第9話 すべてのおわり

 イリアの攻撃的な口振くちぶりは、渇望の証拠であった。理不尽で不服なあしらいを受けることは『憤怒ふんど』を高めるための燃料でもあり、そうしていかる対象を滅ぼすことが本来の悪魔としての本能であった。


 だがそれは同時に悪魔を宿した自身を滅ぼすことも意味しており、一連の破滅的な衝動はイリアの軍人としての強靭きょうじんな精神力によってかろうじて抑え込まれていた。


 ルーシーはそのような膠着こうちゃく状態をついに観念したのか、大きく溜息をついてあきれたように両手を広げた。



「…確かにこれは私の誤算だな。仕方ない、一度しか言わないからよく聞くといい。」



 ここに来てルーシーが本当に真意を打ち明ける気になったことは、イリアにとって拍子抜けであった。


 だが不気味に静まり返った周囲を警戒するように視線を走らせるなかで、もしかしたら先程まで包囲していた『かげの部隊』にすら釈明を躊躇ためらうような目的を抱えているのかもしれないといぶかしみ、ぐに身構えていた。



「私の本当の目的は…この大陸からラ・クリマスの悪魔を排除するため創世の神と交渉することだ。7体の悪魔の魔力は、神と同等の次元に立ち並ぶために必要なものなのさ。」




 だがようやく語られたはずの一言はあまりにも現実離れしたものであり、イリアだけでなくカリムも絶句していた。



——創世の神と、交渉する? 神と同等の次元に立ち並ぶ? …夢物語にも聞こえるそれが、貴女あなたの真意なのか……!?



 その反応を受けたルーシーは自嘲じちょう気味に肩を震わせながら、更に語り続けた。



「そんな顔をするのも無理はない。だがこの大陸には、かつて一度だけ創世の神と対峙たいじした者がいた…グレーダンだ。」


「グレーダンはラ・クリマスの悪魔を『封印』するために『魔祓まばらいの儀』を執行したが、それは失敗に終わった。ディヴィルガムでは7体分の悪魔の力を抑え込むことが出来できず、グレーダンはその膨大な魔力に呑まれた。…厳密に言えば、神罰を受けたのだ。悪魔をつかわせた大陸の民へのいましめは創世の神の決定事項であり、その悪魔を封じることは神に対する叛逆はんぎゃく行為だったからだ。」



「神罰として無間むけん牢獄ろうごくとらわれたグレーダンは神にゆるしをい、悪魔を再び解き放ったうえ大陸の民に『7つのいましめ』を約束させることを誓った。そうしてグレーダンは神のゆるしを得て現世に帰還したが、神は無間むけん牢獄ろうごくでグレーダンの寿命を大きく奪っていた。大陸の民にいましめを課すことを彼の決定したからだ。」


「そして唐突とうとつな老衰を民に秘匿ひとくしながら役割を終えたグレーダンは、その日のうちに息を引き取った。…皮肉にもその末路が預言者としての肩書かたがきを完成させてしまったがな。」



 学舎でも聞いたことのない史実を流暢りゅうちょうに明かすルーシーを前に、イリアは徐々に眩暈めまいを覚え始めていた。



「…到底信じられないだろう? だがこれは戯言たわごとではない…そうでないと。これはまぎれもなく現世に帰還したグレーダンが王族のみに語った言葉だからだ。我がドランジア一族は、代々密かにこの事実を口伝くでんしてきた。民の上に立つ者が二度と同じあやまちを繰り返さないよういましめ、本物のディヴィルガムを秘匿ひとくして歴史の表舞台からみずから退いたのだ。」



「だがそれから何百年という時が経ち、共和国として法律や人権、道徳規範が根付きつつある現代にいて、偶発ぐうはつ的な厄災にいましめなど国家繁栄はんえい弊害へいがいにしかならないと捉えられるようになった。そうして私の父はピオニー元帥げんすいと共に『かげの部隊』を組織し、ディヴィルガムを引っ張り出して厄災の根絶に乗り出した。」


