第9章 紕う風信子

第1話 訣別

 くらい夜空の下、円形の広場の凸凹でこぼこに荒れた地面に1人の青年がうずくまっていた。


 ラ・クリマス大陸西端に位置するソンノム霊園は、すっかり日が沈んだことで東から冷たい風がそよぎ、揺らめく木々や花壇がさなが鎮魂歌ちんこんかを奏でているようであった。


 だが生きた人間である青年は耳を傾ける余地さえなかったのか、不自然に転がっている小さな氷塊ひょうかいが時間を掛けて崩れていく様を呆然ぼうぜんながめていた。そのかたわらには、古びた杖と女軍人用のよろいや制服がむなしく転がっていた。



 青年が『かげの部隊』として従事すること5年、この日をもって7体のラ・クリマスの悪魔をすべて『封印』するという大義は果たされた。

 部隊を主導してきたラ・クリマス共和国首相ルーシー・ドランジアは、厄災の無い世界を実現するために『封印』した悪魔から膨大な魔力を抽出し、姿をくらました。


 5年前から青年が復讐ふくしゅう心をいだいてきた相手は、ついにこの世界から消えせた。すべてが終わり、青年は空っぽになった。



 だがその空っぽには新たに濁った何かが湧き上がってよどみ、吐き気に似た倦怠けんたい感を生み出していた。

 突然の眩暈めまいや息苦しさといった異変はうに解消されたはずだったが、新たなそれは死ぬまで永久とわに続くかのような確信があり、腰を上げる気力がまるで湧かなかった。


 夜が深まるに連れ身体に染みる冷たい風が、余計に思考をにぶらせ視野を狭めていった。それゆえに、背後から近付いてくる男の足音にはまったく気付くことが出来できなかった。



「いつまでそこに居座っているつもりだ、カリム。」



 カリムと呼ばれた青年は、聞き覚えのある重く響くような声音に名指しされて我に返り、うずくまった姿勢のまま振り返って後退あとずさ格好かっこうになった。


 目の前にはあかを基調とした軍服をまと屈強くっきょうな男が立っており、右手には葉巻を、左手にはランタンを持ち運んでいた。

 その圧倒する眼差まなざしと蓄えられたひげ鶏冠とさかのように短く刈り上げられた金髪と赤みがかった毛先という特徴に該当する人物は、まぎれもなくカリムが察した通りであった。



「ジオラス・ピオニー元帥げんすい…。」



 カリムは男の名を漫然まんぜんつぶやきながら大陸軍の最高顧問を前に敬礼すら失念していたことに気付くと、目をみは途端とたんに顔を青褪あおざめさせた。


 だがジオラスはその反応を何らとがめることはなく、やがて背後に別のスーツ姿の男が歩み寄ってくると、カリムのかたわらに視線を落としながら双方に話し掛けた。



「タルロ、このよろいや衣類を回収しろ。…カリム、おまえは私に付いてくるんだ。」



 ジオラスはそのまま広場を横切って霊園の奥へと歩みを進め、タルロと呼ばれたスーツ姿の男も小さな返事と共に身をかがめたので、カリムも慌てて立ち上がり、古びた杖を拾い上げて言われるがままにジオラスの後を追った。



 今にも落ちてきそうなほどに近い壊月彗星かいげつすいせい煌々こうこうと照らす坂道を上る最中さなか、ジオラスは何を話すこともなく、カリムも何を尋ねることも出来できず追従するほかなかった。


 カリムにはすべてが終わってからどれだけの時間が経ったのかはわからなかったが、ジオラスが夜分やぶんに霊園を訪れた理由は明白であった。

 厄災の無い世界の実現計画に協力し、実の娘すら犠牲をいとわなかった冷血な男は、首相であるルーシーが消失した後始末を任されているのだろうと推し量った。


 ゆえにジオラスが上り坂の奥にある墓地の前で立ち止まり、一際ひときわ大きな墓石に刻まれた姓をランタンで照らすまで、カリムにはそれ以上の意味を推測することが出来できなかった。

