第18話 真白の工房

「それでドール…みなに見せたいものというのは、これのことか?」



 イリアがやや戸惑いながら尋ねる声に釣られて、ステラもかがんだ姿勢のまま背後を振り返った。

 

 見ると、巨大な黒い十字の支柱のようなものが無造作に壁に立て掛けられていた。



 太さだけでも1メートルはあろうかという石像か何かかと思ったが、床に着いている部分を除く三端はいずれも乱雑に削られて長さがまったくもって均等ではなかった。

 そして良く目をらすと、表面はただの黒地ではなく無数の斑点はんてんが内部からきらめいているのがわかった。


 白と黒と金色のちりのようなものがすべてだと思っていたこの世界でそのきらめきはかえって不気味に映り、ステラは本能的に近付きがたい印象をいだいた。

 だがドールは立ち上がると、その破損した石像に向かってゆっくりと歩み寄りながら返答した。



「…そのうちの1つです。これは千年前、預言者グレーダンが隕石を加工して『魔祓まばらいの儀』のために生み出した、7つの十字架のうちの1つです。」



 その説明だけで、ステラには本能的な忌避きひ感がに落ちた。悪魔を宿した生前の自分を討った杖に着装されていた黒い鉱石を思わせる、刺すようなむずがゆさを感じていたからである。


 さながらあの鉱石を薄く延ばしたようなものだと直感的に理解してしまい、ドールの返答に疑いを持つ余地がなかった。



「十字架については聞いたことがある。グレーダン教にとって重要な遺産であり、現代でも大聖堂の祭壇に装飾として並び立っていたのだと。それがどうしてこんな地下空間で壊れて放置されているのか…それも知っているというのか?」



「はい。大聖堂の祭壇に飾られていたものは贋作がんさくの石像でした。本物は恐らくすべてこの場に保管され…削られて加工され、希少な鉱物を含む装飾品として売却されていました。教団再興の資金源とするために。」




 ドールが打ち明けながら振り向いた先にはいくつかの作業台や椅子いすおぼしき黒い物体が並んでおり、様々な工具が散乱していた。

 壁際に囲まれた一角には坩堝るつぼのような置物もあり、何かを加工し生産する工房であると見受けられた。


 歴史ある大聖堂の地下にこのような空間があるのは何とも奇妙であったが、イリアもクランメも、そして遅れて到着していたネリネも然程さほど驚いた素振そぶりを見せなかったので、ステラはかえってその感覚の違いに困惑した。


 そんななか、イリアが工房を詮索せんさくして回りながら呟いた。



「実は噂には聞いていた。グレーダン教派が何らかの密輸に関与し、関税法に係る特措法の成立に抵抗していたのだと。そして大聖堂崩壊後間もなくして採決に妥協したのは、大陸議会側にその証拠を差し押さえられたからだと。遺物である隕石が用いられた製品の取引を、国が公然と認可するはずがない。恐らくグラティア州を迂回うかいする形で、メンシスから主に海外諸国へと流出していたのではないか。」



 そう言っておもむろにネリネに視線を向けたので、ネリネはロキシーを床に下ろしながら渋々しぶしぶ足並みをそろえるように答えた。



「…ええ、確かにメンシスの闇市場では『本物の隕石を素材にあしらったペンダント』なる代物が流通していると所詮しょせん眉唾物まゆつばものだと思っていたけど、まさか死んでから真相を知ることになるなんてね。まったくいい迷惑だったわ。」



「そうか。だが肝心かんじんの製品は見当たらないな…漏れなく大陸議会側が押収おうしゅうしたと考えるべきか。」



 するとクランメも奥の方から歩み寄り、あきれた様子で情報を補足した。



「厳密には『かげの部隊』が一足先に引き揚げた、と言うべきやろな。元々ドランジアはうちから助力を得る代わりに、ディレクタティオ大聖堂の十字架を譲り受けたるっちゅう取引を提示してたんや。隕石成分を含むその素材を分析研究すれば、悪魔と人間を引きがす方法——人の命を犠牲にせず悪魔のみを『封印』する手段が確立出来できるかもしれへん言うてな。国として押収おうしゅうするよりは、おおやけにすら無かったことにして独占したいと考えとったはずや。」



