第7話 花子さんの呪い
土曜日だ。一週間ぶりにお父さんが東京から帰ってくる。だから今日は家族みんなで牧場へバター作り体験に行くんだ。手作りのバターはすごくおいしいってお父さんが言うから、ずっと楽しみにしていた。しかも、この一週間は、窓を叩く音や幽霊の声が聞こえたりすることもなかったから、お姉ちゃんの機嫌もよかった。ハナコがぼくに約束してくれたおかげだ。
しかし、みんなでお出かけの支度をして、さあ牧場へ行こうとしていた時だった。家の外からお年寄りの怒鳴るような声が聞こえた。
「おーい、ヒガシマルさんー、いるかーい?」
お母さんは驚いて玄関へ向かった。ぼくは襖の陰からこっそりと玄関の様子をうかがった。そこには農家の人が着るような作業服姿のおじいさんが怖い顔をして立っていた。
「今日は地域の草刈りの日だってのに、顔も出さずに、どうなってるのかね?」
「えっ、そうだったんですか、まったく聞いてなくて……」
「そんなの、あんたらが聞きに来ないといけないよ。新入りなんだからっ!」
おじいさんはとても怒っている様子だった。お母さんは「すぐ行きます」と頭を何度も下げた。おじいさんが帰ったあとすぐ、お母さんが慌てた様子で下駄箱から長靴を引っ張り出そうとしたときだった。お父さんがお母さんをひきとめた。
「いいよ、そんなの行かなくて」
「ダメよ、あなたは東京で暮らしているから気楽でしょうけど、田舎の行事はちゃんと参加しないと村八分にされるのよ」
「だって、今から草刈り始めたらナツモト牧場に行けないじゃないか……」
「草刈りなんて一日中やってるわけじゃないんだから。1時間くらいで終わってさっさと帰ってくるからちょっと待っててよ……」
すると、居間にいたおじいちゃんが笑いながら玄関まで出てきた。
「ケイコさん、田舎の草刈りは半日かかるぞ。そんでもって午後からはお疲れ会で酒飲んで騒ぐから、それも含めたら一日がかりだ」
お母さんは肩を落とした。
「そんな……」
「だから、ワシが代わりに行ってやる。おまえたちゃ遊んでこい」
それを聞いたお父さんは、今度はおじいちゃんをひきとめた。
「だめだよ、来年で90歳になる年寄りに半日も草刈りなんかさせられないよ。最近いつも腰が痛いって言ってるのに……」
おじいちゃんは苦笑いしていた。結局、みんなで楽しみにしていた牧場でのバターづくり体験は、来週に持ち越しとなった。お姉ちゃんは「これも呪いのせいよ」と言って舌打ちをしていた。
お母さんが草刈りに出かけてから1時間が過ぎた。ぼくは居間でゲームをしていた。壁に掛けてある天狗のお面はもう怖くない。でも1時間もゲームをやっていると飽きてくる。今日はミツナリくんの家にでも遊びに行ってみようかなと思った時だった。
「リュウタ、大変。山へお母さんを迎えに行ってあげて。すぐに連れて帰って」
ハナコの声が聞こえた。ぼくは家族に聞こえないように小さな声で「どうして」とハナコにたずねた。
「理由は言えないけど、危険だから早く連れて帰ってきて」
お母さんが危ない目にあっていると聞いて、あわててお父さんに相談しようとすると、またハナコの声が聞こえた。
「大人に言っても無駄よ。信じてくれないと思うから。リュウタが一人で行って。はやく。時間がないの」
ぼくは急いで山へ向かった。草刈りは地域の集会所の裏山で行われていた。ちょうど家と学校の中間あたりにある小さな平屋の集会所の裏に、里山といってなだらかで低い山があった。山の頂上には小さな神社があって、お母さんたちはその神社へと続く道の草刈りをしていた。
集会所に着くと、近所のおばあさんたちが午後からのお疲れ会の準備をしていた。そこにいたおばあさんの一人にお母さんの居場所をたずねると、大勢のおじいさんたちに混ざって山道で草を刈っているとのことだった。
言われた通り山道を登っていくと、途中で何人かのおじいさんたちが、草刈り機を持って、バリバリと大きな音を立てて草を刈っていた。草刈り機にはエンジンが付いていて、長い棒の先っぽについた丸い鋭い歯を高速でぐるぐると回転して草を刈る仕組みになっていた。そのせいで、辺りは排気ガスのにおいで充満していた。
「おい、ぼうず、危ないから近寄るな! 何しに来た? 虫取りか?」
一人のおじいさんが機械を止めてぼくに言った。すると、近くで草を刈っていた別のおじいさんが怖い顔してぼくに言った。
