第6話 仮初の幸福

 その台詞せりふを聞いたカリムは、不安と焦燥しょうそうで冷たくなっていた身体が一転して内側から熱を帯びてくるのがわかった。


 自分がとがめられるどころかリオまでも悪者扱いされたように受け取ってしまい、正面の小汚い壁をにらみ付けながら震えた声音でつぶやくように反論した。



「そりゃあ、軍隊長なんて身分のあんたにはわからないだろうよ。大切にしたいものを護るためにそうせざるを得ない、非力でひもじい人のことなんて。」



「大切なものを護るためなら、いく他人ひとを害しても正当化されるとでも言うのか?」



「そんなのは被害者の負け惜しみだ。それとも、餓鬼がきの分際で何かを護りたいだなんて出過ぎた真似まねだって言うのか? 大人達は充分に手を貸してくれないのに。そのせいで…大切なものを、明日にも失うかもしれないのに…。」




 だがカリムは夢中でまくし立てているうちに、再び気恥ずかしさが込み上がりつつあった。


 ルーシーがジェルメナ孤児院の監督者であるならば、他の孤児らと隔離されるように静養を続けるリオの存在を知っている可能性があった。

 名指しせずとも「大切なもの」を特定されてしまいそうな気がして、カリムはふさぎ込むように再び口をつぐもうとしていた。



——今更何を言ったところで、同情も理解もされるとは思えない。やってはいけないことだとわかって繰り返していた。積み重ねたあやまちを直視出来できなかっただけで、本当はいつ摘発されても可笑おかしくなかったんだ。


——俺の人生は…今日で終わるんだ。



 胸の内に充満する恥ずかしさは情けなさへと転じ、ほとぼりは呆気あっけなく冷めて消失した。


 隣に並ぶ女隊長は事情聴取と言っておきながら具体的に探りを入れるわけでもなく、叱りつけるでもなかったため、いまだに何を企んでいるのかわからず不気味な存在でしかなかった。


 だが軍人として、孤児院の監督者として酌量しゃくりょうの余地がないことは確信しており、カリムはすべてを諦めたような蒼白そうはくな顔でうつむいていた。



——もう、誰にも会わせる顔がない。何もかもが嫌だ。でも最後に万に一つだけ、望みを聞いてくれるのだとしたら…。



「お願いします…孤児院の子供達には、俺が何をしたか明かさないでください…。」




 かすれた声音でこいねがうと途端とたんに視界がゆがみ始め、カリムは抱えていた膝に顔をうずめた。今まで経験した覚えのない、身体がり切れるかのような感情に震えが抑えきれなくなった。


 カリムが最も恐れていたことは、リオに積み重ねたあやまちを知られて幻滅されることであった。

 もう二度とえなくなるとしても、その事実だけは最大限の嘘で隠して「お姉ちゃん」という虚像をのこしてあげたいと願った。


 そしてその結論は結局、ルーシーが唱えた持論を受け入れることにつながっていた。

 当のルーシーもその変化を察したように、正面を向いたまま淡々とカリムに言い聞かせた。



「おまえが執心する大切な存在とやらにとってもまた、おまえ自身が大切な存在になっているんだ。だから身のたけに合わないものを背負って自分を滅ぼそうものなら、相手の心もまた滅ぼしかねないというわけだ。自分を護れない奴に、他人を護れるはずがない。これでよくわかっただろう。それにしては高い授業料だったとは思うがな。」



 ルーシーは金貨銀貨の詰まった巾着袋きんちゃくぶくろを改めて掲げながら、なおひとり言のように続けた。



「人がひとりで抱えられるものの大きさは、自分が思うよりもずっと限られているものだ。たと他人ひとの命という尊ぶべき価値を護ろうしても、それ自体が正しいことであったとしても、それを抱えられるだけの器が備わっていなければ受け止めることは叶わない。子供ならそれが尚更なおさら小さくて当然だ。」


