脱走計画


 起床の合図だ。

 今日もこの音の数秒前に目が覚めた。眠い目をこすり、いつもの通り灰色の服に着替え、銀色の板に映る自分の茶色い髪と表情を確認する。


 口をきゅっと結び気を引き締める。


 今日も一日が始まった。


 この通路の監視カメラの分布はどうだろうか。

 この時間の教員の通行箇所の傾向はどのようなものだろうか。


 移動の間、あらゆる場所に意識を向ける。


 徹底的に無機質な壁、全身にコンクリートを塗りたくり機能のみを追い求めた監獄のようにさえ見えてしまった。

 足音は反響し、空気は冷たく、光は白く。何も感じられない。


 こんな場所になんの疑問も抱いていなかったことが無性に恐ろしく思えた。


――カチャカチャと食堂中に食器の音が鳴り響く。 白いご飯と茶色い汁、緑色の野菜と赤色の肉。色はある。

 それでも味はした。美味しくもなければ不味くもないけれど。少し向こうから小さな子達が騒ぐ声が聞こえてくる。そんな彼らの笑顔を尻目に急いで食べ物をお腹の中に流し込む。


「ごちそうさまでした」


 今は時間が惜しい。自室での食事を許してくれてもいいのに。そう思いつつも教員の動きや開閉される扉に意識を向ける。


 食堂の近くには外につながる非常口が3つある。それぞれの監視カメラの位置を確認していく。

 

 監視カメラは各通路の交点に一つずつ。非常口付近は各2つずつ。


 決められた量の課題をこなす。できるだけ早く。数字と文字と記号と図形と。それらは僕達に何を教えるのだろうか、僕達から何を隠すのだろうか。


 目的が見えない作業。でも別に良い。面白くは決してない。それでも確かな決心と共にいち早く処理せんとそれにのめり込んでいく。



 作業が終わると訓練。


――開始のブザーが鳴る


 動体視力と反応速度を鍛えるための模造銃弾よけ訓練。あたった分だけ後の走る訓練が伸びる。しかも模造弾は速く、鋭く、痛い。ヘタをすれば大怪我を負うだろう。当たるわけにはいかない。


 銃口の向きを捉え、引き金に動きに集中。

 引き金の動きを捉え、跳ねる――


――ここまでしてなお回避率80%。やっぱり僕にとってこの訓練は理不尽極まりない。



 持久訓練。

 体力を鍛えるためにひたすら走る。この施設はご丁寧に山のような足場の悪い環境まで用意している。以前は煩わしかったそれが今は少しありがたい。


 戦闘訓練。

 教員との戦闘。丸めた刃物を使っての打ち合い。日によって環境が変わり、何を想定しているのか本当に殺しに来る。多少は手加減をしているのだろうがそれでも僕達の体を切り裂くのには十分な威力で致命傷を狙ってくるのだ。

 僕達って何なんだろ。


 訓練の間もやることは変わらない。植物の擦れる音、動物の鳴き声、植物の配置、人工物の配置、カメラの配置、地面の硬さ、教員の表情、その全てを把握していく。

 

 外部の監視カメラは周囲を囲む塀と電力供給のコントロールセンターの付近に集中。それ以外に関しても至るところに配置されていた。


 食事をし、決まったことを処理、訓練をし、情報を集める。


 嘗ては意味もなくただ処理するだけだったものも、一つ目的が加わるだけで大きく変わって見えた。


――なんのため?


 今ははっきりと答えられる。彼女の――ラヴィのためだと。


 来る日も来る日も繰り返し。どれほど味気なくとも僕にとっては問題ない。



 とある部屋を訪ねると女の子がボブカットの黒髪を煩わしそうにピンで止め、その綺麗な手で大判の紙に線を引いていた。大きく、正確で、僅かな角度のずれも許さずに。


 彼女は可能な限りの時間で地図を作ってくれている。脱出計画に利用するものだ。



「ばぁ!」

「わっ!もーびっくりした」


 ビクッと跳ね、挙げた顔は少し口を開けて瞳孔を見開いていた。

 ただ、僕に気がつくとすぐにその表情も笑顔へと変わっていった。


「どう?調子は」

「いい感じかな。ひとまず施設の内部構造と配置は描き終えたよ」

「じゃあさ、次は監視カメラの場所を描いてくれる?確認してきたからさ」


 廊下、食堂、訓練施設、図書館、倉庫、この施設を囲む塀。彼女は伝えたその位置にカメラを描き、その視野を取り描いていく。



 すると死角で出来上がった帯線がまるで「おいで」とでも言っているかのように浮き上がる。


 僕達の寮にもつながっているそれはいくつかの場所で枝分かれをし、この施設内の各設備――発電所、電力コントロールセンター、職員寮、食堂、図書館、教室、塔――へとつながっている。そして一番太い死角が塀の方へと伸びていた。


