第19話 好奇心の終着点


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 ドールは音も匂いもない黒い花畑にひとり腰かけ、イリアに頼まれた通りに誰かがこの広場に再び姿を現すことを待ちほうけていた。

 

 だが舞い散る金色のちりのようなもの以外何も変わり映えするものはなく、だ数分しか経っていないのか、それとも数刻過ぎてしまったのかさえわからなくなっていた。

 

 一度死んで闇の中をただよっていた時と何ら変わらない現状をいられていることがみじめで、只管ひたすらわびしかった。

 ラ・クリマスの悪魔を宿した他の6人との邂逅かいこうも一時の夢に過ぎなかったような気がしていた最中さなか不図ふとこの現状を皮肉に、自虐的に表象する言葉が脳裏に浮かび上がった。



——無間むけんの牢獄。あのときは断固として否定しようとしていたのに、今ではここが本当にその通りの場所なんじゃないかと思えてしまう。


——でも、やっぱり信じたくなんかない。ここが現世を模している世界なんじゃないかって言われてたし、他の人達もそれを確信したからあんな風に姿を消していったのよ。私だって、同じことが出来できるはず…。




 そうして閉じていたまぶたを開くと、ドールは無意識にディレクタティオにある修道院の小さな自室へと『転移』していた。

 

 小さなベッドや机、本棚などが並ぶだけの馴染なじみのあるはずの簡素な部屋は、白と黒のみで上塗うわぬりされてかえって落ち着かない印象を受けた。

 イリアの頼みを無下むげにしてしまったことは後ろめたかったが、それよりも扉や窓を一切押し引きすることが叶わず、この身体で物体に干渉出来できない事実に困惑した。


 自室から出るにはもう一度『転移』しなければならなかったが、ドールは改めてこの世界を見渡すために、一度ディレクタティオをながめられる場所へと寄り道がしたくなった。



——少しくらいなら、あの広場を離れていてもとがめられないでしょう。きっと私が居ても居なくても何も変わらない、私が何か主張したところで受け入れられないだろうし、生前と変わらずうとまれるだけ。


——それならむしろ私がやりたいようにこの世界を探索して、何か秘密でも見つけて帰った方が、みんな私を受け入れてくれるのかもしれない。




 そう邪推じゃすいして転移した先は、小高い丘の上に広がるディレクタティオ大聖堂跡地だった。


 丘から見渡すディレクタティオの街並みは、白と黒で塗り替えられていること以外は記憶にたがわぬ通りであった。ゆえに、自身の死後に大聖堂の跡地がどうなったのかという疑問に自然とかれた。


 だがそこは瓦礫がれきたぐい彼方此方あちこち山積さんせきしたまま、依然として廃墟以外に表現のしようがない有様だった。

 ただ1ヶ所だけ、人工的に瓦礫がれきが押し退けられたような空間があり、黒ずんだ板のようなものが地面に固定されていた。


 ドールはその位置関係から見て、大司教に『立入禁止区域』と断罪された地下空間への入口であるとぐに察しが付いた。



——あのとき私が軽率けいそつに忍び込んでしまったまわしい場所。教団が秘匿ひとくしたい何かがあった場所。ここにあからさまなふたをしたのが教団側なのか、大陸軍なのかはわからないけど、態々わざわざこの辺りだけ整備されてるってことは、間違いなく何らかの捜索そうさくが入ったんだわ。


——もしだこの先に何か残っているのなら、それが現世と同じであるならば、知りたいと思う。私が理不尽に殺されかけて、悪魔を宿す契機になった理由が残っているのなら…今からでも知りたい。



 込み上げる衝動に押されるがまま、ドールはその黒ずんだふた蒼炎そうえんを放っていた。

 死の間際まぎわみずからの炎にし潰されそうになったことで、再び悪魔の力を使うことには抵抗があったが、その躊躇ためらいは好奇心を満たそうとした反動で消失した。


 横たわるふたもまたまたたく間にくすぶぶってちりも残すことなく焼失し、地下への入口が再び眼前に現れた。

 その通路はあかりもないのにしらんでおり、暗闇以上に踏み込みがたい不気味さがただよっていたが、ドールは最早もはや振り返ることなく足を踏み入れていった。




 長い階段をり立ち真っ先にドールが見たものは、正面の壁に立て掛けられていた十字架の残骸ざんがいだった。


 生前の探索たんさくでは限られた時間と視界の中で動いていたため、気付くことが出来できなかったのだと思い返した。同時に無惨むざんなそれが、紛れもない本物であると察した。


 かつ対峙たいじした『死神』が携えていた杖に着装されていた鉱石と似たような、触れがたほとぼりのようなものを感じ取ったからである。


 そして神聖視されていたはずの遺物が、そこら中を削られて原型をとどめなくなりつつあったという事実に落胆らくたんし、思わずその場に崩れ落ちた。



——司教杖しきょうじょうだけじゃない、祭壇の十字架ですら偽物だったんだわ。…一体いつから? どうしてこんなことに……?



