第9話 共謀

 あからさまに不安をあお台詞せりふにロキシーは戸惑いを浮かべたが、ネリネは身を堅くして何かを牽制けんせいするような鋭い眼差まなざしをたたえていたので、釣られるようにしてその視線を辿たどった。


 すると黒一面の海とは反対側、大きな建物が並ぶ広い道沿いに、イリアとステラの姿を捉えた。


 距離にしておよそ20メートルほど離れていたが、早くもネリネとイリアがにらみをかせ合っており、その一触即発いっしょくそくはつの様相をロキシーは戦慄わななきながら見守らざるを得なかった。

 大人である2人が何のために自分たちの前に姿を現したのかは、かずとも想像にかたくはなかった。



——やはり気を悪くしておられるんだわ。私達が何も正当な理由なく離散していったから。…でも、きっとネリネ嬢様は…。



「何の用かしら? 慣れ合うつもりはないと言ったはずだけど?」



 案のじょうネリネは反発の姿勢を維持するように切り出していた。他方のイリアもまた、威厳をともなりんとした声音で応戦し始めていた。



貴女方あなたがたこそ宛もなくこの世界を彷徨さまようよりは、共に何をすべきか考え動いた方が建設的だと思わないのか?」



愚問ぐもんね。あの妙ななまりでしゃべる眼鏡の人と『獣人じゅうじん』の子は易々やすやす見逃したくせに、私達のことは何の根拠もなく引っ捕らえようとするの? …ああ、見逃したというよりは見捨てられたって言い表すべきなのかもしれないけれどね。」



 ネリネの悪意のある言い回しと嘲笑ちょうしょうかたわらで見聞きするロキシーの内心は、更に焦燥しょうそうり立てられていた。


 ただでさえ生前の経験から大陸軍人には苦手意識があったにもかかわらず、如何いかにも厳格そうなあの女隊長の怒りをこれ以上に買い、叱責され、とがめられる顛末てんまつを想像し密かにおびえていた。


 当のイリアはだ冷静さを保っているのか、落ち着いた様子で語り続けていた。



「リヴィア女史じょしはアーレアの職員であるとともに、グラティア学術院を卒業された研究員でもある。私自身も生前業務の一環で面識があり、為人ひととなりは知っている。そしてラ・クリマスの悪魔や厄災に関して、我々の中でも特に精通しておられる。恐らく何か手掛かりをつかんで調査に出ておられるのだろう…単独である方が何か都合が良いのかもしれない。」


ゆえに、いずれは戻り何らかのもたらしていただけるものと考えている。もう1人、ラピス・ルプスの民であるピナス・ベルには先程協力を取り付け、例の広場にて待機をしていただいている。…つまり、あとは貴女達あなたたちの協力を得ることで、ようやみなの足並みをそろえることが出来できるのだ。」



 これを聞いたロキシーは、思っていた以上に自分達がはぐれ者であることを痛感させられていた。

 当初はみなほとんど生まれも境遇も別々であるように見えていたはずが、気付けばイリアを中心に連携が築かれつつあり、彼女につらならない自分達が間違っているのだと思い知らされるようであった。


 だがネリネは一向に、従属しようという意思を示そうとはしなかった。



「それは貴女あなたの単なる自己満足じゃなくて? せめて目的がはっきりしてから協力を要請するべきでしょう。まぁドランジアを殺せだの何だのに関わりたいとは、微塵みじんも思わないけれどね。」



「確かにだ我々が何をすべきかは判然としていない。だがドランジア議長を殺せとあの場に居た7人が漏れなく不気味な教唆きょうさを受けているにもかかわらず、知らぬ存ぜぬと等閑なおざりにし続けることがより妥当な選択肢だとは思えないな。」


「我々が何らかの理由があってこの世界で目覚めたことは確かであり、不測の事態から各々おのおのが身をまもるためにも最低限の意思統一が必要だと考えているが……それともネリネ嬢、貴女あなたの方こそ何か明確な目的をお持ちだと言うのか?」