「近くでうろちょろすると、スパっと足が切れちまうぞ!」
ぞっとした。とても危ない機械だったんだ。でも、お母さんは危ない中で草刈りをしているんだ。早く呼んでこないとお母さんの足が切れちゃうかもしれない。
「ねえ、おじいさん。お母さんはどこ?」
「お母さん? あぁ引っ越してきたヒガシマルさんとこの子か? この上にいるよ」
すると、もう一人のおじいさんが言った。
「あんな小さな鎌じゃ草刈りなんてできねえよ。女はこれだからダメだ……」
お母さんはあまり歓迎されていないみたいだった。嫌な気持ちになったけど、気にしないようにして急いで山の上の方まで走った。すると、道の隅っこの方でお母さんが腰をかがめて草刈りをしている姿が目に入った。
「お母さん!」
ぼくの声を聞いたお母さんが驚いて手を止めた。
「リュウタ、なにしに来たの? ここは危ないのよ!」
「お母さんも危ないから早く帰ってきて!」
「はあ? どうしてお母さんが危ないの」
「危ないよ、だから早く、早くしないと危ないんだよ!」
半泣きの状態でお母さんの手を引っ張ると、それを見かねたおじいさんたちがお母さんに言った。
「ヒガシマルさんよ、もういいから帰んなよ。そんなところで子供と一緒じゃ、こっちが気を使ってケガするよ。それに、そんな鎌でチマチマやっても意味ねえんだよなぁ……」
「は、はあ、スミマセン……」
「今度来るときは、これ、
お母さんはおじいさんたちにぺこぺこと謝って、ぼくといっしょに山を下りた。
集会所の前まで降りてくると、さっきのおばあさんが、ぼくたちを見て笑っていた。
「だから言わんこっちゃないよ、女は邪魔になるから宴の準備しろって。それがここらの女の仕事なんだよ。あっはっは」
「すみません、手伝います……」
「いいよ、こっちゃもう終わったよ、あとは男どもを待つだけ。気にせずはやく帰んな!」
お母さんは苦笑いをしながら、周りの人たちになんども頭を下げた。
ところが、ぼくたちが集会所をあとにしようとした時だった。山の上の方からおじいさんたちの「わあっ」という叫び声が聞こえた。何だろうと思って声のした方を振り返ると、ひとりのおじいさんがあわてて山道を駆け下りてきた。
「岩が落ちた! センキチが足に大けがをした!」
その声を聞いたおばあさんたちが、驚いて集会所の中から飛び出してきた。
すると、また別のおじいさんが山を駆け下りてきて、指をクルクルと回すしぐさをすると「救急車、救急車」と大きな声で叫んだ。
「わ、私が呼びます!」
お母さんはポケットからスマホを取り出して救急車を呼んだ。電話をし終わると、集会所にいたおばあさんたちが救急車が来るまで応急手当をしようと絆創膏やら傷薬をもって山へ登って行った。それを見たお母さんも一緒について行こうとしたので、ぼくは必死でお母さんの服のすそをもって引き留めた。お母さんはその場で踏みとどまった。すると、突然耳元でハナコの声がした。
「ほらね、言ったとおりでしょ?」
ハナコの口調は、予想を当てたといわんばかりに得意げだった。
「ほらねじゃないよ。なんてことをするんだよ、おじいさんはちっとも悪くないのに!」
お母さんに聞こえないように小さな声でささやくと、ハナコは笑っていた。
「あたしがやったんじゃないもーん。最初からあの岩は転がってくる運命だったの。この前の大雨のせいなんだから」
「じゃあ、最初からそう言ってよ。ここは危険だっておじいさんたちにも伝えることができたのに……」
「あの子たちがリュウタの言うことを聞くと思う? あたしに意地悪したり叩いたりした子たちなんだよ。いい気味よ!」
「あの子たちって、おじいさんたちのこと? ハナコに意地悪したの? 昔の話をしてるの? ハナコの同級生なの?」
何度も聞き返したけど、ハナコは何も答えなかった。
しばらくすると、救急車がやってきて、センキチさんを担架で運んで行った。足が折れたんじゃないかと近くで作業をしていたおじいさんが言っていた。すると、別のおじいさんたちが話している声も聞こえてきた。
「ヒガシマルさんの持ち場を代わってやったら岩が落ちてきたんだ。ありゃ、身代わりみたいなもんだ……」
「幽霊屋敷に住んでるから、きっと悪いもんを引き寄せちまうんだ……」
