第17話 わがまま娘は木乃伊の夢を見るか?

 さやかさんはご存知でしたの?」


 火曜、髪のセットに納得がいかず何度もやり直してる内に結局出社が午後になってしまったさやかに受付でのとげのあるエリーからの言葉が刺さる。エリーによると彩の教育係であった筈の男が彩に何の説明も無く勝手に退職していたというのだ。

 一部上場とはいえ、彼女の勤める会社は中途退社の率が極めて高い事で有名な会社ではあった。しかし、教育係を務めていた男はそんな会社に30年以上勤務する有能かつ勤勉な事で有名な人物だった。有能であるが故に昇進させて実務がとどこおる事を恐れた上層部が実働部隊に縛り付けていたという都市伝説めいた逸話すら残っている業界の中でも飛び切りの有名人であり、なんでも噂を聞き付けたヘッドハンティングを狙うライバル各社が色めきだっていると既に話題になっているらしい。


 貧相な見た目でかなり損をしているとは思っていたが、今更ながらに実態を思い知らされる彩であった。


 そして確認の為に教育係がいる筈だったのを目当てに覗いた部署は、自称敏腕部長と自称エリートが枕を並べて討ち死にしていた。正確にはうずたかく積み上げられた書類に囲まれひっきりなしになる電話への応対に疲れ机に突っ伏していた。それも会社の固定電話と個人のスマホが代わる代わる鳴るけたたましさで並の神経では側にいられない程だった。


 もちろん彩はすぐさま部外者をよそおいその場を離れて社長室へと向かう。


「お父様、わたくしの教育係でしたセンセ、じゃなくて雅楽うたい様が退職したと伺いましたが本当ですの?」

「彩、ここ会社では社長と呼ぶようにと言ったよね、忘れてないよね?ちゃんと雅楽君に教わった筈だよね?」


 公私のけじめが出来ていない親娘であった。


「そのセンセが辞表をお出しになったと聞いて確認に来たのですわ!わたくしに無断で辞めるなんてありえませんわ!」

「・・・そんな話は聞いていないけど?

 樋処といどころクン、ちょっと総務の新田あらただ部長を呼んでくれない?

 ・・・ニッタちゃん新田部長ウタちゃん雅楽から辞表なんて噂聞いちゃったんだけどウソだよね?」

 『そ、それが社長!昨日出されてました!』

「なんで止めないのよ、あのクルマヤ某大株主がうるさいからさ態々わざわざ箸にも棒にも掛からないあの関原のボンクラの補助補正の為に付けてたのにどうしてくれんのよ」

 『そうは言われましても本人からは郵送で関原からはビリビリに破いたのをテープで繋いで提出されてしまいましてもう人目についてしまってて誤魔化しようが無くてですね』

「彼の力なくして我が社はあり得ないのよ?会社潰れたら誰が責任取るのよ!」


 彩は、ここでようやく自分に付けられていた木乃伊ミイラみたいな小男が会社にとっては重要な人物らしい事に気が付いた。その割には雑な扱いを受け部長たちに扱き使われてた事を思い出していた。ちなみに会社が潰れたら責任を取るのは第一に代表取締役社長、責任を問うのは株主であり従業員しくは債権者なのは当然である。


「関原部長も酒匂さこう係長も、事務仕事は全部センセ雅楽に押し付けて休んだり遊んだりとずっと勝手にしていたのですわ。もしかしてこれって・・・」


 そんな高評価の人間を雑に扱い過ぎておかしいと思う人間はいなかったのか?


「関原はウチの重要な取引先の自動車メーカーの社長の血筋だよ。俗に言うコネ社員ってヤツだね」

「あっちに返品するとかはできないのですの?」

「いくら不良品だからって解っててもそう簡単にウチの株式の二割を握ってる会社と事を荒立てるなんてできないよ」


 人間を返品する事は出来ないが人材として扱われていないが為の発言である。それに先方も無能だと知ってて押し付けているので引き取る気も無いであろう。ちなみに先方の株も一割程度は持っているので一方的に無理を押し付けられるいわれは無い・・・落ち度が何も無いのならの話だが。


「役に立つ可能性の無い方に無駄にお金を掛ける位ならセンセを取締役に抜擢ばってきする方がずっといいんじゃありませんの?」

「本人が現場が好きだって言ってたからねぇ、それに今まで他所に引き抜かれるような事は無かったからね」


 現場が好きで離れたくないだとか偉くなりたくないだとか本人が言った事は一度も無い。それに今まで引き抜かれなかったのは忙しさにかまけて他社の話を聞くチャンスが無かった事と自己評価が低すぎて本人が勝手に諦めていただけの事である。


「退職したのでしたら他所もウチに遠慮なんてしなくなるのですわ」

「きっとそれはダイジョブじゃないかな?愛社精神にあつい男だったしね」

「でもご本人にお聞きしましたけど給料は私の半分ほどでしたわ」

「だからそこは愛社精神がだね」


 金も出さず精神論で縛り付けて平気なこの会社は漆黒のブラック企業である。


「つまりは雅楽様の善意に胡坐あぐらを掻いてめていたという事ですわね」

「彩、いやサヤカちゃん!ウチと雅楽君の仲ってのはそんなに薄っぺらい信頼関係じゃないんだよ?」

「聞いた話ですと関原部長はセンセの忌引きや入院などを全部無断欠勤扱いにしていたそうですわ」


 はっきり言って労基署に駆け込まれたら白旗確定の事案である。


「でもでもアンポンタンの関原には持ち株二割がバックに付いてるんだよ?」

「だからと言って、センセは自分の持ち分の他に関原部長の為に営業をこなし会議の原稿を作成しやらかした案件には代わりに頭を下げ続けなければならない、なんて理屈が通る訳が無いですわ!」


 自分が散々困らせている事を棚に上げて他人を攻めるのが上手なお嬢様だった。


 この後1時間以上も彩の直談判は続いたが関原や酒匂の更迭や断罪も給料を倍以上に上げてでも雅楽を再び迎え入れるような事も何一つ決まる事は無く、憤慨した彩は定時よりもかなり早く退社したがそれに関して悪びれる様子も無かったという。

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