第2話 確執と自失

 ドールが最後に記憶していた日付は、同年6月1日の安息日あんそくびであった。その情報は少なくとも自分が1カ月は死んだままだったことを意味していたが、だからといってこの現状を何ら説明できるわけではなかった。



「議長はラ・クリマスの悪魔をこの大陸から排除し、厄災の無い平和を実現することを掲げておられた。そのためにかつて預言者グレーダンが執行した『魔祓まばらいの儀』を再現し、7体の悪魔をすべて捕獲することで膨大な魔力を集め、…創世の神と同等の次元に並び立ち交渉するのだとおっしゃられた。」



 イリアが少し言いにくそうに一国の首相の本懐ほんかいを明かすと、他の6人は一様に怪訝けげんな表情を浮かべた。


 なかでもドールはグレーダン教徒として創世の神をあおあがめる生活を送っていたことから、内心では懐疑かいぎよりも拒絶的な反応が勝っていた。



——神様と並び立つ? 天国を訪ねようとしているということ?


——天国は永遠の命を得るために、敬虔けいけんな信仰を絶やさず生涯を終えることでようや辿たどり着ける地なのよ。ラ・クリマスの悪魔について、そんな逸話いつわを見聞きした覚えはないわ。




 するとドールの右隣に立つネリネもまた鼻で笑いながら、両腕を広げてイリアに問いかけた。



「つまり私たちは、議長様の雄弁なる妄言もうげんに付き合わされて殺されたっていうのね?」



 いくら奇妙な状況とはいえ、角が立つような物言いにステラは戸惑いを隠せないようであったが、当のイリアは表情を変えずに釈明を続けた。



「議長は旧大陸帝国王でもあるグレーダンの子孫であり、ラ・クリマスの悪魔を『封印』するため生み出したディヴィルガムという杖を代々密かに継承されておられた。…すべての悪魔をラ・クリマス大陸から引きがすことは神が定めた民へのいましめを破壊する行為であり、無間むけんの牢獄にとらわれるという神罰を受けたグレーダンは、悪魔の『封印』を解き大陸の民に『7つのいましめ』を約束させることを条件に解放を許された。」


「そして身内にのみその真相を語り、二度と悪魔を捕らえ集めることがないよう警告し、本物のディヴィルガムをゆだねて崩御ほうぎょされたのだという。だが議長はその事実を逆手に取り、創世の神と対峙たいじするためにラ・クリマスの悪魔をすべて顕現させ捕らえようとした…いや、これはもう捕らえた結果なのかもしれないが…。」




「すみません、その話は聞き捨てなりません。」



 ドールはイリアの語る言葉に生前触れてきた史実や観念を大きく揺るがされ、失礼を承知の上で横槍を入れていた。


 結果として再び6人の注目を浴びることになり、かつて十字架に縛られ、負の感情に染まった数え切れないほどの視線を浴びた過去を彷彿ほうふつとさせた。

 だがこのまま押し黙っていれば今度こそ本当におのが身が朽ちてしまいそうな気がして、愈々いよいよ口を挟まずにはいられなかった。



「グレーダンは厄災に苦しむ民を救うために創世の神から預言をたまわり、ディヴィルガムを生み出して『魔祓まばらいの儀』を執行されたのです。何故なぜ預言をお授けになった神が、預言の通りにごうを為したグレーダンを罰しなければならないのですか。」



 一方のイリアは突然かたわらの修道女から燃えるようなあかい瞳を差し向けられ、明らかに虚を突かれているように見えた。



「…その因果関係は、すまないが私にもわかりかねる。だがグレーダンとその子孫が本物のディヴィルガムを秘匿ひとくさせていたことは確かだった。その事実にかんがみれば、少なくとも悪魔を『封印』するという行為がおおやけとすべきものでなかったことは想像にかたくないだろう。」



