第2話
入野の電話から三日後。
航平は入野と打ち合わせをするべく、会津若松市に来ていた。郡山駅から直通で行ける会津若松は盆地の中にあり、県内でも有数の豪雪地帯である。流石に三月の終わりであり雪はすっかり溶けてしまっているが、まだ午前中は肌寒いことがある。会津若松駅から出た航平はその空気の冷たさに、思わず身を震わせた。
「あ、赤べこだ、赤べこ。でっか!」
寒がりな航平とは対照的に、
彼はスカイブリッジ社創業のメンバーであり、技術者としても一流。今日の打ち合わせをするために航平と一緒に来たのだ。
二人は駅前でタクシーを捕まえ、運転手に目的地を告げる。十五分ほどタクシーは走り、目的の場所へと到着。
「いやあ、久しぶりだな」
タクシーから降りた航平はしみじみとそう呟いた。
今日の打ち合わせを行う場所は、航平の母校である会津情報大学。その名の通り、情報技術に特化した大学である。大学を卒業してまだ二年しか経っていないが、妙に懐かしさを感じる。この二年はとても忙しく、きっと時間の密度が濃かったからだろう。
冬休みで学生がまばらなキャンパス内を航平達は進む。講師達の研究室が入っている研究開発棟に向かい、打ち合わせを行う部屋の前に来た。
部屋には宇宙研究グループというプレートが張っており、その横の壁には講師達と生徒達の研究成果がポスターとして張り出されている。
航平は扉を三度ノック。すると扉が開き、入野が顔を出した。
「お、きてくれたな、大空。寒いし、中に入ってくれ」
「ああ」
部屋に入った航平達は、中に置いてあった長机に座る。腰を下ろした航平は部屋の中を見渡す。地球儀や少し傾いた本棚など、航平がいた時と何も変わっていない。唯一変わったことといえば、研究室にいる学生だろう。今研究室にいるのは、航平の見覚えがない男子学生が一人だけ。彼はパソコンと睨めっこしている。
この部屋も変わっていないな。
航平が感慨深くそう思っていると、「どうぞ」と入野が熱々の緑茶を淹れてくれた。
「ああ、ありがとう」
航平達の正面に座った入野は、ジロジロと航平の姿を見る。
「別にスーツで来なくてもいいのに。堅苦しい」
「最初の打ち合わせだし、きちんとした格好のほうがいいかなって」
会社は基本私服勤務だが、航平達の今の格好はスーツである。母校であっても、仕事として来ている以上は正装で来るべきだと思ったのだ。
「それで仕事の話なんだが……」
そう早速切り出した航平を、「まあまあ」と入野は諌める。
「詳しい話は町田先生が来てからで。打ち合わせが押しているみたいでさ、ちょっと待ってくれないか」
町田とはこの研究室を受け持っている講師であり、航平達の恩師である。
「先生が来るまで世間話でもしようぜ。お前の会社最近どうだ? 電話越しでも聞いたが、なんか仕事がなくなったんだって?」
「まあな。取引している会社が潰れてさ。結構痛かった」
「そうなのか。俺達の依頼、受けれる余裕があるのか?」
「いや、むしろ依頼してくれて助かったのはこっちだよ。銀行にも新規の案件が入ってきたって説明できるし」
航平は話を一旦止め、湯呑みに口をつける。
「いやー、それにしても今の状況を、学生の時は想像できなかったよ。まさか東京の会社を一年未満で辞めて、こっちで起業。そして、こうして入野と一緒に仕事をすることになとはな」
「まったくだ」
入野も同意して屈託なく笑う。
「そういえば大空ってなんで東京の会社辞めたんだっけ? 理由は聞いてなかったな」
「まあ、一言で言えば嫌になったから、だな」
航平は元々宇宙関連のIT企業に就職したかった。だが、残念ながら全ての会社からお祈りを受ける。妥協といえば聞こえは悪いが、内定を出してくれた東京の会社に就職することに。入社してから数ヶ月後、社内研修を終えた航平はとあるプロジェクトに出向。この案件がとんでもない案件だった。それは大手二行の合併に伴う金融システムの構築。本来は片方のシステムに片寄せするのだが、今回は違った。社内政治の都合で既存のシステムはそのままに、二行のシステムをリレー形式で接続するという荒技に出たのだ。そんなプロジェクトに放り投げられた航平は連日連夜の残業で、また休日出勤も余儀なくされた。
すっかり疲れ果てた航平は同じ現場にいた先輩に対し、「このプロジェクト本当に終わるんですか? スケジュール伸びているじゃないですか?」と愚痴ったことがある。そしたら、「伸びるほうがいい。作業期間が伸びたほうがうちが儲かる」と真顔で答えてきた。
日本のIT企業はいまだに人月商売。人月商売とは技術者の人数と期間で料金を請求することだ。例えば技術者一人当たり一ヶ月百万円であり、十人割り当てたとすると、一ヶ月に一千万円の売り上げになる。期間が伸びるほど儲かり、逆に効率化させ期間を縮めると売り上げが減るという奇妙なやり方なのだ。
先輩の言葉を聞き、航平は日本のIT業界に心底呆れた。そして、心身ともに限界にきていた航平は、プロジェクトの契約の切れ目である年末に退職した。
元々いつかは地元に戻りたいと考えていた航平は、生まれ故郷に帰ることに。年明けからフリーランスとして働いていたが、
とある案件で同じ時期に退職した同僚の宗像と再会。同郷だったと分かった二人はすぐに意気投合し、今の会社を立ち上げたのである。
会社経営は大変だが、東京の会社にいた時よりは航平は幸せを感じている。元請けに振り回されず、自分達のペースで仕事ができるから。
そして、今回憧れていた宇宙の仕事をすることになったのだから、決して自分の決断は間違っていないと思う。
航平が感慨に浸っていると、研究室の扉が慌ただしく開いた。
「いやー、いやー、遅くなって申し訳ない!」
人の良さそうな笑みを携えながら、椅子に座ったのは町田。
五十代の町田の姿は二年前とほとんど変わらないが、白髪が目立つようになっていた。そのことに航平は時の流れを感じ、胸に込み上げてるものを感じる。
航平と宗像は立ち上がり、町田に挨拶。
「お久しぶりです、町田先生」
「やあ、大空君。確か二年ぶりだね。まさか卒業生の君に仕事を依頼するようになるとはね。人生は予想つかないね」
「はは、同感です」
「では、その仕事を話をしようか」
「はい」
ここからは仕事の話だ。
椅子に座り直した航平は表情を引き締めた。
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