第15話 気休め



 途端とたんに交渉を再開させた下着姿の少女の調子の良い口振りは、大層たいそう太々ふてぶてしく恩着せがましい印象をクランメにいだかせた。


 彼女は主語を誇張してはいるが、このロキシーという色褪いろあせた眠り姫のような少女が本当に力を取り戻せる保証はなく、結局はひとがりのために他人ひとを利用しようとしているに過ぎないのではないかといぶかしんでいた。


 クランメにとって悪魔との共生は、元よりそのような足元を見られた取引を甘んじて承諾したことから始まったと表しても過言かごんではなかった。



——こいつが『虚栄きょえいの悪魔』を宿して貴族令嬢にけとる何者なにもんかっちゅう時点で、そもそもあんま信用したないんよな。


——30時間の猶予ゆうよ言うんは咄嗟とっさ出鱈目でたらめ並べて計算したようには見えへんけど、そこまでしてうちを連れ出したい理由がわからへん。ピオニー隊長やステラって奴と一悶着ひともんちゃくあったみたいやけど、第三者が仲裁せなあかんくらいにこじれてるっちゅうことなんか。



 そう考えると同行に応じることが一段と難儀なんぎに思えてきて、クランメは何とか断る言い訳をひねり出そうと、緑地のストールに隠れて口元をゆがませた。


 だがこれ以上身元みもと不詳の少女に不満をいだかせることの方が、かえって後々厄介なことになるのではないかと危惧きぐした。



——おおよその猶予ゆうよが把握出来できたからには、不確定要素は極力きょくりょく潰していかなあかん。こいつが何を仕出かすかわからへん以上、手綱たづなを握ってもらえる他人ひとに…やはりピオニー隊長辺りにたくすことが今の最善やろな。


——そうなると、その意味も含めてうちが直接話を通した方がええことになる。でもなぁ…ここですんなりと同調すんのも、口車くちぐるまに乗せられとるみたいでしゃくやなぁ……せや。




 クランメは渋々しぶしぶ了承するような気怠けだるげな態度を作り、頭をきながら返事を寄越よこした。



「しゃあない、出向いたるわ。他の連中が何処どこにおるんかは見当ついとるんやろな。」



 すると目の前の少女は上機嫌そうに微笑ほほえみ、声音を弾ませた。



「ありがとうございます。確かピオニー隊長は例の広場にみんなとどめさせているはずなので、そこへ転移すれば合流出来できるかと…。」



「せやけど本真ほんまにロキシーが助からへんとわかっても、うちを逆恨さかうらみせんといてな。」



「それは…勿論もちろんです。リヴィアさんは何も悪くありませんもの。」



「仮にも自棄やけ起こそうもんなら、君がネリネ嬢の偽者にせもんやってこと告げ口するかもしれへんから覚えといてな。」




 だがり気なく釘を刺された少女は、口元が緩んだまま表情を引きらせた。


 クランメは彼女の手綱たづなを誰かに任せようとしつつも、結局は自分がかげから彼女を制しなければならないと判断していた。

 この世界で彼女以外に『虚栄きょえいの悪魔』の特性を把握している者は自分しかいないと思われたため、立場としての優劣を明確にすることで保険を掛けようとしていた。



「…わかりました。留意しておきます。」



 少女は穏やかな物腰を崩さず応じてみせたが、かすかに震えた声音からは不服がにじんでいるように聞こえた。

 それでも平静をよそおえる交渉の姿勢から、クランメは彼女の正体がメンシスの交易商か何かなのではないかと密かに推測していた。



「ほな、さっさと用事済ませに行こか。」



「あっ…すみません、待ってください。」



 クランメが黒い花々に満ちた広場を思い起こし転移を試みようとした矢先、慌てて少女が呼び止めてきた。


 振り向くと、だ目覚めぬロキシーを再び両腕に抱きかかえた少女がどこか気まずそうに立ちすくんでいた。



「申し上げにくいんですが…どうか私を連れ立って転移をしてくれませんか。」



「どしたん? あの気色の悪い広場のことおぼえてないんか?」



おぼえてないというか…自信がないんです。みんなのように行き先を思いえがけないというか…それでひとり取り残されたらと思うと、不安で…。」



 だがクランメはみなまで釈明されないうちに少女へと歩み寄り、あきれた様子で左肩をつかんだ。その直後、白いもやのようなものが発生して3人をまたたく間に取り巻く『転移』が始まった。


