第17話 成すべきこと


 この無機質な世界で目覚めたときから、ステラの胸中きょうちゅうおびただしいつるが乱雑に絡まり合ったような、曖昧模糊あいまいもことした状態が続いていた。


 かつてジェルメナ孤児院を監督してくれたルーシー・ドランジアを殺せという不気味なささやきにも滅入めいっていたが、ステラの脳内には生前から心に突き刺さっていた青年の言葉も繰り返し反響していた。



『先生、この国にはね…厄災をもたらす悪魔に可能性を見出みいだすよりも、撲滅ぼくめつし消し去りたいと願う人の方が圧倒的に多いんだ。悪魔に大切な存在を奪われ、憎しみをいだく人が俺以外にも大勢いるんだ。』



 目覚めた広場で一堂にかいした他の6人のことは当初、その願い通りに犠牲になった仲間なのだと捉えていた。


 だが一連の会話からその願いを発した青年の名は一度たりとも出て来ることはなく、複雑化する事実関係と仲間内の不協和音に戸惑い、意思決定を生前の仕事仲間であったイリアにゆだねることで不安をやわらげようとしていた。


 ピナスという幼い外見をした女性の行動原理に危うさを覚え、生前と同じ振る舞いを貫徹することで自我を保とうとしていた。

 自分が毒におかされたことにイリアが責任を痛感しても、ねぎらい励ますことで存在意義を見出みいだそうとしていた。



『…先生はお節介で、正義感も責任感も強いから、きっとなんでも1人でやろうと気張きばりすぎたんだ。…先生にももっと他人ひとに寄り添える余地があったはずなんじゃないかな。』



 胸の内で青年の言葉を反芻はんすうしつつ今になって人生をやり直すかのように、ステラは仲間を助け補佐する役割にてっしようとしていた。



 だがその決断は、自分が何故なぜ生きながらえているのかという疑問の解決を放棄してしまうことでもあった。


 ゆえにクランメからこの世界が現世と重なり作用し合っているむね示唆しさされたことで、仲間を助け補佐する役割までもがその意味を問われ、ステラは身も心も改めてつる雁字搦がんじがらめにされたような感覚におちいっていた。



——厄災をもたらす悪魔が消し去られた世界はだ実現していなかった。ルーシーさんがそのためにみずからを犠牲にしていて、私達は悪魔との板挟みで選択を迫られている。


——現世に生きる人達のことを想えば私達は大人しく消え去るべきで、多分イリアさんも同じことを考えている。でもリヴィアさんとネリネは、理由は違えど賛同していないみたい。行方ゆくえが心配だけどピナスさんもきっとルーシーさんを止めようとする。同じく行方ゆくえくらましたドールと、だ目覚めないロキシーは同じ話を聞いたらどう考えるのだろう。…そもそもこれは私達が多数決で決めるような問題なのかしら。


——もう、どうしたらいいのかわからない。ここで出会った同じ境遇の仲間のためになりたいと思ったけれど、現世に生きる人達の平穏を叶えられるのなら叶えるべきだとも思う。もう結局、私は誰の為に動けばいいのか、わからない…。




 その葛藤かっとうは、ネリネが突如とつじょ放った横殴よこなぐりの風によって一旦いったん押し退けられた。

 

