第8話 胸算用

「…ピナスさん? 大丈夫? ごめんなさいね、加減してるつもりなんだけど…。」



 不自然な絶句で硬直したピナスが不安になり、ステラは青白いつるで拘束しながらも狼狽ろうばい気味になっていた。

 何度かイリアに視線を送って次の選択をゆだねようとしていたが、イリアはピナスの様子を無言の抵抗と受け取るべきかいなか見極めかねているようであった。


 そのしばしの沈黙で我に返ったピナスは、言わなければならないことを思い出して力無く声を発した。



「…もうよい。今後勝手な真似はせんとやくしよう。だから早く解放してくれ。」



 その態度の急変振りにイリアは思わず目を丸くしたが、ステラは安堵あんどしたように息をいて、奪った魔力をピナスにかえしながらただちに拘束を解いた。

 青白いつるは地中に吸い込まれ、やがてステラの衣服の内側へと収束していった。ピナスにはそれが蒼獣そうじゅうの操り方と良く似ているように見えた。


 だが直後、一気に魔力が戻ってきた反動なのか立ちくらみに襲われ、ふらついていた肩をステラに慌てて抱き寄せられる格好になった。


 お互いに死んだ身であるはずなのに、そのときどこか懐かしいような温もりがかぶさってきたような気がした。



「大丈夫だ…何ともない。」



 それでもステラはピナスを抱き寄せたまま、ささやくように問いかけていた。



「ねぇ、貴女あなたは…リオのことを知っているの?」




 それはピナスが逆に尋ねたい台詞せりふでもあった。


 行方をくらまし二度と会えないと思っていた天真爛漫てんしんらんまんな人間の幼女が、その後どのようにして年月を過ごし、何故なぜ命を落とすに至ったのか…リオナについて知りたいことは山ほどあった。



 だがそれ以上に、追及されることを恐れた。


 自分のせいで、いては母のせいでリオナが故郷から切り離され、死も同然の苦しみを味わったことをおもんぱかると、彼女の恩人に釈明すべき言葉が見つからなかった。

 してやリオナの死とステラが悪魔を顕現させた因果が結び付いているのであれば、その責任すら自分が負わなければならないような気がした。



——此奴こやつはリオナの過去を知ったとき、憤慨ふんがいするのだろうか。その柔和にゅうわ眼差まなざしが軽蔑けいべつゆがむのだろうか。


——此奴こやつが操る厄災の力を前にして勝算がない以上、最悪今度こそ魔力を根刮ねこそぎ奪われかねない…さながらドランジアに殺されたように。今は此奴こやつとの関係性を、いたずらに悪化させるべきではない。



 そうして回答を有耶無耶うやむやさせることを決める一方で、ピナスの内心には別の疑念も湧き上がって来ていた。



——リオナはリンゴを食べて悪魔を宿したと聞いた。それはすなわち、わしらと同じようにドランジアの手によって悪魔を顕現させられたということなのか? 此奴こやつが同じ疑問をいだいているのかはわからんが…そうであればまた1つ、ドランジアに仇討あだうちする理由が増えることになる。


——此奴こやつがドランジアを憎まぬのなら、その分だけわしが報復をしてやろう。リオナのことを知るのは…その後でも構わん。




「…さぁの。わしには人間はよくわからん。」



 自分を納得させたピナスは返事を誤魔化ごまかしながらステラから離れると、その奥で様子をうかがっていたイリアに向かって不愛想ぶあいそうに問いかけた。



「それで、この後はどうするつもりだ。」


 

 ステラとは異なり、イリアに対してはいまだに何の義理もなかったが、結果としてこの女隊長の協力要請に応じなければならない事実は受け入れざるを得なかった。

 イリアもその関係値をわきまえていたのか、表情を変えずに答えた。



「…一度先程の場所に戻る。その後は私とステラで、ネリネ嬢とロキシーを連れ戻す。2人は貴女あなたやリヴィア女史じょしのように姿を消すことなくあの場を離れた。この世界が現世を模しているのなら、グラティア州にとどまっているはずの2人の捜索に時間は然程さほど要しないだろう。貴女あなたはその間、待機させているドールと合流してほしい。」



