第3話 手掛かり

 ドールが回顧かいこさいなまれている間にも、円形の空間では顔をしかめたネリネがクランメに対し問答を続けていた。



「なんでそんなことを貴女あなたは知ってて止められなかったのよ?」



「うちはドランジアとは十年来じゅうねんらいの腐れ縁でな、5年前に悪徳に付け込まれて魔力入りのリンゴを食わされて悪魔を宿すに至ったんや。うちが宿す力がラ・クリマスの悪魔を『封印』する…要は一時的に捕らえるために必要言うて、散々命もてあそばれて利用されとったんやで。」



「…そもそもそんなリンゴを大陸各地に行き渡らせるなんて、到底現実味があるとは思えないんだけど?」



 他人事ひとごとのように淡々と打ち明けるクランメに対し、ネリネは戯言ざれごとなじるがごとく少しずつ詰め寄っていた。

 だがその動きを制するように、イリアがゆっくりと歩み寄って代弁した。



「それについては、私にも責任がある。大陸軍の国土開発支援部隊に、議長らが密かに指揮していた『かげの部隊』という諜報ちょうほう組織が紛れていて、議長の指示のもと魔力入りのリンゴをもとへ運ばせていたのだ。『かげの部隊』は本質的にはラ・クリマスの悪魔を『封印』することを目的とし、13年程前に立ち上げられたらしい。恐らくそのときから大陸全土に潜伏し、悪徳が高まる見込みのある標的を選定していたと思われるのだ。」


「…隊長としてその実態を見抜くことが出来できず、忸怩じくじたる思いだ。謝罪がまかり通るとは思っていないが…本当に申し訳ない。」



 だがネリネはなおもイリアを見上げながら、謝罪などどうでもいいと言わんばかりに顔を膨らませた。



「だから現実味がないって言ってるの。一国の首相が手を加えたリンゴっていうのは、当然一度市場に流通した品物になるでしょう。それがまた何日もかけて運ばれるのなら、多少なりとも品質は落ちるはずよ。でも私が悪魔を宿す前に口にしたリンゴは、少なくともメンシスで売られていたものと同等くらいの新鮮さはあったわ。それでも本当にドランジアが諸悪の根源だと断定できるわけ?」




 その具体的な批判に、イリアとクランメは思わず互いに顔を見合わせた。だが一呼吸おいて向き直ると、クランメがネリネの顔をのぞき込むようにして問い返した。



「ドランジアが何を仕出しでかしたかっちゅう話題に切り替えたんはお嬢さんの方やろ。なんでその前提を掘り返すようなこといとんねん。」



「…別に。ただ私には関係のないことだって思いたかっただけよ。ここが何処どこかすらわからないのに素性すじょうも知らない人間をさがし出すなんて、付き合ってられないから。」



 ネリネは一歩退きながらばつが悪そうに踏んり返ったが、そこで会話に踏み込む機会をうかがっていたステラがようやく回り込み、なだめるように声を掛けた。



「落ち着かない気持ちはわかるわ。私はむしろルーシーさんがとてもお世話になった人だったから、急に殺せだなんて促されても戸惑いしか生まれていないの。でも、だからこそあの人が何を成したのか、それが本当に正しかったことなのか知る必要があると思う。そしてそれはきっと、この場にいる全員が関わるべきことなのよ。…ここで悪魔を宿してしまった全員が目覚めたのは、きっと偶然じゃないはずだと思うわ。」



 柔らかく包み込もうとするような説得に、ネリネは毛嫌いするような視線でにらみ返した。だがステラをかばうようにして、イリアが再び前に出ていた。



「私も同じように考えている。議長はラ・クリマスの悪魔と共にみずか無間むけんとらわれ続けることで、暫定的ざんていてきに我が国から厄災の脅威を取り除こうと考えておられた。その算段通りここが無間むけんという世界なのかは定かでないが、私にも聞こえる例の不可解なささやきのように、何か別の意志が働いていることは確かだ。今は安易に単独行動に走るべきではない。」



