第6話 空虚なる故郷


 そびえ立つ黒い壁がラピス・ルプスの民が隠れ住む集落クラウザの一画であることに、ピナスはぐに気が付いた。


 グラティア州の西端だと言われた場所からアヴスティナ連峰までは、現時点での魔力残量にかんがみれば体感時間にして半日ほど飛行を要するのではないかと覚悟していた。だがあたかも最初から双方の場所が隣接していたかのように、一瞬で周囲の景色が切り替わっていた。


 不図ふと空中で首をひねり背後を見遣みやったが、無機質な白い空のもと、金色のちりのようなものが降りしきる先には黒い樹海が果てしなく広がっていた。

 明らかに時間と距離感がみ合っておらず、ピナスにはこの現象が最早もはや転移と表した方が相応ふさわしいように思えた。



——どういう理屈かは知らんが、悪魔の力を浪費せずにクラウザに帰還出来できたことは都合が良い。まずはここが本当に生前の世界と違うのかを確かめなければならん。




 クラウザに降り立ったピナスは、黒い泥で塗り固められたかのような故郷を虱潰しらみつぶしに巡回した。確かに集落の地形は慣れ親しんだクラウザそのものであったが、一切の人気ひとけがなく只管ひたすらに無音に支配されていた。


 他方でねぐらにしていた洞穴は空と同じように一面真白ましろに塗りたくられており、あかりが無くとも奥まで見通すことが出来できた。

 だがその分露骨に人気ひとけのなさが強調されており、あまつさえ打ち捨てられたかのようなむなしい生活感がこびり付いていた。



「…誰かいないのか!? …アリス……お爺様……!?」



 その不気味な圧力に抵抗するようにピナスは妹や祖父を呼んだが、その声は洞穴に反響することなく岩壁に吸収されてしまった。そもそもピナスにとっては、それが岩壁と言えるのかどうかも判然としない物体であった。


 一方で洞窟の中には、外界で降り注いでいた金色のちりがある程度まとまったような光の球体が、ピナスの胸元辺りの高さでいくつかただよっていた。

 

 ピナスはおもむろにその1つをつかもうとしたが、何の触感もないままに球体はてのひらり抜けた。その現象が余計に虚無感を助長させ、ピナスの口元からは思わず溜息がこぼれた。



——結局わからないことだらけだ。ここがクラウザの地であることには相違そういない。わし自身がクラウザに向かおうと意思をいだいた矢先に転移したことからも、その見立ては間違ってはいないはずだ。


——だが、何故なにゆえ同胞の姿がない。何故なにゆえもぬけの殻なのだ。さながら民がこの地を放棄してしまったようではないか。



 そこまで考えをめぐらせたとき、不意にピナスの脳内では最悪の顛末てんまつが描写された。



——しくは儂がドランジアに殺された後に、何か良からぬことが起きたのか? 大陸議会は当初から、厄災を招く危険因子であるラピス・ルプスの民を管理監督下に置こうとしておった。そのための勧告が通達されておった。だがわしが暴虐の限りを尽くしたことで、管理監督では収まらず民そのものを絶滅させる強行に踏み出したのではないか?


——ドランジアには死にぎわに一族への不干渉を取り付けたが、死人しびとの口約束など結局は何の拘束力もない。そして人間どもには集落をわずかな時間で壊滅させられるだけの武力がある。この一帯に争われたような形跡はないが…その可能性は否定出来できないのではないか?




 そのとき洞穴の外で何者かの話し声が聞こえて、ピナスは狼の耳を鋭くそばだてた。


 その声には確かに聞き覚えがあったものの、同胞ではなく少し前まで奇妙な邂逅かいこうをしていたイリアとステラのものであることを察すると、息を殺しながら内心舌打ちをした。



——何故なにゆえ彼奴等あやつらがここに? 同じように転移のわざが使えるのか? …すなわち、わしの後を追って来たということか?



