第7話 土壇場

 イリアが『憤怒ふんど』を言葉に変換するたびに、周囲の空気が切り裂かれて弾けるような音を立てた。

 ルーシーは依然として大柄な『かげの部隊』の1人の背後に身をひそめていたが、イリアは構うことなく黄蘗色きはだいろに輝く瞳でにらむようにそのかげを捉えようとした。



貴女あなたは私をおとしめるために2人の命を犠牲にすることが、最善の選択だとでも考えたのか!? こんなことをせずとも、他にいくらでも方法はあったのではないのか!!?」




 ほんの少し前までは、ルーシーの掲げる壮大な計略に納得できなくともとイリアはみずからを言い聞かせていた。


 だが『憤怒ふんどの悪魔』を顕現させるための、ウィロとナンジ―の命を容易たやすあしらうような短絡的な意思決定は、本能が即座そくざに許容を拒絶していた。


 2人の正体が『かげの部隊』であったとはいえ元よりイリアが信頼を寄せていた大切な存在であり、それを逆手さかてに取ることはゆるがた卑劣ひれつな手口であったが、単純に『憤怒ふんど』をあおる行為としては安直であったと認めざるを得なかった。



 そのうえでルーシーの判断を理解すべきではない、と脳内で警鐘けいしょうが打ち鳴らされていた。だからこそ一層声を荒げて納得できる答えを求めた。


 このに及んでその渇望かつぼうが満たされるとは思わなかったが、イリアはそうして執拗しつようらい付くこともまた『憤怒ふんどの悪魔』を宿した者の本能なのだろうと思った。

 そして渇望かつぼうに耐えられなくなったとき、最早もはや自我を保てなくなるのかもしれないという一抹いちまつの危機感も察していた。


 案のじょうルーシーは、イリアの糾弾きゅうだん逆撫さかなでするように、かげから冗長じょうちょうな返事を寄越よこしていた。



「ウィロ・カルミアは大陸議会議員ヴェルフ・カルミア氏の末子だが、そのじつ大陸軍が管轄かんかつする孤児院出身の養子だった。当時の管理者の斡旋あっせんで『かげの部隊』の構成員として採用するに当たり、表面上は現職議員の養子として迎えることで諜報ちょうほう員の先駆さきがけになってもらっていた。妻子がいるというのも見せかけの設定でしかなかった。」


「そしてナンジ―・レドバッドは今から20年ほど前に大陸東部で起きた『魔性病ましょうびょう』により、故郷を追われて奴隷商にとらわれていたところを大陸軍に保護された少女だった。身柄を託した孤児院から同様の斡旋あっせんで『かげの部隊』に加わったが、『魔性病ましょうびょう』が厄災だと知った当初はラ・クリマスの悪魔の根絶に人一倍執着していたそうだ。」



「それから13年という長い月日が経っても、2人の信念は揺らぐことなく忠実な働きぶりを見せてくれていた。そして最後の悪魔を顕現させるためならばみずからの命をも差し出すことを、そろって受諾じゅだくしてくれていた。…イリア、おまえが2人の死に口を挟む余地などないのだよ。」



 他方のイリアはその台詞せりふが終わるのを待たずして、全身から電撃を放ちながらみ付くように声を張り上げた。



貴女あなたに忠実な部下であれば、たとえ死をせと命じられても口答えせず従うのは当然だろう!! 最初からそれがわかっているはずなのに、2人の命を使い捨てるような真似まね何故なぜ最善だと判断できるのかといているのだ!!」



「『かげの部隊』とは元よりそういう組織であり、構成員はみな自分の命がそういうものなのだと理解している。それ以上におまえが何を精査するというのだ。」



 一転して簡潔で非情なルーシーの物言いに、イリアは更に顔を引きらせこぶしを強く握り締めた。

 『憤怒ふんど』で震わす身体に呼応こおうするように、周囲の空気が微細びさいに振動していくようであった。



「…確かに諜報ちょうほう員とはそのようなかせめられているものなのかもしれないが、だからといって管理者が当然に人を物扱いしていいはずがない。彼らにもまた各々おのおの為人ひととなりがあり、明日を生きるために何かを考え、感じ、学び、活かそうとする権利があり、そうしてはぐくまれる人としての価値がある。人が生きるとはそういうものだと、私は信じている。」


