閑話 その5

第46話 わがまま娘は度胸で勝負する

 さやかお嬢様は、珍しくに出社していた。


 そんならしくない彩お嬢様の事も気にならない程、某社は浮足立っていた。


 その妙に騒がしい周囲の様子は、会社関係万事に興味の無い彩お嬢様の眼にも常軌を逸していた。


「なんだかんだと二週間、よくもまぁずっと騒いでいられるものだわ」


 一応同期のハケンのマドンナエリーこと絃紫いとしの恵梨華が敬愛してやまない彩お嬢様の教育係の雅楽太智うたいひろのりの後を追って退社してから早2週間、某社は完全にその機能を停止していた。


 全ての電話が鳴り響きサーバーがダウン、罵声怒声悲鳴が行き交う殺伐とした異常事態が発生していたのだ、と言うよりも終息の糸口もまだ見つけていないようだ。


 それはエリーが辞めたからでは無く(狙っていた男性社員の多くが一時的に戦闘不能におちいっていたとはいえ)、彩お嬢様の教育係でスケルトンの方がふくよかに見えるとまで言われたガリガリハゲの小男の退職が引き金となっていた。


 雅楽の不在は、取引先各位の不興を呼びクレームを桁外れに増大させた。


『なぜ伝説の男を繋ぎ留められなかったのか』と。


 自信なさげな骸骨よりも貧相だとまで言われた男に某社もそれに関わって居た周囲の者でさえも皆が依存してきたのだという事実が事態の混迷の度を深め続けている要因と言えるかも知れない。


 部外者の眼からするとトップでも無いたった一人の喪失が会社の存在自体に影響を及ぼすなど、それこそ常軌を逸している。


 ただ彩お嬢様自身は、担当を持たない見習い秘書の身であった事からスマホがうるさ過ぎるだとかメールが止まらないだとかなど周りの人間がパニックを起こしてしまう程の状況には至っていないが、会社を傾けた元凶の一人と見做みなされて社内全体から冷たい視線を集めてとてもとても居心地がよくない程度の話ではなくなってきていた。


 彩お嬢様はそんな状態に終止符を打つべく動き始めた。


 本社最上階にやってくると彩お嬢様は、目指すドアを躊躇する事も無くノックもせずに開け放った。


 その扉には『社長室』の看板が掛かっていた。


「わたくし、今日をもってここを辞めますわ!」

「サヤカちゃん!こんな時になんて事を言い出すのよ!

 サヤカちゃんにはこの会社を続ける為にとっても大事な仕事が待っているんだよ?」

「どっかの有能な男を呼びこむ為のエサだと聞いていますわ」


 身も蓋も無い返しを受けて社長は思わず黙り込んでしまう。


 彩お嬢様の姉 静も有能な男を射止めるべく身体を張ってムコ探しに奔走していたが、身も心も疲れ果てて外国の男と駆け落ちをしてしまい未だに連絡が取れないのだ。


 その代わりにと引き込んだ彩お嬢様が自分の運命に抗う事を選ぼうとしているという事は、自立と言う点では素晴らしい事なのかも知れないが某社の経営と言う点においては雅楽の退社と並ぶ、いやそれ以上のダメージを与える出来事に成り得るのだ。


「わたくしの様な何の取り柄も無い者をいつまでも抱えていられるほど、今の会社には体力がきっと無いのですわ!

 それでしたらまだ体力がある内に、センセ雅楽を失ったごたごたと共にわたくしが出てしまえば膿を吐き出しきって再生するチャンスも巡ってくるというものですわ!」

「さ、サヤカちゃん!

 そんなに会社の事を思ってくれてたのかい!

