第11話 痛み分け

 イリアはしばしもどかしさをにじませながら思案に暮れていたが、ステラを出来できるる限り安静にさせる必要性も加味し、一度ソンノム霊園を模した広場に転移することにした。


 その決断には別行動をさせていたピナスの状況も把握したい狙いもあった。イリアはステラを抱きかかえたまま例の広場を脳裏のうりに思い描くと、かがんだ姿勢のまま視界がもやに包まれた。



 だがもやが晴れ、最早もはや見慣れた霊園の広場には依然として他の誰の姿もないままであった。


 イリアはその沈黙をやややつれた眼差まなざしで見渡しながらも、最初から大して期待値が高くなかったことを思い出すと、黒い花畑にゆっくりとステラを降ろして横たわらせた。

 その辺の地面も花壇も質感は大差ないような気がしたが、いまだ判然としない世界で体調を狂わされたステラをひとり残すわけにもいかなかった。


 イリアもまた打ちしおれるように花畑に腰を下ろして、みなの合流地点であるこの広場でステラの容態を観察し続ける他なかった。



——いな、合流地点などと考えているのは…私だけなのかもしれないな。明確な目的もなくみなで足並みをそろえるべきだなどという主張は、初めから無理があった。


——そんな言い草で従ってもらえるのは、それなりの関係性を築いた部下だけだ。ここで目覚めた者たちはみな、そもそも軍人ですらない。



『誰も貴様の部下ではないし、軍隊長としての貴様はすでに死んでいるからだ。』



 ピナスに吐き捨てられたとげのある台詞せりふを、今となっては遠い過去の出来事できごとのようにイリアは思い起こしていた。



——そもそもピナス・ベルを最終的に説得させたのはステラだ。ステラのどの言葉が妥協の契機となったのかはわからないが、私自身の言葉で協力を取り付けられなかったことは事実だ。


——してやネリネとロキシーに至っては未成年だろうし、ドランジア議長との接点も因縁も希薄きはくであるならば、あの少女の反論通り無理に付き合わせること自体が野暮やぼなことだったのかもしれない。



 ネリネと名乗る少女の正体は最後まで底知れず、彼女にロキシーが肩入れしている理由も釈然としなかった。

 ネリネが衣服を貸与して主従関係を結ばせているのかもしれないと推測したが、その上で彼女が何を目的に行動しているのかすら聞き出すには至らなかった。



——それだけではない。リヴィア女史じょしとも協調しているように言い触らしてきたが、そのじつ何も共有しているものはない。生前受領した偽物とおぼしき告発文によって、あたかも彼女と意思疎通いしそつうを経たという錯覚におちいっているだけだ。彼女も私との連携が仕事の延長上でないと割り切っているからこそ、独断で行動しようとしているに違いない。



——そしてあのドールという修道女も…何か信条を害したようで、それきりになってしまっていた。預言者グレーダンの伝承を信仰してきた修道女の語る口と、彼の子孫を名乗り密かに真実を継承してきたという議長の口伝くでんは、恐らく二律背反にりつはいはんなのだろう。あのとき私の配慮がなかったばかりに、勝手な行動をられても非難は出来できないのだろう。




 イリアはそこまで茫然ぼうぜんと考えていると、この世界で目覚めてから今に至るまで何一つ意図した通りにみなまとめることが出来できず、あまつさしたわれていたステラに苦しみを味わわせてしまっている現状が途轍とてつもなく不甲斐ふがいなかった。


 生前は優秀な2人の副隊長が手厚く補佐をしてくれていたばかりに、軍人でもない彼女へ無意識に同程度の負担をいてしまった可能性を振り返り、自責の念にさいなまれた。



——結局私は軍隊長というのぼりを失えば、家名が名高いだけの堅苦しい女に過ぎないのかもしれない。ステラのようにへりくだり、精神的に他者へ寄り添うことは私には出来できない…そのような馴れ合いは、ピオニーの家名を継ぐ者として相応ふさわしくないとされていたから。


