第7話 不屈の信念

 ピナスは歯痒はがゆさをにじませながらも、威嚇いかくするような表情で2人ににらみをかせていた。

 だがつるに捕らわれ結果的に抵抗が叶わないと判断したのか、イリアが歩み寄りながら語り掛けてきた。



「確かに貴女あなたの言う通り、私の肩書かたがきなどこの世界では何ら意味を成さないし、みなを従える根拠もない。だがみな同じように悪魔をくだされて命を奪われ、こうしてよみがえりに似た感覚を得ていることには必ず何らかの意味があるはずなのだ。だからまずはそれを明らかにするため、貴女あなたにも協力して欲しい。」



やかましいわ! 知ったような口をいて…貴様らと協力しなければならん理由などない!!」



 説得をさえぎるようにわめき散らしながらも、徐々に青白いつるに魔力を奪われて屈服させられるのは時間の問題であると理解していた。

 そうなれば最後、胸の内に湧き立つ衝動が——今のこのよみがえりに似た感覚が喪失してしまうかのような焦燥しょうそう感があった。



——貴様らと組めば、十中八九じっちゅうはっくドランジアに意趣返しが出来できなくなる。彼奴あやつと生前の生業なりわいで関係性を持っていた貴様らとこころざしを等しく出来できるはずがない。



 ピナスはイリア側とは念頭に掲げる目的が真っ向から食い違っていることを認識しつつも、それを具体化することで抵抗を続けようと試みた。



「…貴様らはみなドランジアに標的にされて悪魔を宿したのかもしれんが、わしは違う。イリア・ピオニー…貴様が軍隊を率いて例の勧告と共に物資を提供した際、1つだけ混ざっていたリンゴを偶々たまたまわしらった結果に過ぎんのだ。」



 ピナスに名指しで指摘されたイリアは、何か言い返そうとした台詞せりふを抑え込まれて唖然あぜんとしたような表情になっていた。その反応を鼻で笑うように、ピナスは言い聞かせ続けた。



「我が一族は普段の食事でリンゴを口にすることはない…アヴスティナ近辺では獲れないからのう。粗末にするわけにいかず仕方なしに喰らった。だがそれはドランジアからすれば、我が一族の誰が悪魔を宿そうが構わなかったという意味であろう。」


「それでもわしみずからの意志で悪魔の力をふるうことを決めた。厄災を恐れ我が一族を管理下に収めようとたくら傲慢ごうまんな人間どもに、拮抗きっこうしうる力を知らしめるために。我が一族の安寧あんねいと尊厳をまもるために。そしてかつて悪魔を宿した母を討ったディヴィルガムの持ち主を見出し、仇討あだうちをするためにな。」


「…貴様らとは、根本的に行動原理が異なるのだ。ドランジアの野望など知ったことではない…ただ彼奴あやつ仇討あだうちするという目的だけが、唯一わしを突き動かすのだ!!」




 真白ましろの空はすでに雷鳴が止んでおり、金色のちりのようなものが静かに降り続けていた。

 

 つるに捕らわれながら発せられる咆哮ほうこうに似た主張は、広場を囲む黒一面の壁にむなしく浸透していったような気がした。



 イリアがまた何か言おうと肩を動かしたが、それよりも先にステラの足が前に出て、イリアに対して何か示し合っているように見えた。

 

 そしてこちらに向き直ったステラが腰をかがめて萌黄色もえぎいろの視線を合わせてきたので、ピナスは少しずつ増してくる倦怠感けんたいかんあらがいながら彼女の出方をうかがった。



「こんな形でお話をするのは失礼かもしれないけど、最後まで聞いてもらえればいただいた魔力は返すと約束するわ。えっと…ピナスさん? ベルさんと呼べばいいかしら?」



「…構わん、好きにしろ。」



 ステラのぎこちない切り出し方から、彼女が恐らくイリアからピナスの見た目と実際のよわい乖離かいり示唆しさされ、接し方に迷っている節があるのだろうとピナスは勘繰かんぐった。この現状においてはまとわりつく羽虫はむしよりもどうでもいい配慮であった。



