第5話 2人の独り

 強情とも受け取れるくらいの鬱屈うっくつぶりに、リリアンは内心侮蔑ぶべついだき始めていた。


 直前まで他人ひとが着ていた衣服であったとはいえ、上等なドレスを施され外見をめられたのなら、多少なりともよろこぶなり気恥ずかしさを覚えるなりする反応は女子として当然だろうとわずかながら期待していた。


 だがロキシーは初めから自分には飾る価値などないと言わんばかりに自虐を続けるのみで、美麗びれいという確かな価値をないがしろにする態度が、先程までの裸同然だった姿よりも遥かに正視せいしえなかった。



——このは自分の顔を、体つきを鏡で見たことがないのか? その容姿で使用人に甘んじているだなんて、勿体もったいないにも程がある。



 他方でリリアンは、それ以上の詮索せんさく野暮やぼだとみずから歯止めをかけた。鏡を見たときにのは、自分もまた同じであったからである。



——もしかしたらこのも、何か訳ありの人生を送っていたのかもしれない。死んだ後ならもう、どうでもいいことなのかもしれないけど…訳あり者同士、いたずらに踏み込む真似まねは控えるべきね。




 リリアンは爪弾つまはじきにするようにロキシーに背を向けると、再び黒地の街道を歩き始めた。だがぐに後方から、恐る恐る呼び止める声が掛けられた。



「…あの、ネリネ嬢様。一体どちらへ向かわれるのですか…?」



 あくまでも追随ついづいしようとする自称使用人に返事を考えるのは億劫おっくうだったが、リリアンはない回答を作って寄越した。



「別に、何処どこにも行くところなんてないわよ。」



「…そうなのですか?」



「だってそうでしょう。死んだはずが何故なぜか現実かもわからない世界で叩き起こされて、してや見知らぬ人を殺せだなんてそそのかされて…何の得があってそんなことをしなきゃいけないのかちっとも理解出来できないわ。むしろその人を殺したら、この生きているような感覚も終わってしまうかもしれないじゃない。そんなことに労力を使うなら、せめて生前の世界に立ち返る可能性でも模索した方がいいって思っただけよ。」



 少し前に目覚めた広場で聞こえていた不気味なささやきは比較的落ち着いていたものの、なおも背中に張り付いているかのような不快感をもたらしていた。


 それを誤魔化ごまかすかのように、リリアンは万に一つもあるとは思えない幼稚ようちな目的を掲げていた。あのとき窮屈きゅうくつな馬車で青年に語ったように、むなしい理想を並べ立てて相手があきれ帰ることを期待していた。



「それは…素晴らしいことですね。ネリネ嬢様には、生前残していた未練がきっと山ほどあるのでしょうね。」



 だがその期待はロキシーの物腰柔らかな応対によって容易たやすし折られてしまい、リリアンはたまらずその話の流れに虚実を重ねた。



「まぁ、そうね…私は領主の娘として、交易都市メンシスを再興する義務があったもの。」



「そうですよね。メンシスが機能を停止して、大陸中大混乱だったようですし…ネリネ嬢様は命を失われてもなお故郷を案じておられるのですね。」



「…ちょっと。貴女あなた可笑おかしいって思わないの? 私は厄災を引き起こしてそのメンシスを叩き潰した張本人なのよ?」




 一向に疑念が差し挟まれず会話を合わせられることがたちまおろかしく思えて、リリアンは不貞腐ふてくされたようにロキシーを非難した。

 メンシスが壊滅した後の時系列を知っているのならば当然無視できないはずの事実を、等閑なおざりにしてまで同調しようとする態度が生意気に感ぜられていた。



「はい。確かに貴女様あなたさまがメンシスのご令嬢だとおっしゃったときから、そのように愚考ぐこうはしておりました。ですが…理由もなく厄災は起こり得ないものと存じます。おそながら、メンシスでは密輸品等が流通していたとも小耳に挟んでおりました。きっと厄災は領主様の御息女ごそくじょとして良からぬいさかいに巻き込まれた結果なのではないかと、勝手ながら推しはかっている次第でございます。」



 だがロキシーは純粋にリリアンの体裁ていさいを整えようとつつましく私見を述べたので、リリアンはそれ以上に追及することを控えた。


 厄災を引き起こした理由は決して綺麗事きれいごとでも正義感にあふれた動機でもなかったが、都合良く捉えられているのであればそれで不満はなかった。

 他方でそうして取りつくろうと、かえって自分のことを更に掘り下げられる展開に忌避感きひかんいだいたので、リリアンは少し前の話題に立ち返ることにした。



「…まぁ別にどう捉えてもらっても構わないけれど。それより貴女あなたはどうなのよ? 貴女あなたは生き返りたいとか思わないわけ?」



 ロキシーは話を振られると思わなかったのか、一瞬動揺したのち再び委縮したように細々と答えた。



「私は…私にはそう思えません。多くの罪なき住民を傷付け、命を奪ってしまいましたし、今更償えるとは思えません。それに生き返ったとしても…恐らくもう私に居場所なんてないでしょう。」



「そういうことじゃなくて…もっと未練とか、やりたいことはなかったのかって聞いてるの。」



「やりたいこと……いて言うならば、誰かを愛したかった…ですね。」



 愚図ぐずついた返事にいささ苛立いらだっていたリリアンは、ロキシーがひねり出した答えが面映おもはゆく顔をしかめた。一方のロキシーは視線を伏せたまま、なおも語り続けていた。



