第8話 平行線

 イリアにはこの青年の唐突とうとつな質問の真意など知るよしもなかったが、その中にはいくつもの引っ掛かる言葉が並列していた。



——5年前…グリセーオ…あのおびただしいつるのような厄災のことか? その厄災を引き起こすため、議長がリンゴに魔力を込めた…私に悪魔を宿すためのくわだてと、同じように……!?



 一方のルーシーはわずかにまゆを動かしたように見えたが、黄金色こがねいろの瞳でカリムをじっと見つめつつ問い返していた。



何故なぜそう考えた?」



貴女あなたの計略にはクランメ・リヴィアに『嫉妬しっとの悪魔』を顕現させ利用することが必要で、その前提を確実に達成するために、貴女あなたは直前に訪れたグリセーオでリンゴを使った実験をしたのではないですか?」


「僕が暮らしていたジェルメナ孤児院は大陸軍の管轄かんかつで、貴女あなたはその当時責任者を担っていた。僕を含めた孤児たちの素性すじょうを把握して標的を定めることも不可能ではなかったはずです。少なくとも、ディヴィルガムを持った貴女あなたが厄災の現場に居合わせたことは、偶然ではなかったと考えました。…如何いかがですか?」




 イリアはカリムの淡々とした追及をかたわらで聞きながら、この青年が5年前のグリセーオで起きた厄災の被災者だったことに驚いていた。

 現地が復旧するまでの間、被災した孤児たちの顔は一通り見てきたつもりだが、彼のような面影おもかげの少年はまったく覚えがなかったからである。


 そしてそれ以上に彼の追及が真実であるならば、当時多大な敬意と称賛を集めたルーシーの振る舞いが、出来過できすぎた自作自演に成り下がることを察すると、再び全身が『憤怒ふんど』で小刻みに震え出すようであった。



成程なるほど。まぁクランメと会っていた以上それなりの入れ知恵を刷り込まれて戻って来るだろうとは思っていたが…結論から言えば、半分正解と言ったところだな。」



 仕方がないと言わんばかりに首をかしげたルーシーは、釈然としない答えを返した。かさずカリムがその真意を突き詰めようとした。



「半分正解、とはどういうことですか?」


「当時の私は常時ディヴィルガムを携行していた。そして厄災が起きたのは確かに私がおまえのリンゴに魔力を込めたからだ。だがそれは決して意図的なものではなく、偶然の産物に過ぎなかった。私はその偶然の感覚を記憶し、クランメに悪魔を顕現させる手段として活用したのだ。」


「偶然…? 悪意はなかったとでも言うのですか?」


「具体的な計画がなかったわけではないが…それではおまえは納得しないだろう。とでも捉えてもらって構わない。」




 そのない口振りにただちに反抗を示したのはイリアの方であった。徐々に冷たさがやわらいできた空気をき回すように、周囲を電撃がはしり始めていた。



貴女あなたはまたそうやって責任を曖昧あいまいにして…あのときから都合の良いように民と厄災を利用していたのか…!!」



 だが一方のカリムは、凍り付いた地面に古びた杖と瓶を静かに置くと、ローブのすそから短剣を引き抜いてルーシーに向かって構えた。


 そして無言のまま一歩進み出ると、ルーシーが低い声音でその浅慮せんりょとがめた。



「私を殺せば厄災の無い世界は実現しない…クランメに刷り込まれたおまえならその封瓶が不完全な代物しろものだと、現状では、本当はわかっているのだろう?」



「…おっしゃる通りです。ですが議長、僕には世界平和なんて、本当はどうでもいいんです。」



 カリムの声音はかすかに震えているようで、イリアはその背中を見遣みやりながら、彼が氷結でこの一帯を制圧させた理由を少しずつ察し始めていた。



「僕はリオの命を奪った悪魔に復讐ふくしゅうするために今日こんにちまで生きてきました。実際に『強欲の悪魔』を討った後も、残る悪魔を全て『封印』することに生き甲斐がい見出みいだそうとしてきました。」