 ドールが不図ふと左側を見遣みやると、以前ランタンで照らした流星群の壁画が記憶していた通りに映し出されていた。


 だがその壁画は認識していた以上に横長で、その全容と空間の広さを改めて把握すると、アメリアから聞かされた疑惑と重なっておのずとこの地下空間の意味を理解し始めていた。



——やっぱりこの壁画はかつての祭壇、旧大陸帝国時代の王宮の名残なごり。それが約100年前の大規模改装にともなって埋め立てられるはずが、秘密の空間としてかされたんだわ。


——あの大きさの十字架をり替えて秘匿ひとくするなら、その機会にじょうじたとしか考えられない。…教団が資産的な再興に打って出るために。つまり、隕石という希少成分を含んだ十字架を売り物として転用するために。



 他方で壁画の向かい側にあったはずの木箱は跡形あとかたも無くなっており、立ち上がったドールはその奥に見つけていた工房のような空間へと足を進めた。

 黒ずんだ作業台の上には様々な工具が染みのようにこびり付いていたほか、以前は見逃していたであろう坩堝るつぼや金型を発見した。


 金型には小さな楕円だえんくぼみがいくつか等間隔に並んでいる正方形のものと、細長い棒状をかたどる長方形の2種類があった。

 ドールは少なくとも前者がその形状から、首から下げていたグレーダン教のペンダントとほとんど同じ大きさであることを察した。


 そして突き当りにある大きな机——目の前に額縁が立て掛けられた、生前の探索たんさくで最後に立っていた場所に辿たどり着いた。

 黒一面の机上は当時よりも片付いているように見えたが、そのうえで並べられていた書類に恐る恐る目を通した。


 

 それは様々な素材の使用量や製品の生産量などを日毎ひごとに書き留めた記録だった。隕石成分を含む十字架が微量の配合比率で他の素材と混同されていたようで、横には数千から数万単位の金額が欠かさず記載されていた。


 日付は大陸暦999年の5月末日で止まっており、ドールが厄災を引き起こす前日までこの場所が使われていたことがわかった。



——これだ。十字架は毎日少しずつ削られて、ペンダントのような装飾品に加工されて教団の資金源になっていた。きっと100年前から毎日少しずつ…それで十字架は7つのうち、もうあの1つしか残っていないんだわ。



 その記録の隣には別の走り書きしたような用紙が重なっており、模倣するように素材の配合比率が何種類かにわたって記載されていた。


 だがいずれも十字架素材の比重が格段に大きくなっており、混同されている素材もすべて同じわけではなく、何より日付が同年の6月を指しており金額が書かれていないことに気付くと、途端とたんにドールの背筋に悪寒おかんはしった。



——6月って…大聖堂が焼け落ちた後にもこの空間で何かが作られていたってこと? 教団の関係者がだ密かにここに立ち入っていたっていうのかしら? あの何の飾り気もない棒状の金型は、もしかしてそのとき使われていたとか…?



 そして更に隣には、ラ・クリマス大陸の地図が広げられていた。地図上には5つの×印と、そのうち4つには日付が付されていた。

 6月1日にディレクタティオ、同月11日にメンシス、18日にセントラム、25日にグリセーオ、そしてグラティア州の首都ヴィルトス付近の×印のみ日付がなかった。



——1日は私が厄災を引き起こした日だったはず。他の街も、同じように悪魔を宿した人たちの居住地がいくつか該当してる。ここで作業をしながら厄災の発生日も記録していたってこと? 一体何のために…?




「見つけたぞ、グレーダン教徒の女。」



 突然背後からぶっきらぼうな声をかけられ、ドールは背中を射抜かれたかのように硬直し、思わず口元を両手でおおった。


 またもやこの場所で不意打ちを仕掛けられたのかと思うと一瞬気が遠くなりかけたが、その声音には聞き覚えがあったので、顔を引きらせたままゆっくりと振り向いた。


 見ると作業台を挟んで奥に、ピナスが腕を組みながら露骨に不機嫌な様子でたたずんでいた。



「…どうしてここに?」



「たわけ。貴様が例の広場から勝手に姿を消すから、イリア・ピオニーの頼みで捜索そうさくになっておったのだ。まったくディレクタティオに飛ぶまで無駄に魔力を使わせおって…何故なにゆえこのような場所に隠れておったのだ。」



 それを聞いたドールには、ようやく罪悪感が芽生え始めていた。翼を持つピナスがどれほどの速度で飛来してきたのかはわからなかったが、数刻と消息を絶っていたつもりはなかった。



「…ごめんなさい。少しの間だけと思って、私が悪魔を宿すきっかけになった場所に戻っていたの。ここはディレクタティオ大聖堂の秘匿ひとくされた地下室。グレーダン教団が秘密裏に利益を生み出していた場所。生前の私はここを捜索たんさくしようとして捕らえられて、殺されかけて…そのときに悪魔を宿したの。」



