宇宙の架け橋

河野守

第1話 宇宙へ

 福島県郡山市。福島県の中通りに位置するこの市は、東北において仙台に次ぐ都市圏である。郡山駅から北は青森、南は首都東京と新幹線で行き来することができ、物流網も整っている。まさに福島県を代表する商工業都市である。

 郡山駅から少し離れた古びた雑居ビル、その三階にスカイブリッジ社という会社が入っている。

 大空航平が二十五歳の時に立ち上げたベンチャー企業であり、人々の生活の架け橋になるようにと名付けた。一年ももたずに潰れるベンチャーが多い中、スカイブリッジ社はそれなりに手堅いやり方で経営は安定している。県内大手企業や地方自治体などの取引先も作ることができ、一年目として合格点だろう。

 年度の終わりを迎えようとしていた三月、バランスシートを眺めていた航平は来年度もきっと大丈夫だろうと考えた。

 そんな楽観的な考えは一本の電話で打ち砕かれた。

「どういうことですか!」

 午後一にかかってきた電話は、太田ソフトウエアハウスからだった。この会社は県内中規模のIT企業であり、航平は創業初期からお世話になっている。その恩人といっても良い会社に対し、つい航平は怒鳴り声をあげていた。

「きちんと説明してください!」

 向こうの電話口にいるのは、太田ソフトウエアハウスの副社長、山口である。彼は航平を「お、落ち着いて」と宥めようとする。

「正直、私も事態を理解できずに困惑しているんだ」

 山口は今日一日に起きた出来事を順番に話し始める。

 出社した山口は来年度の経営について、社長である里中と話をしようと思った。里中は楽観的な男であり、会社経営も少し大雑把な部分がある。そのことを心配した山口は経営について、細かな話をしようと思っていた。だが、里中は一向に出社してくる様子はない。里中の今日の予定は特になく、本来会社で書類仕事をするはず。不審に思った山口は社長室に入るが、そこにも里中の姿はない。だが、山口は社長室に違和感を感じた。よくよく見ると、里中の私物がなくなっているのだ。そして、机の上に一枚の紙を見つける。それは里中の書き置きであり、とんでもない言葉が書かれていた。

「社長の書き置きには、こう書かれていました。会社は本日を持って倒産する、自分のことは探さないでくれ、と」

「……それは、つまり逃げたということですよね?」

「うん」

「……本当に御社は倒産したのですか?」

「うん。顧問弁護士に確認した結果、すでに破産の手続きはほぼ完了していた」

「あ、あの山口さんは副社長ですよね。倒産の前兆とか知らなかったんですか?」

「恥ずかしながら。どうやら幹部にも正しい経営状況を知らせなかったみたいで。最近よく外出したり、弁護士とやりとりをしているなと思っていたんだけど、まさか倒産の手続きをしていたなんて」

「里中社長とは連絡は?」

「何度も電話しているけど、繋がらなくて……」

「そうですか……」

 社内外の混乱を防ぐため、破産申し立て手続きを社員に知らせないことはあるらしい。だが、幹部にも知らせないとは。

 山口も突然会社が倒産して、大変な状況なのであろう。だが、それよりも、航平には気になることがある。

「あの、弊社は御社から仕事を依頼されています。ソフトはもうすぐ完成するのですが、その代金はいただけるのでしょうか?」

 山口は言葉を選びながら、慎重に話を紡ぐ。

「そのことだけど、……大変言いづらいが、支払いはできない、と思う」

「何故です⁉︎」

「お金が無い。会社の土地や備品などを担保にしているが、銀行への借金返済で全て使い切ってしまう」

「担保はそうかもしれませんが、入金予定のお金はあるでしょう? 我々が作ったものは、御社からさらに別の会社に納入する予定でしたよね?」

 太田ソフトウエアハウスがスカイブリッジ社に依頼してきたのは、工場で働く社員の勤怠管理システムの開発である。元々は太田ソフトウエアハウスが国内大手の製造会社から受注したものであり、その開発がスカイブリッジ社に回ってきたのである。営業をかけ受注しておきながら、実際の開発は外注するというのは、日本のIT企業において決して珍しくない。

