第5話 アーチャー・イン・ザ・サーフ
18時、空が少しオレンジ色になり始めた頃、二人は江ノ島を眺めながら食事を始めた。早めに買ったたこ焼きはいい具合に冷めていて、大きなタコも入っていて大満足だった。焼きそばもすぐに平らげ、最後に食べかけだったりんご飴を食べた。千はりんご飴を初めて食べたのだが、なかなか美味しかった。普摩におすすめされたからだろうか。
買ったものをすべて食べ終わった後、普摩がかき氷を食べたいと言い出した。千も夏祭りといえばかき氷というイメージを持っていたので賛成して、二人で出店まで戻って買いに行った。しかし先ほどたくさん食べたので、二人ともそれほどお腹はすいていない。なので、二人で一つを分け合うことにした。味は普摩がブルーハワイを選んだ。出店のおばあちゃんがかき氷を渡すときに優しく「仲良くね」と言ってくれたのがなんだか恥ずかしかった。普摩は明るいので「ありがとうございます」と素直に返していた。好きだ。その陰で千は会釈をするしかできなかったが。
砂浜まで戻りながら少しずつかき氷を食べた。セルフサービスだったストロースプーンを二本とってしまったことを千は後悔した。一本だったら、間接キスやあーんをしたりできたのだろうと思って。
砂浜に再度着くと、人が少し増えていた。ちょっと混んできたね、と千が普摩に言うと、そりゃ花火大会だからねぇ、と言われた。
「今日花火あるの?」
千は花火があるとは知らなかったので、驚いた。19時から始まるらしい。中途半端な時間だと思ったが、日没のすぐ後に打ち上げが始まるように設定されているのだと考えればすぐに合点がいった。あと三十分だ。19時ちょい過ぎには帰る、と母親に言った時に不思議そうな返事が返ってきたのはそのせいだったのだろうか。
「大丈夫?七時半に帰らないとお母さん心配しない?」
普摩が尋ねてくれたが、千は当然好きな人と花火が観たい。
「いやいいよ、LINEしとく、花火観たいし」
と答えて、千は母親にLINEをした。すぐに「了解 楽しんで」と返ってきた。ありがたい。
「千のお母さん優しいよね」
普摩が言った。
「そうだね、ありがたい」
千が本心で答えた。
「千の家族は三人みんな仲良しだよね」
千は普摩から時折家族の話を聞かれてそれに答えていたので、普摩は千の家族の様子をある程度知っていた。
「三人と二匹、皆仲いいよ」
「そっか亀もいたわ」
千の家は玄関のすぐ外の水槽で亀を二匹飼っていた。千が物心ついた頃からだ。鶴と亀というふざけた名前だが、千はその亀たちのおっとりした様子が、見ていて落ち着くのでとても好きだった。
その後、二人はいつものように二十分ほど雑談をしていた。するとこの前の鎌倉でのデートの話になった。
「海久しぶりに行ったから楽しかったな、二週間後にまた来ることになるとは思ってなかったけど」
普摩が笑顔で言った。
「夏って感じするよね海は。めっちゃ晴れてたし」
鎌倉に行った日も、今日のように晴れていたので、そう千は答えた。
空は仄暗くなり始めた。
「だね」
普摩が答えた。
いよいよ砂浜に人が増え始めた。少しの沈黙の後、何か決意を込めたような眼を、千に向けるか迷う素振りを見せた後、海に向けたまま、普摩が口を開いた。
「いきなり高い波きてびっくりしたね」
千の心臓が、強く、速く、鳴り始めた。
「だね、」
息が熱くなる。
「服濡れちゃったけど、晴れてたしすぐに乾いて安心した」
普摩は落ち着いている。普摩はあの波打ち際でのことをどう思っているのか。普摩は千のことをどう思っているのか。千は気になる。とにかく気になる。
「あの日の服も可愛かった、」
精一杯、今千ができるうちの最も告白に近い発言をした。俺はこんなに好きだから、あとは君がどう思っているかがわかればいいんだ、という思いで。もう心臓が飛び出そうだ。
「ありがとう、千もよく似合ってたよ」
変わらず普摩は落ち着いている。服を褒められて、少しだけ、ほんの少しだけだが、普摩の千に対する好意、それが友愛であれ性愛であれ、が見えて、臆病だった千の考えは変わり始めた。三年、三年待ったこの思いを、まずは伝えなければならない、と。
「ありがとう」
とりあえず会話を繋いだ。少し間が空いて、また普摩が口を開いた。
「私なんか最近あの時のことよく思い出しちゃうんだよね、波が来る前のこと」
またあの波のことに、話題が戻ってきた。普摩もあの時の事が気になっているのだろうか。
「俺もなんか思い出すな、奇遇だね」
千もそれとなく、あの時のことが気になっていると伝えた。
「私達ってどういう関係なのかな?」
いつもより少しだけ深めの呼吸の後、普摩がそう聞いた。
「うーん、」
千がそう言いながら迷う。何というべきか。いよいよ心臓が破れるかもしれない。千は今までの人生で最も強くそう思った。陽はすっかり沈んでいる。
花火が鳴った。
歓声が上がった。
また花火が上がって、二人も花火を見た。
千が普摩の方へ向き直ったのを見て、普摩も千の方へ向き直った。千が口を開いた。
「好き。」
いよいよ心臓が破れるかもしれない。千は今までの人生で最も強くそう思った。
「俺は、好き。」
いよいよ心臓が破れるかもしれない。千は今までの人生で最も強くそう思った。
二度も言った。花火で聞こえないとは、言わせない。
普摩は一瞬息をのんで、そして一度呼吸をして、
「私も。」
と言った。
「私も好き。」千がそうであったように、普摩も熱く細い息を必死に押し出すように、しかしたしかに、そう言った。顔を赤らめて。そんな熱っぽい普摩は、とても艶やかに、美しく見えた。
「好き。」
普摩が自分の気持ちを確かめるように、そしてその気持ちを間違いなく伝えようと、また言った。
その姿に、千は撃ち抜かれてしまった。今にも破れそうだった心臓は射貫かれ、血が噴き出した。
「ありがとう」
するりと、千の口から漏れ出た。
「付き合ってくれませんか」
なぜか他人行儀に、千が尋ねる。一瞬おいて、
「ぜひ、喜んで。」
と、普摩が答えた。
「ありがとう」
また、千の口からするりと漏れ出た。
「こちらこそ」
普摩が微笑んで答える。普摩は続けて、
「ありがとう。」
と言った。
大仕事を終えた千は、一気に気恥ずかしくなった。
本当は今すぐ普摩の事を抱きしめたかったが、さすがに周りの目が気になる。
千と普摩の間にあった普摩の右手に、千はそっと左手を重ね合わせた。
そして、最後まで花火を見た。ちょうど射貫かれた心臓から血が噴き出すように、花火が夜空に広がる。その血は鮮やかだ。赤、黄、青、緑。きっと、明日も、明後日も、その先も楽しい。
千は家に帰って、幸せの中自慰も忘れて寝た。
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