第12話 代償

——何これ…このの姿が、消えかかってる……!?



 譲渡した桃色地のドレスに何ら変化はなく、ただロキシーの腕や脚に至るまでの地肌が、蒼白そうはくを通り越し色褪いろあせ始めていた。肌どころか長い藍色の髪も、透明なかぼそい束へと収縮しているように見えた。


 リリアンが声を掛けても返事はなく、眠っているのか気絶しているのかも判別がつかなかった。わかっていたことといえば、その不可解な現象を前にして彼女を抱きかかえる腕が緊張で震え始めていたことだけであった。



——どうして? あたしを連れて『転移』をしたから? でもあの軍隊長も他人ひとを連れて移動しているようだったし、代償をともなわざだとは思えない。それとも…他人ひとを攻撃させたことが原因だとでもいうの?



 リリアンはロキシーが宿す悪魔の力について把握しておらず、特段問いただすつもりもなかった。


 目的がわかっていればそのために力をふるうだろうと淡泊に期待していたのみで、実際遠巻きでも目に見えた現象が何もないままにステラを昏倒こんとうさせており、結果的にその力の詳細はわからず仕舞じまいになっていた。


 そうして思案する間も、少しずつロキシーの肉体が透明になっていくような気がした。その現象が連想させて、リリアンは無いはずの心臓が早鐘はやがねを打つような錯覚におちいっていた。



——どうする? どうすればいい? このは死ぬの? この消え行く身体は、本当の死の訪れを意味するの……?




 だがその一方で、リリアンは自分がこれほどひど狼狽ろうばいしていることに疑問をいだいた。



——いや、そもそもこのが死ぬから何だっていうの。あたしがドレスをあげたとはいえ、このの方が勝手に着いてきたんじゃない。別に生前のよしみがあったわけでもないし、助けてあげる義理なんて何も……。



 何も無い、と思いたかった。ただ貴族令嬢をかたる身として、使用人の続きに勤しみたいロキシーに付き合っていただけであり、都合よく利用したいという考えもその上面うわつらの主従関係にのっとったことが発端ほったんなのだとみずからに言い聞かせていた。


 仮にロキシーが目の前で消滅したとしても、目覚めたときに居た広場を退出したときのように、気儘きままにこの世界を彷徨さまよう『ひとり』に戻るだけであり、そこに何も不満や後ろめたい気持ちはないはずだった。



——それなのに、何故なぜかあたしは恐れている。…このを失うことを。




 リリアンの脳裏のうりには、イリアにみずからの正体を追及されていたときの情景が映し出されていた。まさか箱入りだったネリネと面識があったとは思わず、高飛車たかびしゃな言動があだとなっていた。


 結果的には悪魔の力を解放しつつ強引な理屈を押し付けてやり過ごしたものの、そのまま追及されけの皮ががされようものなら、それこそ自分にとってのを招いてしまうかのような明確な忌避感きひかんがあった。



 それでも自我を保っていられたのは、ロキシーがイリアの追及をかたわらで聞いてもなお盲目もうもく的に自分を「ネリネ嬢」として扱い、指示に応じ、こうして距離をとる手助けをしてくれた所以ゆえんであった。


 仮にロキシーを失い、イリアが他の者達と疑惑を共有させた場合、「ネリネ嬢」をかたれなくなった自分は今度こそ消滅してしまうのではないかと懸念けねんした。



——このにはあたしが本当の死を迎えるまで、。…なんとかして回復させる方法を見つけないと。



 そう決心したリリアンは、ロキシーを両腕に抱えたまま立ち上がると、生み出した風に乗って割れた窓の外へと浮遊した。目の前には白い樹木が立ち並んでいたので、そのまま舞い上がって邸宅の屋根へと着地した。


 自分より上背うわぜいもあり肉付きも良いロキシーの身体は思ったよりも軽く、それが消滅への確かな過程なのかと思うと、かえって自分の動かす身体が重苦しいように感ぜられていた。

