第20話 蒼き炎獄

 ドールはピナスからの容赦のない罵言ばげんを浴びせられ、経験した覚えのない威圧と恥辱とにさいなまれた。


 白髪はくはつうとまれたり十字架に縛り付けられたりした際には理不尽をなげいていたが、少女から真っぐに突き付けられた嫌悪けんおには何らあらがう余地もなく、完膚かんぷなきまでに叩きのめされ愕然がくぜんとしていた。



——やっぱり私は、間違った存在だったんだ。白髪はくはつを隠してグレーダン教の修道女として奉仕しても、世界を知ろうと沢山たくさんの本を読んでも、結局真面まともな人間になんてなり得なかったんだ。


——グレーダン教は所詮しょせんグレーダンの偉業にあやかり存続していただけの宗教団体で、そのためなら理不尽に人の命を奪うこともいとわない体質で…そんな教団の教義や史実を体現しようとする私は、死んでもなお当然に受け入れられるわけがないんだ。理不尽でも何でもない、当然の帰結。それが白髪はくはつも相まって、愚かでいやしい存在だと見做みなされているんだ。



「…長話が過ぎたな。気が済んだならさっさと例の広場に戻るぞ。」



 ピナスが憎しみをみ殺しながらきびすを返したので、肩を落としたドールも釣られて重い脚を動かし始めた。


 だが十字架の残骸ざんがいの前で無意識にその歩みを止めると、階段をのぼりかけていたピナスも舌打ちをして戻ってきた。



「よく考えれば再び飛翔する必要などない、例の広場を思い浮かべて転移すれば良いのだ。…ほれ、さっさと手を貸せ。共に帰ったことを証明せねば、わしが責務を全うしたことにならんではないか。」



 ピナスは如何いかにも不本意だと言わんばかりに、銀色のてのひらを差し伸べた。だがドールはその場で両手を組んでうつむいたまま、うつろな表情でつぶやいた。



「心配してくれてありがとう。でもごめんなさい。私、あの広場には戻らないわ。」



「…は? 貴様、一体何のつもりだ?」



「…何のつもりも無い。愚かな私が居てもきっと迷惑をかけて邪魔なだけだから、遠慮するって言ってるの。私はずっとここに残ってるから、悪いけどみんなよろしく伝えておいて。」



 ドールはふさぎ込んで淡々と拒絶を繰り返していた。そもそもイリアとの約束をないがしろにしたことが気後きおくれの一因にはあったが、それ以上にピナスによって信条を握り潰され自失じしつへと突き落とされたことで、他人ひとの前に姿を現すことすら敬遠したくなっていた。


 一方でその愚図ぐずついた態度を前に苛立いらだちが限界を迎えたピナスは、無理矢理にでもドールを連れ帰ろうと、更に腕を伸ばしながら詰め寄った。



「無駄口はらん。言いたいことがあるなら直接言え!」



「…やめて……私に構わないでよ!!」




 そのとき、ドールの胸の内で抑えられなくなった負の感情が盛大に決壊した。それは燃え盛る蒼炎そうえんとなって床や壁、天井をうように溢れ、またたく間に地下空間を埋め尽くした。


 工房の突き当りの机上に並んでいた書類一式がえなく焼失したことに気付くこともなく、ドールは『悲嘆ひたん』のままに拒絶の炎でピナスを押し流そうとした。

 

 だがピナスは自分と同じように生きた人の肉体ではなかったからか肌身を焦がすことはなく、その場で蒼炎そうえんの波を耐えしのびながらうなるように訴えた。



「貴様いい加減にしろ! こんなところで引きこもることに何の意味がある!?」



「そんなことを貴女あなたが気にする必要なんてない。早く帰って。ドランジア議長を殺すだの何だの、私は邪魔しないから勝手にやっててよ。」



「愚か者が…貴様はドランジアを憎まないのか!? 最初から奴のてのひらの上で命を転がされていたことが悔しくないのか!? 奴に一矢いっし報いたいとは微塵みじんも思わんのか!?」