「私のような軍人もまた国民のために身をにし、国防のために命をける覚悟が必要だが、命をなげうつような姿勢は決して評価されない。してや上に立つ者がそれをいることなどあってはならない。人は誰しも生きながらえたうえで使命をまっとうすることで、ようやく価値を見出みいだむくわれるからだ!」


かつて軍をひきいたはずの貴女あなたに、何故なぜそれがわからない!? かつて家族を無惨むざんにも殺された貴女あなたが、何故なぜ平然と人の命を奪う側として立っているのか!?」



 イリアが声をとがらせていくに連れて、上空の雲までもが刺激されて雷鳴をとどろかせ、再び降り注ごうと力を蓄えているようであった。

 

 それでもルーシーは変わらず冷淡な口調で、イリアの糾弾きゅうだんなし続けていた。



詭弁きべんにも程がある。それを言うならカルミアとレドバッドはみずからの死をもって悪魔を顕現させることに価値を見出そうとしたと言えるだろうし、当人たちもそのように納得したからこそ私の命令に従ったのだと思わないのか。」



「そんなものは恩恵おんけいを受けた者の都合の良い解釈に過ぎない!! その2人だけではない…この大陸で数えきれないほどの命が失われた! 数多あまたの尊い人生が志半こころざしなかばで奪われ、二度と戻ることはなくなった!!」


貴女あなたがそのしかばねの山にどれほど素晴らしい価値を見出みいだそうとも、家族や友人、掛けえのない財産を失った人々はきっと受け入れられないだろう…いくら貴女あなたがこの国の上に立つ人であっても、そのような傲慢ごうまんは到底容認できない!!」




 だがイリアが夢中でまくし立てていると、ルーシーが身をひそめるかげからくぐもった嘲笑ちょうしょうこぼれてきた。



傲慢ごうまんか…言い得てみょうだな。だが国民がさいなまれているのは厄災による不運であって、。厄災以外にも事故や災害は日常的に起こりるものだし、それらの不運で命を落とす者もいる。その現実から何かを考え、感じ、学び、活かすことで変えていける明日もあるのではないか。むしろ国家を、民を治めるとはそういうものだ。」


「…イリア、主語を肥大化させて訴えかけるのはおまえの悪いくせだ。それこそ傲慢ごうまんと言えるのではないのか。」



 みずから口にした表現を反復され稚拙ちせつだと突き返されたことで、イリアはすっかり頭に血が上って、今にもくらい空から雷撃を浴びせ、全身に充満した電撃を盛大に放出させたい衝動にられていた。



 周囲で待機していた『かげの部隊』も危機感を察知したのか、黒い警棒のようなものを構えながら再び包囲網をせばめようとにじり寄り始めた。


 それでもかろうじて理性を堅持していたイリアは、このままではルーシーの思うつぼだと、やり場のない苦悶くもんさいなまれていた。



——駄目だ。これではらちが明かない。どんなに私が議長にらい付いたとて、あの人は私の怒りをあおる言葉しか返さない。それが恐らく私に宿った『憤怒ふんどの悪魔』を捕らえるために必要なことであり、最初から私の言葉に応じる気など微塵みじんも持ち合わせていないのだ。



——だがこのまま大人しく捕らわれるべきだとは最早もはや思えない。持てる力を最大限放てば強引に包囲網を打破できるかもしれないが、私が逃げおおせられる体力を残せる保証はない。この霊園に及ぶ被害もとても想定することができない。


——他にも『かげの部隊』がひそんでいるかもしれないし、最悪の場合私を拘束するためにまた他人ひとの命を引き合いに出されかねない。


——どうすればいい? 私は一体どうするべきなんだ…!?