「しかし、父は結果を求めていてしまっていた。それが一因となって身内に不和が生じ、崩壊へと至った。…それでも唯一残された私は父の遺志を継ぎ、着実に厄災の根絶を果たすべく13年の時を費やした。結果として辿たどり着いた方法は、かつてグレーダンが犯したあやまちを再現することに他ならなかった。」



「だが私は無間むけんとらわれようとも、神にゆるしをうつもりなど毛頭もうとうない。その牢獄ろうごくで朽ち果てるそのときまで、私は厄災をもたらす悪魔をおのが身に抱え、この地にかえす必要がないことを訴え続けてやる。…それこそがドランジア家の末裔まつえいとなった私の役目であり、責務なのだ。」


「…おまえたちは疑問に思ったことはなかったのか? この大陸を囲む海の向こうにも数多あまたの国家が栄え、人の生活が営まれているというのに、ラ・クリマスという世界だけが千年も厄災の脅威にさらされ続けているのだぞ? その理不尽な束縛を打ち破ることができる者は、私以外に存在し得ない。…その意味では、交渉ではなく叛逆はんぎゃくと称した方が妥当なのかもしれないがな。」




 ルーシーの長い独白に聴き入っているうちに、イリアは眩暈めまいが一段とひどくなり、片膝を付くような格好かっこうへと崩れ落ちてしまった。



 それは想像をはるかに超えたルーシーの原点と執念に理解が追い付かなかったからでも、先の雷撃の反動が悪化したからでもなかった。胸が締め付けられるように呼吸が苦しくなっており、うつむきながら大粒の冷や汗を浮かべていた。


 かたわらではカリムもまた同様に地面にうずくまるようにしてあえいでおり、みずからの体調の異変が何らかの外的要因にかかるものであることだけが明らかであった。



——何だ…? 上手く息ができない……これもまた、議長の仕業しわざなのか…!?



 そのむしりたくなるような首元を、うつむく視界の外から伸びてきたルーシーの右手がつかんだ。



 決してめ付けるようなりきみは感じなかったものの、それ以前の息苦しさから何も抵抗が出来できず、周囲の空気全体が抑圧されているようで電撃を震わせることも叶わなかった。



「すまない、イリア。おまえをこんなに苦しませるような形で最期さいごを迎えさせたくなかった。…これは私の我欲がよくが導いた誤算だ。」




 朦朧もうろうとした意識に届いたルーシーの言葉を合図あいずに、つかまれたイリアの首元を中心に肌が盛大な罅割ひびわれを起こし、黄蘗色きはだいろの光がにじ亀裂きれつたちまち全身へと広がっていった。


 添えられただけのてのひらから一瞬骨身ほねみを砕くかのような激痛がはしったが、ぐに全身が空気にとろけるかのような脱力感へと転じ、イリアは今まさに自分の命が奇妙な力で奪われようとしている現実を否応いやおうなしに突き付けられた。



 わずかな気力を振りしぼって引きった顔を上げると、ルーシーの黄金色こがねいろの視線にとらわれた。その蛇を思わせるくらく支配的な眼差まなざしは、初めて会った頃の彼女に抱いた印象を想起させた。