——死んでしまえば家名など何の価値もないのに、私はそれにすら気付かず頭ごなしに進み出て、かえってみなの反感を買うことに……。



 その腹立たしい思いは、しくもまた『憤怒ふんど』のもととなってくらい胸のあなの奥からたぎっていくようであった。


 だがそうして震えるイリアのほおに、不図ふと何かが優しく触れた。



 イリアが我に返ると、横たわっていたステラが薄目を開けて、こうべを垂れていたイリアのほおを静かにさすっていた。



「ステラ!? 大丈夫なのか…!?」



「…少し楽になったような気がします。でも…まだちょっと起き上がれないかも。」


「無理はしなくていい! 私のせいでこんな目にわせて…本当に申し訳なかった。」


「謝ることじゃないですよ。私も自分の意思で…手伝いたいと思ったわけですし。」


「もう少し辛抱しんぼうしていてくれ。他の誰かが戻ってきたら…あのロキシーという少女をさがし出して症状を打ち消してもらうからな。」



「…らしくないですよ。貴女あなたは隊長さんなんですから、どうか落ち着いて……。」



 ステラがか細い声音で微笑ほほえみながら励ましてきたが、イリアはその言葉が傷口に塗られる塩のように感じ、痛みをこらえるように口元をゆがませた。



「ステラ…私が隊長だったのは、生きていた頃の話なんだ。部下でもない他の者たちを統率するなど…己惚うぬぼれた真似まねに過ぎない。」


「そんなことないですよ。貴女あなた他人ひとのために頑張れる御方おかただと、私は知っています。…5年前、グリセーオで私や街の人たちと協力して、孤児院を含めた一画を復興させたじゃないですか。」



「…それは、そういう任務だったからで…。」


「でも、出来できです。そういう気持ちを持っていなければ…多分私とイリアさんとの関係はそれきりだったと思います。だからきっと…貴女あなたがここで声を掛けた人達も、そのうち戻って来てくれますよ。」



 どこかあきれたようになだめるステラの言葉を、イリアは素直すなおに受け止められないでいた。

 曖昧あいまいな根拠や飛躍ひやくした理屈が気になり、他人ひとを安心させる言い回しだとしても割り切れないことが、ステラとの決定的な人間性の差異だと思い知らされていた。


 ゆえ藪蛇やぶへびだとわかっていても、尋ねてしまわずにはいられなかった。



「どうして…そう思える?」



 だがステラは一切表情を曇らせることなく、ぼんやりした眼差まなざしで静かに答えた。



「私もそうなんですけど…多分みんなこの世界で目覚めて、終わったはずの人生が再開しているような感覚に戸惑っているんだと思うんです。どうしてそんなことになっているのか、わからないのはみんな同じです。でもそのなかで一番答えに近いところに立っているのは…最後まで元の世界で生きていたイリアさん、貴女あなたなんです。」


「ルーシーさんをあやめるようなささやきがみんなわずらわせているなかで、ルーシーさんと最後まで対峙たいじしていた貴女あなたみんなに協調を呼びかけたことは…間違いなくその戸惑いを和らげる意味がありました。貴女あなたは隊長でなくとも、1人の人間として他人ひとの命をつなぎ止めることが出来でき御方おかたなんです。」


貴女あなたが差し伸べたその手は、必ずみんなすがれる宛になります。きっと時間が経って落ち着けば、みんな貴女あなたを頼りに戻って来てくれるはずです。あのネリネとロキシーの2人も、お互いに傷付け合う必要がないことくらいわかってると思います…だから、慌てなくてもいいんです。私は…大丈夫ですから。」




