第13話 本懐と覚悟

 リリアンが恐れていた予測を、クランメがわかやすく裏付けていた。


 ロキシーが倒れた原因は、この世界で目覚めてからみずからの悪徳にかかる欲求を一切満たす余地がなかったにもかかわらず、貴重な魔力をそそのかされるままに攻撃へと充当していたことであると結論付けられた。


 一方のクランメはリリアンの愕然がくぜんとした反応をうかがいつつも、補足するように語り続けた。



「悪徳が弱まればうちらに顕現しとる悪魔も衰退する。悪魔が弱まれば魔素まそを魔力に変換出来できひんようになり、魔力と同化しているおのが身は滅びの一途いっと辿たどる。その摂理は、元々生きとった世界でも同じこと。」


「裏を返せば、このむなしい世界でうちらもおのれ渇望かつぼうを満たせなくなれば、いつ消滅しても可笑おかしないっちゅうことなんや。まぁとはいえもう一度死んだ身なんやし、この夢みたいな光景がいつ終わろうとも誰にも文句は言われへんけどな。」



 そうしてクランメは無情な締めくくり方をすると、白衣をひるがえして湖のふち氷穴ひょうけつに向き直ろうとしたので、リリアンはかさず言い放った。



「なんで貴女あなたはそんなにあっさり割り切れるのよ。未練とか後悔とか、何も残ってないわけ?」



「せやな…うちは長いこと悪魔を宿しすぎたし、死ぬまでに色んな清算を済ませてしもたからな。あわよくば生き延びたいと足掻あがいたのは確かやけど、悪魔を引きがせへん以上はどの道満足には生きられへん。そうして無意識に納得してしまったんやろな。」



「…納得した? 諦めたの間違いでしょ。」



 リリアンは冷たく吐き捨てると、ロキシーを抱えたままきびすを返した。


 クランメがラ・クリマスの悪魔について知識があったことは確かだったが、消極的な態度からそれ以上の協力を得られるとは思えず、ごねるのも時間の無駄であるように思えていた。そして再び風を起こし、そらへ舞い上がろうとした。



——この眼鏡女の指摘の通りなら、あたしもネリネという貴族令嬢の姿をかたりたいと思わなければ…つまりかたりたい相手がいなければ、自分の存在意義を見出みいだせず消滅することになる。


——そんなのは嫌だ。この人とは違ってあたしは、何も諦めきれず道半みちなかばで死んだ。なんとかして悪徳に頼らず魔力を供給する方法を探さないといけない。この人にその気がないのなら、あたしが出来できる限りを振りしぼって……!



「早まったらあかんよお嬢さん。…いや、と言うべきやろなぁ。」



 不意にクランメが投げかけてきたつぶやきに、リリアンの背筋は氷結につかまれたように引きった。

 イリアだけでなくクランメまでもがおのれ素性すじょういぶかしむ発言をしたので、静かに着地して振り返り、空色の視線でにらみをかせた。


 だがクランメは平然とした様子で地面に座り込み、なだめるように言葉を付け足した。



「そう怖い顔せんでも、君の本性まで探る気ぃはない。風を巻き起こすんは『虚栄きょえいの悪魔』…その宿主は魔力を身にまとって羨望せんぼうや美化の対象に成り済まし、邪魔者を魔力で引き起こした風で拒絶する。その伝承にのっとってかまかけただけや。まぁロキシーの身体からだが消えても君が着せた服が消えないんは、少なくともそういう原理ってことやんな。」