 ここで疑問が浮かぶ。何故このように死角が存在しているのかと。当然答えは出ない。

 そんな疑問を少しでも解消するためなのか彼女はこんな提案をしてきた。


「ね、ノイア。明日さ、ここ行ってみない?」


 もし、教員達がこの場所を通る人間を警戒していたら?


 不安だった。どうしても誘われているようでならない。迂闊にこの場所へ赴いても良いのか。そう思うと行くのは躊躇われる。

 そして何よりも嫌だった。怖かった。この希望が絶たれてしまうのが。


「仮にさ」


 そんな僕の内心を読み取ったのかラヴィが口を開く。


「この死角が警戒されているのなら脱出はできないと思う。それにここに居る人間に脱出をされたくないならこの場所に着く前に何かしら接触があるはずだと思う。だったら取り返しがつくうちに可能性は潰しておくべきじゃない?」


 そのとおりだった。そうと思えば返す返事は一つ――



 ――今日もいつものように作業と訓練を終える、


 ずっとお腹が痛い。


 そう、今日は。ラヴィと一緒に死角がマークされているかの確認をする日。この希望が虚像か実像かが浮き彫りになってしまう日。


 落ち合う予定の場所に行くと彼女が手を振っていた。


 落ち着きを忘れた心臓と、こわばる体を必死になだめながらいつもの笑みを貼り付け談笑を装いながら歩く。

 視界のあらゆる場所から情報を貪る。教員の動きは、表情は目線は。


 音が無くなるほどの緊張と集中。会話が成立しているかはよくわからない。


 死角を一歩たりとも踏み違えること無く目的地――最も太い死角が伸びる先の塀の下――へとたどり着いた。周囲を見ても他に不自然な部分は無い。


 ここからならこの塀を乗り越えても見つからなさそうだ。


 しばらくこの場で身を隠し、追手が現れないか探る。

 どれだけ待っても近づく人は現れずその気配も感じられない、どうやらここは現在マークされていないようだ。


『ふぅー』


 二人共張り詰めて今にも切れそうだった緊張の糸がほどけた。

 僕たちは安堵を抱えて足早にもと来た道を辿る。


 不意に―ドン、と背中にぶつかる何か。

 確かに人の部位のような柔軟性を持ったもの。

 周囲の音が消え、ドクドクという響きが全身を打つ。


――嘘。嫌だ。やめてよ。


 抱えていた安堵が絶望へと姿を変えていく。振り返るとそこに居たのは教員ではなかった。男の子が手を合わせ「ごめん!」と言ってくる。


 自らの情緒の落差に胃をひっくり返したくなるのを我慢し、大丈夫だと返した。


 再び緊張の糸が張り詰める。行きと同様視界のあらゆる場所から情報をさらおうとするも、上手くいかない。


 その角を曲がったら誰かがいるんじゃないか。こっちに歩いてくるあの教員はどうなのか。恐怖と混乱でいま自分がどんな顔をしているかさえも分からなかった。


 寮に着くと女性教員が僕達の目を真っ直ぐと捉え歩いてくる。


 すたすたと、真っ直ぐ。

 目を瞑り踵を返して走り逃げたくなる衝動を必死に抑え込み、前を見て歩く。


 そして女性教員は声を掛けて――


――来なかった。

 

そのまますれ違い、何もなかったように去ってゆく。

 結局何事もなくラヴィの部屋に戻り、今度こそ張り詰めた糸を開放。見えた希望への期待に興奮冷めやらぬまま歓喜にうち震える僕達は


―パンッ


 共に右手同士を打ち合わせた。

 

 そう、全てが上手く言っていた。

 何も問題はなかったのだ。ただ一人、ただ一人の表情が歪んでいたことを除いては。

 

 笑み歪み、見つけたラットは檻の中。 

 光る眼は悲哀を宿し、崩れる希望に思いを馳せる。


 見つけた玩具に期待を膨らませ、同時に彼らの不幸に同情する。

 筋の通った美しい鼻を据え整った顔を持った女性のまだ明るい空など意に介さないほど暗く、邪悪に歪んだ笑みが寮の通路に浮かび上がっていた。

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