 その説明の最中さなかでステラはイリアに歩み寄って左手をつなぐと、いざなうようにピナスにも右手を差し伸べた。


 その段取りは前もって決めてあったのか、協和を歓迎するその萌黄色もえぎいろ眼差まなざしがピナスにはまぶしかった。

 怪我を処置しながら顔をのぞき込んで来るリオナの面影おもかげが、淡く垣間かいま見えたような気がした。



——成程なるほど、これが負い目というやつか。



 そして彼女が示す行為が目的地へ同時に転移するための方法だとわかっていながらも、人間の手を取ることなど生前は想像だにせず、ピナスにはわずかな躊躇ためらいが生まれていた。


 だが無意識に掲げていた左手をステラが引き寄せると、先の転移の間際まぎわを再現するかのように、唐突とうとつに立ち込めたもやで視界がおおわれた。



 途端とたんに足元が覚束おぼつかなくなったピナスは、温もりのない、ただつながっているだけの状態がどこか頼りなく思えて、置き去りにされないように強く握り返していた。

 そのがらにもないうわついた心情に気付くと、思わずほぞんだ。



——やはり、しくじったな。…ここに来て心残りなど、新たに作るべきではなかったのだ。





 次に瞬きをしたときには、ピナスは黒い花畑で囲まれた円形の広場の中心に降り立っていた。


 クラウザの場合とは異なり、一度見ていたとはいえ思い入れなど皆無かいむな場所への転移には、軽微だが酔いに似た反動がもたらされていた。

 すでに左手は離されており、イリアとステラは間髪かんぱつを入れず次の転移を始めようとしていた。


 だが広場に満ちる沈黙に違和感を察したピナスは、やや上擦うわずった声音でイリアを呼び止めた。



「おい、ここに誰か待機させているのではなかったのか。」



 その指摘にイリアは虚を突かれたように目をみはり、ステラもまた呆気あっけにとられて周囲を見渡した。だが待機に応じていたはずのドールの姿は広場に見当たらず、たちまち気の毒そうにつぶやいた。



「少し待たせ過ぎちゃったのかもしれないわね。近くを歩いているのか…それとも何かあったのかしら。」



 一方でイリアは長考することなくピナスの名を呼ぶと、淡々と指示を伝え始めた。



「方針が定まらず申し訳ないが、貴女あなたにはドールを捜索そうさくして欲しい。ここが現世のソンノム霊園を模しているのであれば、敷地内を回ることにして時間は要しないはずだ。もし見つからなければそのときは…北へ飛んで欲しい。」


「確かこの方角へ北上すれば、ディレクタティオの街が見えて来るはずだ。彼女もまたもしかしたら故郷に足を運んでいるのかもしれない。だが、あくまで現世と同じ地形が続けばという前提だ。何か身の危険を感じたら、迷わずまたこの広場へ戻って来てくれないだろうか。」



 ピナスはイリアが白い天井に向かって掲げた指先を記憶すると、渋々しぶしぶ承諾をしてみせた。


 だが軽く挨拶あいさつを交わしたステラとイリアが再びもやに包まれ転移していく様子を見届けると、張り詰めていた糸が断ち切れたかのようにその場に崩れ落ちた。



 散々さんざん敵視していたはずの人間から温情を、信用を掛けられるたびに全身が強張こわばっていたものの、ようや安堵あんどに浸ることが出来できていた。



——まったく、せわしない奴等やつらよのう。やはりひとりの方が気楽だ…とはいえ、一度やくした以上はこたえねばなるまい。


——だがよりによって今度はわしがグレーダン教徒の娘を気に掛けねばならんとは…因果とはどこまで非情なのだ。




 深い溜息をつきながら狼の耳をそばだて鼻を震わせたが、案のじょう何も感知することが出来できなかった。

 ピナスは仕方なく立ち上がると、敷地内を手あたり次第見て回ることを決めて走り出し、広場の奥に伸びる坂を駆け上った。


 背の高い樹木のような物体におおわれた坂道は一転してしらけていて、その景色はクラウザでのぞいた洞窟に似ていた。



 上りきった先はぐに袋小路ふくろこうじになり、左手側は開けて真白ましろの空が映っていた。


 その足元には人工的に囲われたような黒い空間があり、幾つもの正方形の物体が等間隔に並んでいた。そして正面にあった最も大きな物体に刻まれていた白い文字に、ピナスは顔をしかめた。



