第7話 脈打つ檻


 次に気がついた頃には、カリムの視界は真っ暗になっていた。


 微温湯ぬるまゆに浸け込まれている感覚で、全身は心地良いような気怠けだるいような熱で充満して自由が効かなかった。

 眠っているのか起きているのかも曖昧あいまいで、何故なぜそのような状況におちいっているのか考えることすら億劫おっくうになっていた。



「……!!」



 だがどこか遠くの方からしきりにわめくような声が聞こえて、それが一向に収まる気配がなかったので、カリムは次第にわずらわしさを覚え始めた。


 何か言い返そうと深く息を吸い込んだとき、その声もまたカリムの耳から脳内へと突き抜けるように飛び込んできた。



「カリム!! …おいカリム!! 返事をしろ!!」



 怒鳴り声は苛立いらだちと焦燥しょうそうとが混じっていたが、その低く圧倒するような声音には聞き覚えがあった。


 ようやく真っ暗だった視界がっすらと開けて来ると、天井に空いた穴から見下ろしてくる人影があった。

 逆光も相まってその顔立ちは判然としなかったが、カリムの口元からは言葉にならない溜息が漏れ、結局かすれた声音でその人影に話し掛けることとなった。



「…ドランジア…隊長……?」



「やっと起きたか…おい、一度しか言わないからよく聞くんだ。」



 ルーシー・ドランジアはカリムの安否を確認すると、そのまま鬼気迫ききせまるように語り掛けた。



「ラ・クリマスの悪魔による厄災が発生した。青白いつるがジェルメナ孤児院を中心に生まれて蔓延はびこり、住民を街ごと呑み込もうと成長している。私は厄災をい止める道具を持っているが、外殻がいかく幾重いくえにもつるおおわれてじ開けることが叶わない。せいぜい真上から小さな穴を開けることが限界だ。」


「だがそこに厄災を引き起こしている宿主がいることはわかっている…カリム、おまえの目の前にいるはずだ。そいつの胸元…心臓の辺りにこの道具を突き付けろ。そうすれば厄災はしずめられる。幸か不幸か、そこで捕らわれているおまえにしか頼めないことだ。…早急そうきゅうにやれ。任せたぞ。」



 早口に簡潔な説明が推し進められると、ルーシーは終わりぎわに天井から槍のようなものを放り込んだ。

 その先端がカリムの右腕に——右腕に巻き付いていた分厚いつるに当たると、その拘束が崩れるように消滅して自由がくようになった。


 だがカリムがもう一度頭上を向く頃には、すでに天井は新たに伸びたとおぼしきつるに埋め尽くされて間もなくふさがれてしまっていた。そこでようやくカリムは、自分が今どのような状況下に置かれているかを認識し始めた。




 そこはおびただしい量の太いつるで作られたおりのような場所で、1本1本が脈打つように不気味な青白い光を発しており、外界から遮断しゃだんされて仄暗ほのぐらく生温かい密室を演出していた。


 その中でカリムは下半身までつるの床に埋まっており、依然として微温湯ぬるまゆに浸っているように感覚が麻痺まひしていた。



 そして目の前ではリオの身体が同じくつるの壁に捕らわれており、項垂うなだれた表情は高熱に浮かされるようにもだえて汗塗あせまみれになっていた。


 地肌は両腕と両脚に絡むつると同化するように青白く光っており、服の裾や袖からは彼方此方あちこちで細いつるが顔をのぞかせていた。


 一連の様子からはルーシーが言及していた「厄災を引き起こしている宿主」がリオである事実をまざまざと見せつけられていたが、事実と現実を同等に捉えることをカリムの本能が拒絶していた。


 だが途切とぎれていた記憶の切れはしには、リンゴのおかわりを強請ねだるリオの袖から突如とつじょ生えてきたつるが確かに映っていた。



「リオ…? ……リオ!!」



 カリムは精一杯の声量を振りしぼったつもりだったが、だ下腹部に力が入らず弱々しい呼びかけとなり、リオも何ら反応を示すことなく小さくあえぎ続けていた。


 つるおりにはカリム以外誰の手足すら見当たらず、ルーシーの口振りからは救援を望めそうにもなかった。

 昨日まで何度もリオの容態を案じる夜を過ごしたが、そのいずれもこの惨状さんじょうに匹敵する有様はなかった。



——どうして…どうしてこんなことになってんだよ!? …俺のせいなのか? 俺がリオにあの果実をあげたせいでこうなってるのかよ!?