 一方でその説得に対して、ピナスが黒い花畑にたたずんだままれったい様子でイリアに問いかけた。



「とはいえ、いつまでもこの場にたむろしていることもなかろう。ドランジアを見つけ出さん限りは何も話が進まん。そもそも彼奴あやつは何者なのか。わしらと同じ悪魔を宿した者でないのなら、何故なぜ魔力とやらを操ることが出来できるのだ。わし彼奴あやつ対峙たいじしたとき、万全でなかったとはいえすべなく返り討ちにされたのだぞ。」



「…議長は大陸議会にかかわる以前は大陸軍の所属だった。元より体術には優れていたと聞くが…いつから魔力をつちかっていたのかはわかりかねるな。」



 イリアは回答に苦しみながら、クランメに補足を依頼する視線を送っていた。それを受けたクランメは、仕方なく肩をすくめながら語り出した。



「うちも詳しくは知らん。地道に鍛錬たんれんしたとか生意気なこと言うとったけどな。奴は魔素まそ…この世界に満ちとる魔力のもとを操り、掌握し、かたまりにすることが出来できる。せやけどラ・クリマスの悪魔のような膨大な魔力のかたまりまでは保存出来できひんっちゅう話やった…でもまぁ、今思えばあれはうちを利用するためのていのええ言い回しだったのかもしれへんけどな。」


出来できひんも何も、そないなこと試せる機会なんてうあらへん。初めから7体分の悪魔の力をまとめて使うことに意味があって、そのための技量はわきまえとったはずや。…それよりもピオニー隊長、あんたが悪魔を宿したにもかかわらずドランジアに容易たやすくやられとんのが意外やったけどな。かつての上官を前に日和ひよっとったんか?」



 クランメが皮肉を挟みつつイリアに問い返すと、イリアは重苦しい表情でうつむきながらルーシーと対峙たいじした時のことを振り返った。



「…議長のわざはまるで実態がつかめなかった。私の前で氷結を解き、雷撃を不可視の壁のような何かで遮断しゃだんした…あれほどの雷撃がとどろ最中さなかでも鼓膜こまくが破れている様子もなかった。最後には本懐ほんかいを打ち明ける議長を前に頭痛ずつう眩暈めまいに襲われて息苦しくなり、抵抗する余力もなかった…それすら議長の魔力がもたらした現象だったのかもしれない。」




 イリアが明かす最期さいごを聞いて、ステラは両手で口元をおおいながら狼狽ろうばいを隠し、ピナスもやや首をひねってルーシーの能力の真相を探ろうとしていた。


 円形の空間はしばしの間沈黙に満たされ、ネリネは話が進むのを待ちぼうけて退屈そうにたたずんでいた。

 ロキシーは依然として黒い花畑にうずくまったまま傍観ぼうかんしており、ドールもまた自分の存在などうに忘れられてしまったのだろうと悄気しょげながら、仕方なく物騒な話題の推移をながめていた。



 だが一連の情報を踏まえて、不図ふとクランメは何か思い立ったかのように紺青色こんじょうしょくの瞳を強張こわばらせた。

 そして白衣をひるがして広場の外へと歩き出そうとしたので、気付いたイリアが慌てて呼び止めた。



「リヴィア女史じょし何処どこへ行くつもりだ? 単独行動に走るべきではないと…。」



「ちと確かめたいことが出来できたわ。何でかわからんけど、今しばしここで待っとってくれ。」



「…何を言っているんだ? 詳しく話を……!?」



 イリアが更に一歩を踏み出した瞬間、クランメを除く6人の足元から腰の辺りにかけて一斉に氷塊ひょうかいり出し、各々おのおのの身動きを封じ込めた。



 ドールは突如とつじょ生じた不自然な現象に息を呑むと同時に、これがラ・クリマスの悪魔の力の1つであることを察した。こちら側をほとんど振り返ることのないクランメの繊細せんさいな魔力行使に驚かされたが、もう1つ奇妙な違和感もいだいた。



