第4話 硝子の命

 ステラと呼ばれた緑地のワンピースの女性は、抱えていたボードに記録を付けながらも露骨にあきれた様子でカリムをたしなめた。



「あのねぇカリム、帰って来る時はちゃんと玄関から入って来なさいってこの前も言ったでしょう?」



「だからそんな規則なんかないって言ってるだろ。規則にあるのは、19時の点呼までに孤児院へ戻っていることだけでしょ。」



「規則の問題じゃない、人としての問題よ。貴方あなたは来月末にはここを出ないといけないのに。こんなに遅くまで何をしてるのか知らないけど…。」



わかったわかった、これから気を付けるから…ほら、今日の給金分。」



 カリムはステラの追及を耳が痛いと言わんばかりにけむに巻き、ポケットから小銭を引っ張り出してステラのてのひらに押し付けた。


 大陸軍管轄かんかつの孤児院で暮らす規定のよわい以上の子供には就労時間が設けられ、街の産業施設で出来できる範囲の労働に従事することが取り決められており、少ないながらも給金が発生していた。


 その一部を孤児院側が徴収し運営費にてるまでの一連の流れは、孤児に社会貢献を覚えさせ自立心をはぐくむ意義があった。

 規則通りの金額を確認したステラは大きな溜息を付きながらも、それ以上の詮索せんさくをすることなく一言添えて部屋を退室しようとした。



「夕飯、さっさと食べちゃいなさいよ。あとお風呂もね。」



 カリムは自分のベッドに腰を下ろしながら、適当な相槌あいづちを打ってステラを追い払うように手を振った。


 扉が閉まった後も、左手側のベッドではリオが笑みをこらえるように両手で口元をおおっていた。カリムは釣られて微笑ほほえみそうになるのを隠しつつ、優しく声を掛けた。



「ただいま、リオ。」



「おかえり。今日もお仕事お疲れ様。」


 

 リオとはもう1年半ほど同じ部屋で暮らしており、カリムが男であることは理解しているはずなのだが、かたくなに初対面からの呼称を改めようとはしなかった。



 グリセーオ西端の河川に漂着しているところを発見されて孤児院に引き取られたらしいリオは、当時から夜中に「お姉ちゃん」と何度も口にしてうなされていたことをカリムは知っていた。


 リオは自分と似たように記憶が曖昧あいまいになっているとステラから聞いており、きっとここに来る前は家族がいて、只管ひたすら身近みぢかだった姉の面影おもかげを追っているのだろうと察していた。



 カリムの長い黒髪は黄金色こがねいろをした左の瞳を隠すため、周囲に壁を作ってそれをさとられないよう自然と身に付いた外見であり、本心ではまった女々めめしく振る舞うつもりはなかった。


 変声期を迎えていないうちは少女と見紛みまがわれても仕方ないと割り切っていたが、面と向かって「お姉ちゃん」と呼ばれることにはやはり抵抗があった。


 だが今では自分がそばにいることでリオが安心してくれるならば、それで構わないと思うようになっていた。




 ベッドから腰を上げたカリムは、夕食へ向かう前にかたわらにある小さな棚の鍵を開け、引き出しに仕舞ってある小汚い布袋を開いた。

 そこに先程ステラに手渡したよりもはるかに高額となる金貨銀貨を放り込んでいると、その貯金の音を聞いたリオが背後から話しかけてきた。



「いよいよ明日だね、軍人さん達が食べ物を売りに来てくれるの。」



「ああ、栄養のある美味しい物を買って来てやるから、楽しみに待ってろよ。」



 明日は大陸軍がグリセーオの街で直々じきじきに物資を販売することが予定されていた。


 カリムが暮らす孤児院にはこれまでも定期的な物資配給があったが、軍みずか大々的だいだいてきに物資を販売するような試みは初めてらしく、何か特別な代物が並ぶのではないかという大人達のうわさをカリムは小耳に挟んでいた。



