第14話 打開への道筋

 独白されるラ・クリマス大陸の壮大そうだいな真相は、リリアンにとっては咀嚼そしゃく出来できるどころか口にするのもはばかられるような奇妙で禍々まがまがしいものであった。


 クランメが戯言たわごとや偏見を並べ立てているとは思えなかったが、自分の立っている場所が一瞬にして塗り替えられたような錯覚に襲われて、事実と受け入れる精神的な余裕が間に合っていなかった。


 

 だがあの金色のちりのようなものが魔素まそだと言うのであれば、確かに生前に見覚えがあったような気がした。

 悪魔を宿し、襲撃に対し反射的に魔力を暴発させた際、月光にきらめいていた砂煙はまさしく可視化された魔素まそであったのだと思い返した。


 そして今この無機質な世界で降りしきっているものもまた大小様々な魔素まそかたまりであり、無意識にこの身体が吸収し続けていることをさとった。

 そんななかようやく浮上してきた幾つかの疑問を、リリアンは恐る恐るクランメに尋ねた。



「この場所は…生前の世界のラ・クリム湧水湖ゆうすいこと同じなの?」



「そう捉えてええやろな。ただ次元が違うっちゅうか…うちらはだけなんやと思う。魔力の残滓ざんしという名の亡霊になって、一部の感覚を変質させたり喪失したりして彷徨さまよっとるようなもんなんやろ。生きたい場所に『転移』が出来できるんもそないな要因やろな。逆にが、わかやすく見えているとも言えるけどな。」



「…どうして私達は、そんな亡霊みたいになったの?」



「それはわからへんな。ただ、悪魔の疑似的な『封印』方法が過冷却の応用やったからな。本真ほんまにうちらのたましいと悪魔とを一緒くたに保存出来できとったんかもしれへん。」



「じゃあ、ドランジアは生きてるの? 湖の底で酸素補給もなく生きながらえてるというの? …そもそもラ・クリム湧水湖ゆうすいこの水深は200mあると言われているわ。その湖底に身をひそめているなら、まず肉体が水圧に耐えられないんじゃないの?」



 リリアンはクランメの『亡霊』という表現に理解を示しつつも、この身体が生前と同じような重さを持ち、重力や物理法則の影響を受けていることを認めていた。

 すなわち大気が存在しその影響下にある以上、水中では当然に呼吸が出来できず、深くもぐれば水圧が掛かるという苦痛は避けられないのではないかと想定していた。


 そもそもこの物質に干渉できない肉体で泳ぐことが出来できるのか、浮力を生み出せるのかも定かでなく、海賊団として外洋で大半の日々を過ごした経験をもってしてもこの黒く染まった液体に浸かることを忌避きひしていた。


 これに対しクランメは低い声音で、どこか虫が好かないといった様子で答えた。



「奴が今どないな状態なんかは、実際に対面せんことにはなんとも言えへん。せやけど1つ確かなんは、奴が圧力を操作出来できるっちゅうことやな。それが奴の隠し持っていた魔力…この世のことわりに干渉するわざの正体なんやとにらんどる。」



 また1つ明かされた真相を前に、リリアンは呆然ぼうぜんとするしかなかった。


 目覚めた広場で口論していた際は曖昧あいまいだったはずの結論にクランメがあっさりと到達していたうえ、聞いた限りでは数々のおぞましい力を宿しているという先入観があったためか、端的にまとめられたことが拍子抜ひょうしぬけであった。



「なんだか思ったより地味な能力だったのね。」



「そら厄災と比べたら派手さなんてあらへんよ。せやけど奴はうちよりも長い時間その魔力を鍛錬させとった分、色んな応用を身に付けとったはずや。魔力を圧縮させる、氷結を解く…それだけやない、奴は真空を生成することが出来できるはずなんや。」



「…真空? 空気を消せるってこと?」



「真空言うんは大気圧より圧力が低い…空気より物質が少ない空間を指すんやで。それを生み出せるなら他にも奴が仕出かした色んな現象に説明がつくんや。電撃をき消したり、雷鳴から聴覚を保護したり、酸欠状態をもたらしたり…あとは、リンゴの鮮度を維持したりすることもな。」