 一方のリリアンは不覚にも揶揄からかわれながら呼び止められたことを察すると、愈々いよいよ苛立いらだちがつのって来ていた。



「…何それ? 出来できの良い送り言葉を作ったつもり?」



「送り言葉って…君、その抱えたままどこ行くつもりやねん。」



「決まってるでしょ。魔力を補う方法を探しに行くの。」



「うちがしゃべったこと何も聞いてへんかったんか。宛もなく探し回って君まで魔力枯らしたら本末転倒やろ。」



「…じゃあどうしろって言うのよ!? このままじっとしていたって何も変わらないでしょ!?」



「魔力を補う方法なら、1つだけある。」



 そこでクランメがはっきりと主張したので、まくし立てていたリリアンはどもるように押し黙った。



「まぁ、あくまで可能性の話やし、それこそ代償がともなうかもしれへんけどな。」



「何よ、そこまで匂わすなら勿体もったいぶらないで言って頂戴ちょうだい。」



「…ラ・クリマスの悪魔のなかには、魔力をともなって生命活力を分配出来できる奴がおるはずや。『強欲の悪魔』…それを宿した奴の協力を得られれば、魔力をロキシーに分け与えてもらえるかもしれへん。その『青白いつるを生み出す厄災』は、確かグリセーオで起きてたはずやから…。」



「……それって…!?」




 クランメがみなまで言い終わる前に、リリアンは『青白いつる』に見覚えがあったことを思い返して息を呑んでいた。

 

 そして提示された唯一の手札が意図せず破棄してしまったものであることを察し、応報する因果に思わず背筋が震えた。



——『その青白いつる』って、イリア・ピオニーと一緒にいたステラって女がまとっていたものなんじゃないの? でもその人はこのの手に掛かって…恐らくそのの毒におかされて、卒倒したように見えた。


——仮にその人が無事だったとしても、危害を加えたこのに力を貸してくれるとは思えない。してや攻撃をそそのかしたあたしの要請など、聞き入れてもらえるはずがない。


——いや、その答えを聞くまでもなく、あの人を保護しているであろうイリア・ピオニーの顰蹙ひんしゅくを買って追い返される展開が目に見えている。今更顔向けなんて出来できない。もう取り返しがつかない……。




「どないしたん? 人が折角せっかく親切に教えてあげたっちゅうに、何がそんな不満なん?」



 リリアンはクランメの指摘でようや悄然しょうぜんとしていたことに気付いたが、それに対して取り繕う言葉も思い浮かばなければ、これまでの事実関係を釈明する勇気も湧かなかった。


 だがクランメはその沈黙に露骨にあきれた様子で溜息をこぼした。



「…しょうもな。内輪揉うちわもめして何の意味があんねん。」



「…!? なんで、そのことを…!?」



「君はうちがステラ・アヴァリーの名を出すよりも早く表情を曇らせとったやろ。青白いつるを実際に見たっちゅうのはつまり、ステラが態々わざわざ力を使わなあかん局面があったということや。そこに後ろめたい理由があるから、君がそないなしおれた顔になってるんとちゃうの。」



 取り繕う余裕もなく、リリアンはその一瞬の反応のみをもってクランメにおおよその背景を看破されてしまっていた。


 そして実際に言葉にされなくとも、ロキシーをつかわせてステラに毒を盛ったことで相打あいうちのような状況におちいっているという事実を見透かされ、非難されているような気がした。


 結果としてクランメからの今後一切の助力を断絶され、むなしく色褪いろあせていくロキシーと共に真の孤立が完成するのだろうと思い知らされた。



——本当にこのを助けるすべがないのなら…あたしは自業自得を噛み締めながらみじめに消滅を待つだけになってしまう。唯一すがれる宛であるステラ・アヴァリーの容態が、その後どうなったのかはわかるはずもない。



——でも、このの魔力が弱まっているのなら…あの人をおかす毒も弱まっているということに成り得ないのだろうか。


——とはいえ確かめようにも、あたしひとりで出向けばきっとイリア・ピオニーと衝突してしまう。緩衝かんしょう役、いや仲介役がる。…そのためには、やはりこの眼鏡女に協力してもらうしかない…!