——あれ、全然冷たくない。…私はこれを氷だと認識しているのに。



 白と黒を基調とした空間で青白い色味をともなかたまりは紛れもなく氷に見えたが、一度死んだ身だからか何ら温度を感知していなかった。


 改めて広場を見渡すと、姿勢の低かったロキシーは肩の辺りまで素肌が氷塊ひょうかいに包まれていたにもかかわらず、震え上がることなくただ困惑した表情を浮かべていた。

 他の者も寒がることなく騒然としており、ネリネは不意打ちのように危害を加えたクランメに非難を飛ばしていた。



「ちょっと!? 一体どういうつもりなのよ!?」



「あんまし暴れん方がええで。下手したら身体が傷付くかもしれへん…まぁ今更痛覚を感じるんかは知らんけどな。」



「だからっていきなりこんなことする必要があるわけ!?」



 声を荒げるネリネに追随ついずいするように、イリアは瀬無せない口調で再度制止を試みた。



「リヴィア女史じょし…確かに私は不甲斐ふがいなかった。貴女あなたが事前に便箋びんせんで忠告し喚起かんきしてくれたにもかかわらず、私は議長の目論見もくろみ通り悪魔を宿してしまった…貴女あなたを失望させてしまったのかもしれない。だがすべてが終わったわけではないとわかった以上、貴女あなたの助力は必要不可欠で……!」



なんの話や? うちはあんたに手紙なんて送った覚えあらへんよ。」



 だが無感情に返事を寄越すクランメを前に、イリアは絶句して思わず口籠くちごもった。



「…何だと…? しかし、確かに貴女あなたの署名が……!」



「確かに大陸議会宛に会合の無期限延期を伝える書面は送ったけどな。そもそもうちの筆跡なんて、あんたは知らんやろ。それもきっとあんたをおびき出すため、ドランジアが仕掛けた手の込んだ罠だったんやろな。まぁ別にとがめたりはせえへん。…本真ほんまはこれは落とし前つけなあかん話やねん。」



 クランメはそうして言い残す形で、後ろ姿がもやおおわれるようにしてき消えてしまった。



 

 目の前で新たに生じた不可解な現象に、残された6人は一様に目を疑った。まとわりつく氷結は依然として強固なままであり、苛立いらだちを隠せないネリネが出来できる限り首を回してわめき散らした。



「ねぇ、誰かどうにかしなさいよこれ! ここにいる全員悪魔の力がだ使えるんでしょ!? 1人くらい氷を壊せるんじゃないの!?」



 その後方でドールはうつむきながら、自分の蒼炎そうえんなら氷結に対して有効なのではないかと考えていた。


 だが氷をあぶって溶かすという行為に対する加減の想像が難しく、下手をしたら死の間際まぎわのように自分の身体ごと焼き尽くしてしまうのではないかと危惧きぐした。

 してやその蒼炎そうえん他人ひとに向けるなど、殺戮さつりくの手段としてみだりに振り撒いていた過去を振り返ると、猶更なおさら躊躇ためらいを払拭ふっしょくすることが出来できなかった。



——悪魔の力は厄災をもたらす力でしょう。誰かを助けるためになんて、使えるわけが…。




 だがそのとき、広場の奥の方から氷塊ひょうかいが乱雑に砕け散る音が飛んできた。


 ドールが見遣みやると、氷結から解放されたピナスの周囲に2体の蒼獣そうじゅうが生じており、散乱した氷の欠片かけらむさぼっていた。


 悪魔を宿したラピス・ルプスの民が従えると言い伝えられてきた狼のような青白い生命体は、ドールが思っていた以上に獰猛どうもうおぞまましく見えた。

 だがそれよりも、ピナスが背中から生やしたわしのような青白い翼を羽搏はばたかせ、そらに浮かび上がったことに驚愕きょうがくしていた。



わしもここからは離脱させてもらうぞ。ドランジアの手掛かりなら…わしが上空からこの世界を俯瞰ふかんしてさがし出してやる。」

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