第3話 崩壊の真相

 態々わざわざこの一通の手紙が厳重に保管されていた意味をいぶかしみつつも、カリムは胸の鼓動がはっきりと認識出来できるほどに高鳴っており、手紙を持つ指が小刻みに震えているのがわかった。


 慎重に封書を開くと中には数通の便箋びんせんが入っており、緻密ちみつに文章がしたためられている方から自然と読み始めた。



『ルーシー、僕はこれからつぐないきれないほどの罪を犯す。薄情な僕が残す言い訳にしかならない弁明を、どうか君には知っていてもらいたい。』



 だが冒頭から不穏な宣言が書き出されており、カリムは思わず鳥肌を立てた。それでも、亡き父に何があったのかを知るべく意を決して読み進めていった。



『君はもう知っているかもしれないが、先日僕とシーラは『貪食どんしょくの悪魔』を『封印』しようとして失敗した。厳密には、一度ディヴィルガムに『封印』したはずの悪魔のたましいが隕石からこぼれ出て、シーラに憑依ひょういした。』


蒼獣そうじゅうと化して襲い来るシーラに、僕はディヴィルガムを突き付ける他なかった。結果としてシーラを失い、悪魔のたましいもまたき消えて、何も残らなかった。そして一連の報告を受けた義父とうさんは、ひど憤慨ふんがいした。あろうことか悪徳をつのらせていたとしてシーラをも非難した。』


『そのとき僕は、もう何もかも受忍出来できなくなってしまったんだ。このままだと君もナトラも、同じ苦難と不幸を味わわせてしまうことになるかもしれない…と。』




 シーラとはルーシーの姉を指す名であったことから、カリムにとっては実の母に該当した。


 シーラ・ドランジアは13年前の一家毒殺事件の時点で行方不明であり、容疑者にも挙げられながら失踪しっそう扱いになったという報道を、カリム自身も『かげの部隊』入隊後に知っていた。

 

 だが実父が記していたその真相を知るやいなや、たちまち指先から血の気が退いていった。



義父とうさんはラ・クリマスの悪魔の撲滅ぼくめつに息巻いていたけど、正直言って僕もシーラも大して同調はしていなかった。むしろもうすぐよわい4を迎えるナトラに愛情を注ぐことを大事にしたくて、自然と義父とうさんを反面教師にしていた。』


『だから僕らがラ・クリマスの悪魔と対峙たいじする最前線にり出されたことは、大きな不満の種になっていた。発足ほっそくしたばかりの『かげの部隊』に充分な戦闘能力は期待出来できず、ピオニー元帥げんすいが関与しているとはいえ表立って軍を動かすことも出来できず、結果として身内であり大陸軍従事者である僕ら夫妻に白羽の矢が立ったことは、致し方のないことだと思った。でも、シーラはそう捉えなかった。』



『悪魔をディヴィルガム以外で討つことなく任務である以上、その古びた杖を持たぬ者は丸腰同然だった。杖を託された僕とシーラ以外の部隊員は蒼獣そうじゅうを前に全滅した。この時点でもう、シーラの心は折れていたんだ。』


「こんな無謀なことを何度も繰り返していたら、遅かれ早かれ私達も死んでしまう。ナトラに二度とえなくなってしまう。私はあの子をまもり育てるために命を尽くしたい。だから、野心におぼれてはやる父をどうにか抑えなければならない。」


『シーラはそのための力をおのずと欲して、隕石からこぼれ出た悪魔と共鳴してしまったのかもしれない。いずれにせよ現状ではディヴィルガムを使っても、預言者グレーダンのように悪魔を封じることが出来できないことがわかった。』



『僕はその事実とシーラの切なる想いを添えて、義父とうさんに撲滅ぼくめつ計画の見直しを訴えた。だが義父とうさんは聞く耳も持たず、次に悪魔を宿す可能性のある者をあぶり出すべく『かげの部隊』の規模を更に拡大させようとした。『封印』の失敗も、僕が上手くディヴィルガムを使いこなせなかったからだろうと批判し、シーラの命を落とした責任すらなすり付けた。』


勿論もちろん僕らも未だ、ラ・クリマスの悪魔について充分に理解しているわけではない。本当に僕が失敗しただけなのかもしれない。だが真に理解が及ぶまでに一体どれだけの犠牲を生むことになるのか、その視界不良な茨の道を君やナトラが歩まされる未来を、僕は易々やすやすと許したくないと思った。』