「出過ぎた真似まねとは何かと答えるなら…自分の器を自覚せずに責任を独占しようとすること、しくは責任を拡大解釈することだ。」




 その提言はカリムが咀嚼そしゃくするには冷たく、抽象的過ぎて千切ちぎれそうにもなかった。

 

 結局はまざまざと現実を突き付けられたに過ぎなかったが、一方でリオに対して行き過ぎた温情を傾けていたこともようやく自覚するに至った。



——リオを失いたくないという想いが空回りして、いつの間にかリオのすべてを背負い込もうとしていた。あんなに身体は小さくて軽いのに、その行為が自分をし潰そうとしていることに気付かなかった。


——いや、潰れても平気だと自分を軽んじていたんだ。どうして俺は、こんなにも馬鹿になっていたんだろう。



「だが他人ひとの助けになりたいという心自体は、誰しも必ず持ち合わせているとは限らない。その衝動を上手く制御出来できるようになれば、おまえはだ器の大きな人間になれる余地があるかもしれないな。」



 少し間をおいてからルーシーが台詞せりふを付け足したので、カリムは思わず顔を上げて赤らめた視線を向けた。

 それまでの冷淡な説教とは一転した、励ますような意外な言葉に驚きを隠せなかった。



 だがかたわらで言い聞かせていたはずのルーシーはすでに立ち上がっており、うずくまるカリムの姿勢からはその表情をうかがうことが出来できなかった。


 そして彼女が残骸ざんがいの山に沿って数歩進み出したところで振り向いたときには、うに元の飄々ひょうひょうとした顔つきに戻っていた。



「いつまでほうけているつもりだ。昼食もだなんだろう。さっさとジェルメナ孤児院に戻るぞ。」



 ルーシーが孤児院まで付いて来ようとしていることに少し遅れて気付いたカリムは、言われるがままに立ち上がるも軽い眩暈めまいに襲われた。


 一連の窃盗についてこの場で処分が下され、二度と孤児院に戻ることはないと思い込んでいたために一瞬拍子抜けしたものの、結局はルーシーによって孤児院に突き返される形になるのだと察するとまたぐに気が重くなった。


 励まされたことで斟酌しゃくりょうしてもらえたかのようにき違えて、糠喜ぬかよろこびした自分をもう一度恥じた。




 ジェルメナ孤児院までの道中、カリムはルーシーの歩調に追いつくために半分小走りの状態を続けていた。当然に会話など何一つなく、ルーシーも一切こちらを振り返ることはなかった。


 安息日あんそくびの街のにぎわいにまぎれて逃げられそうな気はしたが、今更逃げたところで何も現実が好転しないことは痛い程わかっていた。




 孤児院に到着する頃には13時近くになっており、玄関ではステラが落ち着きのない様子でカリムを出迎えた。

 そのステラにリオの元へ向かうよう促されたので、カリムはルーシーに向かって一礼すると、今度こそ逃げおおせるように自室へと駆け込んだ。


 ステラがカリムの抱えた紙袋を見て、自腹ではなくルーシーに買ってもらった品物だと勘違いしたときは、吐き気が込み上げて来て真面まともに顔を見ることが出来できなかった。


 ルーシーはその場で訂正しなかったが、自分が玄関から去った後にステラへすべてを明かすつもりなのだろうと推測した。

 ルーシーに対しては黄金色こがねいろの瞳という接点についてすっかり聞きそびれてしまっていたが、最早もはや関わりを持つことすらはばかられるようになっていた。



 自室ではリオがベッドの中で半身を起こしたまま、窓から差す穏やかな陽光に照らされて微睡まどろんでいた。

 昼食後も相まって眠たいはずだが、自分が戻るまで健気けなげ眠気ねむけこらえていたのだと察すると、カリムは益々ますますその天使のような存在を直視出来できずその場に立ち尽くした。