「じゃあピナスさん。あのね、貴女あなたが言っていたことが少し気になって。…他の人たちのことは詳しく知らないけど、少なくとも私も貴女あなたと同じように、配給物資に紛れ込んでいたリンゴを偶々たまたま手に取っていたのよ。でもそれは誰かに仕組まれて悪徳をあおられたからでも、そそのかされたからでもなかったと思う。私は純粋に悪魔の力を望んで、厄災の力を得たいと願ってみずからリンゴをかじったの。」




 青白いつるあるじなだめるように語る言葉が、ピナスにはにわかに信じられなかった。


 自分は確かに悪魔の力をふるおうと決めたが、それはリンゴをしょくした後に、たかぶる悪徳と比例するように確固たる魔力が身体中に満ちていくのを感じたからこそであった。

 ステラの場合は前後関係が逆転しており、あまりにも上手く出来でき過ぎた話であると見做みなさざるを得なかった。



「…貴様は、そのリンゴをらえば悪魔の力を宿せると知っておったのか?」



勿論もちろん理屈なんて知らなかったわ。ただ、私が勤めていた孤児院で昔リンゴがきっかけで悪魔を宿した子がいて、咄嗟とっさにその真似まねをしようとしただけ。…ああでも、かじる直前に予感みたいなものはあったかもしれないわね。こうすれば現状を変えることが出来できるんじゃないかっていう、淡い期待が。」


「私の生まれ育ったグリセーオは色々と大変なところで…度重たびかさなる厄災で食糧が行き渡らなくて街中がひりついていて、私はその状況を何とかしようとして街全体をこのつるおおったの。生命活力を分配するこの力でみなを呑み込めば、流通網が復旧するまで誰も飢え死にすることがなくなると思ってね。」


「でもたとみなまもりたい一心であっても、多くの命を勝手に抱え込むような真似まねは、はたから見ればおぞましい脅威でしかないと思い知らされることになった。結局私は住民を逆に人質ひとじちに獲られるような格好かっこうになって、その罪をつぐなうようにして杖で討たれたわ。」




 ピナスはステラが問いかけ以上の答えを打ち明けてくる間も少しずつ魔力をつるに奪われていたので、辟易へきえきして低くうなるような声音で解放を催促した。



「…何が言いたいんだ貴様は。早くしろ。」



「ごめんなさい、つまりね…貴女あなたも私も、背景は違えど何かをまもるために望んで力を得たことに変わりはないと思うの。私達だけじゃない、この世界で目覚めた他の人たちもきっと同じような境遇だと思う。」


「でもその一方で、その信念がどこかで負い目になっている。少なくとも私には貴女あなたがそうであるように映ってる。その負い目にとらわれたままひと闇雲やみくも奔走ほんそうしてしまうことがどんなに危ういか…私はもう、そういう人を見過ごしたくないの。」



 その切なる訴えにピナスはあきれて項垂うなだれ、わかやすく溜息を漏らした。


 結局はひとがりのお節介を押し付けられていることに気付くと、萌黄色もえぎいろの瞳の女がおびただしいつるを操る力を手にしたことが妙にに落ちてしまった。

 そしてステラに対し、憮然ぶぜんとした返事を返した。



わしはもう死んだ身だ。いたわりを掛けられる筋合いなどない。」



「強がっても駄目よ。貴女あなたは雷を恐れて、つるに縛られて今も苦しんでいるじゃない。今の私達は生きているとは言えないのかもしれないけれど、は間違いないの。」


「だから私は貴女あなただけじゃなくて、この世界で出会った他のみんなのことも心配してる。何があるかわからない世界でひとりで無茶をして、傷付いてほしくない。貴女あなたが自分をかえりみないのなら、私も全力で貴女あなたを止めてみせる。お願いだから、私達と一緒に来てほしいの。」