 黒い花弁が舞い散る中に行方ゆくえくらましていたドールの姿があったことで、ステラは1つ胸をで下ろしていた。

 イリアも同じ気持ちだろうと横目でうかがったが、彼女は小さく溜息をこぼさずにはいられないようであった。



「ドール…長く待たせてしまったことは申し訳なかったが、一体何処どこに居たというのだ?」



「も、申し訳ございません。つい魔が差して…故郷であるディレクタティオに戻っていました。」



 委縮しながらびるドールを見て、ステラはイリアの肩に静かに手を置いた。

 あまり責めてあげないで欲しいという意を瞬きと共に伝えたつもりだったが、イリアはだ気を緩めていないようで、表情を変えることなくドールに対して質問を続けた。



「私もそのように推察し、飛行能力があるピナス・ベルに貴女あなた捜索そうさくを依頼していたのだが、見かけなかったか?」



「…あのラピス・ルプスの民は、確かに私を訪ねてきました。ですが今は…その、倒れ込んでいて…身体が何だか消えかかっていて……。」




 更に憔悴しょうすいしたように口籠くちごもるドールを前に、ステラをはじめとする4人は騒然とした。


 ステラはたまらず頭を抱えたイリアを見遣みやると、ぐに救援を提案した。またもや指示が裏目に出たなどと、責任を感じてほしくないという一心だった。



「イリアさん、早く助けに行きましょう! 私はだ力を使えます! …いいえ、使わないといけないんです!」



 とはいえ、イリアがだ万全でないステラの調子を案じる気持ちも無下むげにしたくはなかった。


 そのためにもステラは肩を借りずに、しっかりと自分の脚で立って主張を通そうとしていた。勿論もちろん身体の節々ふしぶししびれは残っていたが、少し歩く程度なら問題はないと心の内で言い聞かせていた。



「…わかった、私とステラでディレクタティオへ転移しよう。リヴィア女史じょしとネリネ嬢は、ロキシーをともなってセントラムへ先に戻ってもらえないだろうか。ラ・クリム湧水湖ゆうすいこのどの辺りか教えてくれれば、私がみなを連れて後から……。」



 イリアはステラの強い意志を受け入れざるを得なかったものの、再び歯切れ良く的確な指示を発信しようとした。


 だが予想外にも、ドールがそれをさえぎり間に割って入ってきた。



「あの…お手数なんですけれど、この場にいるみなさん全員に来ていただきたいのです。お見せしたいものがございまして…。」



 じとした提案に、イリアとクランメが思わず目を合わせた。その間でネリネがロキシーを背負ったまま、胡散臭うさんくさそうな視線をドールに向けているのが見えた。


 ステラとしてはドールが以前何かを主張しようとして有耶無耶うやむやになってしまったことを思い返し、改めて彼女の話を聞いてみたいとこいねがったが、依然として行動方針はイリアに委ねる他なかった。


 やがてクランメが怪訝けげん面持おももちを浮かべながらも、一歩前に出てみなに言い聞かせた。



「何があるかわからへんし、うちは不確定要素を出来できるだけ潰しときたい。この広場がもう使えなくなる以上、全員が覚えて集まれる場所を新たに作れるまでは、まとまって動いた方がええやろ。」



 その答えに異論を唱える者はいなかった。ネリネのみが依然として気に食わない様子だったが、静かにうなずいて歩み寄ってきた。

 それを見たドールは安堵あんどし、感謝を口にしながら両手を差し出した。



「ありがとうございます。それでは着いてきてください…ディレクタティオへ。」



 ドールの右手をクランメが、左手をイリアがとり、ステラはイリアのもう片方の手をとりつつ、ロキシーを背負うネリネを抱き寄せるように腕を回した。

 一方クランメもまたネリネの肩に右手を置いており、6人で作り上げた輪を早速さっそく白いもやのようなものが取り巻き始めていた。





 間もなく視界が晴れると、ステラ達は先の広場よりも開けた場所に立っていた。


 地面は相変わらず黒ずんでいたが、周囲には同じく黒ずんだ瓦礫がれきや折れた支柱のような物が散乱しており、真白ましろの空とあいまってどこか物悲しい廃墟に立っているようであった。


 またここは小高い丘の上であるようで、眼下では黒い屋根の街並みが沈黙していた。

 その光景はステラにとって、死の間際まぎわながめたグリセーオを彷彿ほうふつとさせたが、整然とした都市構造は歴史あるディレクタティオの旧城下町なのだと察した。



「ここは…ディレクタティオ大聖堂が建っていた場所だな。」



 ドールをのぞく全員が荒れ果てた惨状さんじょうを見渡すなか、イリアがうれうようにつぶやいた。


 ステラはかつて大聖堂が蒼炎そうえんで焼け落ち、多数の死者が発生したむねをイリアが語っていたことを思い出し、そのむごたらしい顛末てんまつを覚えて益々ますます心を痛めた。