「思わないわ。あらゆる思惑がせめぎ合っていたとはいえ、私は悪魔を宿すべくして宿したから。そしてその時点でいましめにそむき、神にそむいた人として間違った存在であることが確定したの。たとおのが命を利用されたのだとしても、結局自分を正当化出来できることなんて何も無い。私が今ここにいること自体、何の意味も無い。だから、何もする必要なんてないの。」



 ドールは自分と同じくピナスも、この蒼炎そうえんが何のほとぼりも感じない単なる魔力のうねりだと感じているのだろうと推し量ったが、彼女が歯を食い縛る様子からは、着実に体力を浪費させ追い込んでいるのだという手応てごたえがあった。



盲目もうもく的な奴め…悪魔を宿したことに何故なにゆえ意味を見出みいださない? ラ・クリマスの悪魔は、大陸の民にとっての必要悪なのだ。千年の時を経てもなお愚かしいままの人間をいましめるための力なのだ。」


「そのために貴様らが信じる創世の神が悪魔をこの地へとしたのではないのか? その必要悪にあやか詭弁きべんのたまい、あまつさえ手玉に取ろうと画策する者をとがめることが、悪魔を宿した者の為すべきことだと思わぬのか!?」



 ピナスががなり立てる主張は、ドールの拒絶反応をより一層あおり立てることとなった。


 少女の発想はドールがグレーダン教の修道女としてつちかってきた信条に更に追い打ちをかけるもので、すでに『悲嘆ひたん』を蒼炎そうえんに変えてあふれさせていたドールにとっては、冷酷れいこくで汚らわしい刺激でしかなかった。


 ゆえあわれみながらも突き放すような冷ややかな口調で、ドールは皮肉を込めて言い放った。



「…あたかも創世の神の右手になったかのように振る舞うだなんて、神への冒涜ぼうとく以外の何物なにものでもないわ。悪魔を宿すことは恥でありあやまちであり、人の生きる道を踏み外した罰なのよ。」


罪科つみとがわきまえずおごたかぶるなんて、まるで救いようのない心だわ。だからきっと、ラピス・ルプスの民は今も迫害され続けているのでしょうね。」




 その瞬間、ピナスの身体は地下空間につんざ咆哮ほうこうと共に青白い光に包まれ、天井に迫ろうかという巨大な狼の姿へと転じた。


 ドールはし潰されるような敵愾心てきがいしんを差し向けられているのがわかったが、最早もはや恐怖など生まれてこなかった。

 ただ只管ひたすらにこのあわれな少女を拒絶して、しずめて、屈服させたいという一心で、猛々たけだけしく燃え盛るあお炎獄えんごくにピナスを捕らえ続けた。



**********



 止めない蒼炎そうえんに身にまとう魔力を削られ、あらがい切れずにたおれて人型に戻ったピナスの姿は、今にも消え入りそうに弱々しく透き通っていた。


 だがその少女の身体がステラの魔力によってまたたく間に色付く様をの当たりにしたドールは、やはり他の悪魔きの者達をまとめておびき出して正解だったとみずからに言い聞かせた。



——もしかしたらピナス以外にも悪魔の力を誇示こじしようとする人がいるんじゃないかと思ってあの広場に戻ってみたけど、案のじょうだった。それどころか、自分達の消滅を阻止しようと動き出すところだった。どうしてだ自分達を、特別な力を持つ者だとおごっているのかしら。世界の決定に関与出来できると勘違いしているのかしら。


——この世界から悪魔が力を失おうと、その代償だいしょうに新たな悪魔の卵が生まれようと、それが神の定めたいましめの構造を揺るがすものであろうと、私達には一切口出しの余地はないの。悪徳をつのらせて悪魔を宿したこと自体がいましめを破った罰だと受け入れて、大人しく


——どんなに人の歴史が虚実の積み重ねであっても、その摂理は間違いなくいしずえに存在していて、見て見ぬ振りをすべきではないの。だから私は、残りの悪魔きの人達も燃やし尽くすと決めた。そうすれば私は、今度こそ本当にやすらかな死を迎えられるような気がするから。