「でも結局のところ、リオに悪魔を顕現させた原因が貴女あなたにあるのなら…僕は貴女あなた仇討あだうちさえすればそれで満足するんです。」



 その明確な裏切りの言葉に、やわらぎつつあった広場の空気が一転して再び冷たく引き締められたようにイリアは感じていた。

 

 ルーシーは嘲笑あざわらうことも憮然ぶぜんとすることもなく、腕を組んでカリムの本心を最後まで引き出そうと様子をうかがっているようであった。そしてカリムは一呼吸置いてから、更に台詞せりふを続けた。



「…でもそれだけでは、リヴィアさんとの約束は果たせない。だから議長、貴女あなたの本当の目的を教えてください。」


「あの封瓶で悪魔の『封印』が成立するわけではないと自覚しておられるなら…集めさせた膨大な魔力を利用することが目的なら、それがどのようにこの世界の平和につながるのか、今ここで釈明してください。」




 ひとりの青年が述べた真の要求は、イリアが問いただしたすえかわされていた内容とほとんど等しいものであった。

 だが自分と同じようにクランメの遺志を継ぎ、自分よりも遥かに優勢な構図を作り出し真実を追求するその青年には、一筋の光明こうみょうが差しているように見えていた。



——この青年もまた、リヴィア氏から託されているのだ。相次ぐ厄災に気を揉まれながら、きっとそのかげにある真実を暴き出すために議長と対峙たいじしようとしているのだ。


——その意味では、もしかしたら彼とは協調できる余地があるのかもしれない…!



 イリアはいまだに足元を氷結で固められたままであったが、少なくともその意味では彼がこうから敵対する存在ではないのだと胸をで下ろした。

 そしてルーシーの口からどのような真意が語られるのか切望し、警戒しながらも静観を続けた。



随分ずいぶんと偉そうな口をくようになったな、カリム。それで脅しを掛けたつもりだろうが、私が何か打ち明けたとして、その信憑性しんぴょうせいをどう判断するつもりだ?」


「別にその点は気にしません。僕が納得するかどうかの問題なので。ただ、黙秘を貫くようであれば貴女あなたを討つ覚悟はできています。」


「おまえが納得するのなら、当たりさわりのない答えを取りつくろったとしても構わないということだな?」


「…もし怪しいところがあれば、あの封瓶とディヴィルガムは海にでも投げ捨てます。」



杜撰ずさんな提案だな。やはりおまえにはこういう交渉事は不向きなようだ。」



 ルーシーがカリムに向かって吐き捨てると同時に、イリアの周囲の氷結が——厳密にはルーシーと『かげの部隊』の足元をうずめていた部分のみが——突如とつじょ罅割ひびわれるように瓦解がかいし、各々おのおのが脚を上げてその拘束から脱出した。


 イリアのみが依然として氷結に捕らわれたままであり、何の温度変化もなく都合よく形勢が逆転した事実に理解が追い付かず唖然あぜんとした。



——何故なぜ奴らの足元だけ氷結が緩んだ!? 自然現象とは思えないし、この青年の仕業しわざとも思えない…何がどうなっている!?



 カリムもまたその現象が想定外だったようで、異変を察知するやいなや地面に放置していた杖と瓶を今一度いまいちど抱えようと身をひるがえしていた。



——この青年もまた、啖呵たんかを切る割には詰めが甘い…いや、元より敵であるはずの彼に都合よく助力を仰ごうとした私が浅はかだったのかもしれない…。



 イリアはこちら側に飛び込んできたカリムを傍目はために思わず唇をんだ。そうして謀反むほんを起こした者もまとめて一網打尽にしようと、愈々いよいよかげの部隊』がおおかぶさるように襲い掛かってきた。



——こうなってしまっては、最早もはや躊躇ためらうべきではない…!!