極々ごくごく普通の、普遍的な愛情を感じたかった。でも、私にはその方法が最期さいごまでわからなかった。愛そうとした人を苦しめてしまった。」


「…謝りたい気持ちはあるけれど、もう一度会えたとしてゆるされるとは思えないし、きっと何も変わらない。また別の人を愛せる時が来るのかもしれないけれど、また同じあやまちを繰り返してしまうのかもしれない。…だからもう、いいんです。私なんかが居なくても、きっと誰も困らないんです。」




 その台詞せりふの締めくくりは、確かにリリアンのしゃくさわった。自分が同じような言葉を吐いていたことを思い起こし明確な嫌悪けんおいだくと、反射的にロキシーをののしっていた。



「あんたねぇ、自分をひがむのも大概たいがいにしなさいよ。あんたのその恵まれた容姿は、裕福な家庭で愛されていたあかしなんじゃないの? それでいて一介の使用人に身をやつすなんて自分の価値を下げる真似まねをして、挙句あげくの果てに1つの失恋で人間不信にさいなまれるなんて…滑稽こっけいにも程があるわ。同情の余地もない。もう少し上手に生きられるすべが、あんたにはいくらでも考えられたんじゃないの?」




 リリアンはまくし立てながら、先程自重じちょうしたはずだった過度な内心への干渉を容赦なく敢行かんこうしていたことに気付いていた。


 だが自分よりも明らかに発育が良く不自由のない環境で過ごしていたであろう同年代の女性が、弱々しくみじめに絶望に浸っている姿が愈々いよいよ受忍じゅにん出来できなかった。

 当のロキシーがうつむいたまま両手でドレスの生地きじを握り締める様子を見て、最悪この発言を機に彼女に嫌われたとしても、それはそれで構わないと覚悟していた。



——このがどんな理由で、どんな厄災を引き起こしたのかは知らない。でも、死んでも自分の価値がわからない奴をあわれもうだなんて思えない。



 しばらくしてロキシーの口元からは、何か感情をこらえるような震えた声音がこぼれてきた。だがその語りはリリアンに対して怒るでも、なげくでもなかった。



「…そうですね。確かに私は生きるのが下手だったのかもしれません。ですが、これだけは言わせてください。私は望んでこの容姿に育ったわけでも、使用人になりたくてなったわけでもないのです。そして容姿が優れていれば、従順であれば真っ当な愛が得られるわけではないのです。…そうしたいびつで抑圧的な世界があったという事実を、ささややかでもご承知いただければ幸いです。」




 悄然しょうぜんとしていたはずの彼女が講釈を垂れてきたので、リリアンの苛立いらだちは更につのった。

 理不尽な境遇からのがれるためにネリネに成り代わり、平穏な生活を享受しようとしていた自分への当て付けであるかのように聞こえていた。


 当然そのような背景など知るよしもないロキシーからすれば、の強い貴族令嬢には理解しがたいと語る口振りに何ら無神経な点はなかった。むしろその態度を追及できないことが、より一層神経を逆撫さかなでさせられていた。



 その一方でロキシーが暗にたとえた生前の世界について、とある憶測が浮かび上がっていた。

 すなわち人身売買という、何か1つの理不尽に人生をつまづかされた女性を呑み込んで手籠てごめにする卑劣ひれつな商売文化が、交易都市のかげで息をしていたことを思い出していた。


 そしてみずからのあやまちにより、けがれた世界とは無縁だった1人の貴族令嬢をその深い闇に突き落とすところであったという忌々いまいましい過去が脳裏のうりよみがえっていた。


 その令嬢のくら面影おもかげが目の前に立ち尽くすロキシーと重なり、リリアンは不意に襲い掛かってきた眩暈めまいを耐えしのぼうと強く歯を食い縛った。



——違う。このはネリネじゃない。辿たど


——それよりもあたしの方が…よっぽど辛辣しんらつな世界を生きてた。あたしだって望んで海賊に生まれたわけじゃなかった。体格も小柄で、髪も肌もほとん潮気しおけさらされて、女々めめしい要素なんて何一つ持ち得なかったし必要とされなかった。経験が物を言う世界に仕方なく立たされて、容易たやすく見限られて売り飛ばされるところだった。


——そんな理不尽な世界を、あんたは死んでも想像できないでしょう。ずっと自分をいつわって、誤魔化ごまかして生きてきたあたしのことなんて理解できないでしょう。だから……!



「…あんたなんかよりもあたしの方が、ずっと明日を生きるのに必死だんだから……!!」




「…ネリネ嬢様?」



 ロキシーが不安そうに視界をのぞき込んできたことに気付くと同時に、リリアンは内心の怨嗟えんさが震えたつぶやきとなって漏れていた口元を慌てて両手で抑え付けた。



「…何でもないわよ。」



 自分がどれだけひどい顔をしていたのかわからず体裁ていさいが悪かったが、ロキシーは漏れていた言葉をみ取ったのかかさず進言してきた。



「あの…どうか私に面倒事めんどうごとをお任せください。この世界でおひとりというのはやはり心配ですし…いただいた衣服の御礼おれいもさせていただきたいです。」



 その真っぐな菫色すみれいろの瞳が、かつて自分と対等になりたいとはかない理想を打ち出したネリネの面影おもかげをもう一度彷彿ほうふつとさせた。

 たまらずリリアンは視線を伏せ、あきれたような溜息をついた。最早もはやロキシーを追い返そうという気力は残っていなかった。



——まぁ、このも厄災を引き起こす力を持っているのなら、そのうち何かの役に立つでしょう。あくまであたしに従順でいるのなら、それを利用するまで。


——決してこののためじゃない、決めたの。



わかったわ。…それじゃ、行くわよ。」



 ぶっきらぼうな呼びかけと共に踏み出す裸足はだしの後ろを、もう1人の裸足はだしが静かに付き添っていった。

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