 だがリオが待ちほうけていた人影をおぼろげに認識すると、ゆっくりと揺れ動くように微笑ほほえんでカリムを出迎えた。



「おかえり、お姉ちゃん。何か買えたの?」



「…ああ、ただいま。美味おいしそうな果実が買えたよ。」



 カリムは仕方なく答えながら、しわくちゃになった紙袋からリンゴを取り出して見せた。

 その小さくもあかつやめく果実を前に、リオの鈍色にびいろの瞳はまるで宝石でもながめるかのように大きくきらめいた。



綺麗きれい美味おいしそう。今食べてもいい?」



「…いいよ。」



 その許諾きょだくと同時にリンゴは吸い寄せられるようにリオの小さな口元へと運ばれ、小刻みな瑞々みずみずしい咀嚼音そしゃくおんが室内で心地良く弾み始めた。


 リオが夢中で頬張ほおばる様はいつに無く幸せそうに見えて、カリムは一先ひとま安堵あんどしながら椅子に腰かけた。だがリオは急いで食べているようにもうかがえたので、ささやくように一言を差し挟んだ。



「そんなに慌てて食べなくても大丈夫だよ。このことはステラ先生も知ってるし、隠す必要はないからさ。」



「そうなんだ。ありがとう、お姉ちゃん。」



 満面の笑みでこたえるリオに、カリムも釣られて口元がほころんだ。だが胸の内ではかつてない程に罪悪感が膨れ上がっており、心から喜びを共有出来できない自分が確かに存在していることを自覚した。


 目の前の笑顔は見知らぬ他人ひとを害した上で成り立っている仮初かりそめの幸福であり、ルーシーが指摘した通り「共犯」と形容されても今はもう何も反論出来できる余地がなかった。


 あまつさ仮初かりそめ関係すら間もなく終わりを告げられることを、カリムは直隠ひたかくしにして必死に穏やかな表情を取り繕うしかなかった。



——こんな気持ちに、ずっと気付けなかったなんて。これじゃあリオと死に別れるよりも、よっぽど未練が残るじゃないか。




「ねぇ、カリム…さっきの隊長さんが落とし物を拾ってくれてたみたいなんだけど、これは貴方あなたの物?」



 その終末の宣告は、いつの間にか入室し背後に立っていたステラによって切り出された。


 カリムは椅子に座ったまま恐る恐る振り返ると、ステラの右手からは見慣れた巾着袋きんちゃくぶくろがぶら下がっていたが、ルーシーに没収されたときよりも明らかにしぼんでいたことに思わず目をみはった。


 元よりかえることはないと思っていたおかねであり今更取り返したいとは思わなかったが、少額ながらこうして見せしめられていることの真意を探ろうとした。

 だが結局追及が始まっていることに変わりはなく、リオが居る手前、その話題が変に発展することを忌避きひして自然と目を伏せた。



「…知らない。俺のじゃない。」



「そう、わかったわ。じゃあ早く昼食を食べてしまいなさい。そのあと…少し先生とお話ししましょう。」



 ステラの口振りからは、大まかな事情をルーシーから聞いて把握した上で想定内の反応だったのではないかとカリムは勘繰かんぐった。

 罪悪感の矛先はリオだけでなく、ステラにも向けなければならないことを改めて思い知らされていた。


 この先に待つであろう計り知れない罰を受け入れる準備をするため、小さくうなずいたのち椅子から重い腰を上げようとした。




「お姉ちゃん、もっと食べたい…。」



 だがそのカリムの服の裾を、リンゴの果汁にまみれたリオの小さな左手がつかんだ。


 リオにしては珍しい我儘わがままと、異様なほどに力強い握り方に戸惑いつつも、カリムは振り返りながらながめようとした。



「ごめんなリオ、今日はもうそれしかないんだ。…って、もう1個食べ切ったのか?」



 昼食を済ませたばかりだというのに、小さいとはいえ果実を丸ごと食べ尽くしてしまうリオに対して、カリムは驚きを隠せず上擦うわずった声が漏れた。


 そして上目遣うわめづかいで強請ねだるリオの瞳が萌黄色もえぎいろに染まり始めているのがわかると、明らかに良くない異変が起きていることを認めざるを得ず、狼狽うろたえるように一歩後退あとずさった。

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