第10話 不毛な衝突

 イリアの記憶にあったネリネ・エクレットという貴族令嬢は、噂に聞いていた通りの無垢むく呑気のんきな少女であり、例えるならかごの中でさえずる小鳥のようであった。


 関税法にかかる特措法の通達等のためエクレット邸を訪ねた際も、軍人と商人の分別がまるで備わっていないようで、してやメンシス港が密輸品の温床おんしょうとなっていた実態など知るよしもないように見受けられた。

 だが貴族令嬢らしく気品と礼節はわきまえていたようで、二言三言交わしただけでも何も悪い印象はいだかなかった。



 それゆえに、この世界で目覚めてからのネリネの高飛車たかびしゃで反抗的な言動には疑心暗鬼ぎしんあんきにならざるを得なかった。

 何よりあの霊園を模した広場では鋭い洞察力を見せていたことも、違和感の1つに数えられていた。


 生前にネリネと相対あいたいしたのは一度きりであったとはいえ、普段から人前では見せない表情を持っていたのか、あるいは厄災を引き起こしたことで人格が様変さまがわりしたのか、大袈裟おおげさとも言える変貌へんぼうの原因がずっと気掛かりだった。



 だが釈明もなく断固として自分達をうとみ、それでいて『転移』を実行しない矛盾点を解明するため、イリアはえて踏み込んだ質問をしていた。

 そこにはネリネの人格に対する認識の齟齬そごの解消という個人的な理由に加えて、単純に彼女をこの場に踏みとどめさせる意図もあった。


 そして同伴させていたステラにはネリネとロキシーの足元付近まで地中につるしのばさせており、ピナスのように悪魔の力で対抗する素振そぶりを見せ次第、ただちに捕らえるよう示し合わせていた。


 悪魔の力を行使しない限りは自分達も同じ条件で説得を試みる——それが今後2人に足並みをそろえてもらう上での前提条件だと考えていた。



 だがその算段には、もう1つ暗黙の前提があった。イリアがそれに気付いた時にはすでに携えていたレイピアを素早すばやく引き抜き、ネリネが突き出すナイフをい止めていた。


 

 霊園の広場でも見せつけられていた彼女の風を起こす力を警戒してはいたが、まさかみずから風に乗って弾丸のように距離を詰め、あからさまな憎悪ぞうおもっやいばを突き付けてくるとは思わなかった。


 その空色の眼光は獲物を狩る獰猛どうもうたかを思わせ、物腰柔らかな令嬢の面影おもかげ最早もはや垣間見かいまみることすら出来できなかった。


 そしてなおも追い風をまとって軍人であるイリアとの鍔迫つばぜり合いに挑むネリネの姿が、普通の貴族令嬢をして当然に成せる芸当だとは到底思えず、体幹からナイフを握る手付きに至るまで諸々もろもろ所作しょさりきみも無駄もないことに驚きを隠せなかった。



——いくら悪魔を顕現させているとはいえ、これではまるで蛮族ばんぞくではないか。益々ますます人格が変わったどころの話ではない。




 イリアの背後ではステラが青白いつるを身体に巻き付け、地中に根差して叩き付ける風に吹き飛ばされないよう必死にこらえていたが、イリアはその様子まで気を回す余裕がなく、金切り声のような暴風を背に襲い来る謎の少女と抗戦を続けていた。



「…もう一度だけく。貴女あなたは一体何者だ?」



 歯を食い縛りけわしい表情をたたえながらも、イリアはこの均衡を打開するすべを模索するように先の問いを繰り返した。一方の少女は金髪を揺らめかせながら、うつろな面持おももちで冷淡に答えた。



ネリネ・エクレット…それ以外の何者でもない。あんたはあたしと会ったことがあるみたいだけど、その一度の応対であたしのことをどこまで知った気でいるの? 性格や雰囲気が違うから…そんなうわつらな理由だけであたしを否定するの?」



 だがその声音はどこか震えており、イリアには彼女が何か鬼気迫ききせまる感情を押し殺しているように聞こえていた。ゆえにその問いかけを終わらせることはせず、更にもう一歩を踏み込むことにした。



