怖い先生だと恐れられたいつものコテハシ先生の迫力は完全に消えていた。
「あっはっは、どうしたそんなに小さくなって、ほら、しゃきっとせんか!」
おじいちゃんが笑顔でパンパンと大きく手を叩くと、コテハシ先生はすっと背筋を伸ばして姿勢を正した。驚いたことに、コテハシ先生がいつもやってる「しゃきっとせんか」は、おじいちゃんの得意技だったんだ。
「ケイコさんや、それで今日はどうしたんだい?」
コテハシ先生が急に静かになってしまったので、おじいちゃんはお母さんに何があったのかをたずねた。さっきまで三人で話していた内容をお母さんがおじいちゃんに伝えると、おじいちゃんは大笑いした。
「はっはっは、コテハシくん、キミも当時はずいぶんといじめっ子にやられておったじゃないか!」
「は、はあ、まあ、あの頃の私は体が小さく……」
「そのたびに、ワシがいじめっこをひっつかまえて、しめあげたもんだ、わっはっは!」
「さすがに今の時代、体罰はちょっと……」
「コテハシくん、今も昔も一緒。とにかく子供の話をよぉ~く聞いてやってくださらんか。いじめっこも、いじめられっこもな」
「は、はあ、もちろんでございます……、先生にはよく話を聞いて頂きました……」
おじいちゃんが話に入ってきてから、コテハシ先生は無口になった。おじいちゃんの話を「はい、はい」と言って頭を下げて聞いているだけだった。いつも怒っているコテハシ先生がペコペコとする様子を見ていたら気分が晴れてきた。きっとハナコもこの様子を見ているんじゃないかと思って天井を見回すと、かすかにハナコの笑い声が聞こえたような気がした。
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