 理路整然と説得に努めるイリアが逆に名指しで問いかけると、ネリネはまたばつの悪そうな顔をして視線をらした。



「目的なら…あるわよ。少なくとも無限に時間があるわけじゃないことはわかってる。でも貴女達あなたたちに関係がないことに変わりはないし、まも。」



 その意固地いこじな姿勢に、ロキシーはただ案じて付き添う他なかった。大型船から舞い戻ってきた際は何か危機感を察知していたように見えたが、それについてイリアに明かす素振そぶりもなかった。

 だが本気で自分達を連れ戻そうとするイリアに対し、現状では言い訳が苦しいことも認めざるを得なかった。



——ネリネ嬢様は、一体どうされるおつもりなのだろう。目的なんて、私もいまだに何も聞かされていないのに。



 すると、遠くからイリアの小さな溜息が確かに聞こえた。そしてへそを曲げ続けるネリネに対し、一歩踏み込んだ質問を投げかけた。



「確かネリネ・エクレットは箱入りの貴族令嬢であると生前は聞き及んでいた…そんな貴女あなたがグラティアで土地勘があるとは思えないのだがな。まさか観光気分で散策しているわけではないだろう。一体何を宛にして歩き回っているというのだ?」




 その指摘を受けるやいなや、ネリネの身体がわかやす強張こわばった。だが何も言い返さなかったので、イリアは何か試すように質問を続けた。



「私達を前にしてが悪いのであれば、何故なぜ地の利がある故郷メンシスに『転移』しないのだ? リヴィア女史じょしやピナス・ベルがそうしたように、また私がステラをともないここへ現れたように、貴女あなたにもそれが出来できるはずではないのか。」



 ロキシーはイリアの指す『転移』が、あの奇妙なもやに全身を包まれるような現象であることを察していた。恐らく自分自身も同じように、馴染なじみのある場所へ転移することが出来できるような気はしていた。


 それはネリネも例外ではないはずであり、えて転移をしないことに何か理由や目的があるのだろうと推し量っていた。

 他方でそのネリネは徐々にうつむき加減になりながら、しぼり出すような声音で反論していた。



随分ずいぶんな当て付けをしてくれるじゃない…私が記憶しているメンシスの街は、うに壊滅して跡形もないのよ?」



「壊滅させたのは貴女あなただろう。それでも生まれ育った故郷であれば、変わらなかった場所や近郊の地形は覚えているものではないのか。現に私は一度しか足を運んでいない場所にも転移することが出来できた。本当に貴女あなたは、メンシスへの帰還を試したのか?」



「本当にしつこいわね…私が素直に故郷に帰らないことがそんなに可笑おかしいっていうの!?」



「…そうだな、確かに奇妙だと思っている。貴女あなたは私がかつて面識を持ったネリネ・エクレット嬢と、印象がいちじるしく乖離かいりしているのだからな。」




 イリアがネリネの人格そのものに疑念を掛け始めたので、さすがのロキシーも非難の言葉を投げ返したくなった。

 いくら意固地いこじを貫いているとはいえ、大陸軍の隊長を務めていたはずの大人が安易に人間性を口撃こうげきすることが信じられず、受け入れられなかった。


 だが当のネリネは口答えするどころか地に手を着き、肩を震わせながらうずくまる格好になっており、何かをこらえているのか明らかに容態が急変したように見えた。

 そのためロキシーは慌ててネリネの前にかがみ込み様子をうかがおうとしたが、傍目はためでは彼女の流麗りゅうれいな金髪が、何故なぜか少しずつ毛先からうねるように乱れ始めていた。