 その一方でひとおもむろに歩いていく白髪はくはつの後ろ姿を見つめ、彼女がすべてを燃やし尽くした張本人であると察しつつも、何も掛けるべき言葉が見つからなかった。



——彼女はグレーダン教の修道女なのに、どうしてここまで破壊の限りを尽くしたのだろう。でもきっと、何か想像もつかないつらい出来事を経験したに違いないんだわ。




みなさん、こちらへどうぞ。」



 立ち止まり振り返ったドールは、足元にある大きな穴を指差していざなった。

 穴の先には人が2人並び立てる程度の広さの階段が続いており、周辺はここだけ人工的に瓦礫がれきたぐいけられ整備されているように見えた。


 この世界の物体に直接干渉できないことから、現世が元々そのような状況だったことが推察出来できた。その周辺を観察していたクランメが、わざとらしくイリアに問いかけた。



「なぁピオニー隊長、大聖堂の跡地は大陸軍が管理しとったはずやろ。こないな落とし穴を雨曝あまざらしにしとくんは、ちと杜撰ずさんやったんやないか。」



 管轄かんかつ外の質問だったのかイリアは返答に詰まっていたが、代わりにドールが淡泊に事情を明かした。



「ちゃんと黒い板のような物でおおわれてましたよ。私が燃やして開けただけです。…それでは気を付けて下りてください。ピナスさんも、この先にいますから。」





 地下へとくだる階段はあかりもないのに白一色にまみれ、ステラは目がくらみそうだった。


 だがその違和感の正体は、しびれが残る身体に浮かび上がる疲労であるような気がして、片手で壁に手を付きながら慎重に、それでもピナスのために急いで一段一段を下りていた。

 ドールを先頭にイリア、クランメがくだっており、その背中が徐々に遠くなっていた。


 一方で背後ではネリネがロキシーを抱えながらゆっくりと後を着いてきていた。

 一度いたわりの声を掛けたものの、ネリネはだ危害を加えたことを引きっていたのか、自分の心配をしてくれとばつが悪そうに言い返されていた。



 長く感じた階段がようやく終わり、ステラは広々とした空間に足を着けた。


 するとぐ目の前でイリアがかがみ込んでおり、腕の中で姿の消えかかったピナスが力無く横たわっていた。



「…ピナスさん!!」



 ステラは夢中で駆け寄ってイリアからピナスを預かると、両腕の裾から伸ばしたつるただちに全身に巻き付けた。


 その青白いつるが透けて見えるほどピナスの身体が色褪いろあせていたことに悲壮感ひそうかんいだいたが、魔力を送るとたちまち美しい毛並みや毛皮製の衣類が色彩を取り戻したので、ステラは一安心して大きく息を吐いた。



——良かった。貴女あなたにはきたいことがあったから、もう会えないのかと思うと不安で落ち着かなかった。このまま魔力を供給し続ければ、目覚めるのに長くはかからないかもしれない。



 その一方で、ステラはピナスの身体に徐々に満ち行く活力を感じながらも、幾つかの疑問をいだいていた。



——この人はあれほどルーシーさんに固執していたはずなのに、こんなに魔力を枯渇こかつさせてまでドールを捜索そうさくしていたというのかしら。身の危険を感じたら戻ってくるようイリアさんも言っていたはずなのに。


——そもそも悪徳が機能しないと言われているロキシーと違って、身体そのものが傷付いて気を失っているようにも見えるわ。




すごいですね…それが『強欲の悪魔』がもたらす力なんですか。」



 不意に目の前でかがみ込みピナスの様子をのぞいてきたドールに、ステラは驚きつつも相槌あいづちを打った。

 興味深そうにながめる彼女のあかい瞳が、あやしく揺らめいているような気がした。

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