第4話 ラブ・イン・ザ・アイズ

 また15分前に着いた。今は13時45分。天気は晴れ。雲は少しだけある。今日は片瀬江ノ島駅だ。江ノ島の近くの祭りなので多分湘南江の島駅の方が近いのだが、普摩が新江ノ島水族館に行ってからお祭りに行こうと言うので、片瀬江ノ島駅集合にした。前のデート同様、こちらも普摩の要望で現地集合だった。今は駅の出口で普摩を待っている。

 今日は音楽は聴かずに、海の方へ行く人々を眺めて待つことに千は決めていたのだが、実際に待ってみると想像以上の恥ずかしさがあった。というのも、今日千は浴衣を着ていたのだ。普摩と今日の予定について話していると、普摩が浴衣を着ていきたいと言い出し、千も折角イベントに行くのなら楽しみたい、そして普摩の浴衣を見たいと思っていたのでオッケーをした。浴衣のあてはなかったので母親に相談すると、昨年他界した祖父のものが偶然家にあった。普摩と祭りに行くから、というと、いやに喜んで貸してくれた。渋い紺色の浴衣で、千はそれを気に入った。ではなぜその浴衣を着るのが恥ずかしいのか。それは周りに浴衣の人が一人もいないからであった。考えてみればそれも当然で、ここは祭り会場の最寄り駅ではない。そして湘南江の島駅と言えば新江ノ島水族館、通称江の水だが、水族館に浴衣を着ていくという人は珍しいだろう。なので千は少しふてくされたような、まるで明治の小説家がタイムスリップしてきたような感じで、駅の壁に寄りかかっていた。

 暇な時間があると最近気になるのは、もっぱら普摩のこと、もっと言うと、二週間前の波打ち際でのことだ。普摩は一体、自分のことをどう思っているのだろうか。俺は間違いなく、普摩のことが好きだ。そう千は再確認してから、ここ二週間何度も繰り返してきたように悩み始めた。今日、祭りから帰るまでのどこかで、告白すべきなのだろうか。恋愛はあまりしたことがないから確信は持てないが、成功しそうな気もする。あの日波打ち際の普摩は、間違いなくキスを待っていた。いや、あれは雰囲気に流されてのもので、俺は実はただの友達なのだろうか。そもそも普摩はキスを待っていたのか?普摩は優しいが、不思議なやつだ。俺の勘違いではないのだろうか?よくわからない。悩む。悩む。悩む。

 しかしそんな思いも束の間、普摩がやってきた。千は前回の待ち合わせ同様普摩から声を掛けられるまで気付いていない素振りをしていたかったが、横目に普摩を捕捉した瞬間、より真剣に目を向けざるを得なかった。浴衣姿の普摩はあまりに美しかったのだ。美人画のようなすらりとした体に浴衣はよく似合い、いつもより少し凝った、編み込みを使った髪型は新鮮で且つ千の好みと合致しており、そして千を真っ直ぐ見つめるその瞳はいつにもまして大きく、綺麗だった。

「お待たせ」

お待たせ、と言われると、なんと返せばよいかわからない。

「うん、」

「千、浴衣似合ってるね」

「ありがとう、」

「わざわざ用意してくれてありがとう」

「おじいちゃんのが家にあったんだよね、」

「そうなんだ」

一瞬、一瞬だけ会話が途切れる。

「どう?浴衣」

普摩が少し自分の浴衣の袖を持ち上げながら半歩下がって、少し照れくさそうに浴衣を見せた。千は、こういうのは自分から言わなきゃダメなんだよな、しまった、と思いながら答える。