「でも明日って、お掃除しなきゃいけないんでしょ。早く行かないと売り切れちゃうんじゃないの?」



わからない。でも出来できるだけ早く行って、何かしらは絶対買って来てやる。」



 だがリオの指摘通り翌日は安息日あんそくびであるがゆえに、午前の勉学や午後の就労時間がない代わりに孤児院施設内をみなで清掃することが規則で決まっていた。

 大抵たいていは昼食前まで時間を要するために、相応の理由なくして抜け出すことは極めて困難であった。


 軍人達は午前10時頃に店を開くと聞いていたが、珍しい品が並ぶのであれば、ただちに向かわなければいくらお金を持っていても意味がないとにらんでいた。

 とはいえ叱られ罰せられることを前提に清掃時間を抜け出して、たとえステラら大人をやり過ごせたとしても、きっとリオは喜ばないだろうとも考えていた。



 カリムは引き出しに鍵をかけ直すと、ステラに言われた通り夕食と入浴に向かった。他の孤児らはすでに済ませて寝室へと移っており、カリムはひとり黙々と就寝までの支度したくを進めた。



 

 カリムとリオの寝室は、他の孤児らとは別になっている。孤児院に引き取られたばかりのリオは呼吸器に異常があったのか夜分も咽込むせこむことが多く、容態も安定しなかったことから早々に別室が設けられていた。


 だがステラら孤児院の大人達も終日付き添う余裕がなく、面倒の見れる孤児にリオの世話を任せることが決定され、当時よわい10だったカリムが推薦すいせんを受けていた。

 他にもカリムより歳上としうえの孤児は何人か居たが、よわい12になれば施設を出なければならないため、少しでも長く世話が出来できるる子供として白羽しらはの矢が立っていた。



 それまで孤独に淡々とした日々を送っていたカリムは、何故なぜ不愛想ぶあいそうな自分が指名されたのかに落ちなかったものの、最近孤児が増加し大人達の手が回らなくなりつつある事情も察して渋々しぶしぶ承諾した。


 だが片目を長い黒髪で隠す陰鬱いんうつ風貌ふうぼうを初対面のリオは当然に怖がり、普段から他の孤児らともほとんど関わらないカリムの世話は無骨ぶこつで冷淡なものだった。



『今日からお前の世話を言い付けられた、カリムだ。何か困ったことがあったら言えよ。』



『……お姉ちゃんなの?』



『は? 俺は男だ。おまえのお姉ちゃんでも何でもない。』



『そんな…嫌……お姉ちゃん…お姉ちゃああああん!!』



『ちょ…何なんだよもう、うるさいな!』



 リオは唐突とうとつに何か思い出したようにおびえて泣きじゃくったり、一度せ返るとしばらく止まらなくなったりしたため、同室にベッドを移されたカリムは落ち落ち夜も寝付けない日々が続いた。


 任された以上は気丈きじょうに振る舞っていたが、内心では不満と苛立いらだちを必死に押し殺していた。

 だが不思議とこの少女を無理矢理にでも黙らせて、拒絶したいなどとは思わなかった。



 1カ月ほどが経過してリオが施設内の生活に慣れ始めた一方で、カリムが何処どこへ行くにも不安気ふあんげに後を付いて来るようになったことで、その理由に気付いた。


 自分がこの少女にとって必要な存在となっていることを察し辟易へきえきすることなく、むし満更まんざらでもないと感じていた。

 少しずつリオから話しかけてくることが増え、短くもそれにこたえることで、その分だけ彼女の表情が柔らかくなっていくような気がしていた。



『お姉ちゃん、私…お父さんとお母さんのこと、思い出せないの。』



『そうか。…俺も、おぼえてない。』



『…そうなんだ。じゃあ、おんなじなんだね。』



 リオが寂しさを誤魔化ごまかすすように目を細め口元を緩ませる様子が、就労時間中も幾度いくどとなく脳裏のうりに浮かぶようになっていた。

 それが嬉しいようで切なくて、出稼ぎの時間を減らしてでもそばに寄り添っていたいという衝動にられるようになった。


 