 ドールは深紅しんくの瞳をあやしく揺らめかせ、意識を失ったピナスとロキシーを含めたその場の全員をあお炎獄えんごくに捕らえ続けていた。

 他方で押し寄せる魔力の波にあぶられるなか、ネリネやクランメが声音を張り上げて交わすり取りをぼんやりと聞いていた。



「リヴィアさん、これどうにか出来できないの!? 貴女あなたは水を操れるんじゃなかったの!?」



「正確には物質の三態さんたいや。せやけどこないな広範な魔素まその振動、抑えつけるんも一苦労やわ。第一うちはセントラムでの作業のために魔力温存しとかなあかんねん。何とかしてほしいんはこっちの台詞せりふや。」



「冗談じゃないわ! 私だってこの炎は見てるだけでしんどいのよ! ねぇピオニー隊長、何とかならないの!?」



駄目だめだ。私の電撃で相殺そうさいしようものなら、どんな衝撃がね返って来るか予想もつかない。最悪地下空間であるこの場所が崩落しかねない。」



「じゃあさっさと転移して脱出するべきなんじゃないの!? この際みなが散り散りになっても、焼き尽くされるよりはましなんじゃないの!?」



「…それが、試そうとしても出来できないのだ。この炎にまとわり着かれているからか、どうにも抑えつけられている感覚からのがれられないのだ。」



「何よそれ…じゃあ、やっぱりあいつを何とかしなきゃいけないってこと!?」



 室内に満ちるあお業火ごうかが低く泣きわめくようなおぞましい音を響かせるなか、ドールはその会話からピナスが撤退する余地なくたおれた原因を察した。


 具象化する膨大な魔力にとらわれている状況下では『転移』が出来できない——思い返せば最初にクランメが氷結でみなを拘束した際、すでに判明していた現象であった。


 そのことをステラも理解したのか、ピナスを蒼炎そうえんからかばうように抱きかかえながらドールに問いかけた。



「ピナスさんが気を失うまで疲弊ひへいしたのも…貴女あなたの炎が原因だったのね?」



おっしゃる通りです。彼女は悪魔の力をあたかも神から授かった特権であるかのような主張をかざしていたので、大人しくしてもらうことにしました。」



「…確かにこの人には色々抱えてるものがあるのかもしれないけれど、今この世界で私達がいがみ合うことに意味はないことはわかってくれているはずだと思うの。だからお願い、ちゃんと貴女あなたと話をさせて。このまま一方的に燃え尽くされて終わるだなんて、あんまりだわ。」



「何をおっしゃるんですか。私達の命はうに終わっているんです。このに及んで納得出来できる終わり方を探そうだなんて、見苦しいですよ。」


「私達はみな悪魔を宿したことで、命を失うという罰を受けているのです。いがみ合う以前に、生きながらえようとすること自体に意味などない…神がいましめた通りに、私達はこの世界から排除されてしかるべきなのです。」



 ドールが虚ろな表情で淡々と答えていると、不図ふと足首に何かが巻き付いたことに気付いた。視線を落とすと、1本の青白いつるかたい床を突き破ってドールを捕らえているのがわかった。


 それを蒼炎そうえんで焼き払うことは造作ぞうさもなかったが、ドールはせせら笑うように低い声音でステラを脅した。



「私の魔力を奪うつもりなら容赦はしませんよ、ステラさん。その前に貴女あなたに魔力を集中させて一番に焼き殺します。」



「…よすんだステラ! 彼女を無暗むやみに刺激するべきではない!」



 するとイリアが事態を察したのか、まとわりつく蒼炎そうえんを振り払ってステラに近寄ろうとしながら、上擦うわずった声音で叫んだ。


 だがステラは、萌黄もえぎ色の視線を真っぐドールに向けたまま、はっきりと言い返した。



「…いいえ、貴女あなたから魔力を奪う気は無いわ。本当は悪魔の力を振りかざさずとも話を交わし合えるはずだから、それまで貴女あなたを手放したくないだけなの。」


「ずっと貴女あなたは何か伝えたそうにしていたのに、今まで全然聞く余裕を持てなくてごめんなさい。私、貴女あなたのことを何もわからないまま終わりたくないの。もう一度機会をもらえないかしら。そうすれば、私達が巡り合わせたことに何か意味が生まれると思うから…!」




