第5話 記録と記憶

 領主館からの迎えの馬車は座席が4人乗りの一般的な馬車だった。

 豪華な装飾入りの馬車を期待をしていたが、やって来たのは何の変哲もない普通の馬車だ。


 豪華な馬車は領主様やその家族、そして大事なお客様用にしか使われないのだそうだ。

 そんな馬車には必ず護衛が付くらしいが、今回の馬車は使用人や一般の人を乗せるための馬車だ。護衛などは付いていない。


「このステップに片足を乗せてから、ここを持って中にお入りなさい。そして二人とも後ろ側の席にお座りになるのですよ」


 執事の服を着た白髪の男性がエミーとミラを車内に誘導している。


「二年後にはまた一緒にどこかで逢えたらいいね」

「きっと逢えるさ」

「二人とも元気でな」

「そっちもね」


 エミーの言葉に、俺とジムは短く応える。多くを喋ると今の想いが顔に出そうで嫌なのだ。明るく送り出してやりたい。


 執事と思われる男の人はドアを閉め、御者台に乗り込んでゆく。

 やはり領主館の執事長らしい。シスター長を見るとこっそり教えてくれた。


 顔一つ分くらいの小さな窓から見えるエミーの表情は、希望と不安が入り混じったような表情をしていた。

 そして、孤児院の建物に目を移すと、そこから目を離さずに何かの思いに耽っているように見えた。


「そろそろ出発しますよ」


 御者台で手綱を持った執事長さんがそう言葉を発すると、馬車はゆっくりと動き出した。

 ここからルノザール市内の領主館までは馬車で数時間、夕方頃には着くそうだ。


(中に乗っているエミーとミラは、小さい窓からせわしく手を振っている。いつの間にか踏ん切りがついたのかな?)


 こちら側もみんなで手を振った。いつもは厳しいあのシスター長が、懐からハンカチを取り出して目に当てているのが印象的だった。



 エミーとミラを送り出して2日目の朝、ジムは相変わらず剣の鍛錬を続けている。どうやら三日坊主ではなかったらしい。


 まだ外は薄暗い早朝。ジムが外に出る気配を感じて目を覚ました俺は、窓際に置いていたヘアバンドに目を向けた。

 先日、シスター長から受け取ったヘアバンドは全体がほぼ黒っぽい色だったのに、昨日の夕方から一部が青みを帯びているようなのだ。


「不思議だなー、何で光っているんだろう」


 俺に唯一残されていたこのヘアバンドは、どのような人の頭に着けられていたのだろう。見たことがない自分の母親の姿に思いが巡る。


 自分が包まれた毛布の中に、これを差し込んでくれた母親の意図。なにかを伝えたかった、その意図がどうも気になる。


 俺は思わずヘアバンドを手に持って、自分の頭に着けていた。


『ピッ……*¥@*&%、≧*ЗΔθ*』


(なっ、誰だ! 女性の声で誰かが頭の中に話しかけてくる。しかし、どこか知らない国の言葉だ。まったく意味が分からない!)


『§±З*/~¥%、*$#*(&**=¶÷∞)』


 そして次の瞬間!


「うわ! な、何だこれは!」


 目の前に様々な映像が映し出され、それらが高速で変化している。沢山の映像、様々な記録がまるで押し寄せる洪水のように、大量になだれ込んできた。


(今、彼の頭の中で起こっている事は、脳細胞のシナプスが、ヘアバンドから発せられた微細な電気信号によって次々と接続され、いくつもの記憶回路を再構成しているのだ)


 それは暫くの時間続いた。その間、俺は呼吸をするのも忘れるほど、未知なるものが記憶として入り込んでくる途轍もない違和感を、黙って受け入れるしかなかった。


『サーーーー・・・・ ピピッ すべての同期が完了しました』


「はぁ、はぁ、はぁ はぁ……」


 どのくらいの時間がかかったのか分からないが、溢れるような記憶の流入が終わった後には、俺は肩で息をしていた。


 ヘアバンドに記録されていた一人の脳の情報は、アルフレッドという人間の脳の中に転送された。

 そしてそれが記憶として形成された結果、ヘアバンドの中の脳の記録とアルフレッドの脳の記憶は、同期が確認されて転送が完了したのだ。


 最後の合成音の意味を理解が出来たのは、日本語を理解するための記憶も完成されたためなのだろう。


 俺は暫く呆然と壁を見ていた。


 自分の母親が頭に着けていたヘアバンドだと思っていた物は、何処にあるかも分からない異なる世界で、月見里拓郎という人間が仕事やゲームをする時に使っていたカチューシャ型のMR(複合現実)アダプタだったのだ。