 自分の心臓が早鐘を打つ音が一層高鳴り、カリムは夢中で身を乗り出してルーシーが落とした道具をつかんだ。


 それは槍と呼ぶには先端が丸く、黒い鉱石の付いた杖のようなものであった。だがその鉱石が衝突することで、右腕に巻き付いていたつるは切断されるどころか弾けるように消滅していたことを思い返した。



 理屈はまったわからなかったが、カリムは意を決して杖を逆さに持ち、自分が埋もれている境目のつるを小突き始めた。

 つるはいとも容易たやすほぐれるように粒子となって弾けたものの、ぐに新たなつるが隙間から生えて来てカリムの拘束を補修した。


 下半身を掘り返すには到底間に合わないことは、気が動転していた最中さなかでも冷静に受け止められた。…いな、厳密には未知なる力の活性におぞましさをいだいて脳内が真っ白になり、自然と挙動が停滞してしまっていた。



——ここから抜け出すのは無理だ…どうすればいい? あの隊長の言う通り、この杖をリオに差し向ければ解決するのか…?



 杖を上下反転させて持ち替え、腕を伸ばせば確かにリオに届くような気がした。


 だがつると一体化したように青白く地肌を光らせるリオに先端の鉱石部分をあてがったとき、リオ自身もまたつると同じように粒子状に弾けて消えてしまうのではないかと思うと、途端とたんに生温かった身体に、何処どこからともなく震え上がるような冷たさがおおかぶさった。

 


——外で何が起こってるのかはわからないけど、きっと大変なことになってるに違いない。あの隊長はこの杖で『厄災はしずめられる』と言った。俺がやらないと、この事態は収まらないのかもしれない。


——でもリオはどうなるんだ? こんな状態になってて助かるのか? 宿ってどういうことなんだよ? もしリオが助からないんだとしたら……そんなこと、考えたくない……!




「…お姉…ちゃん…。」



 そのとき、不図ふとぼそい少女の声がつるおりの中でただよい、逡巡しゅんじゅんすえ頭が割れそうになっていたカリムを我に返らせた。


 そして血走ったまなこでリオを捉えると、今度こそ大声を荒げて呼びかけた。



「リオ!! 大丈夫なのか!!?」



「…ごめんなさい…お姉ちゃん……私…ずるいこと……しちゃった……。」



しゃべらなくていいんだ、リオ! 落ち着いて息を整えろ! なんとかして俺が、助けてやるから…!」



「…お姉ちゃんに…心配…させたくなくて……強い…身体に…なりたくて……沢山たくさんの命…横取り…しちゃってるの……。」



 だがリオは依然として苦しそうな息遣いきづかいのまま、うわの空で謝罪を続けていた。

 一方のカリムはその理由も言葉の意味も聞こえているのに理解が出来できず、茫然ぼうぜんとしてその様子を視界に映し続ける他なかった。



「…命がね……沢山たくさん…流れ込んで…くるの……。」



「何を言ってんだよ、さっきから…この植物のせいなのか…!?」



 カリムはリオを捕らえるつるおりを改めて見渡すと、1本1本が不気味に脈打つたびに、青白い光がリオに吸い寄せられるように集約していることに気付いた。


 だがリオが苦しむ原因がそれだと見定めても、どのつるを杖で破壊すれば解放されるのか見当も付かず、結局カリムに迫られている選択肢は変わらないままであった。



「…駄目だよね……自分が生きるために……他人ひとから…大切なもの…横取りしたら……。」



 狼狽ろうばいするカリムを他所よそに、リオはなおひとり言のように語り続けた。その台詞せりふは不意打ちのようにカリムの胸の奥に突き刺さり、呼吸の仕方も忘れかけてしまうほど混乱に拍車を掛けた。


