第62話 社畜は慶事を喜べない

師匠雅楽さん。もう一度、あたしが分かりやすいように耳元でささやいていただけますか?」


 絃紫いとしのさん?そんなに眼を血走らせながらお願いされてもですねぇ・・・恐怖が先に立っちゃってそんな事、絶対に無理なんですってばぁ(´;ω;`)。


 大体今どこで何やってるんでしたかを考えてみてくださいよ!


「絃紫さん?これは僕がやるべき事なんだって事はお判りですよね?」

「あたしを置いてけぼりにしてヒクイドリを殴りに行く・・・重力魔法の初歩を齧っただけの師匠雅楽さんは下層の住人の狛犬にそそのかされて遠路はるばるこの地底20階層までやってきた、という事を言いたいんですか?」


 だから美人なんですからその威圧を込めた睨みは不要なんですって。婚期逃しても知りませんからね?


「あの狛犬の獅子から依頼を受けたのは僕だけなんですよ。

 まだ若い貴女が死に急ぐ必要は無いんです」

「ここまで連れ添ってきた恋女房をここで見捨てるって事でしょうか?」


 何度も言ってきましたが、僕が貴女と生涯を共にすると誓った事はまだ一度もありませんよね?


「絃紫さん「何度も言いたいのをこらえてきましたが言わせて貰います!

 何故あたしの事をで呼ぶんですか?あたしはもう絃紫恵梨華じゃありません、雅楽うたい恵梨華なんです!エリーって呼んでくれないんなら一生返事はしたくありません!」

 ・・・婚姻届けを出した記憶は無いんですけど?」


 絃紫さんは、その勝気なちょっと釣り気味の瞳に涙をいっぱい貯めて僕を睨みつけてます。


 こうなったら一切僕の言う事を聞いてくれなくなる事をこの半月の間で嫌と言うほど覚えさせられていますので、僕は溜息をきたくなるのを堪えるので精一杯なんですよ。さやかお嬢様とどっこいどっこいの難物ですよ、ええ。


 世の男性方はこう言うのを乗り越えて恋愛だ結婚だと突き進んでいらっしゃるのでしょうか。狂気の沙汰と言うよりほかは無いじゃありませんか。


 魔法使いどころか賢者に両足突っ込じゃってる僕には、とても理解ができる事ではありませんね。


「・・・もし役所に婚姻届けが提出してあるとするならそれって公文書偽造罪になるんですけどね。

 貴女のお父さんやお母さんには貴女を守ると大言壮語をしてきたんです。

 それを裏切ってしまってるとなると僕は貴女のご両親に何と言ってお詫びをすればいいのでしょうか?」


 ダンジョンの奥底でやっていい会話だとは思えませんがここまで来たらきちんと話を詰めておかないと前に進みようがありませんからね。


「父とはあの晩、を籠めて説得してを得ています。母は最初から乗り気で式の日取りをどうするかで迷っていました」


 ・・・え?もしそれがホントでしたら、僕たちは婚前旅行でダンジョンに潜っているんですか?僕には承諾取らずに?


 いやいや、お父さんから直接話を聞かない事には真相は分かりません。ブラフの可能性が大きいんですから。きっとホラに違いありません。信じると地獄に引き込まれるぞ、僕!


 でもあの強調した誠意ってのが気になるんですけどね。何か恐ろしい事が起きているんじゃないでしょうね?


 もしかして、でもなぁこのヒト絃紫さん、脳筋だからなぁ・・・力任せにお父さんを引きずり回して承諾をぎ取るくらい屁でもありませんからね、きっと。


 お母さんは・・・とらえどころのないヒトだったから式の日取りとか本当に決めてそうで怖いんですよね。


 でも僕みたいな中年が初婚の相手だとか変だと思わないんですかね?犯罪のニオイしかしないじゃないですか。


「とにかく、大事な人をむざむざ危険な目に会うようなところに追いやるのは僕の矜持に係わりますから貴女はここで待機していてください」

「!!!!!だ、だいじなひと・・・・ヒャッハー!」


 これでしばらく、ここでおとなしくなって貰えると僕の無駄死にを見る事など考えも及ばない余所事に気が回る事は無いでしょう。


 大事な絃紫さんを守りたい。こんな気持ちを持っているのは本当の事ですし、生涯の伴侶を諦めたつもりもありません・・・尤もこれから死地におもむく身で未来を語るとは言語道断の極み、いえフラグをし折っているとしか思えないのですが。


「とにかく、貴女はここでお待ちいただけると僕としてはありがたいんですが」

「では師匠雅楽さんがお戻りにならなかったらあたしはどうすればいいんでしょうか?

 一人でヒクイドリ討伐をしろと?」


 僕としては素直に上に戻って欲しいんですが、ここまで来れたんですから戻れるだけの実力はありますからね?貴女。


 僕が絃紫さんを説得しようと口を開いた時、僕の後ろにある扉が激しく打ち鳴らされた。


 言い遅れましたけど僕たちがいるのは、20階層のほとんどを構成するボス部屋の前の控室、19階層からの階段の降りた先とも言いますね。


 扉を叩けるのは前にいる僕たちか中にいる筈のヒクイドリか、ってとこでしょうか?


「いいから絃紫さんは上に戻ってください!」

「乙級のプライドに賭けても、ここまで来て指を咥えて帰るなんて出来ませんよ!

 あたしは師匠の妻として師匠を守る義務があります!」

〖あ~!いつまでそこでもたもたしてんのよ!

 ず~っと待たされてるこっちの身にもなれっつ~のよ!〗


 扉が内向きに突然開いて、突風と共に僕たちは室内に吸い込まれてしまいました。

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