 クランメは最後に列挙した現象を、たしなめるような口振りで言い聞かせてきた。


 リリアンは広場で不服をき散らす言い草にしていた疑念がすっかり解明されたことで、かえって歯痒はがゆく気恥ずかしい思いにさいなまれた。

 その様子を傍目はためで見たクランメはかすかに鼻で笑ったのち、再び語り始めた。



「うちら7人分の膨大な魔力を総獲りしたドランジアが尋常じんじょうやない水圧に耐えられるからを手に入れたんか、生身を捨ててうちらのように魔力のみで生き永らえる無尽蔵を手に入れたんか…もしかしたらその両方を成立させたんかもしれへん。そないな構造の維持には途方もない量の魔素まそを断続的に供給せなあかんはずやけど、奴はその奔流ほんりゅういざなうだけの技量を備えとるし、そのための最適な場所に鎮座ちんざしとる。」


「奴はこのまま望み通り魔素まその独占機構を完成させて、自力で人知れず半永久的に、悪魔の厄災からこの世界を護り続けるんやろな…傲慢ごうまんな奴め。はなからそのつもりやったんなら、本真ほんまに奴を称賛する氷像でも死ぬ前に建てとくべきやったわ。」




 最後には皮肉が込められ、にくたらしげに推論が締めくくられた。


 ルーシー・ドランジアがみずから絶大な魔力を必要とする存在に成り果て、その持続のために絶えず降りそそがれる魔素まそを漏れなく吸収する必然的な仕組みを構築し、結果としてラ・クリマスの悪魔を無力化するという究極的な自己犠牲に対し、リリアンは何ら総評すべき言葉を見出みいだせなかった。


 死んだ身である以上、再び見ることのない世界の安寧あんねいなど自分にとっては何の価値もなく、してや何も直接的な因縁のないラ・クリマスの首相が偉業を成そうが不名誉をのこそうが大した関心はなかった。


 ただ、クランメの推論に付随した懸念けねん事項が只管ひたすらに気掛かりだった。



「ドランジアは今まさしくその…魔素まその独占ってのを進めてる最中なのよね? もしそれが完了したら、私達は魔素まそを得られず消滅してしまうってことなの?」



「せやな、生身の人で言う酸素を奪われるようなもんやろうからな。」



「…そんなむご最期さいごを押し付けられるなんて冗談じゃないわ! どうにかドランジアを止めることは出来できないの!? ……あっ嘘…これって…!?」



 そのときリリアンは自分の発した言葉が、脳内にずっと反響し続けていた不気味なささやき声と重なったことに気付くと、目をみはって思わず両手で口元をおおった。


 その驚きを隠す反応を耳にしたクランメは、改めて断言した。



「君もはっきりしたやろ。うちらと一体化しとる悪魔の生存本能が各々おのおのたましいを叩き起こして、悪魔が力をふるえる世界の存続を命じようとしてるんや。あるいはドランジアの口伝くでんを引用するなら、厄災の廃絶を拒んだ創世の神がうちらに余命を与えてつかわしてるようなもんなんかもしれへん。」


「せやけどこの世界は奴が言うたような無間むけんの牢獄なんかやあらへん。確実に時間は経過しとる。まずはドランジアと対峙たいじするところから始めなあかん。せやからそのための道筋を、うちは今の今まで地道にこしらえてたんや。」




 リリアンがクランメの視線を辿たどり、凍結した湖畔こはんに空いた穴が独断専行で推し進められていた真の目的であることを理解した。

 少しその氷穴ひょうけつのぞくと、不思議と水が抜かれた空洞はあかりが灯ったようにしらんでいた。


 だがクランメの表情には余裕が感じられないことから、その通路が未完成であることを察した。そもそも大陸でも有数の面積を誇るこのラ・クリム湧水湖ゆうすいこで、態々わざわざほとりから中心部分へ向かうように氷穴ひょうけつを作り上げていくことは非効率的であるように思えた。