 元より不確定要素を極力きょくりょく排除したかったクランメは、態々わざわざ少女に理由を問い詰める必要性を見出みいださなかった。


 その一方で、少女の正体についてまた1つ生まれた仮説を吟味ぎんみし、いささか気が滅入めいりそうになっていた。



——転移が出来できない言うんはすなわち、生前見覚えのあった場所が存在ないということや。こいつが日常を送ったであろうメンシスは跡形もなく竜巻に蹂躙じゅうりんされたと聞いとったけど、それで本当に転移が出来できひんなら


——それすらも有耶無耶うやむやにしたがるっちゅうことは、出身がメンシスでも他の地方でもないこと自体を隠そうとしとるんやろな。…差し詰め、海に揺蕩たゆたう無法者とでもいったところやろか。



——もしそんならさっきの饒舌じょうぜつな推論も交渉も、『虚栄きょえい』をつのらせて悪魔を宿したんもうなずける。せやけど裏を返せば、暗に刺激させたら本真ほんまに何を仕出しでかすかわからへんってことになる。…まったく、そこまで気を回さなあかんのはやっぱり難儀なんぎやなぁ。





 間もなくして視界が晴れると、クランメを含めた3人は再びソンノム霊園を模した広場に立っていた。

 辺りを見渡すと、ネリネをかたる少女の目の前に広がっていた黒い花畑の区画ではイリアが腰を下ろしており、膝元にはステラが横たわっていた。


 イリアはクランメを含めてようやく誰かがこの場に帰って来てくれたことに安堵あんどする一方で、ネリネの腕の中で今にも肉体が消失しそうになっているロキシーの惨状さんじょう驚愕きょうがくし、何とも形容しがたい複雑な表情を見せていた。


 ステラもまた重たそうなまぶたじ開けて、その様子をしかと捉えているのがわかった。


 クランメはその2人の反応を遠目にうかがうと、早くも想定していた事態は杞憂きゆうだったのではないかと思い始めていた。



——結局ステラがロキシーの毒をらって倒れたってことなんやろうけど、外傷がいしょうもないし思ってたほど重症でもないな。…しくは、ロキシーが瀕死ひんしになって魔力が弱まったんかもしれへん。


——ステラが口をけへん状態なら本末転倒やからえてかへんかったけど、このネリネ嬢の偽者にせもんはそこまで見越してステラの助力を得ようとしとったんやろか。そしたらうちのことは、もしかして仲裁役どころか保険としか見てないってことなんやろか。



 現にイリアもネリネに対し辛辣しんらつな態度で構えているようには見えず、クランメは拍子抜ひょうしぬけしながら立ちすくむ少女へ怪訝けげんな視線を送った。


 だが少女はロキシーを抱えたまま何か言いよどんでいる様子で、さながら叱責を恐れる子供のように委縮していた。

 それもまた演技なのか定かではなかったが、時間が惜しかったクランメは少女の背中を強引に押し出して、気味の悪い沈黙を排除しようとした。


 少女は小突こづかれたことに文句を垂らす余裕もないようだったが、薄れゆくロキシーの力無い面持おももちを見遣みやると、意を決したようにイリアとステラに向かって話し始めた。



「…先程は感情的になり危害を加えてしまい、申し訳ありませんでした。結果としてこのの魔力を浪費させることとなり、瀕死ひんしおちいっています。ですが、青白いつるを操る悪魔の宿主であれば魔力を供給出来できるかもしれないと、リヴィアさんよりうかがいました。」


「理由もなく危害を加えたアヴァリーさんに助力をうなど、烏滸おこがましいことは百も承知です。私につぐなえることがあれば、何でも協力させていただきます。ですからどうか何卒なにとぞ、ロキシーを……!?」