 だがリオは新たな環境に気持ちが落ち着いても、容態が不安定であることに変わりはなかった。

 夜分に弱々しくせ込む様を最初はわずらわしくにらんでいたカリムだったが、いつの間にか不安と焦燥しょうそうまさるようになっていた。


 街の医者はたまにしか訪れず、薬のたぐいも処方されずリオは只管ひたすらに静養を続けていた。

 カリムはそのかたわらで、リオは病気をわずらってはいないのかもしれないが、これは孤児院に引き取られている限りは治す余裕のない病気なのかもしれないとも思っていた。



 それゆえに、不図ふとしたきっかけでリオが命を落としてしまうのではないかと恐れるようになった。

 リオの命が小さくて美しい硝子がらすの彫刻のように思えて、どうすればそれをてのひらからこぼさずにいられるのかという命題に次第に傾倒するようになった。


 そしてそれまで無機質な白黒にしか映っていなかったカリムの退屈な世界は、しくもそのはやる気持ちにあおられていろどられていくことになった。




 カリムが自室に戻ると、だ20時を過ぎたばかりだというのにリオは静かに寝息を立てていた。

 あと1時間もしないうちに施設内は消灯が掛けられるが、カリムもそれを待たずに部屋の照明を消してベッドに横たわった。


 だが明日を思うと目がえてまったく寝付くことが出来できず、暗い天井を見つめながら何度も段取りの確認を繰り返していた。



——少しでも早く掃除に目途めどを付けて、東の広場に直行して、軍人の店で探し出すんだ…何か体調を良くする




 カリムはリオの容態が不安定である要因の1つに、孤児院の質素しっそな食事を挙げていた。


 いくらリオが虚弱体質であるとはいえ、孤児の1人である以上施設内の食事で特別扱いされることはなく、カリムはみずから街の市場に出向いて滋養じようのある食べ物を適度に買い与える必要性を感じていた。



 だが日々の就労時間で受け取る給金は小銭こぜに程度のもので、その一部も孤児院の運営費として徴収されてしまうため、余程よほど長い月日をかけて貯金しなければ真面まともな買い物が出来できそうにないことを早々に理解した。


 毎日採石場に通っていても、子供の労働力では当然に出来できることが限られて対価も微々びびたるものであり、そもそもの規則の意義として孤児が稼ぎを得ることが含蓄がんちくされていなかった。


 現状ではとても望みを果たせないと思い知らされたカリムは、就労時間の終了から孤児院で点呼がかかる門限までの間、金銭の窃盗に手を染めるようになった。



 初めは街端まちはずれの浮浪者や露店から狙い、スラム街にまぎれれば追っ手もきやすくなることを覚えてからは、グリセーオを訪れる貴人きじんにも狙いを定めるようになった。

 治安が良いとは言えないこの街で窃盗は珍しいことではなかったが、カリムは今日まで一度も捕まることなく悪事を完遂かんすいしていた。


 普段から肉体労働に従事し足腰が鍛えられていたとはいえ、逃げおおせる最中さなかは全身に血がたぎって想像を超えた身軽さを生み、胸の内が心地よく高揚していた。

 徐々に手癖も悪くなり、最早もはや誰にも捕らわれないという自負すら芽生え始めていた。



 そうして密かに貯金を続け、月に1度程度は街の中枢ちゅうすうにある店でリオが食べられそうなものを購入し、ステラら孤児院の大人達に見つからないよう部屋に持ち帰っていた。

 

 体質ゆえに就労時間を免除されているリオは給金の相場も知り得ないと思ったが、念のため大人達には内緒にするよう言い聞かせて食べ物を与えていた。

 リオは何でも美味しそうに頬張ほおばって笑顔で感謝を伝えたので、そのたびにカリムは奮い立たされていた。



 だがいく滋養じようのありそうな食べ物を買い与えても、その都度つど感情的に舞い上がるのみで根本的な改善につながっていないことを認めざるを得なくなっていた。


 そうしているうちにカリムはよわい12を迎える誕生日が——孤児院を出なければならない期日が迫り、リオに何をほどこすのが最善か深く思案するようになっていた。

 

 あせりながらも辿たどり着いた結論は、強壮きょうそう薬の入手であった。



 当然に露店の食べ物よりも高価になり入手も困難であると考え、最近は街を彷徨うろつき窃盗をおかす頻度も増えていた。


 そして小耳に挟んだ軍人が開く店の話に、またとない希望を見出していた。支援物資の販売と言えども、食糧だけでなく薬のたぐいもあるはずだとにらんでいたのであった。



——きっと何か、特別な物があるはずだ。街の露店と違って他所よその軍人相手なら、子供が多少お金を持っていても怪しまれないかもしれない。リオにえなくなる日が来る前に、俺は出来できる限りのほどこしをしてやらなくちゃならないんだ。

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