 その行動が何を意味するのか察すると同時に、ピナスは生前イリアが軍部隊を率いてこの集落を訪れていた過去を思い起こしていた。

 もし転移のわざ瞬時に姿を移すことを指すのであれば、それはイリアがわずかな滞在時間ながら自然に紛れたこの場所を明確に記憶していたことを意味した。


 そしてそこへ自分がかえることを見越して、未知なるわざを使いこなし追跡してきたのであれば、その女隊長の執念は決してあなどれないものであった。

 目的が推測出来できる以上かかわり合いにはなりたくはなかったが、その一方でピナスにはやり場のないとある欲望が生まれていた。



——彼奴あやつは確かわしの後に死んだと言っておった。して一度この地を訪れた隊長格の軍人であれば、その後のクラウザの顛末てんまつを知っているのではないか?



 心の中でつぶやきながら、ピナスは洞穴を出て集落の広場へとゆっくり足を進めていた。このままとどまっていても何も収穫がない以上、立ち去るのであれば腹持はらもちの悪い懸念けねんなど早々そうそうに解消するべきだと判断した。


 目当ての2人の姿が視界に映るまでして時間は掛からず、ステラと何か言葉を交わしていたイリアがこちらの気配に気付いて振り向くと、そのりんとした黄蘗色きはだいろ眼差まなざしと交錯した。

 

 ピナスはだ5メートル以上も距離があるにもかかわらずその場で立ち止まり、単刀直入に問いかけた。



「貴様は確か、あの7人の中で最後に死んだと言っておったのう。ならば『貪食どんしょくの悪魔』による厄災の後このクラウザがどうなったか、何か聞き及んではおらんか。例えば…我々ラピス・ルプスの民を人間にとって危険な種族と見なし、報復するがごとく武力をもって根絶やしにした、とかな。」




 唐突とうとつに物騒な質問を投げかけたことで、イリアのかたわらでステラがたちまち戸惑いの表情を浮かべた。

 他方でイリアはしばしの間その質問の意図を推し量っていたが、やがて慎重に言葉を選ぶようにして答えを寄越よこした。



「…聞いたことがないな。そもそも貴女あなたがトレラントを襲撃してから3日しか経っていなかった。度重たびかさなる厄災で大陸軍にはいきどおる余裕すらなかっただろう。」



「…そうか。それならそれで構わん。」



 ピナスはそう吐き捨てるとともに、再び背中から青白い翼を生やして羽搏はばたかせ、地を蹴ってそらに浮かび上がった。

 クラウザの民が今も何処どこかで生きながらえているのであればそれ以上に憂慮ゆうりょすることなどなく、為すべきことといえばただ怪しげなささやきに従ってルーシー・ドランジアをさがし出すのみであった。



「待ってくれ、ピナス・ベルよ。この不可解な世界で単独行動にはしることは推奨しかねる。改めて我々と合流してほしい。」



 だが予想通りにイリアが声を張り上げ制止を図ってきたので、ピナスははっきりと反発の姿勢を示した。



「不可解な世界だからこそわし率先そっせんして俯瞰ふかんし偵察する方が妥当だと言ったはずだ。貴様に何の意図や目的があってわしの行動を縛ろうというのか。」


「我々はドランジア議長をさがし出したうえで、何をすべきなのか意思統一が出来できていない。それを成さずして役割を分担するべきではない。」


たわけ。そんなものはドランジアを見つけ出してからで充分に間に合うであろう。」



 ピナスはわずらわしくイリアをあしらいながら、彼女の魂胆こんたんについておおよそ察しがついていた。その理由は他でもない自分自身が、みなの前で打ち明けていたからである。


 ゆえに、いっそのこと牽制けんせいをしてやろうとピナスはそらから高圧的に問いかけた。



「逆に貴様はどう考えておるのだ? ドランジアは見つけ次第殺すべきだと思うか?」



「…その判断は出来できない。議長が成していることの善悪がわからない以上、誰もそうするべきではないと考えている。」


「ならば良いことを教えてやろう。誰も貴様に従う義理も必要性もない。誰も貴様の部下ではないし、軍隊長としての貴様はすでに死んでいるからだ。」




 その台詞せりふを耳にしたイリアがわかやす眉間みけんしわを寄せる様を遠目に、ピナスはせせら笑いながら飛翔した。

 