 その墓石には3人の名前が記されており、ジオラスがそれぞれを読み上げながら再びカリムに話し掛けた。



「元ラ・クリマス共和国首相ナスタ―・ドランジア、その義息ぎそくであり元大陸軍陸上防衛部隊少佐シェパーズ・ドランジア、彼の息子であるナトラ・ドランジア。今日6月30日はこの3人の命日だ。そして…おまえが生まれた日でもある、カリム。」




 おごそかな口調とは裏腹に奇抜きばつな物言いであるように聞こえたが、カリムはその皮肉を容易たやす咀嚼そしゃくすることが出来できていた。確かに6月30日は、カリムが誕生日として聞かされ認識していた日であった。



『ドランジア家の人間としてのおまえは、もうこの世には存在しない。』


『こうして縁を切ったはずのおいめぐり合わせるとは、やはり創世の神はたちが悪いものだ。』



 ルーシーが最後にのこした台詞せりふと照合し、カリムはナトラ・ドランジアが自分に与えられた本当の名であることを静かに察した。


 そしてジオラスがルーシーと示し合せたかのように、今日という日にその真実を明かしたことの意味をいぶかしんだ。

 自分がドランジア家の子供だったとはいえ彼は養父でも親戚でもなく、そもそも真面まともに口をくのも初めてであったため、墓参りに連れ出されていること自体が奇妙な展開だと感じていた。



「…元帥げんすい何故なぜ僕にドランジア家の記憶がないのか、ナトラではなくカリムという名で孤児施設に引き渡されたのか、ご存知ぞんじなのですか。」



 カリムは壊月彗星かいげつすいせいの明かりを背に影になっているジオラスの表情を恐る恐る見上げながら、沈黙を誤魔化ごまかすように問いかけた。

 鎌を掛けるような図々ずうずうしい質問であることは百も承知であったが、失くした過去を知る数少ない人物に接触出来できるまたとない機会を逃すべきではないとも考えていた。


 一方のジオラスはくわえていた葉巻を右手に預けてゆっくりと白煙を吐くと、視線を墓石から動かすことなくカリムに答え始めた。



「俺が知ってるのは、おまえが天性の毒の耐性であの一家殺害事件を生き残ったものの、記憶障害を引き起こしてしまったこと。ナスタ―の本懐ほんかいを継いだルーシーがドランジア家のすべてを一身に背負うべく、その記憶障害にあやかっておまえの名を変え、えにしを断絶したことだけだ。このことは俺以外に数名の医療従事者しか知らない。戸籍上は死亡扱いになっているし、カリムという名で孤児施設に引き渡したのもそいつらの伝手つてだったんだろう。」



 期待値に反しカリムは端的でも亡失ぼうしつした幼少の記憶を知るに至り、当時の周到かつ冷然たる事の運びに内心舌を巻いた。

 一命を取り留めたことがまるで喜ばれずかえって邪険に扱われたように聞こえた一方で、ルーシーの性格を回顧かいこし納得してしまっている自分がいた。


 だがそれは胸の内に溜まったよどみを消し去る契機とは成り得なかった。そもそも質問から得られた答えはルーシーの遺言ゆいごんを補足したものに過ぎず、今自分が本当に知りたい疑問は別に存在していた。



『だから、これからは自由に生きろ。…それがおまえの両親の願いでもあったのだからな』



「…僕はこれから、何をするべきなんでしょうか。」



 カリムは古びた杖を握り締めながら、つぶやくようにジオラスに問いかけていた。その答えはラ・クリマスの悪魔を全て『封印』し終えれば、そのうちおのずと浮かび上がるものだと思っていた。