 その激励げきれいだ重苦しいはずの体調を諸共もろともせず続けられ、イリアは彼女の心遣こころづかいを有難ありがたく感じつつも忸怩じくじたる思いに包まれていた。


 死してなおいたわり寄り添ってくれる他人ひとがいることが幸運であった一方で、その他人ひと辛抱しんぼういてしまう自分をゆるすことが出来できなかった。

 ステラの言葉に背中を押されながらも、その言葉にこたえる前に彼女をまもれず失ってしまうのではないかという浅ましい不安にられていた。



——貴女あなたの言葉はよろこんで受け取りたい。だが貴女あなたがもし空元気からげんきで私を励ましているのなら…忍耐を重ねた貴女あなたむなしく私の前から消えてしまうのなら、私は手段を選ぶつもりはない。差し出したてのひらで剣を握ることになろうとも、文句は言わせない。



 だがイリアはそこで、不図ふとした疑問をいだいた。


 心臓がなく血液もかよわず、ぬくもりも感じないはずの身体は何をもっもたらすのか想像出来できなかった。

 それゆえに、ステラが不治の病に罹患りかんしているように見えて落ち着かなかった。



——あのときロキシーは悪魔の力を使ってステラに手を掛けたとはいえ、殺意はなかったに違いない。だが裏を返せば、あの力で私達をあやめることも出来できるということなのだろうのか?


——それが同じ厄災を生む力なのであれば…私やステラもまた、力のふるい方如何いかん出来できるということなのか……?






 一方、ネリネことリリアンは背後からロキシーに抱き付かれる形で『転移』を体験しており、次に目を開けたときには白と黒を基調にした見知らぬ室内へと景色が変わっていた。


 これまでと同じように光と影を反転させたような色調で、大きな窓から離れていくにつれ床や壁が黒から白へと移り変わっていた。

 何故なぜか窓は盛大に砕けていたが、それよりもリリアンは貴族や富豪が使うような天蓋てんがい付きのベッドや、緻密ちみつ意匠いしょうあしらった絨毯じゅうたんやソファに目をかれた。



「ここは…何処どこぞの貴族の寝室なのかしら?」



 リリアンがだ力の入らない脚を気にしながら振り返ると、ロキシーは黒一色に染まったベッドを見つめながら答えた。



「はい。セントラムの領主クレオ―メ・フォンス伯爵はくしゃく様の別邸…その伯爵はくしゃく様の寝室になります。」


貴女あなた、本当に領主貴族の使用人だったのね。でもどうしてこんなところに『転移』したの?」



「…咄嗟とっさに思い出したのがここだったのです。私が、生前最後に見た場所だったので…。」



 やや口籠くちごもるような返事を聞いたリリアンの脳内では、自然と下賤げせん嫌疑けんぎが湧き上がっていた。

 使用人の身分であるはずのロキシーが伯爵はくしゃくの寝室で一体何をしていたのか、何故なぜこの場所が人生の最期さいごとなったのか、実際に問いただすことには気が退けていた。


 それでも、ロキシーが何かむなしそうにベッドを見つめる姿と盛大に割れた窓とを見遣みやりながら、つぶやくように尋ねた。



「…寝込みを襲われたってこと?」



 尋ねながら、リリアン自身も同じようにして不審な人物からの襲撃を受けていたことを思い返していた。


 だがわずかな沈黙ののち、ロキシーの背中から返ってきた言葉は質問の答えではなかった。



「…ネリネ嬢様。イリア・ピオニー様は大陸軍の国土開発支援部隊を率いておられたそうです。物資調達の拠点として何度もセントラムを訪れていたものと思われます。それはすなわち、あの御仁ごじんも私達を追ってセントラムに転移することが出来できることを意味します。…ここに長居していてはまた目を付けられてしまいます。ですから…どうか……お逃げください……。」




 ロキシーは懸念けねんを発しながらも徐々に支離滅裂しりめつれつになり、やがてふらつきながら倒れた。

 ベッドの方ではなく仰向あおむけに突如とつじょ崩れ出したので、リリアンは慌ててその身体を受け止めた。



「…ちょっと、どうしたの? 急に倒れるなんて……!?」



 その力無く目を閉じたロキシーの顔は何故なぜか薄く透き通り始めており、リリアンは唐突とうとつな異変に言葉を失った。

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