「めっちゃ似合ってる、可愛いよ」

可愛い、と言うのは、なんと気恥ずかしいことなのだろう、せめて「美味しい」ぐらいに難易度を下げてほしいものだ。

「ありがとう、」

依然として照れた様子で、普摩が答えた。しかしすぐに切り替えて

「行こっか、江の水楽しみだな」

と言って、歩き始めた。

「道わかるの?」

江の水に行くのはお互い初めてだった。

「わかんない、多分こっちでしょ」

「適当だな」

笑いながらこんなやりとりをして、お互い緊張がほぐれてきた。いつも通りだ。

浴衣の気恥ずかしさも二等分して、そしてその分も会話の楽しさですっかりなくなって、二人は水族館へ向かった。


 水族館でも普摩は変わらず元気で、とても楽しかった。水族館には二人の他に浴衣の客は一人もいなかったが、周りも暗いのであまり気にならなかった。どうやら普摩はクラゲがいたく気に入ったらしく、長い間眺める普摩を千は眺めていた。ふわふわと漂う様子と自由に揺れる長い脚がいいのだという普摩の感想を聞いた時、千は心からの同意をすることができなかったが、普摩が違う角度からクラゲを見ようと体を動かすたびに揺れる髪を少し離れて眺めている内に理解が深まってきたので、一緒に小さなクラゲを眺めようと普摩が覗き込んでいる水槽に近付くと、水槽のガラスに普摩と二人で写っているのに気が付いた。水槽のガラスにスクリーンショット機能があればよいのに、と千は思った。二人で水槽を覗き込んでいる内に、その二人の距離の近さのせいで、千はまたこの前の海でのキス未遂の事を思い出して、少しドキドキした。普摩はあの事をどう思っているのだろうか。


 16時半までゆっくり水族館を満喫して、二人は祭りの会場へ向かって歩き始めた。何を食べようか、とか、千の所属しているサッカー部のこの前の試合はどうだったのか、といった話で盛り上がっている内に、人通りが多くなってきて、祭りのざわめきも聞こえてきた。

 いよいよ最初の出店に差し掛かった。アニメか何かのキャラクターが描かれた風船に入った綿菓子を持った、甚兵衛姿の子どもが人込みから数人走り出してくる。こういった光景を見るたびに千は、少子化が叫ばれている日本だがこんなに子どもがいるのか、という不思議な気持ちになる。そこに数人子どもがいようがいまいが日本の現状が分かるわけではないのに。

元気な子ども、中学生男子の集団、二人組の浴衣の女子、子連れの母親、ヤクザみたいな出店の若者、典型的な、いつ来ても懐かしい、地方の祭りという感じだ。江ノ島近くという立地もあってか、少し規模が大きいような気はするが。

 出店を一通り見て回った後、普摩のリクエストでまずはりんご飴を買い、その後に、祭りに来るまでの道で二人で食べようと話していた焼きそばとたこ焼きを買いに向かった。焼きそばの店とたこ焼きの店で別れて並ぼうかとも思ったが、17時を過ぎてかなり混みあってきたので、まずは冷めにくそうなたこ焼きを買い、その後に焼きそばに一緒に並んだ。気のよさそうな青年がつくる焼きそばの店は繁盛していて、千と普摩の前には15組ほど並んでいたが、いつものように雑談をしているとすぐに二人の番が来た。前に並んでいた普摩が注文をしてくれた。焼きそば二つで1200円、千は財布を出そうとしたが、二人分のりんご飴を左手に、たこ焼きを右手に持っているためすぐには出せなかった。その間に普摩が1200円を払った。

「ありがとう、あとで600円返すね」

申し訳ないと思ったので千は言った。たこ焼き一つ、500円の会計の時は千が全て支払ったが、普摩は焼きそばに並んですぐに250円を返してくれていた。千がお金に細かいタイプであることは以前普摩に一度だけ伝えたことがあった。とにかく、千はそういう性格なので、相手が多く払うことも申し訳なく思ってしまう。なので600円返すと言った。それだけの事だったのだが、しかし普摩は急に千の目を見て

「いやいいよ、代わりに今度また遊びに行くときにおごってね?」

と言った。なんと可愛らしいことだろう、と思い、千はドキリとした。「今度また」?最高じゃないか。また会える、遊びに行ける、ということだ。好きな人にこんなお願いの仕方をされてしまっては、奢り奢られが嫌いな自らの性格などはどうでもよかった。思わず息をのんだままでいると、

「ごめん、冗談だって、おごんなくていいよ、そういうの嫌いって言ってたもんね」

自分の発言が千の気に障ったと勘違いした普摩が気を遣ってそう言った。

「いやそういうわけじゃない全然全然、いいよ今度奢るよ、またどっか行こう、焼きそばの分も返すし、」

本当にそういうわけではなかった千が、思ったことをそのまま言った。

そこで出店のお兄さんから焼きそばを渡され、二人は食事のできる場所を探して、最終的には前回のデートのように砂浜の石段に行きついた。江ノ島が見える、広々とした美しい場所だ。

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