 ドールがかろうじて釈明すると、ピナスは顔をしかめたまま工房を観察するように歩き回り始めた。

 ピナスとは初めて顔を合わせたときにグレーダンの史実に関し衝突していた所以ゆえんか、双方の間には明らかに穏やかでない雰囲気が立ち込めているのを感じていた。


 気まずい沈黙がしばし続いたのち、ピナスは不意に長方形の金型の前で立ち止まり、棒状のくぼみを冷ややかに見つめながらドールに問いかけた。



「教団のやからはあの十字架を削り出して、別の形に加工していたのか?」



「…厳密には、他の色んな素材と混ぜ合わせていたみたいだけど。でもその金型は、もしかしたら教団の人達が使っていたものじゃなかったのかもしれない。」



「だろうな。わしは生前、これと似た大きさの棒で我が蒼獣そうじゅうを討ち払う者を見た。軍人どもに紛れていたあの怪しげな風貌ふうぼうやからは、今思えば明らかにわしとの対峙たいじに備えて派遣されていたようだった。」


「あの奇妙な武器が隕石を含む素材で作られていたのなら、蒼獣そうじゅうが抗えなかったことにも合点がてんがいく…まったもって気に食わんがな。ルーシー・ドランジアはディヴィルガム以外に悪魔の力に対抗するすべを、事前にここで生み出していたのだからな。」




 ドールはピナスがひとり言のように自分を納得させていくのを聞きながら、大聖堂崩壊後にこの工房を使っていたのがドランジア議長の配下の者であったことをおおよそ確信した。


 それにともなって、一国の首相はこの場所を偶然発見したのではなく最初から認知していて、教団から素材を横取りするために自分に厄災を引き起こさせたのではないかといぶかしんだ。


 ドランジア派閥はばつが大陸議会でグレーダン教派閥はばつ屡々しばしば対立していたからといって、総本山である大聖堂を焼き討ちにさせるなど正気の沙汰さたではないと思っていたが、ここに来て明らかによこしま魂胆こんたん垣間見かいまみえたような気がしていた。



「…やっぱりドランジア議長は悪い人だったのね。グレーダン教団と犬猿けんえんの仲でも、千年祭の実施を承諾して協力してくれていたと思っていたのに。」



 ドールがむなしくつぶやくと、それを聞いたピナスは鼻で笑うようにあしらった。



「千年祭など、わしらにとっては迷惑極まりない計画に過ぎなかったわ。国ぐるみになどせず内輪うちわで勝手に盛り上がっていれば良かったものを。」



 その物言いを聞くやいなや、ドールはたまらず意地を張るように反論した。



「そ、そんな言い方しないでよ。千年祭は大陸の民が厄災の苦しみから救われると共に、神託しんたくいましめをもって人の在るべき生き方が提唱されたことを祝うものなのよ。グレーダン教の信者であろうとなかろうと、今を生きる大陸の民がそのよろこびを分かち合うことに意味があったのよ。」



「何を呑気のんきなことを。ならば何故なにゆえ我が一族は千年の時を経てなお迫害を受け、あるいは値踏みをされて減少の一途いっと辿たどっているのか、貴様は答えられるのか?」



 だがピナスの碧色へきしょくきらめく瞳とりきんだ声音に、上背うわぜいまさっているはずのドールはすっかり気圧けおされていた。



「…ごめんなさい。私は貴女あなたの祖先がグレーダンとやくしたいましめを破って以来、人間の住む世界を追われていると物語で読んだ以上のことは知らないわ。」



まった反吐へどが出る。貴様らの祖先は再び蒼獣そうじゅうを見かけたというだけで、何の疑いもなく我が一族を辺境へと追いったのだ。その後も同胞どうほうを捕らえては悪魔きだと決めつけ、魔女狩りのような真似まねを繰り返していたと聞いておるのだがのう。」



 ドールはピナスが嫌味を吐きながら、自分の背後に掛けられている額縁に視線を移しているのがわかった。


 現に自分も同じような殺され方をしていたことから、最早もはや何も言い返せる言葉が見つからなかった。その様子を見て、ピナスが更にがなるように言い放った。



「『人間の寿命は短く、身体はもろく、我々以上に共生を深めなければ存続できない。それゆえおのが命への執着が強く、保身のためなら真実を捏造ねつぞうし、歪曲わいきょくし、時に他人の命さえも容易たやすく利用する。』…結局人間は千年経っても本質は何も変わっていない。現にグレーダンが儀式のため作ったという十字架すらも、密かにり替えかねに換えていたのであろう。」


「そんなやから諸手もろてを上げて歴史を祝うなど、何とも滑稽こっけいな話だ。…はっきり言っておく。この千年は大陸の民に救いの道が示された歴史などではない。保身と利益のために同士討どうしうちを繰り返し、その都度つど虚実で塗り固め続けてきただけの、ただの時間の残骸ざんがいだ。」

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