第16話 採るべき選択

 他方で、案のじょうイリアはステラの負担をこころよく思わなかったのか、思い詰めたクランメの表情をのぞき込んで尋ねてきた。



「リヴィア女史じょし、ロキシーが宿している悪魔が何の悪徳をつかさどっているかご存知ぞんじなのか。悪徳を機能させるということは…かつてドランジア議長が『かげの部隊』を組織してたばかったように、我々の手で悪徳をあおる必要があるということなのか。」



 その至って真面目まじめな質問は、クランメの逡巡しゅんじゅんをより一層深刻化させた。


 時系列にかんがみればイリアもステラもセントラムで起きた厄災を認識しているはずだが、そもそも個々の厄災がどの悪徳に起因したものかまで把握していないことは、当然に想定出来できた。


 それゆえに、ロキシーの助かる見込みが限りなく低い実態を打ち明けることをすんなりと決断出来できず、むしろ頭の中で次々と懸念けねんが生まれてはめぐっていた。



——ロキシーのもたらす毒が『淫蕩いんとう』の悪徳に由来しとるんやて、今ここで正直に明かしてええんやろか。男の影も気配もないこの世界で、『淫蕩いんとう』をつのらせるなんて無理な話や。


——それもそれでステラに無力感が生まれる結果になるんとちゃうか。そんでピオニー隊長がロキシーへの魔力供給を断念しようもんなら、愈々いよいよネリネ嬢の恰好かっこした誰かさんを制御出来できなくなるんとちゃうか。別に知らん振りしてもやり過ごせるんかもしれへんけど……。



——ああもう、嘘をり固めるんはしょうに合わへんのや。なして死んでからも周りに気ぃつかわなあかんねん。今はうちが最優先すべきもんはなんなんか、わかっとるはずやのに。



 クランメの算段では、ネリネをイリアの監督下に預けてひとりセントラムに戻るつもりであった。イリアらには現状を伝えたところで、湖に氷洞ひょうどうを造り上げる過程で何ら助力を必要としていなかったからである。


 だがネリネには釘を刺したとはいえ、ロキシーが目覚めないことには不満が解消されるとは思えなかった。そして『強欲の悪魔』を宿すステラがロキシーの生命活力——現状で言う魔力の提供を惜しまないことを、イリアは良しと考えていなかった。


 クランメはロキシーが万全に回復しないことがある程度想定出来できていたにもかかわらず、結果的に新たな不和の種として押し付けようとしていた。



——それでも構へん。ドランジアをどうするかは全員共通の命題になっているように見えて、そのじつ各々おのおのに宿る悪魔がそそのかしとるに過ぎひん。うちらがこんな半端はんぱな生きながらえ方しとる原因は、間違いなくうちが生前に編み出した疑似的な『封印』方法にある。


——せやからこれは最初から、うちがひとりで解決すべき問題なんや。だからこそ他の連中は氷結でこの場にとどめさせたはずやった。どないして脱したかは知らんけど、また同じことを繰り返してここを立ち去ってもええはずなんや。



——そのはずやのに……なして今んなって、引け目なんて感じてるんやろか。



 だがその原因は、ネリネとロキシー、イリアとステラが互いに寄り添う様を見比べていくうちに何となくわかってきたような気がした。


 クランメは胸元のくらあなの奥で新たに冷たい衝動が湧き立つのを感じて、かつて死の直前にも似たようなむなしさを覚えていたことを思い起こし、緑地のストールに馴染なじませるように深く息を吐いた。



——本真ほんま阿呆あほらしいわ。死んでも悪魔がいとる以上、うちもみじめな感情からはのがれられんっちゅうことなんかな。




 クランメは煮え切らない心情にけりを付けようと、黒い花畑の上でこちらの会話の流れをうかがおうとしていた下着姿の令嬢に向かっておもむろに声を掛けた。



「ネリネのお嬢さん、ちとそら飛んで水平線の様子見てもらってもええか? ここは現世と同じ地形なら、大陸の最西端に当たるはずなんや。」



 するとネリネをかたる少女はぐに真意を察したのか、わずかにうなずいてゆっくりと上空へ舞い上がった。同時に地上に立つクランメ達にもあおるような風が一瞬叩き付け、黒い花弁が彼方此方あちこちで立ち込めた。