「十字架の譲渡…議長はまた、何とも無謀むぼうな取引を持ち掛けていたのだな。もしや議長は特措法の成立を推し進めるため、一石二鳥を狙って大聖堂で厄災を引き起こしたというのか。」



「どこまで先を見据みすえとったのかは推測にしかならへんけど、大聖堂の制圧でメンシスがわりう流れになったんは事実やな。せやけど一方で、本物の十字架は大半がすでに加工されて失われとったらしい。結局はそないな研究なんてする暇もなく、この地を皮切りに次々と厄災を引き起こさせて早々と野望を達成しようとしとったみたいに見えるけどな。」



「成程…だがそれにしては管理がいささ杜撰ずさんだな。十字架の残骸ざんがいをはじめ、グレーダン教派にとって都合の悪い証拠が残りすぎている。もしかしたらこの地下空間ごと、『かげの部隊』によって秘匿ひとくされ続けていたのかもしれないが…。」



 ステラはイリアとクランメの懐疑かいぎ眼差まなざしを見比べながら、なんとか会話の事実関係を理解しようと努めていた。

 

 そんななか、再びドールが発言を差し挟んだが、ステラには背を向けてたたずんでいたためにその表情を知ることは出来できなかった。



「答えは簡単です。その『かげの部隊』というドランジア議長の配下の方々が、直近までこの地下空間を利用していたからです。その証拠に……。」



 ドールが説明しながら地下空間の奥にある大きめの机の方へ歩いて行ったが、何かに気付いたのか台詞せりふ尻窄しりすぼみに途切とぎれた。


 それでも不自然な沈黙を作らぬよう白髪はくはつひるがえすと、坩堝るつぼの近くに置かれていた金型かながたを指して言葉を続けた。



「ここに明らかに装飾品とは思えない型があります。丸い棒状で、片手で持てるような大きさになるものが。」



 それに対し、イリアがいぶかしむように近寄りながらドールに問いかけた。



鋳塊ちゅうかいを作っていたんじゃないのか。あの十字架は切削せっさくするには太すぎて、少しずつ削り出していたみたいだからな。」



「でも…ピナスさんは何か見覚えがあるみたいでした。」



「ピナス・ベルが? …彼女は貴女あなたと合流したときは、だ体調に差しさわりなかったのか?」




 その短い会話に生じた違和感で、ステラはこの地下空間の空気が一気に緊迫したことを察した。


 イリアの当たりさわりのない相槌あいづちが、ドールの言動を誘導するものであったことを今になって思い知った。現にドールは口をつぐみ、うつろな表情の裏で必死に思案を巡らせているように見えた。



——きっとイリアさんもピナスさんの状態に不審をいだいて、ドールの様子をうかがっていたんだわ。…でもそれってもしかして、ピナスさんとドールは……!?




「…すみません、もう1つだけよろしいですか。」



 するとドールはイリアの問いかけを無理矢理むりやり振り切り、やや早足で地下空間の反対側へと歩き出した。


 イリアは呼び止めようと口を開いたが、再び様子見にてっしたのかそれ以上に踏み込むことはしなかった。

 同じく不審な眼差まなざしを向けるクランメとネリネの間を真っぐ通り抜けたドールが壁に突き当たると、そこでようやくく振り返ってみなに向き直った。


 しらんだ横長の壁には一面に大きな絵画がかすれた線でえがかれており、中央には城と山々に降り注ぐ流星群が、右には大きな翼を生やした長身の女性が、左には杖を掲げる豪勢な身形みなりの男性が写し出されていた。



「これは旧大陸帝国王グレーダンが住まう王宮で玉座が置かれ、後にディレクタティオ大聖堂の祭壇となった場所にえがかれた壁画だと思われます。私自身考古学に精通せいつうしているわけではありませんが…だ製紙技術が十分に発達していない時代に、預言者グレーダンの威光いこうのこそうとしたのだと思います。」