 うつむき加減に丁重ていちょうな謝罪を粛々しゅくしゅくと続けていた少女は、突如とつじょ視界に青白いつるが侵入してロキシーの色褪いろあせた腕に絡み付いてきたので、思わず言葉を失った。


 その根源を辿たどると、ステラが黒い花畑の中で重そうに身体を起こしながら腕を掲げており、その袖元そでもとから伸びるつるが脈打つように青白い光をロキシーへと送っていた。


 イリアはそれが魔力の分配だと察するやいなや、たちま狼狽ろうばいしてステラに尋ねた。



「ステラ、大丈夫なのか!? 身体が弱っているのは貴女あなたも同じなのでは…!?」



「…平気です、イリアさん。私は誰1人として、弱っている人を見過ごすつもりはないんです。それがたとえ、私に危害を加えた相手であっても。」



「そういう話じゃない…無暗矢鱈むやみやたらおのが身をり減らすというのなら、私は看過かんか出来できない! 他人ひとを救うためにみずからの命をなげうつことは、決して正しい行いとは言えないんだぞ!!」



 クランメには、イリアががらにもなく動揺し声音を荒げる姿が意外だった。


 他方のネリネをかたる少女も、面と向かって叱責されるよりたまれないのではないかとその横顔をしばし観察していたが、その胸元ではロキシーの肌色が少しずつ鮮やかさを取り戻しているのがわかった。


 その伝染を更に促進させるように、ステラが力強く言葉にした。



「だから…大丈夫なんです。誰の手も取りこぼさずすくい上げること、それが私の欲望なんです。そのためなら、不思議と力が湧いてくるんです…!!」




 やがて髪の毛先から爪先つまさきに至るまでつややかな色味を取り戻したロキシーは、その質量も回帰したのか抱え上げる少女の腕が限界を迎え、ゆっくりと黒い花畑に下ろされた。


 だが依然として静かに眠っているようで、ネリネをかたる少女は一先ひとま安堵あんどし感謝を述べつつも、落ち着かない様子でその顔を見下みおろろし続けていた。


 一方のステラもまた、症状が幾分いくぶんか軽減されたのかイリアの肩を借りて立ち上がれるようになっており、その要因をクランメとイリアに説明した。



「私の身体をむしばんでいた毒を、ロキシーに分配する魔力に乗せて送り返しました。とはいえ毒は私の魔力と混じっているので、完全に消し去れたわけではないです。でもその分、私の中で新しい魔力が湧き出てきたおかげ大分だいぶ楽にはなりました。私にとっての毒でも、このにとっては栄養と言えるんじゃないでしょうか。」



成程なるほど、結果的には毒された魔力を持ち主にかえすことが最善だったというわけか。だが、何故なぜロキシーは目を覚まさない?」



「魔力が戻っても、肝心の悪徳が機能せえへんことにはどうにもならん。例えるなら、ポットに水は注げたが火がかんくて湯を沸かせへん状態やな。つまり現状は、応急処置をほどこしたようなもんなんや。無理矢理むりやり起こすよりかは、しばらく眠らせたまま活量を抑えとった方がええ。せやけど…この処置を延々と繰り返しても、その都度つどステラに負担をかけるだけやろな。」



 クランメが懸念けねんを述べながらステラを見遣みやったが、ステラは気丈きじょうそうに振る舞って見せた。



「大丈夫ですって。このが元気を取り戻すまで、私はいくらでも魔力を供給し続けますから。」



「……。」



 まるで根性論をかざすような物言ものいいいにクランメは密かに辟易へきえきしたが、現状はステラの芯の強さでロキシーが救われていることは認めざるを得なかった。



——今は良くても、裏を返せば本真ほんまに誰かが助からへん事態になったとき…ステラの欲望のうつわが少しでも欠けたとき、一転しておのが身すら維持出来できひん有様ありさまおちいる可能性もあるってことやろな。


——うちらは恐らく自覚しとる以上に、もろくて不安定な状態なんかもしれへん。それを踏まえたうえで、約30時間という猶予ゆうよ素直すなおに打ち明けても大丈夫なんやろか……?

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