 安易な拒絶がかえって引き金となったのか、ステラはより強気になり親が子をしつけるような口調に転じていた。


 だがピナスは不思議と腹が立たず、むし気圧けおされたようにうつむいたままであった。

 ピナスから見ればステラの方がよわいは下であり、当然に世話を焼かれるいわれはないのだが、反発しようという気は湧いてこなかった。


 そのような感覚の食い違いなどお構いなしに押し付ける気遣きづかいが、かつて1人の強情な人間の幼女によりもたらされた過去を想起させていた。

 そしてその好意を反故ほご出来できず、かえって多くのものを失う契機となったことを苦々しく回顧かいこした。



——こういうやからが最もたちが悪い。温情をかけるつもりなのだろうが、まさしくこのつるのように相手を絡め思考も行動も束縛していることに気付いていないのだ。


——このつるを無理矢理ほどくことは誤りなのだと、主観的にも客観的にも刷り込みをしてくるのだ。本当に狡猾こうかつで、反吐へどが出る…。



 倦怠感けんたいかんにもむしばまれつつあったピナスは、ステラに返事を寄越よこすことも忘れて悄然しょうぜんと成りかけていた。その様子を案じたステラが、改めてピナスを呼び起こすように語り掛けた。



「私は孤児院の管理人だったの。…いえ、その前に領主の娘だったと言うべきね。子供も大人も関係ない、見知っていようがなかろうが心を通わせ手を取れる人に私はならなきゃいけなかった。それにもっと早く気付いていれば、あんなに幼い子が悪魔を宿すことなんてなかったから。」


貴女あなたを見ていると、そのことを思い出して気持ちを抑えられなくなってくるの。だから、貴女あなたにはわずらわしいことかもしれないけれど……。」




 ピナスはステラの後悔をおぼろげに聞き流す最中さなかで、子供が悪魔を顕現させる可能性について不図ふとした疑問をいだいた。

 

 祖父オドラ―が悪魔の宿る原因の1つが悪徳の『かたより』だと語っていたことを思い出すと、感情表現や状況判断が稚拙ちせつな人間の子供が、大人を差し置いて深刻な悪徳を抱えることが不自然に感ぜられたからである。



「ところで…その話は真実まことなのか。幼子おさなごが悪魔を宿すほどの悪徳に溺れるなど、とても想像だに出来できぬぞ。」



 一方のステラはピナスのつぶやくような質問を聞くと、特段気を悪くする様子もなく、どこか遠くをながめるような眼差まなざしで物憂ものうげに答えた。



「…そうね、身体が虚弱で不自由だった分、抱えていたものは大きかったのかもしれないわ。芯の強い子だったのよね…リオは。」




 そのときステラがおもむろこぼした聞き覚えのある呼称に、ピナスは全身の毛が弥立よだち狼の耳が鋭く張るのがわかった。



——此奴こやつ、いまリオと言ったのか? それは…あのリオナのことなのか?



 ピナスの明らかな動揺にステラも何か驚かされたような表情を浮かべており、それを察したピナスは咄嗟とっさに平静をよそおいながらも確認をせずにはいられなかった。



「おい、そのリオという人間の子は如何様いかよう身形みなりをしておったのだ。」



「えっ? …リオは、その…短い栗毛に鈍色にびいろの瞳で、よわいははっきりわからなかったけれど、多分10くらいのときに悪魔を宿して…。」


「それは何年前の話だ。」



「…5年前のことよ。」



 食ってかかるような質問にステラは呆気あっけにとられながらも、かされるがままに答えていた。

 他方のピナスはその2つの質問をしたきり黙り込んでしまったが、失われたはずの動悸どうきが全身に木霊こだまするような錯覚におちいりながらはっきりと確信をしていた。



——間違いない、あのとき川に流されたリオナは、下流で救助されてグリセーオで此奴こやつが営む孤児院に託されていたのだ。リオナは、生きていたのだ。


——そして、悪魔を宿して…今度こそ命を落としていたのだ。

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