 そしてリオはゆっくりと頭を起こしながら、もう一言を付け足した。



「…神様に怒られて……当たり前だよね……。」




 その顔は、まるで幼稚な悪戯いたずらが見つかったかのような無邪気むじゃきな苦笑いを浮かべていた。


 その気恥ずかしいような一言はカリムの心のきずを更にえぐり、リオにそのような表情をさせたことが只管ひたすらつらく、瀬無せなかった。

 浸かっていた微温湯ぬるまゆがいつの間にか沸騰ふっとうし、重苦しく弾ける音と共に自分の中で何かが少しずつ崩れ落ちているような気がした。



——なんでリオが、そんなことを言うんだよ。おまえは何も悪くない、全部俺が悪いんだ。神様に怒られるべきなのは俺の方なんだ。なのにどうしてリオが、そんな目にわなきゃいけないんだよ!? どうしてそんな…納得したみたいな顔をしてんだよ!?



 カリムが杖を固く握る両手にはじんわりと汗がにじんでいたが、朦朧もうろうとする意識の中では最早もはやルーシーから受けた指示を思い返すこともままならなかった。


 力無い微笑を浮かべるリオを前にこれ以上何を呼びかけるべきかもわからず、どうしようもない時間だけが容赦なく経過していた。



 だがそうしているうちにリオはこうべを垂れ、あえぐような呼吸の合間に再び憔悴しょうすいした声音でつぶやいた。



「…ごめん…お姉ちゃん……もう……耐えられない…かも……。」



 その瀕死ひんしの訴えは、今のカリムの耳から脳へと届くまでに異様に長い時間を要した。ゆえにそのつぶやきの意味を理解した頃には、もうすべての取り返しがつかなくなっていた。



「リオ…!?」



「…今までありがとう…お姉ちゃん。」




 もう一度リオが頭を上げながらカリムに話し掛けようとしたが、視線が合う前に台詞せりふ途切とぎれた。


 脈打つつるやがて静止し、仄暗ほのぐらかったおりの中は次第に闇が侵食していった。


 カリムは静かな異変の中で自分の不規則な呼吸と動悸どうきの音しか聞こえなくなっていることに気付くと、この世で最も恐れていた現実が訪れてしまったことをさとった。



「…そんな……リオ……?」



 次の瞬間には下から地面が割れるようなけたたましい音が響き、足先からつるの拘束がほどけていくとともに、カリムの視界はひっくり返って成すすべなくその轟音ごうおんに呑み込まれていった。


 だがリオだけはその場に浮かぶようにとどまっており、つるに捕らわれた姿勢のまま全身が萌黄色もえぎいろの粒子と化して霧散むさんしていった。



 それがカリムの見たリオの最期さいごの姿であり、カリムは言葉にならない号哭ごうこくを放ちながら再び暗闇へとちていった。




——どうしてリオは死ななければならなかったんだ? 罪を重ねてきたのは俺の方だ。たとえリオを「共犯」だと決めつけられたとしても、俺の方が重い罰を受けることが正しいんじゃないのか?


——このり切れない悲しみと罪悪感を背負って生きることが、俺に科された罰なのか? 命を失うことよりも重い罰なんてあり得るのか? そんなのどう考えても理不尽じゃないか。どうして健やかに生きるべきリオが生きることを許されなくて、卑怯でよこしまな俺が生き続けなきゃならないんだ。



——こんなの可笑おかしいに決まってる。ゆるせない。あんな悪夢のような最期さいごをリオにし付けた奴をゆるせない。あんなものが自然に起こり得るとは思えない。誰かが意図的にやったんだ。ゆるせない。


——復讐ふくしゅうしないといけない。理不尽をやり返さないと気が済まない。そうでないと俺自身が、きっといつまでも俺をゆるせない……!!

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