 だがネリネが一旦距離をとった機をのがさないように、イリアが改めてクランメに尋ねてきた。



「リヴィア女史じょし。もうご存知ぞんじかもしれないが、恥ずかしながら先程あのとはいがみ合ってしまってな…。わだかまりが解消出来できたとは思えないが、一先ひとまずは彼女をなだめ取り成していただいたことを感謝申し上げる。」



「別にうちは何もしてへんよ。今でもあいつは打算で動いてるに過ぎひんのやろうしな。」



「…貴女あなたはネリネ嬢が何を目的に動いているのかご存知ぞんじなのか? どうにも彼女は、私が生前出会ったネリネ嬢とは性格も何もかも正反対に見えて仕方がないんだが…。」



 イリアがひそかに吐露とろしたことで、クランメはようやくネリネをかたる少女が絡んだ内輪揉うちわもめの真相に推測の目途めどが立った。そして、ステラも含めて警告するように静かに言い聞かせた。



「この奇妙な世界で人生の続きをしたいんやったら、うちらは安易に素性すじょう詮索せんさくし合わん方がええ。うちらはみな生前からこじらせとる悪徳で生きながらえとるようなもんなんや。せやから自分から明かそうとせん限りは、為人ひととなりや悪徳について問い詰めるんは当面無しにすべきやで。ただでさえ不安定な根幹が思わんところで揺らいで、成すすべなく消滅するかもしれへんからな…あのロキシーがそうなりかけたみたいに。」



 その喚起かんきをイリアとステラは神妙しんみょう面持おももちで聞いたのち、双方とも少し悄気しょげたように承諾した。

 クランメは特段叱責しっせきしたつもりはなかったのだが、恐らく内輪揉うちわもめの一因に心当たりがあるのだろうと推し量った。


 そして頃合いを見計らっていたのか再び上空から風が吹き付け、クランメのかたわらに少女が軽やかに降り立って報告した。



「やっぱり、さっきよりもかなり狭まって来てるわ。この広場にももう、あまり長くは居られないのかもしれない。」



「…何だと!? どういうことなんだ!?」



 驚きで小さく声音を震わせたイリアと早くも不安を顔ににじませるステラに対し、クランメはこれまで知り得た情報をくまなく説明することにした。





「…ドランジア議長が、ラ・クリム湧水湖ゆうすいこの底で魔素まそを吸収している……あと30時間以内に、我々は魔素まそを供給出来できなくなり消滅をまぬかれない……。」



 クランメが極力きょくりょく簡潔に現状を述べ終えると、イリアは眉間みけんしわを寄せながらつぶやくように要点を反復し、そのそばでステラは瀬無せな面持おももちで沈黙していた。


 一方でイリアからはこの広場を暫定ざんてい的な集合地点としつつも、待機を頼んでいたはずのドールが姿を消し、捜索そうさくを任せたピナスもだ戻って来ていないむねの報告を受けていた。


 とはいえ魔素まその境界線がこの広場を通過すれば集合地点として使うことは出来できなくなることから、クランメは一旦いったんこの場の全員でセントラムに転移することを提案していた。



——行方ゆくえわからん2人に関しては、最悪消滅してしまった可能性も考えなあかん。ステラの悪徳が揺らぐかもしれへんから、ほのめかすんも気を付けるべきやけどな。


——こうなるから難儀なんぎな人付き合いは置いといて、本真ほんまひとりで戻って作業したかったんやけど…うちの悪徳も他人ひとの存在なしには最期さいごまで維持出来できんかもしれへんし、情報を共有させたからには何かしら手伝ってもらえることもあるやろ。特にステラはいざというときの魔力供給源にもなり得るやろうしな。