——『ドランジア一族の墓』…彼奴あやつの先祖の墓といったところか。確かにここは霊園なのだな。流石さすが彼奴あやつが眠っている…ことはないだろう。



 だが何よりも目をいたのは、その物体に添えるように置かれていた3基の花だった。

 広場に咲き並んでいた花々とは造形は違えど黒一色であることに変わりはなかったが、何故なぜかそれらは時折青白く発光していたからである。


 ピナスにはそれが蒼獣そうじゅうのような魔力のたぐいであるとただちに理解すると、鬼気迫ききせまった表情で沈黙に満ちている周囲一帯を見渡した。



——これは一体誰の仕業しわざだ? ドールという娘がやったのか? それとも…わしらの他に何者かがひそんでいるというのか……!?






 一方その頃、ロキシーは生まれて初めて海を見ていた。


 セントラム盆地の中央に広がるラ・クリム湧水湖ゆうすいことは比較にならないほど広く果てしない大洋は、水平線こそ金色にきらめいていたものの、黒一色に平たく固まっているように見えた。


 そのくせ足を着けようものならたちまち引きり込まれ、二度とい上がれなくなってしまうかのような先天的な恐怖があった。そもそも湯舟以外の水に浸かった経験もなかった。



 それゆえに、大型船をかたどった影のような物体の船首部分にたたずみ、静かに遠方を見つめ続けているネリネに見惚みとれていた。



 彼女の話によると、ここは国の2大交易都市の1つであるソリス港を模した場所であるらしく、行く宛などないと発言していながらも、ロキシーには彼女が何らかの意図をもってこの場所を訪れたように見えた。


 海際うみぎわに出たネリネは風に浮かぶと、軽やかな身のこなしで難なく大型船の切先きっさきに着地して、静かに何かを観察し始めていた。


 この貴族令嬢が如何いかに交易都市の育ちであるとはいえ、かぼそい足場は底なし沼を思わせる黒い水面に大きくり出していたため、ロキシーは彼女の胆力に感嘆する他なかった。



——生前にお仕えしていた伯爵はくしゃく御子息ごしそく様も勤勉な方だと聞き及んでいたけれど、これほどの身体能力は備えておられなかったでしょう。同じ貴族でも、生まれ育つ環境でこうも為人ひととなりは違うのね…。



 他方でロキシーは、胸元に空いた拳大こぶしだいの黒いあながずっと気掛かりで、ネリネが戻るまで埠頭ふとうと思しき場所で待ちほうけながら憂鬱ゆううつひたっていた。


 依然として痛みはないものの、何か贓物ぞうぶつとは別に大事なものを失い、それを取り戻せずにいるという虚無感が徐々にあなから膨れ上がっていくようで、相対的に気分が打ちしおれていくのがわかった。



——なんだか、変な感じがする。この感覚は…『魔性病ましょうびょう』を引き起こして誰とも接触出来できずにいたあの頃に似ている気がする。私はだこの世界で目覚めてから、微塵みじんもその力を使っていないのに。



 気落ちするように悩んでいると、頭上から柔らかい風が吹きつけて来たので、ロキシーはようやくネリネが戻ってきたことを察した。

 いまだに下着姿を意に介さないネリネにはなおも恐縮せざるを得なかったが、かろうじて口先を動かして尋ねた。



「あの…何か、わかりましたか?」


「そうね…きっとここは現実のソリス港なのでしょうけど、相変わらず何も動きを見せる物はないわね。風も無いから波も立たない。重力の概念はあるみたいだけど、物体に触れて動かすことは出来ない。れったくてたまらないわ。」



 だがネリネは不満そうに報告しつつも、ロキシーの肩を寄せてささやくように警告した。



「でも何か嫌な予感がする。もしかしたら、あまり悠長にしている時間はないのかもしれない。」

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