「ネリネ嬢様、大丈夫ですか!? どこか具合が悪いのですか……!?」



 声を掛けようとしたそのとき、不意にネリネはロキシーに着させていたドレスの腰元に右手を忍び込ませた。

 そして引き抜かれた手には鋭いナイフが握られていたので、ロキシーはあまりにも物騒な仕込みに思わず悲鳴を上げそうになった。


 だがかさずその口元をネリネが左手でふさぐと、イリアから見て自分がロキシーのかげに隠れていることを確認しつつ、声音を押し殺して冷淡に指示を下した。



「…あの口うるさい隊長はぶっ飛ばす。は合図したら建物を回り込んで、もう1人の女の方をなんとかしてみせなさい。」




 懸念けねんしていた衝突とその共謀要請にロキシーは目を見開いたが、ネリネの揺らめくような空色の瞳に呑み込まれ、かすかにうなずくしかなかった。


 一方でその張り詰めた空気をつつき割るかのように、なおもイリアが追及を続けていた。



「メンシスで厄災が起きたあの日、私は部隊を率いてエクレット邸を訪ね、その際ネリネ嬢とも挨拶あいさつを交わしていた。だが貴女あなたは私のことなど一切知らないようだったし、只管ひたすら他人ひととの関わりを忌避きひしているようにうかがえる…まるで何か襤褸ぼろが出ることを恐れているようだ。貴女あなたは一体、何者なんだ?」



「……今よ。」




 ささやくような合図と同時にロキシーとネリネの間の空気が急速に膨張して弾け、ロキシーを押し出しながら猛烈な追い風に乗ったネリネは、ナイフをかざしながら20メートルほどのイリアとの距離をまたたく間に詰めた。


 

 他方のロキシーもまた弾けた風圧に放られるようにして道角の大きな建物の陰に追いられ、態勢を崩して転んだ。だが痛みを感じることはなくぐに身を起こすと、建物の奥の角を曲がって走り出した。


 沿道に並ぶ建物を迂回うかいして指示通りステラの後方に回り込むため、ドレスのすそをはためかせて重たい脚を無理矢理動かしていた。



——なんで私、こんなことをしているんだろう。本当はあの隊長さん達の言うことを聞いた方がいいはずなのに。争う理由なんて何もないはずなのに。




 ロキシー自身にもこの世界で目覚めた際、何者かが背後に張り付き言い聞かせるかのように『ドランジアを殺せ』という言葉が脳内で木霊こだましていた。


 確かにあのときリンゴを直接手渡してきたルーシー・ドランジアは、悪魔を宿す標的として自分を見定めていた事実を認めざるを得なかった。

 だが彼女が語った言葉自体に悪意があったとは思えず、むしゆがんだ観念を正そうとたしなめてくれたことに感謝すべきであり、結果として憎悪ぞうおまみれたような教唆きょうさに応じたいとは思えなかった。



 その一方で、イリアやステラに従属することにも気後きおくれしている自分がいた。


 この2人も自分と同じように何らかの厄災を引き起こした身だと認識しつつも、大勢の罪なき人々に危害を加えた自分が並び立ち関わることに、明らかに及び腰になっていた。



——きっと私は責任感とか倫理観とかからうにけ離れてしまっていて、見るからに立派なあの大人達を直視出来できないのかもしれない。足手纏あしでまといになりそうで、居たたまれないだけなのかもしれない。私に出来できることは…ただ使用人として身の回りの奉仕をすることだけだもの。



 鬱屈うっくつした言い訳を並べ立てていると、建物を挟んで反対側からうなるような轟音ごうおんが聞こえて、同時に巻き上がる風にあおられそうになった。


 ロキシーが振り返った先には高くそびえる竜巻が発生しており、周辺の建造物を引きがすように崩しながら発達しているのがわかった。

 そしてその発達を抑制するかのように白い天井から雷撃が降り注いでおり、さながら天変地異を思わせた。


 風を操るネリネがイリアと愈々いよいよ悪魔の力をぶつけ合っているのだと推察すると、ロキシーは耳をつんざく衝撃におののきながらも意を決して脚を動かし始めた。


 押し付けがましい同行を許し、上等な衣服まで提供してくれたネリネにむくいる機会と解釈してもよかったが、ロキシーの胸の内にはそれ以上に明確な意思が生まれていた。



——あの御方おかたのことはだよくわからない。でも、あの御方おかたひとりにすべきでないことは確か。今はそのために尽くすことが、私にとってきっと正しいことなのだと思う…一介の、使用人として。

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