 その執念深いとも言える切望に、ドールは思わずひるんで全身を強張こわばらせた。


 常人ならば有難ありがたみを感じて当然のはずの気遣きづかいが、救いになるはずの温もりが、人生の大半をうとまれて過ごしたドールにとっては馴染なじみみが薄く、触れがたく信じがたい異物でしかなかった。



——今更何も話すことなんてない。いやしい修道女の言葉が、空虚くうきょ以外にどんな意味を成すとも思えない。


——結局そうやって私をたぶらかして、言いくるめて、思い通りに動きたいだけなんでしょう。それ以外に私に関わる価値なんて、あるはずないもの。



 だがドールが反論しようと吐息を震わせると、ステラはそれをさえぎるようにイリアらに向かって矢継ぎばやに声を掛けていた。



「イリアさん、この狭い場所じゃなければ、ドールの炎に対抗出来できるんですよね? それなら確実に雷撃を使える場所へ、転移の準備をお願いします。」



「ステラ!? 一体何を考えて…!?」



「それからリヴィアさん、ほんの一瞬ならこの炎を無力化することは出来できませんか? 魔力の補填ほてんは、私が後で十分に致しますので。」



「…まったく。気は進まんけど、現状手詰まりならやるしかないわな。」



「ネリネさんはそのまま動かないで…転移の寸前に私がつる貴女あなたを引き寄せるから。」



「何言ってるの!? 逃げるならその修道女だけ置き去りにすればいいじゃない!」



「それは駄目だめ。もうこれ以上、誰もこの世界でひとりになんてさせない。みんなが納得して人生の続きを終えられることを、私は諦めたくないから。」



 ステラの宣言は、ドールにとってはただ只管ひたすらに不快で受け入れがたく、その強固な意志ごと燃やし尽くそうと更に蒼炎そうえんの勢いを強めた。


 そのはずだったが、地下空間に満ちる炎獄えんごくは突然大きなあなを開け、ちょうど7人が含まれる範囲だけしらんだ床が浮き彫りになった。それはさながら時が止まったかのような違和感をいだかせた。


 ドールが目を泳がせると、クランメが両手で空気をつかむように強張こわばらせて何かをこたえていた。

 間もなくして、それがこの空間で蒼炎そうえんの火種となる魔素まそを一時的に制止させているわざなのだと察した。


 ドールがその抑圧をね返そうと更に出力を強めようとしたときには、すでに視界が白いもやおおわれていた。




 ぐさま視界が切り替わり、黒ずんだ地面の上に着地したドールは、ステラの画策かくさく通り外へと引きり出されたことを理解した。

 

 周囲は比較的開けていて、対峙たいじする悪魔きの者達の背後には、崩壊した大聖堂よりも更に規模の大きな廃墟が広がっていた。


 そこが現世のどのような場所なのか、ドールはほんのわずか興味をかれたものの、魔力の反動かその場で膝を付いたクランメのもとにステラが駆け寄ろうと動き出したことで、我に返ってもう一度みなを取り囲むように蒼炎そうえんを噴出させた。



——もうやめて…みんな早く消えてよ……私の存在に意味なんて、見出みいだそうとしないでよ…!!



 だがあふれ出す『悲嘆ひたん』の炎を抑え込むように真白ましろの空から幾重いくえもの雷撃が降り注ぎ、炎に触れた瞬間に盛大に弾けて彼方此方あちこちで爆発を引き起こした。


 地鳴りと共に黒い煙が立ち込めたが、ドールはまったいとわずその煙ごと空気を震わせて蒼炎そうえんおこあらがい続けた。

 脳裏のうりには、かつて大聖堂を焼き落とし正教徒を虐殺して回った凄惨せいさんな光景が鮮明によみがえっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る