 だがその違和感は、屋根の上から見えた奇妙な光景によってき消された。




 セントラム盆地を模した擂鉢すりばち状の地形の中心には黒一面の湖があり、真白ましろの空から降り注ぐ金色のちりがその中心へ向かって吸い込まれ、さなが黄金おうごんの柱を作り上げていた。


 それまで深々しんしんと舞っていたはずのちりが束になって誘引される先——湖の底に何か得体えたいの知れない何かがひそんでいるのではないかと思わされ、リリアンには途方とほうもなくおぞましく感じられた。



 だが良く目をらすと、その黒い湖の一端が白でも黒でもない、やや青みがかった透明色に侵食されつつあることに気付いた。その不自然な色合いには、確かな見覚えがあった。



——あれは…氷? あのクランメ・リヴィアとかいう眼鏡女が生み出したものと同じなんじゃないの?


——ということは…あの女はここに転移して、ずっとひとりあそこで何かやってるってこと…?



 その推測とともに、リリアンは再び舞い上がって湖の一端へと向かい始めていた。

 ロキシーを抱えていながらでは迅速じんそくな移動は出来できなかったが、そのままならない時間をクランメと相対あいたいするための心の準備にてていた。


 一度って掛かったような相手におめおめと助けをうことは通常であればはばかられたが、いまはロキシーを回復させるすべを模索してわらにもすがる思いだった。



『リヴィア女史じょしはアーレアの職員であるとともに、グラティア学術院を卒業された研究員でもある。…そしてラ・クリマスの悪魔や厄災に関して、我々の中でも特に精通しておられる。』



 リリアンはしくもイリアが語った人物像を思い起こし、同じ悪魔を宿した身であるロキシーに何が起きたのか見解を求めようとしていた。

 だが語られた以上の為人ひととなりは一切知らず、本当にロキシーを救える確証もなければ、そもそも手を貸してくれるかどうかも見定められなかった。


 真っ先にあの広場から離脱した彼女に、真面まともに取り合える余地は期待できなかった。

 何の交渉材料もなく一方的に要求を押し通すなど、生前の海賊団の身であれば卑下ひげされて当然の愚行ぐこうであった。



——それでも、形振なりふりなんて構ってられない。可能な限り情報を引き出してやる。そのためにあたしが差し出せるものを、考えるんだ…!





 黒く塗られた湖のほとりに接近するに連れて、確かに湖面の氷結が少しずつ広がりを見せていることがわかった。

 そのふちでは白い研究衣を羽織はおった眼鏡の女性がうずくまり、凍結した湖面に開いた人が1人入れるくらいのあなのぞき込んでいた。


 リリアンがその近くに着地し、それと同時に吹き降ろした風が彼女の象牙色ぞうげいろの髪をはためかせても、まったくく姿勢を変えることなく何かの観察に没頭していた。


 あからさまに無視されていることをいぶかしんだリリアンは、口調に気を付けようと意識しつつも口をとがらせて話し掛けていた。



「…確か、クランメ・リヴィアとか言ったわよね。ひとりあの場を抜け出して、こんなところで何をしてるわけ?」



 その問いかけにクランメはわずかに顔を動かし、横目で状況の把握を試みようとしていたが、リリアンにはその応対が露骨に気怠けだるげに見えた。


 そして視線を合わせぬまま身を起こすと、溜息混じりにつぶやいた。相変わらず口元は首に巻かれた緑地のストールでよく見えなかった。



「まさか最初にうちを訪ねて来るんが、ピオニー隊長ではなくきみだったとはなぁ。」



「…馬鹿にしてるの? 研究員なら質問には答えなさいよ。何の専門かは知らないけど。」



「いや、きみが本当に知りたいうんは別にあるんとちゃうの。」



 リリアンは飄々ひょうひょうけむに巻くような言い回しが鼻に付いたが、腕の中でだ眠ったように身動みじろぎせずそのつややかな身体を薄れさせていくロキシーを放置するわけにもいかず、ただちに本題に入ることにした。