上面うわつらどころではない…貴女あなたのその残忍な眼差まなざしと野蛮やばんな威勢は、貴族令嬢どころか平凡な町娘まちむすめですらない…!」



「それこそ偏見でしかないでしょう!? ネリネ・エクレットとはそういう裏表のある人物だった…よ!!」



「ならば貴女あなた何故なぜ私にやいばを向けているのだ? 力任せに盾突たてつくことに何の意味があるというのだ?」



「意味ならあるわよ…あんたのその鬱陶うっとうしい舌を切り落として、余計な口を叩けなくしてやるって意味がね!!」




 その宣告と共に少女は空色の瞳を輝かせ更に暴風をがなり立て始めたので、イリアはこれ以上言葉で彼女をしずめることが困難だと判断した。



——やむを得ない。何度も悪魔の力に依存したくはないのだが…出し惜しみをしていては最早もはや手に負えないだろう。



 腹を決めたイリアは周囲で揺さぶられている空気を——金色のちりのようなものを微細びさいに振動させ、電撃をはしらせて少女を感電させようとした。

 

 だがその一瞬生じた閃光せんこうに反応して少女は即座そくざに身体を反転させ、風に乗ってあっという間に距離をとった。

 かろやかにそらを舞うその身のこなしは純白の下着姿もあいまってか、御伽噺おとぎばなしに描かれるような禍々まがまがしい精霊のように見えた。



「それがあんたの悪魔の力ってわけ…どうやら舌を切り落とすのは難しそうだ。それなら世界の果てまで吹き飛ばした方が早い…いっそこの世界の果てを見てきてもらった方が、何かしね!!」




 少女はイリアへ言い聞かせるようにひとり言を放っており、愈々いよいよ口調もまとまらなくなっていた。


 そして周囲に巻き上げる風に乗って高く浮かび上がり、その風を幾重いくえにも重ねて竜巻を形成し始めた。

 低くうなるような轟音ごうおんを放ち荒れ狂う風は、それこそが彼女の生む真の厄災なのだと見せつけられているようであった。



 だがイリアが驚いたのは、その竜巻に吸い上げられるかのように一帯の建物の屋根や壁が音もなくがれ、大小のおびただしい黒い瓦礫がれきとなって振り回されていたことであった。


 この世界の造形物には触れたり動かしたりといった干渉は出来できないものと見做みなしていたが、悪魔の力で可能なのだと思い知らされていた。


 他方でイリアはその間にも踏ん張りが効かず徐々に竜巻に引き寄せられていたが、途端とたんに両脚がそれぞれ強く締め付けられてその場に固定された。

 ステラがつるわせて助けてくれたのだとぐに察したが、このまま耐えしのんでもかえって飛来する瓦礫がれきに衝突してしまう懸念けねんもあった。



——私はともかく、戦闘や荒事あらごとに不慣れなステラをこの場に長くとどめるわけにはいかない。現状あの少女をつるで捕らえることは不可能だ。なんとかして地上に引きり下ろさなければならない。


——まったく不毛な争いだ…何故なぜ私達は死してなお、悪魔の力を衝突させなければならないのだ? かつて悪魔を宿した者がみなそろってこの世界で目覚めたことの意味を共有せねば何も始まらないというのに、何故なぜそれすらも拒まれ続けるのだ!?



 ピナスの一件もあいまって、イリアの内心で繰り返される疑問は皮肉にも『憤怒ふんど』の助長に拍車を掛けていた。

 そして飛び去ろうとしたピナスを喰い止めたときよりも更に激しい雷撃の束が、白い天井からのたうつように降り注いで竜巻に絡み付いていた。


 あわよくば幾重いくえもの風の重なりを崩して中心に浮かぶ少女を討とうとイリアは黄蘗色きはだいろの瞳を強張こわばらせていたが、双方の力は拮抗きっこうしており、只管ひたすらとどろく雷鳴が厄災の規模をより甚大じんだいな有様へと増長させているのみであった。



——駄目だ、このままではらちが明かない。最悪一旦退避することも考慮するべきか…?




