第4話 散開

 クランメに続いて何処どこかへ飛びとうとするピナスをイリアが呼び止めようとして顔を上げた。

 だがそのどちらの意図もはばむように、突如とつじょ広場一面に叩きつけるような風が吹き付けた。


 ドールは体感したことのない風圧に身をかがめ、冷たさを感じない氷塊ひょうかいに両手を付いてこらえていたが、その最中さなかで唯一ネリネが声を張り上げていた。



「待ちなさいよ! 行くのならこっちの氷も壊してからにして頂戴ちょうだい!!」



 ピナスは少しの間わずらわしそうに空中で抵抗を続けていたが、やが堪忍かんにんしたように黒い花畑の上に降り立つと、新たに3体の蒼獣そうじゅうを生み出して残る5人を捕らえる氷塊ひょうかいを漏れなく砕かせた。


 ドールは無表情の獣が自分の脚までみ砕いてしまわないか終始不安にられていたが、蒼獣そうじゅうは器用に身体の周りの氷だけえぐるように咀嚼そしゃくしていったので、薄くなった残りの氷結は自力でほどくことが出来た。


 間もなくして風が止むと、広場をけ回っていた蒼獣そうじゅうすべてピナスの身体へ吸収されるように、青白い光の軌跡をえがいて消滅した。



いくら氷をらっても何の足しにもならんな。貴様ら、1つ貸しにしてやるから覚えておけ。」



 ピナスは露骨な溜息を付いたのち、ひるがって地をり再び飛翔した。その後ろ姿は白い空に遠く小さくなるまでもなく、先程のクランメと同様にしてもやに紛れるようにき消えた。


 そして強烈な下降気流の反動で舞い上がっていた黒い花弁と金色のちりが静かに揺れ落ちてくる様を、ドールは茫然ぼうぜんながめる他なかった。

 伝承でしか触れたことのなかった、ラ・クリマスの悪魔がもたらす様々な脅威を立て続けに目の当たりにして、すっかり棒立ちになっていた。



「…おい、貴女あなたまで何処どこへ行くつもりだ?」



 だがイリアが気の滅入めいるような声が聞こえて我に返ると、再び強烈な横殴りの風が襲ってきた。


 ドールがかろうじてまぶたを開けると、広場の外へ続く道を進もうとしていたネリネが振り返りながら右腕を差し向け、くどいと言わんばかりに制止を拒絶していた。



「付き合ってられないっていったでしょう? ドランジアを生かそうが殺そうが私の知ったことではないわ。邪魔はしないから貴女達あなたたちの好きにして頂戴ちょうだい。」



 その冷淡な捨て台詞ぜりふと共に強風がしずまると、ネリネは悠々ゆうゆうと円形の空間を去ってしまった。だがクランメやピナスのように突然消失することはなく、徐々にその背中が小さくなっていった。


 それを脇目に見たロキシーもまた浮き腰になりつつ、ドールたちの方に小さく一礼したのちけ足でネリネの後を追い掛けていった。

 幾度いくども離脱の阻止を訴えてきたはずのイリアは、最早もはや足を動かす気もなく立ちすくむのみであった。



 沈黙が戻ってきた広場にはドールのほか、イリアとステラの3人しか残されていなかった。その静寂せいじゃくに耐えかねたステラが、困惑しながらイリアに声を掛けた。



「…イリアさん、これから私たち、どうすれば…?」



 大陸軍の部隊長を務めていたはずの彼女の表情は、とても重苦しく思い詰めているようにドールには見えていた。そしてなんとかして言葉を絞り出しながら、手探りで目的を見出みいだそうとしていた。



「死んだはずの我々が何故なぜこのような状況に置かれているのか、この現世を模したような世界が何なのか判然としない以上、安易な行動はつつしむべきだ。やはりもう一度みなを呼び戻さなければならない。だが、手分けして調査をするべきであるという意見も正しい。」


「…いや、それでも単独行動だけは看過かんかすべきではない。リヴィア女史じょしが議長に協力させられていたことは事実のようだし、彼女の場合は何か考えがあっての独断に違いない。」