 だが『封印』計画の真相を知り、自分がドランジア家の血統上の末裔まつえいであると認識したことで、その刹那せつな的で楽観的な期待はついえた。


 そもそも『かげの部隊』という諜報ちょうほう機関に従事し、あまつさえ多くの秘密を知りすぎた自分が易々やすやすと組織を解放させてもらえるとは思えなかった。

 だ自分は何かやるべきことがあるのではないかと、『かげの部隊』を管轄かんかつる立場にあるジオラスに不躾ぶしつけな問いを投げ掛けていた。



「二度言わせるな。おまえは確かにドランジアの血を継ぐ者だが、。おまえをここに連れて来たのも、そのけじめを付けさせるためだ。その後のことは、おまえ自身で考えろ。」



「…『かげの部隊』としても、僕のことはもう必要ではないということなんですか?」



「おまえがだその組織に貢献したいと欲するのなら、そうすればいい。だが、これから送り届ける先でしばらく頭を冷やせ。」



 ジオラスはっ気なく言い放つと再び葉巻を加え、その場を立ち去ろうと歩き始めた。

 予想通りに突き放されたカリムは、台詞せりふの中で再び付いてくるよう促されていたことに気付くと、去りぎわにもう一度ドランジア家の墓地を振り返りながめた。


 もうここに誰の遺骨も埋葬されることがないのであれば、せめて自分が定期的に訪れて管理すべきではないかと思い悩む一方で、建前としてもそのような資格は一切持ち得ない無関係な人間なのだと受け入れざるを得なかった。


 誰がそなえたのか一際ひときわ大きな墓石に立て掛けられていた3基の白い花束が、壊月彗星かいげつすいせいに照らされて青く瑞々みずみずしく光っているような気がした。




 すでに半分ほど坂を下っていたジオラスに追いつこうと、カリムはやや駆け足で、だが物音を立てぬよう迫っていった。

 ジオラスが善意で自分に世話を焼いているのではないとわかった以上、余計な感情をあらわにする必要はなく、その思考と連動して夜間の静寂せいじゃくを無意識に維持しようとしていた。


 だが坂を逆に駆け上がるように風が吹きつけて周囲の木々がざわめくと、ジオラスはその場で足を止めた。


 そして火の消えた葉巻をみ締めながら鋭い眼光で周囲を警戒し始めたので、カリムも思わず背後で古びた杖を構え、釣られるように辺りを見渡した。



「…元帥げんすい、何かあったんですか?」



「いや、不自然な風が吹いてきたと思ったんだが…まさかな。」



 ジオラスはランタンを足元に置いて葉巻を小型の箱に仕舞うと、そのあかりを再び拾い上げて足を動かし始めた。その歩幅は先程とは変わらなかったものの、一切の足音がなく警戒を続けていることは明らかであった。


 カリムもその姿勢にならって後方を追従し、やがて円形の広場に戻って来ると、その警戒は明確な緊張へと転じた。

 元々雷撃を受けて凸凹でこぼこになっていた地面に、色とりどりの花弁が花壇からあおられて散乱していたが、それ以上に不自然な違和感を視認することとなった。



「…さっきよりも氷の破片はへんが、増えているような気がします。」



 カリムがジオラスに報告するようにつぶやかたわらで、ジオラスもしばし考え込むように周囲を観察していた。


 風は元の穏やかな東寄りのなびきに戻っており、それ以外に一切の物音は聞こえてこなかった。

 カリムは手元の古びた杖に視線を落としたが、当然ながら先端の隕石は宵闇よいやみに溶け込んだにぶい黒色のままで、再び氷結を放てるような力は残っていなかった。



——でもそれ以外に新たな氷が生まれる現象なんて、悪魔を顕現させた者の仕業しわざとしか考えられない。もしかして元帥げんすいが指摘した先の不自然な風も、同じ原因なのか? …議長が遂げたはずの悪魔の『封印』は、早くも失敗したっていうのか?



「…行くぞ。」



 恐らく同じことを考えているであろうジオラスが、聞いた限りで最も低く重い声音で短くカリムに呼びかけた。

 そうして足早あしばやに霊園の出入口へと向かう背中を、カリムは杖を強く握り締めながら神妙しんみょう面持おももちで追いかけた。

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