 黒い大地と樹海がまたたく間に眼下に広がり、改めて世界の全貌ぜんぼうを見渡そうと、舞い散る金色のちりの中で碧色へきしょくまなこらした。



——明確な意志なく他者ひとを縛ろうとすることなど骨頂こっちょう。…いな、人間はいつも曖昧あいまいかつ迂遠うえんな物言いで本意ほいを隠し、都合よく他者ひとを言いくるめようとする。


——一度死んだ身でなお、そのようなやから迎合げいごうなどしてやるものか。わしわしが考えたいように、この世界を見定めてやる。




 だがその瞬間、頭上で何か大きなかたまりが崩れ出すような轟音ごうおんが鳴り響き、ピナスは反射的に顔を伏せて下方へと滑空かっくうした。


 その間にもピナスの瑠璃色るりいろ混じりの銀の尾を捕らえようと幾重いくえもの雷撃がせまってきており、やがて広範に発散して包囲網を構築した。



 ピナスがかろうじて身をよじり横目を開けると、真白ましろの天井の何処どこからともなく雷が発生し、舞い散る金色のちりに触れて連鎖するように電撃が弾けているのがわかった。


 その青白い衝撃に目がくらんで顔をそむけると、クラウザの広場では感情を押し殺しつつこちらを見上げるイリアの黄蘗色きはだいろの瞳が、燦々さんさんきらめいていた。



——彼奴あやつの悪魔の力か…小癪こしゃく真似まねを。しかし意図的にわしを狙えるのだとしたら、強行突破するのはいささか危険だのう。



 ピナスは徐々に迫り来る電撃の包囲網にされる形でやむを得ずクラウザの広場に降り立つと、再びイリアとステラに対峙たいじする格好かっこうになった。

 そして敵愾心てきがいしんあらわにして身体から蒼獣そうじゅうを次々と生み出し、不気味なうなり声を上げる群体を作り上げた。



「貴様が悪魔の力を使うのであれば、わしも容赦はせん。あおき獣のにえとなって、この世界で再び死ね。」



 その冷徹れいてつな宣告と共に、蒼獣そうじゅうの群れは一斉に相対あいたいする2人へと襲い掛かった。

 死んだはずの人間の身をかつてと同様にむさぼることが出来できるのかは知るよしもなかったが、少なくとも相手が、喰らって魔力に変換することは可能であるとピナスは見込んでいた。



 だがすんでのところで、イリアとステラの足元から束になった青白いつるが——黒く染まった地表を突き破って壁のようにり上がり、突撃していた蒼獣そうじゅうの群れにまとわりついて高波のように呑み込んだ。


 思わぬ反撃に目をみはったピナスは、イリアに半分隠れながら腕を掲げ、萌黄色もえぎいろに瞳を輝かせるステラの姿をようやく認識していた。

 そして一旦離脱しようとね上がった片脚にも地中から生えてきたつるが絡み付き、ピナスを引き戻すようにしてたちまち身体中に延伸した。


 またたく間につるに拘束されてしまったピナスの眼前では蒼獣そうじゅうが一頭たりとも残らず消滅しており、全身を襲う脱力感がその原因を否応いなおうなしに理解させた。



——魔力が、吸収されていく……!? …抜かった。この厄災はわしの天敵だ。魔力のかたまりを具象化させぶつけるわしとはすこぶる相性が悪い。


——あのステラ・アヴァリーとかいう女…彼奴あやつを争い慣れていないと無意識に見縊みくびっていた。恐らくピオニーとわずかな合間で示し合わせていたに違いない。それが出来できるほど奴等やつらが親しげな間柄であると、留意しておくべきだった…。

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