脱出
作戦決行前日。
広げられた地図を挟み、私とノイアは最後に計画の確認を行っていた。
前のめりになりながらぼさぼさの茶髪を揺らし、彼の人差し指がルートをたどってゆく。
「五階のこの部屋からだと、このルートを23時50分に出発すると見事に見回り番とすれ違うんだ。だから23時48分にここに来るよ」
「OK。でも、見回り番とすれ違うタイミングだなんてそんなことまでわかるの?」
「ほんのちょっとだけ推測だけどね」
驚いた。えへへと笑う彼。聞くと以前から備品庫のアイテムを物色しに行っていたらしい。
「何回も捕まってすっごい叱られたなぁ。でもそれが今回役に立ってると思うと変な感じ」
嫌なことを思い出したのかノイアは茶色い毛に隠れた目元をぎゅっとして、苦い顔を浮かべた。
「ねぇ、廊下の監視カメラはこの間のペンダントで掻い潜るって言ってたけどどうするの?」
すると
「みててね」
彼はおもむろにこの前のペンダントを取り出し――
瞬く間に彼はその姿を消した。
「えっ?ノイア?」
そこに居ると思って伸ばした手は空を切る。
「ばぁ!」
「うわっ」
「実はペンダントでの光の操作を応用して姿を隠す方法見つけたんだよねー。そして、じゃん!」
自慢気に言いながらもう一つのペンダントを取り出す姿に自然と笑みがこぼれた。
ふと、こう笑えるのも最後かもしれない。そう思い、心臓をつままれた様な感覚になった。
「……ねぇラヴィ。前もだったけど余計なこと考えてない?」
ばれてしまった。
「いや――……ごめん」
謝る私に彼は言う。
「謝ることは無いよ。笑おう。そいえばさ、僕が明日時間になってここに来たときの合図覚えてる?――」
こうして時間は作戦の決行へと進んでいった。
翌23時48分、時間通り扉が事前に決められていたリズムでノックされる。
扉を開けるとそこには不安と緊張が入り混じりものすごく変な顔をしたノイアが立っていた。
(ぷっ)
(なんだよ。僕は不安でどうにかなりそうだっていうのに)
少し緊張がほぐれた様子で思わず吹き出してしまった私を咎める。
一つ深く行きを吐き、時計を見る。決行まであと一分。
決行まで30秒、20秒、10秒、5秒……
一度は落ち着いた脈拍も時計の針が進むにつれて間隔が狭くなっていく。
23時50分、ついに決行の時間がやってきた。
はぐれないようにと手をつなぎ、ノイアがペンダントを起動して手渡してくる。
大丈夫。監視システムは全て把握したし地図も正確に描いた。作戦も練った。道具もある。ルートも完璧。大丈夫。
そう自分たちに言い聞かせ、冷たい扉を開ける。
初めて見る夜の廊下。音はなく、その無機質な壁は昼間に感じたような冷たさに加え不気味さまでも纏っていた。
全神経を音を殺すことに使い、慎重に足をつけ、離す。
何度繰り返した頃か、廊下の突き当りの天井、僅かな光をも吸いとるように真っ黒なレンズが半球内を動いているのが見えた。
ペンダントが上手く動作しているようで、その瞳が私達を追ってくるような事はなかった。
続けて階段を降りる。あえて音を響かせて威嚇しているかのように上下からコツ コツ と硬い音が響いてきた。
近づく硬い衝突音。それをかき消さんばかりに鳴る鼓動。じわりと汗を握った。
少しずつ大きくなる響き。
コツ コツ コツ コツ――
迫る。
迫る。
その音がそれ以上大きくなることはなかった。
降りていく。四階、三階、二階……
どこへ行っても同じ光景。本当に移動できているのかと不安にさえ思えてくる。
だがそんな不安の中で幸いにもノイアのおかげで職員とすれ違うことさえなかった。
最後の階段が眼前に垂れ下がっている。
ほっと安堵を覚えた私達の下に再び、コツ コツ と足音が近づいてきた。
また遠ざかっていくだろうと思われたその響きはどんどん大きくなっていく。
足音の主が近づいてくる。
コツ コツ コン コン――コン――
その姿を見た時に抱いた、心臓を鷲掴みにされたような錯覚。
彼女は鼻筋の通った綺麗な顔を醜悪に歪ませながらこちらに歩いて来る。
目が合った――そう確信できるほど真っ直ぐ彼女の目は私を捉えた。
そう思ったが、幸い気の所為だったようで、そのまま私達の横を歩いていく。
コツ コツ コツ……
離れゆく足音。
もう近づいて来ないで。
暫し身を潜め、落ち着こうと必死になる私はただ祈ることしかできなかった。
どくん どくん
――いい加減黙って欲しい。もうこの心臓の鼓動だけで居場所が見つかってしまうんじゃないか。
ふと、ノイアが強く握ってきた手を握り返す。
おかげで少しだけ落ち着きを取り戻した私は再び歩みを進め、寮の玄関口へとたどり着く。
あとはカメラの死角を辿っていくだけ。
あと少し。
次第に早くなる歩み。私達はいつの間にか走り出し、手を伸ばしていた。
今すぐに壁を登ろう。今すぐに自由に手を掛けよう。今すぐに――
パゥ
左足が力を生み出す能力を失った。
理由はよくわからなかったが、そんな事を考えるよりも前に進もうと右足で体をなんとか支え蹴る。
ああ、次に体を支える足が居ない。
最後の最後で全てを台無しにする足を呪う。
どうして。どうして今なの。
何で。何が起こったっていうの。
意識の抵抗虚しく体を地にこすりつけることになった。
「ラヴィ!」
崩れるような音に気がついたのかノイアは駆け寄り、手を伸ばしてくる。
「ラヴィ、大丈夫だよ。さあ、行くよ」
彼は何故か私の足に布を巻き付け、肩を貸してくれる。
「ごめんね。ごめん……」
残り10メートルほどだろうか。あと少しのその道のりが果てしなく遠い。
パゥ
「ゔぁ」
呻きと共にノイアの体が支えを失ったように崩れる。
「ノイア?」
返事は無い。明らかに様子が変だった。
息は荒く、不規則。握る手には力が無く。
「もう少し。次は私がささえるから」
ノイアの体を起こそうと手を差し込む。
ぬちゃ という感触を覚えた。赤い。
眼の前の出来事が上手く処理できない。ただただ雫だけが頬を伝い続ける。
頭がぐいと持ち上げられた。涙に歪む視界が流れ、視界いっぱいに映ったのは嗜虐心と嬉色に染まり歪みに歪んだあの女教員の顔。
すぐそこにある希望がどんどんと遠ざかっていく。
いつの間にか現れたもう一人の女教員がノイアを私から引き離そうとする。
嫌だ!やめて!
手を伸ばす。離れゆくノイアの手を掴まんと。ああ、ああ……
「見えて無いと思った?あと少しで手が届くと思った?残念でしたァ」
その声を最後に受け取り、私の意識に暗幕が降りた。
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