「青年! せろ!!」



 イリアはカリムに意図が伝わることを信じて大声たいせいを発すると同時に、くらい空に溜め込んでいた雷撃を一斉にみずからへ落とし、その衝撃を周囲にほとばしらせた。


 『かげの部隊』の装備耐性を上回る電撃を強引に浴びせて制圧することを意図し、イリアは雄叫おたけびを上げながら雷撃をぶちけ続けた。



 鼓膜など容易たやすく破れるのではないかと思うほどの轟音ごうおんが降りかかり、崩れかけていた氷結を飛び散った雷撃が更に砕いて地鳴りをも引き起こしていた。


 だが不思議とイリアの耳には何ら影響がなく、むしろ『憤怒ふんど』を魔力に変換し解き放つことで、心臓が高鳴るような音が身体中に心地よく響き渡っていた。




 10秒とも経たない間に広場一帯は彼方此方あちこちで白煙が立ち込めており、樹木や垣根はし折られ花壇は穴だらけになっていた。

 

 巨大な花のように広がっていた氷結も原型をとどめておらず、イリアの周囲には雷撃に耐え切れず感電した『かげの部隊』全員が倒れ込み痙攣けいれんしていた。殺すつもりはなかったが、生きているのかすらもわからなかった。


 唯一ゆいいつ足元でせていたカリムは無事だったが、フードがめくれた頭部に装着されていた防音用の耳当てをもってしても、衝撃にはこたえたのか簡単には起き上がれないようであった。



 改めてイリアが周囲を見渡すと、暴虐の限りを尽くしたような凄惨せいさんたる光景に息を呑み、厄災をもたらす力におのずと畏怖いふを覚えた。


 激しい衝撃のおかげで足元の氷結も罅割ひびわれて、ようやく自由に脚を動かせるようになっていたが、瞬間的に膨大な魔力を出力した反動で今になってひどい耳鳴りに襲われ、意識が遠退とおのきそうになっていた。



——これが…厄災を振り撒くということか…。


——取り敢えず窮地きゅうちは脱したようだが……議長は…どうなった……?



 不意に白煙の向こう側から揺らめき近付いてくる人影をイリアは察知すると、反射的にその影に向かってもう一度電撃を放った。


 しかしその一撃は何か見えない壁のようなものではばまれ、吸収されるように霧散むさんしてしまった。


 依然として傷一つ負わず距離を詰めてきたルーシーの姿に、イリアは目を丸くして思わず一歩後退あとずさった。



——あれだけの雷撃を前に、何故なぜ議長は何の装備もなく平然としていられるのだ? 今の奇妙な現象は何だ? 何故なぜ今になって…そのような防ぎ方をする!?



『奴も悪魔を宿したうちと同じように魔力を扱えるみたいやからな。』



 そのとき脳裏によみがえったクランメの告発の一文がその信じがたい現実を裏付けようとしたが、今のイリアにとってはかえって底知れぬおぞましさをいだく帰結となっていた。



「…まったく、派手に荒らしてくれたものだ。悪魔を宿したおまえが為すべきことは最早もはやたった1つしかないと理解してくれていると思っていたのだがな。いい加減無益な抵抗は諦めてほしいのだが。」



 ルーシーのあきれた口調が高圧的に感じたイリアは、耳鳴りで割れそうな頭を抱えながらも再三さいさん憤怒ふんど』があおられ、身体中を電撃が駆けめぐり始めていくのがわかった。


 その一方で、このに及んで続けられる応酬おうしゅうがどこか決定打を欠いているようにも感じ、イリアは気付けば鼻で笑うような返事を返していた。



「議長こそわからないんですか? 私は貴女あなたの信念が理解できなくて、共感できなくて悪魔を宿したんですよ。問い返してもこたえてもらえずあしらわれるから怒り、また問い返すのです。でも私が納得すれば『憤怒ふんど』はしずまるでしょうから、貴女あなたは私を拒むことしか出来できない。…平行線になって、対立して当たり前なんですよ。」



 イリアのかたわらでは、カリムが古びた杖を支えに身を起こし蹌踉よろめきながら立ち上がろうとしていた。その様子を尻目に、イリアはなおも挑発するようにルーシーへ問い掛けた。



「ですが貴女あなたの部下は厄災の力に耐え切れず、真実を知ろうと謀反むほんを起こす者も現れたようです。後ろめたい御心おこころがないのであれば、現状を打開するために本当の目的を打ち明けては如何いかがですか? もなくば…今度こそ貴女あなたを『憤怒ふんど』のままあやめてしまうかもしれませんよ。」

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