 腹を決めたリリアンは、それまでずっと両腕に抱えていたロキシーを黒ずんだ地面の上にそっとおろした。

 そして改めて立ち上がってクランメに向き直ると、深々とこうべを垂れて静かに懇願こんがんした。



「…お願いがあります、リヴィアさん。私とステラ・アヴァリーの間柄あいだがらを取り成してもらえないでしょうか。…それだけではなく、ピオニー隊長へ一連の諸事情を説明するためにも、お手数ですがご同行をお願いしたいのです。」




 少女のそれまでの横柄おうへいな態度から一転した丁重ていちょうな物言いに、クランメはどこか感心したように目を丸くした。


 だが素直すなおに応じようとはせず、ぐにまゆひそめてけむたくあしらおうとした。



「具体的に何があったんかは知らんけど、そんだけ腰を低く下げられんやったらうちが出向くまでもないやろ。ピオニー隊長も、あくまでうちがしゃべったていで伝えればそれで納得してくれるはずや。…うちはそんなして油売ってる暇ないねん。」



「ほんの少しだけご同行いただくだけで構いません。その後、私に出来できることであれば何でもお手伝いさせていただきます。」



「何でもって…なんも知らんくせに適当なことを…。」



 だがそれでもリリアンは頭を上げることなく、クランメに食い下がろうとしていた。


 視線は目下もっかに横たわるロキシーを生々しく捉えており、彼女を救うため、そして最期さいご、意を決してむなしく抱えていた自尊心を切り崩していた。


 それはみずからを構成する『虚栄きょえい』をないがしろにする行為でもあり、こうべを垂れていることもあいまってか徐々に立ちくらみをもよおし始めていた。その変化にあらがうように、内心では愚痴ぐちこぼし続けていた。



——大体、独断先行したのは眼鏡女の方じゃない。何で動機の曖昧あいまいなあたしの行動はとがめられて、目的を明かさないあんたの行動は許されてるのか理解出来できないわ。


——あたしが言えた口じゃないけど、あんたもやましいことがないならみんなと目的を共有するべきなんじゃないの?




 そうしてわずかな間があったのち、クランメは再び肩をすくめて観念した様子を見せた。

 そして黒い湖面に逆巻さかまく金色の渦をながめながら、淡々と言い聞かせ始めた。



「うちはあの広場で聞いた情報から、ドランジアの持つ魔力の正体に大方の仮説を立てた。そして『厄災の無い世界を実現させる』っちゅう本懐ほんかいげるために、奴自身の魔力がどう機能するのかを考えてこの場所へ…ラ・クリム湧水湖ゆうすいこへ転移した。」


「ドランジアが持つ悪魔や魔力に関する知識は底知れへんもんがあったけど、地理的・地質的な見識ならうちかて同じぐらい積み上げてんねん。奴の居場所はぐにわかった。…この湖の中心の最深部、奴はそこで魔素まそを吸収し続けとる。」



 そのにわかに信じがたい事実を聞いて、リリアンは思わず頭を上げて湖上を振り向いた。


 金色のちりが何か意思を持つように渦巻うずまき吸い込まれる先——黒い水中になお糸を引くような柱の先に、何か球体の粒のようなものが見えたような気がした。



「…どうしてあそこにドランジアがいるってわかるの?」



 懇願こんがんを忘れて唖然あぜんとした口振りでリリアンは問いかけていたが、クランメは構うことなく語り続けた。



「魔力のもとである魔素まそは、壊月彗星かいげつすいせいから絶えず降り注がれとる。せやけど魔力が具現化した厄災は、歴史上このラ・クリマスの地でしか起きてへん。その理由を生前長らく考えとったんやけど、自分が悪魔を宿してようやく気付いたんや。…千年前にちた巨大な隕石が、このセントラム盆地の地中深くに埋まっとることにな。」


「そして降り注いだ魔素まそはその巨大隕石に吸い寄せられ、結果としてこの大陸だけが魔素まそおおわれた構造になっとるんや。その構造は、奇跡的な超常現象でも起きひん限りは未来永劫えいごう変わらん。その間厄災の無い世界がこの地で実現することはない。ドランジアもかなり前からそれに気付いてたはずやと思う。」


「せやから奴は本懐ほんかいを遂げるため、『魔力のはこ』になったんや。…魔素まそが最も集約される地点で魔素まそすべからく独占し続けることで、この地に宿る悪魔に一切の力を与えんようにな。」

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