 ステラは説明されるがままに、その緻密ちみつで圧巻な芸術作品に思わず見入っていた。今こそ白と黒でしか認識できないが、生前に見られればどれほどの価値があっただろうと感嘆していた。


 一方そのかたわらでは、クランメが懐疑かいぎの視線を送り続けていた。



「うちも学者やないけど、多分に国宝級の価値があるんやろうなとは思って見とった。問題は何故なぜそれほどの代物がこないな地下に埋もれてるんかっちゅうことなんやけど…君はなんか知っとるんか?」



「…ディレクタティオ大聖堂は長い歴史の中で幾度いくども改修を重ねていましたが、直近の大規模な改修で正面口が南から北へ変わったそうです。そのとき地形の関係でここは埋め立てられたはずなのですが、設計書にはない秘匿ひとくされた空間として残されたのだと思います…約100年前の話だそうです。」


「恐らく時を同じくして祭壇の十字架もり替えられてここに保管され、教団の資金源のため少しずつ削られていったのでしょう。壁画は単に移設が困難だったに過ぎないと思われますが…何らかの機会で発掘を公表する算段もあったかもしれません。」



 ドールの推察を聞いて、クランメは腕を組みながら感心したようにうなずいて見せた。



「確かに十字架の素材は尽きるのが見えとったし、その教団の体質なら国に寄贈の対価を求めても可笑おかしくはなかったやろな。…それで、君の見せたかったもんはこれで全部なんか?」




 だがその応対は、ドールに主導権を握らせないためのあしらい方に過ぎなかった。


 愈々いよいよドールがみなをここに招集した理由が判然としなくなり、不穏な雰囲気に満ちるなかでイリアとネリネもにらみをかせているのがわかった。

 ステラだけがだ意識を取り戻さないピナスを抱えながらドールを案じ、固唾かたずを呑んで彼女の意思を推し量ろうとしていた。



「すみません…私、みなさんに謝らないといけないことがあります。」



 すると、ドールはあかくら眼差まなざしを揺らめかせながら静かに語り始めた。



「まずは私がみなさんの中で一番最初に悪魔を宿して、厄災を引き起こしたこと。…私が大聖堂を崩壊させ大勢の正教徒を殺害したことが、こんなにも大陸中に迷惑を、混乱を招くなんて思いもしませんでした。そして私が従事していたグレーダン教という宗教団体が数々の問題も、様々な厄災の火種になっていたのだと思うと恥ずかしくて、悲しくて仕方がありません。」


「厄災を生み出さないためのいましめを遵守じゅんしゅし伝道していくはずの私達がこのような有様ありさまでは、非難を突き付けられて当然です。今となっては手遅れですが…心よりお詫び申し上げます。」



 その悲痛に声音を震わせた謝罪を、ステラは狼狽うろたえながら見守る他なかった。イリア達がどのような表情でうかがっているのか見渡す余裕もないまま、ドールは更に語り続けた。



「そしてもう1つ…私、あの広場に戻ったときにみなさんの会話をかげで聞いてしまったんです。ドランジア議長が湖の底で魔力のもとを吸収し続けて、ラ・クリマスの悪魔から永遠にかてを奪い去ろうとしていること。それによって悪魔を宿す私達も消滅の危機が迫っていること。そしてそれを阻止しようとしていること。…それを聞いて思ったんです。冗談じゃないなって。」


「だって悪魔を宿した人達はみな、世界の中で誤った存在なんですよ? 殺されて、排除されて当たり前の存在なんですよ? そんな悲しみの連鎖を、大陸の民は千年の時を経てようやく断ち切れるはずなのに…何故なぜそれが理解出来できないんですか?」


みなさん、傲慢ごうまんなんですよ…私達は毅然きぜんと死を受け入れるべきなんです。」



 その冷徹な台詞せりふと同時に、地下空間はまたたく間にドールの背後から噴き出した蒼炎そうえんによって満たされた。

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