 勤怠管理システムの開発規模は小さくなく、請求する代金もそれなりだ。払ってもらわなければ、スカイブリッジ社としては困る。

「御社の方から製品を納入してもらって、その代金を我々に払ってください」

「……それはできない」

「はい?」

 山口の回答に、航平は理解できないと素っ頓狂な声をあげる。

「できないってどういうことですか?」

「そもそも契約をしていないんだ」

「はあ?」

 山口の話によると、太田ソフトウエアハウスと件の製造会社は正式な契約をしていない。実際に開発された製品を見てから導入するか決め、契約書を交わすという話だったそうだ。つまり里中は見切り発車で、スカイブリッジ社に仕事の依頼をしていたのだ。

 そういうことか。だから、里中さんは……。

 実はスカイブリッジ社と太田ソフトウエアハウスも契約書を作成していない。それは製品について客から修正要望が出た場合に、柔軟に対応するためだと里中から言われていたためだ。最初に契約書で決めてしまうと、変更が色々と面倒くさいからと。

 その時は特に疑問を持たなかったが、太田ソフトウエアハウスと製造会社間で契約をしていなかったということも理由だったのだろう。

 日本特有の曖昧な契約の仕方ではなく、もっと厳しく契約について考えるべきだったと航平は後悔した。

 話をまとめると、スカイブリッジ社が三ヶ月かけて頑張って開発したソフトは、一円も金にならないということだ。

 ソフトを完成させて例の製造業会社に直接売り込むか。もしかしたら買ってくれるかもしれない。

 そんな考えを電話の向こうで察したのだろう、山口は「期待しないほうがいい」と言った。

「さきほどその製造会社から連絡が来てね。ソフトウエアについては無かったことにしてほしいと言われたよ。別の会社のものを導入するとも」

 ……マジかよ。

 航平は内心の落胆を出さずに、「里中さんと連絡がついたら教えてください」と言い、電話を切った。

 受話器を置いた航平は頭を両手で抱える。予定していた入金がなくなったというのは、かなり痛い。財務が健全なスカイブリッジ社が今すぐ倒産するというわけではないが、経営はかなり苦しくなる。

 頭を悩ませていると、電話が鳴った。

 正直電話に出たい気分ではないが、無視するわけにはいかない。

「はい。スカイブリッジ社です」

「あ、大空か?」

「もしかして、入野か?」

 電話をかけてきた相手は、大学時代同じ研究室だった入野だ。航平は修士課程卒業で就職したが、彼はそのまま大学院博士課程に進んだ。今年で博士課程三年目であり、博士論文の執筆で忙しいはずだ。

「どうした? 何か用か?」

 入野は航平の携帯電話の番号を知っている。それなのに会社の番号にわざわざかけてきたということは、スカイブリッジ社の社長である大空航平に用があるということだ。

「そっちの会社は今は忙しいか?」

 入野の探るような質問に対し、航平は「いいや」と答える。

「今請け負っていた仕事が消えてさ、何か新しい稼ぎを見つけないとって思っていたところだよ」

「暇なんだな? それなら良かったよ」

 そう言った入野は自分の失言に気がつき、すぐに「ああ、すまない」と謝罪。

「実は我々のプロジェクトのパートナーになってくれる企業を探していてな。それで連絡したんだ」

「そのプロジェクトって儲かるのか?」

 大学との共同プロジェクトにおいて、企業側は儲からない。技術の取得や広報が目的であり、儲けは二の次だ。本来は余裕がある企業がやることだが、その余裕は今のスカイブリッジ社にはない。

 大空の疑問に、入野は「うーん、どうだろう」と煮え切らない返答。

「このプロジェクトにはそれなりに助成金が支払われていて、参加した企業にも一部を渡すことになっている。ただ大金かと言われると、それはノーだ。でも、このプロジェクトに参加することには意義があると思っている」

「そのプロジェクトの内容は具体的には?」

「お、興味を持ってくれたか? ……宇宙の仕事だ」

「宇宙の仕事?」

「ああ。いっしょにまた宇宙をやらないか? 学生の時みたいに。そして、成功させようぜ。うまくいけば、大空の会社にも仕事が色々と舞い込んでくるはずだ」

 入野の言葉は苦境の中で輝く光明であり、また航平の胸の奥で燻っていたものを燃え上がらせるものでもあった。

 航平の答えは決まっている。

「わかった。やろう」

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