「ほな、ここはもう移動しよか。全員なんかしら触れ合っとる状態なら、うちがまとめてセントラムに転移させられるやろ。」



 ネリネをかたる少女にはロキシーを背負わせ、クランメは3人を自分の周囲へ呼び寄せようと手を振った。

 

 だがイリアとステラはぐには動かずだ何か思い悩んでいるようであり、やがてイリアが浮かない表情で問いかけてきた。



「…リヴィア女史じょしは湖の底にる議長に接触出来できるまで近付けたとして、どうするつもりなのだ? 例の不気味なささやきの通り議長を殺す…いや、止めるつもりでいるのか?」



 その釈然としない態度の原因はクランメもぐに察しが付き、見透かすようにして逆に問い返した。



「あんたらは、ドランジアを止めない方がええと思っとるんやな? うちらが大人しく消滅しても、それで現世のラ・クリマス大陸に厄災なき平穏が実現するんなら、特段抵抗する理由はないって考えとるんやな?」



 そこで反論しようと口を開いたのはネリネの方であったが、躊躇ためらったのか自重じちょうしたのか押し黙り、発言をゆずろうとしていた。


 他方でイリアは中途半端にうなきながら答えをにごしており、ステラに至っては悄然しょうぜんとして何も考えられない状態におちいっているように見えた。


 先程までのほがらかな振る舞いが一転してしまった原因は、この世界が現世と不可分であると知ったことで、彼女のなかで『強欲』の矛先が乱れてしまったからではないかとクランメは推測した。

 それは悪魔を宿している身としては致命的な精神状態であると身をもって知っており、そうしてステラが力を発揮出来できなくなることを最も憂慮ゆうりょしていた。


 だがクランメはここまで打ち明けた以上後戻りは出来できないと考え、はっきりと持論を述べることにした。



「確かにドランジアがやっとることは、大陸に平和をもたらす偉業かもしれへん。せやけどうちは、何とも独善的で自己完結的な手段やなと思っとる。現実に生きとる誰の管理も受け付けへん、すべて奴のさじ加減で粛々しゅくしゅくと続けられるもんなんや。」


昨今さっこん壊月彗星かいげつすいせが最接近する時期やったからええけど、逆に最も遠い時期に——魔素まその供給量が少ないなかで本真ほんまに同じことが続けられるんか。奴が維持する膨大な魔力にもしほころびが生じて、圧力操作をつかさどる力が暴発したとき現世で何が起こるんか、わかったもんやない。」


「奴は大陸から厄災を消し去ったんやない…未曽有みぞうの規模の厄災をもたらす危険性をはらんだ、悪魔の卵にみずから成り下がったようなもんなんや。そないなけったいなもんを現世にのこしたと知りつつ、茫然ぼうぜんながめながら消滅を待つ選択肢はうちには無い。話が出来できるんなら説得させたる…無謀なことなんかせんと、一国の首相として地道に働けってな。」



 力説していたはずが最後の方は皮肉や嫌味が混じり、クランメは無自覚にも紺青色こんじょうしょくの瞳を揺らめかせながらせせら笑いを浮かべていた。


 それを聞いたイリアは対照的に苦笑いを作っていたが、一方でネリネはクランメに乗じるように声音を弾ませた。



「いいじゃない、その方針で。ていうかそもそも悪魔が私達の中で生きながらえているなら、むしろ消滅をまぬかれた方がかえって私達が悪魔を封印し続けることになるんじゃないの?」



 流石さすがにそれは生半可なまはんか出来できることではないと、クランメは受け流そうとした。


 だがその瞬間にはネリネが空色の目付きを変えて、振り返りざまにぎ払うような突風を放っていた。



 クランメだけでなくイリアとステラも驚いてその風下かざしも見遣みやると、舞い上がった黒い花弁が降り注ぐ中で長い白髪はくはつ棚引たなびかせる修道女ドールが、突然叩き付けてきた風におののくようにたたずんでいた。

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