婿入むこいりした身でけた口じゃないのかもしれないが、いくらドランジアの名に誇りを見出みいだそうとも、その裏でみずからの命を過小評価するべきじゃないし、されるべきでもない。』


『だから僕は、ナトラ以外のすべてを捨て去りこの家から逃げることにした。義父とうさんを毒殺して、二度と無思慮で無謀で拙策な計略の犠牲者を生み出さないように。僕とシーラがこうむった苦しみを、君とナトラが繰り返し味わうことのないように。』



『こんな浅はかで傲慢ごうまんな感情論で君があおうやま義父とうさんの命を奪うなんて、どれだけ理由を並べ立てようがゆるされないこともわかっている。でも他に義父とうさんを止める手段がない以上、これ以外に君とナトラが真っ当に生きる未来が想像出来できないんだ。』


『でもそれが愚かで臆病な義兄の動機であったことを、どうか頭の片隅に覚えていて欲しい。君が伝承の悪魔にとらわれず、すこやかな生涯を送れる未来を願っている。』




 長文は結びに近付くに連れて筆圧が濃くなり、便箋びんせんしわが寄って柔らかくなっていた。


 だがシェパーズがのこした文面はだもう1通残っており、それまでの整った文字の羅列られつとは対照的に、行間もまばらな走り書きになっていた。


 カリムはすでに脳内が真っ白になりかけていたが、ゆっくりと一息を吐いてから最後の1枚に目を通した。



『僕は計画通り、義父とうさんの夕食に毒を盛ってその命を奪った。だが何故なぜだかナトラもまた、同じように昏倒こんとうしてしまった。使用人のメリアも意識がなく床に伏せっている。どうしてこうなったのかわからない。頭がもう、動いてないんだ。義父とうさんの食事にだけ毒を盛ったはずなのに。』


『ただ1つわかるのは、僕がこの家を逃げ出す理由が無くなってしまったことだけだ。成人男性を容易たやすく殺す劇毒だったんだ。ナトラもメリアも助かるはずがない。僕が唯一出来できることは、この惨状さんじょうを死んで詫びることだけだ。』


『きっとこれはむくいなんだ。ラ・クリマスの悪魔に手を下そうとして、悪魔をこの地にとした創世の神の怒りを買ったんだ。そう思わなければ、僕は納得して服毒出来できない。ルーシー、どうか君だけは、神の裁きから逃れることが出来できますように。』




 終始乱れた筆跡は、そこで終わっていた。


 カリムは近くの机に便箋びんせんの束を置こうとしたが、震えたてのひらに放られたうちの1通が机上にり損ねてむなしく絨毯じゅうたんに舞い落ちた。


 だがカリムはそれを拾い上げる余力もなく、崩れるように背後のベッドに腰を下ろした。膝元に両肘を立てて項垂うなだれる頭を支え、亡き父が引き起こした一連の惨事さんじを受け止めようとした。



——父は…シェパーズ・ドランジアは、母であるシーラを失い精神的に追い込まれて真面まともな状況判断が出来できなくなっていたのかもしれない。


——だからといって彼が計画したことに同情すべきでないし、何を誤ったのか意図しない被害を生んだ挙句あげく、自分の死すら天罰だと決めつけるだなんて情けないを通り越して恥ずかしいくらいだ。


——結果的に俺は一命を取り留めたのに、何ら介抱かいほうすることなく絶望のままに現実から逃げ出した。母も悪魔を宿した末、うにこの世に存在していなかった。これが、俺が記憶から失っていた両親の真実…。



 その一方で、この遺書とも言える記載内容が世間一般に一切おおやけにされておらず、迷宮入りしたドランジア一家毒殺事件として語り継がれていることに一瞬だけ疑問をいだいた。



——議長は確実にこの遺書を読んだはずだ。もしかしたら、事件後に関わりがあったピオニー元帥げんすいも知っているのかもしれない。


——でも当時もドランジア派閥はばつは大陸議会の多数派だったはずだし、シェパーズは階級のある軍人だったのだから、内輪の騒動とはいえ真相が明るみに出れば出るほどこの国を揺るがす不祥事と世間に捉えられかねなかっただろう。