 だがそのとき、唐突とうとつ足枷あしかせとなっていたつるほどけてイリアは前のめりに転倒した。

 うつぶせの格好かっこうになり地につくばらざるを得ず、雷撃を降らせる集中力は容易たやすく失われた。



——どうした!? ステラに何かあったのか……!?



 イリアはままならない態勢ながらも即座そくざにステラの方へ首を振り向けると、その光景に愕然がくぜんとした。


 青白いつるで全身を固定していたステラは、背後に回り込んでいたドレス姿の少女——ロキシーに羽交はがめされるように抱きかかえられており、菫色すみれいろの瞳を輝かせる彼女の両手がステラの口元をおおっていた。


 呼吸を止められているようには見えなかったが、ステラは全身を硬直させて大きく目をみはり、間もなくして声も上げずにその場で崩れ落ちた。



——私としたことが…ネリネ嬢を抑えることにとらわれてもう1人への対処を失念していた…!


——あのロキシーという少女は確かセントラムの領主貴族の使用人…ならば宿している悪魔は『魔性病ましょうびょう』をもたらす力か! …いな、そこまで推察してステラと共有しておくべきだった。最も接近を許すべきではない相手を、確実に警戒しておくべきだった……!




 内心で失態を責め続けていたイリアだったが、つくばっていた胴体に突如衝撃がはしり、軽々と蹴り上げられるように吹っ飛ばされた。


 仰向あおむけに返されたまま背中を建物に強く打ち付けたかと思えば、更にその壁を破壊して室内とおぼしき床を転がっていた。

 死んだ身ゆえか痛みは感じなかったものの、全身は生前と似た感覚でしびれたように重く、むせたびに意識が遠退とおのきそうになっていた。


 状況を把握しようとかろうじて見開いていた視界では、ロキシーによって地面に寝かせられていたステラのそばにネリネを名乗る少女が降り立っていた。

 

 吹き荒れていた風は余韻を残すように治まっており、イリアは弾丸のように飛来した彼女に文字通り蹴り飛ばされたのだと理解した。



「…さすがによろいを蹴り上げるのはどうかと思ったけど、やっぱり痛覚は死んでるのかしらね。その代わりなんだか脚に力が入らないけど。」



「お嬢様、まさか骨折されているのでは…!?」



「べつに平気よ。立つ分には問題ないし。」



 これだけの危害を生み出しているにもかかわらず平然とした会話を始める2人に向かって、イリアは苦悶くもんの表情を浮かべながら藻掻もがくようにして身体を引きっていた。


 下着姿の少女はぐにその気配に気付いたが、やはり脚に反動をきたしているのか体勢を崩すと、慌てて受け止めたロキシーが狼狽ろうばいした様子でその少女に言い聞かせた。



「ネリネ嬢様、ここは一度退きましょう。私なら貴女あなたをお連れして『転移』することが出来できます…!」



 少女はだ何かイリアに言いたい台詞せりふがあるようだったが、悪魔の力を猛烈にふるったことも起因してかその顔には疲労感を隠せず、小さくうなずき返していた。


 そして2人の姿は突如とつじょ湧き出したもやに包まれると、忽然こつぜんとその場から消えてしまった。




 再び世界は沈黙に満たされ、金色のちり深々しんしんと舞うだけの景色に戻っていた。


 イリアは全身を打ち付けられた反動がやわらいでくると、地をうようにして横たわるステラのそばへ近寄った。


 ステラは意識があるようだが呼吸が浅く、苦し気に目をつむっており、抱え上げた身体は腑抜ふぬけたように重かった。体温がわからない分、かえって症状の重さを判別しづらくなっていた。



——この体調を回復させるには、やはりロキシーに加減してもらうべきだろうか。ロキシーが転移した先がセントラムならば後を追えなくもないが…今は追跡すること自体、裏目に出てしまうような気がしてならない。



——ここは…少し時間を開けてお互い頭を冷やすしかないのか。どうすればあの2人には、取り合ってもらえるのだろうか…。

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