 ドールにとっては苦し紛れにも聞こえた反論だったが、確かにその事実だけは認めざるを得なかった。

 本物のディヴィルガムは大司教が代々継承してきた司教杖しきょうじょうではなく『死神』が携えていたことに、実際に悪魔を宿して初めて認識させられたからである。


 だが千年来せんねんらい多くのグレーダン教徒にあがたたえられてきたはずの偉業が、たった1人の口伝くでんくつがえされることなど到底受け入れられなかった。

 それが死後に見た奇妙な夢の世界の出来事であったとしても、むべきだと信じ続けていた御業みわざ容易たやすく否定されるわけにはいかなかった。



「…悪魔を『封印』したことがあやまちだったなどとは断じて認められません。預言者グレーダンは大陸の民に『7つのいましめ』を約束させたのち、悪魔を呼びこさず厄災を二度と引き起こすことのない平穏な世界を民の手で築いていくことを願い、創世の神に招かれるままみずから天に昇られたのです。神のおしえである『7つのいましめ』を遵守じゅんしゅし続ければ天の国に辿たどり着き永遠の命を得ることが出来できると、おのが身をもってその道をお示しになられたのです。」


「これは長い時代、長い年月を経て信仰されてきた史実であり、語り継ぐ書物や絵画も数多く存在しています。しかし、グレーダンの死を神罰だと揶揄やゆするような切り口など…してや無間むけんの牢獄などという具体的な描写など、見たことも聞いたことも……。」



 ドールは顔を紅潮こうちょうさせることもいとわず、直立する軍人の女性を見上げてまくし立てていた。


 だが不意にその間に割って入るように、ピナスが遠くからひとごとを投げかけてきた。



無間むけんの牢獄とは、言い得てみょうだな。我が一族でもグレーダンの死は不可解な老衰だと語り継がれていたが、それが神罰だと言うのならあながち理解できなくもないのう。」




 それが明白にイリアの肩を持つような発言だったので、ドールは息が詰まったかのような顔でピナスに向き直った。


 ラピス・ルプスの民については、預言者グレーダンと友好的であったという逸話いつわを本で読んだことがあった。

 だが『7つのいましめ』を破って悪魔を顕現させて以来、大陸の民の住む世界を追われてしまったという結末からは、人間との間の浅からぬ軋轢あつれきが現代にも続いているのだろうという切ない感傷をいだいたことを覚えていた。


 そのラピス・ルプスの民の少女が、今この場でわかやすく小意地の悪い口振りをしているようにドールには聞こえていた。



「老衰…? グレーダンが老衰で天に召された瞬間を、千年前のラピス・ルプスの民が看取みとっていたとでもいうの?」



 やや声音の上擦うわずったドールの問いかけに、ピナスは皮肉を交えながら答えた。



「長老の話では、『7つのいましめ』なるものをべ伝えるその姿が、奇妙にもはなはだしく老いれていたそうだぞ。我が一族のまなこは人間よりも遥かに遠くを、見通せる。信心深くあがめる人間の民から秘匿ひとくしてまでやり過ごさなければならない、後ろめたい何かがあったと受け止められても何ら不思議ではない。…例えば『魔祓まばらいの儀』なるものが本当は失敗だった、とかな。」


「…そ、そんな……!?」



 太々ふてぶてしい批判にドールは小刻みに身体が震え出すのを感じつつ、何かを言い返そうとして口籠くちごもった。ピナスを捉えていた視線の間に、今度はネリネがうんざりした様子で侵入してきたからである。



「まったく、そんな昔話の真偽なんてどうでもいいわよ。問題はルーシー・ドランジアが何を仕出しでかしたのかって話でしょ?」




 ドールはまもろうとしていたはずの揺るぎない信念が貴族令嬢に話題ごと一蹴いっしゅうされてしまい、その仕打ちにすっかり冷や水を浴びせられていた。

 ネリネやピナスだけでなく、この場にいる全員がみずからの主張を煙たがり、あやしく輝く瞳で卑下ひげしているように思えて意気消沈してしまった。



——どうして? 私が間違っているの? 私が信じてきたことすら全部虚実だったの? やっぱり私はここでも、悪しき存在として無下むげに扱われるの…?