「それよりも懸念けねんすべきはピナスの方だ。あれは達観しているようで、実の動機はひとがりのおもむままでしかない。まずはピナスを説得し、歩調を合わせてもらうところから始めるべきだろう。」



 一方のステラはその方針に耳を傾けながら、無機質な白い空を見上げてうれうようにつぶやいた。



「でもあの何処どこへ行ったのでしょう? 追いかけることなんて出来できるのでしょうか…?」



「ピナスはリヴィア女史じょしと同じ消え方をした…彼女はと言っていた。もしかしたら何か思い浮かべる目的地があるのなら、この場にいた者はみな同じことが出来できるのかもしれない…あのもやに隠れるような現象がそれだとしか考えられない。そして人間の住む世界と一線をかくしていたピナスが明確に目指す場所があるのならば、私にもあてはある。」



「…ネリネとロキシーの2人は、どうするんですか?」



「ロキシーはともかく、ネリネ嬢にはそうした行くあてがないのだろう。グラティア州を彷徨うろついてもらう分には、後で探すのに時間はかからないはずだ。」



「…それもそうですね。確かにイリアさんは、グラティア州の街並みを熟知していますものね。」



 その会話の流れで自然と2人が消失し転移を試みようとしているように見えたドールは、たまらず声を発してその間に割り込んでいた。



「…あ、あの。私は、どうすれば……?」



 呼びかけに反応して同時に振り向いた2人の眼差まなざしには決してうとましい感情などなかったが、ドールには何故なぜか2人との距離が実際よりあまりにも遠く離れているような錯覚におちいっていた。


 そんな被害妄想など知るよしもなく、イリアは淡々と指示を出した。



「すまないが、君はここで待機していてほしい。この空間は、ここで目覚めた7人が共通して記憶している場所だ。しばらくしたら誰かが戻ってくるかもしれない。その際は全員がそろうまで待機するようにと、私が居なければ私に代わって要請してほしい。」



「…わかりました。」



 渋々かしこまるドールに対し、ステラもひとり残すことに申し訳ないと一言びを添えた。

 そしてイリアがステラの手を取るとほぼ同時に、例のもやに包まれるようにして2人とも姿を消してしまった。



 黒い花畑に囲まれた広場は沈黙を完成させ、ドールは力が抜けたかのように花壇のふちに座り込んだ。



——結局私は、こうなるんだ。



 白髪はくはつあいまってか関わりがたい印象をいだかれ、ろくに主張を取り合ってもらえず、わりを食ったような役回りにおちいったことに深い溜息をつくと、それは疲労感に転じて全身に重くし掛かった。


 音も温度も存在しない空間で再会できるかもわからない瞬間を待ち続ける役目は、早々そうそうに虚無感を助長し『悲嘆ひたん』となって、死してなお胸の内を嵩増かさまししていくのがわかった。