——全部隠して有耶無耶うやむやにして、いっそ凄惨せいさんな悲劇として周知された方が、議長にも、元帥げんすいにも都合が良かったんだろう。現に議長はシェパーズの願いに反し、むしろこの騒動を踏み台にしてラ・クリマスの悪魔と対峙たいじする準備を着々と進めていった…。




 だがカリムはそこまで考えると、からくも命拾いした自分という存在も有耶無耶うやむやにされ、記憶障害を良いことにえん所縁ゆかりもない場所へ押し付けられた事実に改めて悄然しょうぜんとした。


 胸の内のよどみから生まれるもどかしい感情の矛先は、結局祖父に当たるナスタ―でも実父のシェパーズでもなく、叔母おばという唯一残された肉親であったはずのルーシーへと向けられることになった。



——議長はソンノム霊園で過去を明かしたとき、内輪の騒動の責任をナスタ―にのみ負わせているかのような物言いだった。それはつまり、議長はシェパーズの弁明に同情していたってことなのか? それでもナスタ―の遺志は継ぎたくて、幼かった俺を遠く知らない場所へ追いったのか?


——でもそれならどうして5年前のあのとき、俺と悪魔との間に因縁を生み出すような真似まねをしたんだ? 偶然の重なりにしては、出来過できすぎた展開だったんじゃないのか?


——議長は…叔母おばさんは一体俺に、どう生きて欲しいと願っていたんだ?




**********



 ラ・クリマス大陸暦994年5月上旬 カリタス州グリセーオ



餓鬼がきはそっちだ! 早くとっ捕まえろ!!」



 今宵こよいもまた一段と大きく迫る壊月彗星かいげつすいせいが分厚い雲に隠れると、グリセーオの街並みは外側半分が欠けるように暗闇に支配された。

 

 街の中枢ちゅうすうや工場、炭鉱の付近には街灯が立ち並んでいるものの、それらに取って着けたように徐々に広がりつつある所謂いわゆるスラム街には当然ながら住環境の整備は行き届いておらず、一帯は日没と共に息をひそめるように闇に染まっていた。



 そんななか数人の男たちが慌ただしく闇の中をめぐり、小さな影を追い立てていた。


 その影は地の利を生かして狼のように素早すばやく、猫のように軽やかに立ち回って男たちを翻弄ほんろうしていた。だが夜目よめに慣れてきた男たちは、ついにその影を袋小路ふくろこうじへと追い詰めた。



「ここに逃げ込んだはずだが…何処どこ行きやがった!?」


「落ち着け、じきに雲が切れる。月明かりが戻れば奴の姿も見えるように……!?」



 だが雲の隙間から壊月彗星かいげつすいせいが照らした男たちの頭上は、かさず別の影におおわれた。

 袋小路ふくろこうじの左手側の壁からいくつものたる雪崩なだれ落ち、男たちを悲鳴諸共もろともつぶした。


 たちまち怒号と救助を求める声が響き渡ったが、宵闇よいやみに沈黙するスラム街はかえってわずらわしそうに、冷たく突き放すのみであった。

 壁の上に身をひそめていた小さな影は、ひしゃげたたる残骸ざんがいからになった財布を放り捨てると、音もなく姿を消した。




 時刻は間もなく19時を指そうという頃、グリセーオ市街地の北西のはずれに建つジェルメナ孤児院の小さな部屋で、ベッドから半身を起こす栗毛の少女が窓を全開にしてくらい夜空をながめていた。


 だこの時期の夜は冷え込むにもかかわらず、見るからに虚弱な少女の表情はどこか物憂ものうげで、まるで意に介していなかった。

 その個室の扉を叩く音がして、緑地のワンピースをまとった女性が入って来ても、何ら身動みじろぎすることもなかった。



「リオ、19時の点呼の時間よ。カリムは戻っているの?」



 その問いかけがみなまで終わる前に、全開にされていた窓のさんを蹴って黒い影が飛び込んできた。

 

 華麗かれいに床に着地し、肩甲骨の辺りまで伸びた黒髪を揺らめかせながら立ち上がる後ろ姿に、リオと呼ばれた栗毛の少女は表情を明るく一変させた。

 そして長い黒髪で左目を隠す少女のような少年は、ぶっきらぼうに問いかけに答えた。



「俺はちゃんと戻ってるよ、ステラ先生。」

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