 そのとき、広場一帯の乱れた空気がし固められるように急速に収縮したかと思えば、イリアを中心として波紋が広がるように冷気が噴出し、たちまち凍り付いた。


 さながら巨大な氷の花が咲いたかのようで、その場にいた全員が——イリアや『かげの部隊』だけでなくルーシーまでもが——足首の上まで氷結に固定されてしまっていた。



——何だ!? これは……氷が突然、…!?



 そのみるような冷たさはまごうことなく本物の氷であり、唐突とうとつな怪奇現象に気圧けおされたイリアの『憤怒ふんど』がや水を浴びせられていた。


 身体からあふれるようにほとばしっていた電撃も、空気そのものが抑えつけられているようで上手く機能しておらず、一瞬にして反撃も離脱も封じられたことに焦燥しょうそうを覚えた。



「良いところに来たな、カリム。だがもう少し悪魔の力の扱いには気を付けた方がいいんじゃないか。」



 一方のルーシーはまるで意に介さない落ち着いた声音で、イリアの背後に向かっておもむろに声をかけたので、イリアも釣られてその方向を振り向いた。

 


 見ると、『かげの部隊』と同じ紫紺しこんのローブをまとい、右手に古びた杖を握り締めた青年が、ゆっくりと広場へ歩み寄っている最中さなかであった。

 一方で左手には凍り付いた瓶が握られており、その中では何やら淡い青色の光がともっているように見えた。


 彼が青年だとわかったのは、フードで頭部をおおいつつも何故なぜか仮面は付けていなかったからである。片目を隠したその表情は口元が強張こわばり、どこか遠くをながめて感情を押し殺しているような印象を受けた。



——何者だ? …随分ずいぶん若く見えるが、他の『かげの部隊』とは違う立場なのか?


——今の氷結はこの青年の仕業しわざだというのか? どのように氷を操ったのかはわからないが…何故なぜ足元を凍らせたのだ!?



「…申し訳ございません、議長。報告を受けて急ぎさんじました。」



 カリムと呼ばれた青年はイリアの真横で立ち止まると、丁寧ていねいな口調ながら小さくつぶやくような、聞き取りづらそうな返事を返した。

 だがルーシーはそれ以上に青年をとがめることなく、どこか満足そうに会話を続けた。



「『嫉妬しっとの悪魔』の『封印』、ご苦労だった。立て続けになるが、見てわかる通り君の隣に居るのが『憤怒ふんどの悪魔』だ。こいつを捕らえればラ・クリマスの悪魔を7体すべて『封印』したこととなり、大陸は千年来せんねんらいの厄災の呪縛じゅばくから解放されることになる。」



 イリアはその言い回しから、この青年が先程までクランメのもとつかわされていた『かげの部隊』であり、彼女の命に手を掛けた張本人であることを察した。


 そして青年が持つ杖の先端に着装されている黒い鉱石らしき部分からは、何やらおぞましい、思わず怖気おじけづいてしまうかのような忌避きひが本能へ訴えかけられた。



——はっきりとわかる…その杖が天敵なのだと。そして議長はその杖がここに運び込まれるまで、時間稼ぎの意味でも私の『憤怒ふんど』をあおっていたのだと。


——まるで最初から、今日で野望を果たすべく備えていたみたいではないか…!



 クランメが助からず本当に自分が悪魔の最後の宿主となったことを自覚すると、せめてもの抵抗のために停滞した空気をもう一度奮い立たせようと歯を食いしばった。



「…議長、その前に1つ、おうかがいしたいことがございます。」



 だがカリムはぐにイリアに宿る悪魔を『封印』しようとはせず、右手に持つ杖を握り直しながら低い声音で尋ねた。



「何だ? 言ってみろ。」


「…今から5年前、グリセーオで起きた『強欲の悪魔』の厄災…あれは、僕が買ったリンゴに貴女あなたが魔力を込めたことで意図的に、間接的に引き起こされたものではありませんか?」

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