 一方で円形の空間の中心に躍り出るような形になったネリネは、ふさぎ込むドールを他所よそに、周囲を見回しながら苛立いらだった声を上げていた。



「それで、さっきからそのルーシー・ドランジアを殺せって執拗しつように私にささやきかけてるのは誰!? わずらわしくて仕方がないんだけど!?」



 あたかも犯人さがしをするようにネリネは四方八方をにらんでいたが、この場の7人以外に人影はなかった。

 だがドールはみなの表情が先程のような懐疑かいぎではなく、ネリネと似たように不安や不審をいだいていることに気付いた。


 するとむなしく沈んだ胸の内で木霊こだまするように、何者かの声が聞こえてくるのがわかった。




『…ルーシー・ドランジアを止めろ……たおせ………殺せ……!』




 自分の声音をずっと低く冷たくしたような響きにおののき、ドールは思わず後ろを振り向いたが、黒い花畑と垣根のような壁があるのみであった。

 その垣根の奥に何かがひそんでいる可能性が脳裏のうりよぎったが、そのときには広場を挟んで反対側にいるピナスがネリネに問いかけていた。



わしにもその言葉は聞こえるぞ。だが遠くからでも近くからでもない、さながわし自身が言葉を発しているような感覚だ。わしは生前ドランジアと因縁があったがゆえ然程さほど不思議ではない感覚なのだが…貴様は違うのか?」


「何よそれ…私はラ・クリマスの首相になんて会ったことはないし、してや間接的に危害を加えられたこともないわよ。」



 ネリネは露骨に不機嫌な調子で吐き捨てたが、その台詞せりふをクランメが冷静に拾い上げて指摘した。



「間接的な危害なら加えられとるはずやで。君はドランジアにかねてより標的にされ、ラ・クリマスの悪魔を顕現しやすい体質にされた。悪魔を宿す前、なんか不自然なもんを口にせんかったか? …例えば、リンゴとかな。」



「…確かに食べた記憶はあるわ。でもリンゴ自体は別に珍しい食べ物ではないんじゃないの?」


「せやからその普遍的な果実にドランジアは魔力を込めて、警戒されずに摂取できるよう仕込んどった。それであとはなんかの契機で悪徳が高まれば、ぐにでも悪魔が顕現するっちゅう算段だったんや。…ここにいる全員、同じような手口で悪魔を宿してもうたんとちゃうか。」




 ドールはクランメの言葉を半信半疑で聞きながらも、自分も同じようにリンゴを口にしていたことを思い出した。


 一口どころか自然と丸ごと1個を食べ切っていたことは、今になって振り返れば異常な食欲であった。そしてそれを勧めたのはアメリアであり、そのリンゴを孫と呼ばれていた女性が持ち込んでいたことまで記憶がよみがえると、途端とたんに背筋に悪寒おかんはしった。



——あのお孫さんが首相だったのかはわからない…容姿なんて見たことがなかったもの。でもアメリアおばさんが最初から私にあのリンゴを食べさせるつもりだったのなら…リンゴのを知っていたのなら、すべての事が都合よく成り立ってしまう。



 生前のドールは教団の秘密を詮索せんさくするため、グレーダン教と一線を画すアメリアの口車くちぐるまに乗せられていたのだと思っていた。


 だが廻者まわしものとして槍玉に挙げられ、そのむごい仕打ちに『悲嘆ひたん』をつのらせることを期待し、アメリア自身が教唆きょうさされていた…しくは共謀きょうぼうしていたのであれば、一夜のうちに本物のディヴィルガムを持つ『死神』に襲撃された事実にも合点がいった。


 そして厄災を引き起こすため、周囲から白髪はくはつうとまれていた自分が格好の『標的』として見做みなされていたと仮定したとき、ドールはアメリアとの邂逅かいこうそれ自体に疑念をいだかずにはいられなくなった。



——もしかしてあの時アメリアおばさんは…最初から私を厄災に利用するつもりで恩を売っていたの…? 私が非難され、絶望することを望んでいたっていうの……?

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