——貴女あなたは……あの時から何も…変わっていなかったのですね……。



 やがて焦点も合わなくなり、その残像が緩やかに遠退とおのいていった。



 すべなく意識が暗闇へと引きり込まれていく中で、最後に生まれた感情もまた静かな『憤怒ふんど』であった。


 だがその矛先ほこさき最早もはや曖昧あいまいで、悄然しょうぜんとしたものに成り果てていた。



——どうして貴女あなたは…いつも独りで……何もかもを抱え込んでしまうのですか……。


——私は…貴女あなたの道具としてではなく……貴女あなたの意志を共に担ぐ者として…力になりたいと願っていた…はずなのに……。



——悔しい……むなしい……。


——未熟な自分が……最後まで貴女あなたの心を開けなかった自分が…不甲斐ふがいない……腹立たしい……。





 東の空からのぼった壊月彗星かいげつすいせいは、こよみの上では今宵こよいが最もこの星に接近する日であった。


 立ち込めていた雷雲が流れ去り、煌々こうこうとした怪しげな輝きはソンノム霊園の広場に降り掛かった無惨むざんな厄災のあとを誇張するように照らし出していた。



 その中心でうずくまっていたカリムは、ゆっくりと呼吸を繰り返して慎重に体力を取り戻そうとしていた。

 かたわらには持ち主の無くなった隊服やよろいむなしく転がっており、息苦しさは和らぎつつあった。


 ディヴィルガムはだカリムのふところに抱えられていたが、その杖が無くともルーシーは悪魔を魔魂まこんに変えることができるというクランメの推論が無情にも証明されていた。

 ルーシー・ドランジアという人物の正体が飛躍的に混迷を極め、カリムは底知れぬ畏怖いふいだいた。


 だがその一方で、なんとしても彼女に問わねばならないことが1つあった。



 カリムはやっとの思いで顔を上げたが、その目先の光景にぐさま息を呑んだ。

 

 こちら側に背を向けていたルーシーの前には6人の『かげの部隊』が新たに現れて囲むようにひざまずいており、各々おのおの魔魂まこんの入った封瓶を献上するように掲げていた。カリムがかばっていたはずの封瓶も、いつの間にか奪われてしまっていた。


 ルーシーは右手を広げて淡い黄蘗色きはだいろ魔魂まこんを浮かべながら、左手を掲げられた封瓶より上の辺りにかざした。


 すると凍結していた封瓶の中身は上澄みから罅割ひびわれて融解し、紅色べにいろ、空色、菫色すみれいろ萌黄色もえぎいろ碧色へきしょく紺青色こんじょうしょくの6つの魔魂まこんが浮かび上がった。



 そしてルーシーが黄蘗色きはだいろ魔魂まこんと共にこれらを空中で練り合わせると、一気に膨張して高さ数メートルはあろうかという扉をかたどった猛烈に白くまばゆい光となった。


 この世の何よりもまぶしく感じられたその光の扉は、カリムにとって只管ひたすらに不気味な存在でしかなかったが、これこそがルーシーの悲願であった創世の神との交渉につながる入口なのだろうと思わされた。


 そしてルーシーが光の扉へ向かって一歩を踏み出したので、カリムは咄嗟とっさに声を張り上げて呼び止めようとした。



「…おい、待てよ……ちゃんと説明しろ……!」



 敬語を忘れて必死にしがみつくような物言いだったが、ルーシーは振り向くことなく何の感情もともなわない無機質な調子で返事をした。



「カリム…本当に申し訳なく思っている。そしておまえを悪魔への復讐ふくしゅう心に束縛させてしまったこともな。だからこれから私が為すことは、せめてもの贖罪しょくざいでもあるんだよ。」



 ルーシーがリオの真名を知っていたことでカリムにはまた別に込み上げてくる感情があったが、そのことを追及している余裕はなかった。



「違う…そのことはもういい…俺がきたいのは、こいつの色のことだ!!」



 そのわめき声にルーシーがゆっくりと振り返ると、カリムはつくばった姿勢で前髪をめくり上げていた。普遍的な黒色の右の瞳に対し、隠していた左の瞳は蛇を思わせる黄金色こがねいろであった。


 ルーシーはその釈然とせず苛立いらだつ青年の表情を振り返り苦笑を浮かべると、瀬無せない声音で語り掛けた。



。だから、これからは自由に生きろ。…それがおまえの両親の願いでもあったのだからな。」



 直接的な答えではなかったが、それだけでも幾分いくぶんかの確信を得たカリムは、何も言い返せず愕然がくぜんとしていた。



「…しかし、こうして縁を切ったはずのおいめぐり合わせるとは、やはり創世の神はたちが悪いものだ。はっきりと文句を言ってやらねばならんな。」



 そしてルーシーはひとり言のようにつぶやくと、そのまままばゆい扉の先へと足を踏み入れ、今度こそ姿をくらましてしまった。



 何の離別の言葉もない幕切れにカリムは頭が真っ白になり、後追いすることもままならず、打ちひしがれてその場に崩れ落ちた。

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