 少なくともクランメがささやかでもロキシーを気に掛けてくれたことを察し、少しだけ安堵あんどしていた。



「さっきこのが私を連れてこの街へ移動…『転移』ってやつをしてくれたんだけど、その直後に倒れて…姿が消えかかってるの。心なしか体重も軽くなってるような気がするし……貴女あなたにはこれがどういう状況なのか、心当たりがあれば教えて頂戴ちょうだい。」



 貴族令嬢の姿をかたりながら精一杯の要請をしたつもりだったが、当のクランメは特段ロキシーを調べようと動かず、端的たんてきに問い返してきた。



「そのは悪魔の力を使ったんか。」



 是非ぜひを答えることは簡単だったものの、リリアンは思わず口をつぐんでいた。


 あたか内輪揉うちわもめのようないさかいで力を使ったことなど、してや自分がそれを教唆きょうさしたことを掘り返えされでもすれば、たちま軽蔑けいべつと共に門前払もんぜんばらいをされてしまうのではないかと危惧きぐした。


 だがクランメがイリアと知人である以上、虚実を積み重ねても暴かれるのは時間の問題であると考え直し、素直すなおに白状するしかなかった。



「……私が悪いの。このがどんな力を持っているかも知らずに、下手したてに出ているのを良いことに促してしまったのだから。それをつぐなうために、私はこのをなんとかして回復させる方法を探しているの。」



 そのしおらしさをかぶった態度を、クランメはまじまじと観察しているようだった。

 高飛車たかびしゃな言動とは裏腹な釈明は、下手へた誤魔化ごまかすよりも効果的だったのではないかとリリアンは内心手応てごたえを感じていた。



「そのは確かセントラムの領主貴族の使用人うてたな。そうなると…気の毒やけど、望みうすかもな。」




 だがクランメの答えは期待に反してないものであり、リリアンは反射的にみ付いていた。



「何よそれ!? ちゃんと説明しなさいよ!!」



 当のクランメはその声音をやかましそうに受け流すと、黒一面の湖の中心に逆巻さかまく金色の渦を見つめながら話し始めた。



「生前悪魔を宿したうちらは、その時点で肉体と魔力が融合してもうてんや。そして疑似的に『封印』され濃縮された魔力をドランジアが手中しゅちゅうに収めた。それでも生前と地続きになっとるような意識を持つうちらは、例えるなら魔力の残りかすみたいな状態なんやと推測しとる。」


「そして魔力を構成する要素は3つある…『魔素まそ』、『悪魔』、『悪徳』。そのいずれが欠けても厄災の根源となる魔力は成立せえへんのや。まぁその点ドランジアは例外というか、謎めいた奴やねんけどな。」



「それはさておき…ロキシーとかうたか。そのはセントラムで『魔性病ましょうびょう』っちゅう伝染病を引き起こしたんや。その正体は『淫蕩いんとうの悪魔』…簡単に言えば、情欲にとらわれる呪いみたいなもんやな。特定の誰かを愛するために毒を盛り、それ以外の誰かを排除する毒を振りく…そういうえげつない厄災なんやで。」



 リリアンはクランメの語りを聞きながら、陰鬱いんうつそうなロキシーがそのような悪徳におぼれていたことが心底意外で驚愕きょうがくしていた。

 

 だが当初の裸同然の身形みなりや数々の言動を勘案すると、その秘めたる欲望が垣間見かいまみえるような気がした。

 その一方で、クランメが述べる前提を踏まえると、はからずも望みうすされた根拠におおよそ察しが付いてしまっていた。



「せやけどロキシーにとっての愛する異性どころか、そもそもこの世界では男すら見当たらん。悪徳は言うなれば渇望や。それをたもてんことには魔力は存続出来できひん。魔力の残りかす同然になったうちらの中でロキシーだけが消えかかっとるんは…そないな理由やろな。」

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