 子供にそこまで思い詰めさせるなんて・・・ワシはなんてダメな親なんだ!」

「ところで秘書室長彩お嬢様ずはノックの仕方から雅楽さんに習われるべきでしたね。

 あの勤勉で熱心な方からこれほどまでに学ばれていないという事は、ある意味驚異と言って違いないでしょう。

 ここでは不作法は許されませんので、先ずはきちんとした書面をもって直属の上司へご相談されるべきであると存じておりますが?」


 彩お嬢様の嘘も方便な綺麗事に感極まって涙にむせぶ社長だったが、秘書はそんな彩お嬢様のはかりごとに気付かない筈も無く冷たく言い放つ。


 ただ秘書室長の上司は直に社長なので、あまり意味はなかったのだが。


樋処といどころクン、この子の最後の我儘わがままだ。

 ここは親のワシに免じて笑って送り出そうじゃないか。

 退職金はあまり出せんと思うが出来るだけの事はしよう。

 総務の新田あらただ部長を呼んでくれないか?」

「・・・新田部長は一昨日付で既に退職されまして現在有休消化中ですが」

「・・・じゃあ人事の足利たりき課長を」

「・・・現在一週間ほど出社されて無いと聞いておりますが」

「・・・それじゃあ総務の連中を誰でもいいから呼んでくれ」

「・・・ハケン切りをした時点で全員から依願退職届が提出され有休消化中で誰もいない筈ですが」

「・・・最近、派遣を切った記憶は無いんだけど?」

「雅楽さんが退職された翌日の夕方に派遣元から通達が来ましてそこで縁が切れたとの事です」

「・・・ちなみにどの派遣社員だい?」

「・・・主に受付をやってくれていた絃紫恵梨華さんです」


 自分がゴリ押しして娘を入れた為に弾き出された雅楽イチ押しだった絃紫の事は社長の頭にも残っていたようで彩お嬢様の手前、顔の筋肉を動かさないように注意しながら秘書の顔色をうかがう。


「・・・辞めた理由とか聞いてる?」

「・・・『敬愛する敏腕社員をあまりにも軽視して雑に扱いゴミのように捨て去ったのを見てちゃんと入ってもこんな目に会うくらいなら辞めた方がマシ』という事だと聞き及んでいます」

ウタちゃん雅楽無しだとウチは倒産しちゃうから頑張ってっていつも してたのにやめちゃうのをどうやったら止められたって言うんだよ」

「社長、お言葉ではございますが、金も出さずに応援だけして無能の尻拭いばかりを黙ってやらせれば大抵の人は嫌気が差して辞めてしまうのでは?」

「だってこっちはウタちゃんの愛社精神だけが頼りだったんだってばぁ」

エリー絃紫恵梨華ったらわたくしに直談判をさせてた隙に辞める手筈を整えてたなんて・・・油断も隙も無いですわ!」


 絃紫がいつ辞めたかは知っていた筈なのに今更憤慨出来る彩お嬢様を見て、秘書はその記憶力に疑問を感じずにはいられなかった。


 一流大学を実力で出てはいるのだから記憶力が悪い筈は無いのに、と。


 自身の身の処し方も考える時がどうやら来た事を犇々ひしひしと感じる秘書であった。


「経理上がりの役員は・・・田丸は息子のホスト通いからの横領とその隠蔽工作の積極的な指示を理由に首を切ったし、あと島井は余計な事をしでかしそうで関西に飛ばしたんだったな・・・そうなると」


 社長が自分の考えに没入しているのを見計らって、秘書は彩お嬢様にさり気なく尋ねる。


「秘書室長、辞めて当てはあるのでしょうか?」

かねてよりの計画通り探索者になるのですわ!」


 社長の耳に入れば泡を吹いて倒れるに違いないと、秘書は静かに横を向いたのだった。


「一応私も仕事なので確認だけはさせて貰えますでしょうか。

 伝手つては何かおありで?」

「いくら無鉄砲な女と評判が立っていてもそこまで他の方の思い通りに動く者ではありませんわ。

 ただ正直にお教えしてはすぐに連れ戻されるだろうとはわたくしも予想が出来ますのでどこの誰がとはお教え出来かねますわ」


 一応雅楽たちからの助言が頭に届いてはいたようなので少しホッとする秘書であったが最後に釘を刺す事は忘れなかった。


「無理はするなとは申しません、ただご自分を大事にしてください。

 それと週に一度は社長に、いえ私のアドレスに無事なら〇、何か起きて困っているようでしたら✕とだけメールをいただけませんでしょうか」


 何やらブツブツと呟きながら首をひねる社長を尻目に秘書に手を振りながら彩お嬢様はにこやかに出て行った。


 二度と戻る事は無いとも知らずに。

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