氷穴ひょうけつを作るならこんなはしっこからじゃなくて、湖の中心まで足場を作ってから真下に伸ばせばいいんじゃないの?」



「そうしたいのは山々なんやけどな…あの中心に渦巻うずま魔素まそ奔流ほんりゅうには近づかん方がええ。密度が濃すぎて今のうちらにはかえって毒になるわ。下手にさえぎるとドランジアが反撃してくるのかもしれへん。時間がかかっても安全で確実な方法をるべきなんや。」



「時間って…どれくらいかかるのよ。」



「それがわからへんから、油売ってる暇ないっちゅう話やねん。…長話になって悪かったけどな、むしろこのことも含めてピオニー隊長に伝えてくれたら有難ありがたいんやわ。」



 そうして愈々いよいよ会話を打ち切ったクランメが作業に戻ろうと体勢を変えたので、リリアンはあきれ返って内心悪態をついた。


 その長話を他人ひと口伝くでんさせること自体が無謀だと不満を抱えるとともに、大義名分をこじつけて当然のように自分を優先させる態度が不快だった。



——こっちはそのピオニー隊長と顔を合わせるのが気まずいって話をしてたのに…他人ひとの問題を平然と過小評価しやがって。



 その一方で、クランメを同行に応じさせるという交渉に最適な手札を用意出来できない現状を認めざるを得ず、リリアンは必死にその一枚を生み出そうと思案に暮れていた。

 クランメは時間を気にして手を離せないようだったが、時計もなく空に何一つ動くものがない以上、時間を推し量ること自体が困難であった。


 やはり氷穴ひょうけつをより湖の中心付近で作るよう促した方がいい気がして、そびえ立つ金色のうずをぼんやりとながめた。



 だがそのとき、不図ふとリリアンは同じ金色のよどみを見たことを思い出し、無意識に開いた口から答えがこぼれた。



「…たぶん、あと30時間くらいだ。」



「何やて!?」



 リリアンがおおよその数字をつぶやいたことに、流石さすがのクランメも虚を突かれて上擦うわずった声を放った。



「ついさっきソリス港の大型船から水平線をながめてたの…気味が悪いくらい金色に輝いてたから。確か海面から10メートルくらいの高さからのながめだったんだけど、その割には水平線までの距離が短い気がした。…いいえ、むしろ距離がせばまっているような気がしたわ。」



「水平線が金色て…それは恐らく、壊月彗星かいげつすいせいから降り注ぐ魔素まそが届く境界線や。ドランジアが魔素まそを吸い寄せる奔流ほんりゅうを強めたから、そもそもの行き届く範囲がせばまってるんや。」



 予想以上にクランメが興奮気味に食い付いてきたので、リリアンは反射的に数歩後退あとった。


 だがクランメから聞いた一連の情報を勘案すると、にじり寄る水平線にいだいた違和感と危機感は間違いでなかったことが明瞭となり、クランメをき付けるために若き海賊団首領として持てる知識と経験を総動員していた。


 とはいえ10メートルという高さが、ヴァニタス海賊団の船舶とほとんど同じだったという根拠は決して口にするわけにはいかなかった。



「まるで人が走ってくるような速度だった。ラ・クリマス大陸の横の長さは大体1,800kmくらいだったはず。もし水平線が…魔素まその境界線が等速で大陸の中心であるこのセントラムに収束するのなら、猶予ゆうよおよそ30時間と考えるべきね。」



「30時間…1日少々っちゅうわけか。」



 リリアンにはその猶予ゆうよがクランメにとって、長いのか短いのか一見察しはつかなかった。それでもこれがだ終わらぬ交渉であることを忘れないよう、咳払せきばらいを挟むと改まって打診した。



「そう、あるんです。それなら私の為に多少の時間を割くことくらいやぶさかではないと思いませんか? 私とロキシーを助けるついでにみなへ現況と目的を周知させる…それでようやく、みなの足並みが本当にそろいます。それこそ私達が、残された時間を効率的に使うための最善だと思いませんか?」

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