おじいさんは、ちらっとぼくたちの方を見てにらんだ。ぼくたちがここにいることを知って、わざと聞こえるように言ったんだ。
「ねえ、お母さん、もう帰ろうよ……」
「う、うん、そうね……」
お母さんも、おじいさんたちの話し声が聞こえたんだと思う。悲しい顔をしてうつむいていた。すると、一人のおばあさんがぼくたちのところまで歩いて近づいてきた。
「あんたらのせいじゃないから気にすんな。それに、みんな根はいい人なんだよ。でも、最初に男が挨拶に来ないとダメだ。信用されねえから。あんたとこの一家の
お母さんは、ハイハイと申し訳なさそうにうなづいて集会所をあとにした。
お母さんはとっても疲れている様子だった。家まで歩いて帰る途中、ずっとため息をついていた。でも、ぼくは、お母さんが無事だったことが何よりもうれしかった。お母さんはぼくに「どうして危険だってわかったの」って聞いてきたけど、ハナコから聞いたとは言えないから「なんとなく」と言ってごまかした。
家に帰ると、ぐったりしたお母さんを見て、お父さんは笑顔で「おつかれさん」と声をかけた。ところが、山で起こったことや、地域のおじいさんやおばあさんに言われたことをお母さんが話し出すと、お父さんは腕組みをして難しい顔をして考え込んでしまった。
「オレだって手伝いたいけど、平日東京で働いて、土日に田舎に戻ってきて地域の雑用をやらされたんじゃ過労死しちゃうよ……」
「うん、あなたはいいの、わたしがやるから……。そのうち慣れるわ……」
すると、お父さんと母さんの会話を聞いていたお姉ちゃんが、そらみたことかとまくし立てた。
「ほらね、この家が呪われてるからイヤなことばっかり起こるのよ! ねえ、みんなで東京へ戻ろうよぉ! ねえ、お父さん、ねえったらぁー」
困った顔をしたお父さんがお姉ちゃんをなだめた。そして、ぼそっと小さな声でつぶやいた。
「じゃあ、しかたない。午後からのお疲れ会はオレが出るか……」
お父さんが重い腰上げようとすると、おじいちゃんが横から話に割り込んだ。
「あぁ、もういい! おまえたちはいいから今度こそ遊んで来い。ワシがいく。草刈りは無理だが、酒なら少しは飲める。それに、大先輩のワシが行けば、みんな黙るじゃろ! あっはっは」
そう言っておじいちゃんは、引きとめるお父さんをふりはらって集会所まで歩いて行ってしまった。でも、これでぼくたちは牧場へ遊びに行ける。と、思っていたら、お母さんの気力と体力が消耗しすぎていて、結局バターづくり体験はまたの機会にもちこしとなった。
夕方になって、おじいちゃんがお疲れ会から帰って来た。いつも笑っているおじいちゃんが、めずらしく不機嫌そうな顔をしていた。心配したお父さんが、なにがあったのかと聞いたら、「昔となんにも変わってない」とテーブルをポンと叩いて、お母さんにビールを持ってくるように頼んだ。気分が悪いから、これからお父さんと一緒にお酒を飲み直すんだって。
ふだんお酒はそんなに飲まないおじいちゃんだったけど、今日はいつもより飲んでいるみたいだ。そのせいで、おじいちゃんはとてもよくしゃべった。お父さんとおじいちゃんの会話の内容がおもしろそうだったので、テレビを見るふりをしてずっと横で聞いていた。
むかしむかし、おじいちゃんの実家は地主で、とてもお金持ちだったみたいだ。しかも、代々村長をやっていて、村ではとっても尊敬されていたらしい。戦争が終わってしばらくすると、おじいちゃんのお兄さんが親のあとを継いで若くして村長になった。おじいちゃんも議員になることを勧められたけど、そんな仕事はしたくないと言って、学校の先生になったみたいだ。
ところが、おじいちゃんのお兄さんが村長になって何年後かに、悪いことをして逮捕されてしまったらしい。選挙に受かるために、たくさんのお金をいろんな人に渡したことがバレたんだって。これが理由でおじいちゃんの家族は村にいられなくなって東京に引っ越したそうだ。おじいちゃんが小学校の先生をやめて、東京でサラリーマンを始めた理由はこれだったんだ。
「近所のやつら、あの時のことを覚えていやがった。オマエが来たから神様が怒って岩を落としたんだとよぉ……」
おじいちゃんはお酒を飲み過ぎたようで、そのまま居間で眠ってしまった。
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