 寂寞せきばくまままぶたを閉じたが、微睡まどろみがにじみ出ることもなくただ何も無い時間が続いていた。



——こんな思いをするなら……死んでいた方が良かったのかな……。





 舗装の行き届いた広い街路の中心を、ネリネことリリアンは黙々と歩き続けていた。


 イリアの見立てにのっとるならば、ソンノム霊園を出た先に広がる風景はヴィルトス近郊の住宅街であると思われた。


 だが例に漏れずどの建物もげ付いたように黒く、所々のふちや側面は白かった。リリアンにはこの世界が、現実の風景の光と影を反転させたように見えていた。


 いくら歩いても人の気配はなく、時折降り注ぐ金色のちりがある程度まとまったかのようなかたまりが浮遊していること以外、動きを見せる物体すらなかった。

 他方でこの世界で目覚めたときから裸足であったが、完全に地に足が着いていないような感覚で、痛みも疲労もまったく湧き上がってこなかった。



 だが人ではない、がやや後方から付きまとい続けていることをリリアンは察していた。

 いくら無視を続けても状況が変わることがなかったので、愈々いよいよ振り返って露骨に不機嫌な声音を振り撒いた。



「ねぇ、いつまで付いてくるつもりなの? いい加減鬱陶うっとうしいんだけど?」



 突然苛立いらだちを突き付けられたロキシーは一瞬狼狽ろうばいしたが、ぐにかしこまって辿々たどたどしく釈明した。



「…ご気分を害してしまい申し訳ございません。…しかし私は、領主貴族様の使用人なので。ご令嬢であるネリネ様におつかえすることが、今の私がすべきことかと…。」



「あのピオニーって部隊長さんだって銘家めいかのご令嬢でしょう? あの人に言われて私を監視しようとしてるんじゃないの?」



「…いいえ、私の独断です。ピオニー様には、何ら声を掛けられておりません。」



 リリアンは委縮するロキシーをなじりながらも、いまだに衣類が薄布一枚のみで恥ずかし気もなく応対されていることが不愉快になってきていた。

 あまりよわいが変わらないように見えたにもかかわらず上背うわぜいもあり、発育も良い身体を生々しく見せつけられているようで気に食わなかった。



——何でこのはこの恰好かっこうで平然としていられるの。そんなことも気に留めず使用人を気取られてもこっちが迷惑なんだけど。


——でもそのまま追い返すのも何だか後味が悪いし、何処どこかその辺から適当な衣類でも見繕みつくろえないものだろうか。



 周囲を見渡しても呉服店や仕立屋のような店は見当たらず、手あたり次第に住宅に入ろうと玄関扉の取っ手をつかんでも微動びどうだにしなかった。

 一度死んだ身ゆえか、『つかむ』という感覚すら失われているのだと思い知らされた。


 あきれたリリアンは大きな溜息を付くと、桃色地のドレスを強引に脱いでロキシーに向かって投げ付けた。



「…取りえずこれでも着てなさい、追随ついずいされてるこっちが恥ずかしくなるから。」



「…!? ……ですが、それではネリネ様は…?」



 一方のロキシーは予期せぬ贈呈ぞうていにあからさまに恐縮するとともに、ネリネの身形みなりが純白のキャミソールとドロワーズのみとなったことに動揺していた。



「別にいいわよ、こっちの方が動きやすいし。いいからさっさと着て頂戴ちょうだい。」



 令嬢としてあるまじき発言ではないかという懸念けねんがリリアンの脳裏のうりに一瞬よぎったが、ロキシーはそれ以上何も言わずしぼんだように承諾した。


 あの夜終焉しゅうえんを迎えたはずの人生が——ネリネに成り代わることすら否定されすべてが無に帰したはずの自分が、再びリリアンとしての意識で、ネリネとしての外見で再構築されたことの意味を考え続けていた。


 このに及んでネリネをかたる必要はないのかもしれないが、そうしなければという潜在的な危機感があった。ゆえに、せめて態度や口調だけでもよわい相応そうおうの令嬢として振る舞うことにしていた。


 だが結果としてネリネの外見と令嬢という肩書に釣られた、ロキシーという自称使用人とのかかわりを余儀なくされていた。



——本物のネリネはこんなにがさつじゃないけれど、箱入りだったあのを知ってる人なんてここにはいないだろうし、多少肩肘張らない方が幾分いくぶんか気楽ね。



「どう? 問題ないかしら?」



 リリアンは衣擦きぬずれの音がんだのを察すると、ドレスに身を包んだロキシーを改めて振り返った。



「…すみません、少し胸元が苦しいです。」



「あら、そう。それは良かったわね。」



 ドレスをまとってもなお隠し切れないロキシーの豊満な胸部が、今にも生地きじを引き裂きそうなくらいに張り詰めていたが、リリアンは北叟笑ほくそえむようにしてあしらった。


 他方で、彼女の藍色の長髪と桃色地のドレスが不釣り合いに見えたものの、つやのある髪質や瑞々みずみずしい肌、美麗びれいに整った顔立ちに不覚にもかれてしまった。



「それにしても、随分と恵まれた容姿をしているのね。私よりもずっと貴女あなたの方が貴族令嬢みたいだわ。」



 その感想はリリアンにとって嫉妬しっと羨望せんぼうではなく、皮肉を交えた正直な言葉であった。だがロキシーはより一層恐縮し、視線をせながら卑屈ひくつそうに返事をした。



「…滅相めっそうもございません。私は一介の、いやしい使用人ですので。」

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