<少し前の日本での出来事>


 俺は月見里やまなし拓郎、28歳独身。電子回路の設計と共にプログラミングもこなしているシステムエンジニアだ。現在装着しているこのMRアダプタも、何カ月もかけて自分で開発したものだ。


 カチューシャの様な形をしたこのMRアダプタだが、従来のゴーグル式や眼鏡式のアダプタとは方式が異なっている。


 先ず、表示装置は耳の上の電極から発生される微小な電気刺激によって、現実の視覚に仮想空間の画像を重ねて投影できる。

 目の前の景色の中に、パソコンの立体的な画像が融合した感覚だ。現実と仮想空間は互いに連動している。


 次に入力装置だ。思考による自動入力は、まだ複雑な入力を実現できるレベルには至っていない。

 そのため、目の前の仮想空間で手や指の動きによって入力する方法が通常の入力方法になる。


 仮想空間画像上のキーボードを指先でタッチすることによって、プログラムの編集も可能だ。


 また、このMRアダプタには512ペタバイトの記憶装置を内蔵していて、これによって人の脳細胞に記憶している全ての情報を記録することが出来るようになった。



 ヒトの脳は細胞と細胞とのシナプスの接続によって記憶回路が形成されるが、歳と共に脳細胞が死滅したりすると記憶が曖昧になったり、忘れてしまったりすることになる。


 しかし、このアダプタの同期機能を使えば、アダプタ内のデータを未使用の脳細胞に同期させることによって、記憶の回復も可能になった。

 重度のアルツハイマーでない限り、記憶の呼び戻しが可能となったのだ。


 もちろん、生体情報の一致が確認されないと同期は行えない。悪用を防ぐセキュリティー機能は絶対要件だ。


 電源は長寿命の二次電池を使用し、外側には高効率の太陽電池も配置した。

 太陽電池の表面材質は液晶で、髪の毛と同化させて保護色にすることも可能だ。

 もしも電池が消耗しても、明るい光が当たると充電する仕様になっている。



 あの日、俺は自分の研究室で仕事を済ませた後、開発したばかりのMRアダプタを装着してオンラインのVRゲームに参加していた。


 このMRアダプタは、過去のVRアダプタやARアダプタの上位互換だ。仕事が終わった後、いつもの様にMRアダプタを装着したままゲームに参加していた。


 そしてゲームの最中に、あの忌々しい先輩上司からの内線通話が入る。


「やまちゃーん、申し訳ないんだけどさー。クライアントからの依頼でどうしても週末までにプロジェクトを完成させなければならなくなっちゃってさー。何とかプログラミング今日中に頼むよー、ね、お願い!」


 “今日中にお願い” ……最悪の無茶振りである。

 かと言って、今までやっているVRゲームは途中で止められない。


「ゲームと仕事、マルチタスクでやってみますかね!」


 俺は目の前に2つのウインドウを表示させて、片方のウインドウで仕事のプログラミングを開始した。


(が、やっぱりねぇ、ゲームとプログラミングを同時にやるマルチタスクって無理だ。)


 自分の脳みそがマルチタスクには対応しないことを実感し、プログラミングのウインドウに専念せざるを得なかった。




「よしと、これで実行が可能なはずだ」


 この頃には、別画面のゲームの事など完全に忘れてしまっていた。

 プログラムのコード作成がひと段落したところで、実際に動作させてプログラムミスの修正作業デバッグを行ってゆくことにした。


「先ずは途中までを実行してみるか、実行ボタンをポチっとな」

「……」


(反応なしか、やっぱりミスバグがどこかにありそうだ)


「実行停止、っと…… あれれ? 反応がねえじゃん」


 どうやら無限ループに陥っているようだ。隣のゲーム画面も停止をしている。


(そいえばこのMRアダプタ、無限ループに陥った場合は監視機能によって強制リセットの機能が働くように作った。その場合、初期アドレスに強制的にジャンプするようにしていたんだっけ)


(ハングアップで電源を切るのはスマートじゃないから、初期動作を実行するようにプログラムしていたのだけれど……)


 この時の初期アドレスが、なぜか異世界の初期アドレスに設定されてしまっていた事は、本人も気付いていなかったのである。

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