第6話 引き金

 ジェルメナ孤児院を呑み込んだ青白いつるは、更に周辺の家屋や住民を巻き込んで侵食を続けていた。

 発生源とみられるつる状のかたまりが高さ数メートルの位置でもたげるようにそびえ立っており、その下からつるあふれ出しているようだった。


 侵食の速度は決して早いとは言えなかったが、生命体のようにうごめく謎の物体の出現にたちまち恐怖と混乱が周囲に伝播でんぱし、街中は逃げ惑う住民の悲鳴で充満した。

 イリアもその最中さなか頭が真っ白になり、何をするべきか戸惑い立ちすくむばかりであった。


 その間にも駐屯ちゅうとんしていた大陸軍の治安部隊が事件を聞いて駆け付けており、その物体の形態から植物のたぐいだろうと判断した何名かが火矢を構えて侵食を阻止しようとした。


 だがその様子を見兼ねたルーシーが声を張り上げ、すんでのところで反撃を制した。



「火矢は駄目だ! あれは植物を模しているだけのまったく違う物質だ! 火を使えば捕らわれた住民や周辺家屋のみに被害が及ぶぞ! まずは半径100メートル圏内の住民を避難させろ! 今すぐだ!!」



 管轄かんかつも異なる見知らぬ若い女隊長の叱咤しったを聞かされた治安部隊は一様に不服そうな表情を浮かべたものの、蛇を思わせる黄金色こがねいろの瞳ににらみをかせられて、仕方なく命令通りに住民の退避へと散っていった。


 ルーシーは彼らの背中に向かって他の隊員にも同様に伝えるよう指示を投げかけた後、依然として狼狽ろうばいし続けているイリアに向かって同じように行動を促した。



「おまえも早く行け。ここは私に任せるんだ。」



 短くも心強い声を聞いたイリアは、次の瞬間には弾かれるようにきびすを返して駆け出していた。


 その途中、布にくるまれた棒状の何かを抱えた同じ支援部隊の隊員1人とれ違った。

 視界によぎった藍色あいいろがかった黒髪からナンジ―・レドバッドという先輩に当たる隊員であるとわかったが、振り返って声を掛けるような余裕は欠片かけらも無かった。




 後から聞かされて知った『強欲の悪魔』という厄災は、発生から1時間もかからずに終息したのだという。


 ジェルメナ孤児院を始め十数軒の建物に被害が出たが、巻き込まれた住民数十名のうち、厄災をもたらす悪魔を宿し亡くなったという少女1名を除いて全員が命に別状はなく、衰弱していたが目立った外傷もなかった。


 結果としてルーシーの迅速な判断と指示が厄災にともなう被害を抑制したこととなり、当初隊長としての手腕を疑問視していた支援部隊員は、皮肉にも今回の事件を機に評価の見直しを迫られることになっていた。



 周辺住民の避難誘導に没頭していたイリアは、その後も建物の復旧や被災者の容態確認などに追われて、具体的にどのように厄災が鎮圧したのかを知り得なかった。

 ルーシーはその間に一部の隊員をともなって先にトレラントへ帰還してしまっており、当時を振り返ることすらもどうでもよくなってしまっていた。


 ただ、ルーシーがこの地で残した実績はまぎれもなく称賛されるべきものであり、軍民を導かんとするその背中にイリアは一段とかれることになった。

 被災区画を復興させるなかで、気付けばジェルメナ孤児院に従事していたステラともルーシーへの尊敬や期待を語り合っていた。



——あの御方おかたは身内を一夜にして失うむごい経験を味わったにもかかわらず、宣言通りに家名を背負い若くして主導者の役をまっとうされようとしている。計り知れないほどの覚悟と精神力がなければ、あのような立ち振る舞いはできないだろう。


——いずれ我が国の首相として君臨し、良き未来へと我々を導いてくださるに違いない。だから私もその背中から学び、先導の下支えが出来できるよう修練を重ねていかなければならない。


——そうしてあの御方おかたこたえることが、きっと私が本当に望む将来の自分の姿なのだ。



**********



 夕陽ゆうひが水平線に隠れて空が一段とくらくなるそのもとで、身動きがとれず立ち尽くすイリアの口元から乾いた苦笑いがこぼれた。


 背後で拳銃を構えて牽制けんせいを続けるウィロとナンジ―は冷ややかな目付きを変えることなく、標的の心境の推移を注視していた。


 ルーシーも距離を維持したままイリアの顔をのぞき込むように様子をうかがっていたが、やがて向き直ったその表情はどこかほうけたようで、脱力したような声音でつぶやくようにこたえた。



「…申し訳ございません、議長。やはり私は、議長にはいかれません。」




 結局のところルーシーが本当にラ・クリマスの悪魔をこの大陸から排除してくれるのかという確証はないし、必要悪だから構わないと言わんばかりに国民をかえりみず計画を推し進めた事実には賛同しがたかった。


 だがそれが何年も前から、身内を失ったその日から掲げていたのかもしれない壮大な本懐であるならば、自分が異議を唱える筋合いはないように思えた。



 父ジオラスの協調を得て、『かげの部隊』の一員であるウィロとナンジ―を自分の目付役めつけやくのようにえてまで本懐を実現しようとする、壮絶な執念と胆力に打ちのめされてしまった。

 その2人以外にも至る所で『かげの部隊』がひそんでいたのかもしれないと考えると、最早もはや脱帽する思いでもあった。


 そして元より自己犠牲の精神を心掛けているがゆえに、国の平和のためにおのが身を利用されることには抵抗がなかった。

 よろこんで命を尽くす、その意味では父ジオラスと思考の傾向は大して変わらないのであった。



——どれだけ昨今さっこんの国民の困窮こんきゅうを非難されようとも議長、貴女あなたはこの国を今もこれからも背負われる御方おかただ。そのために覚悟をいだき必要なことだと断言するならば、私はやはりいかることなどできない。


——議長は私の尊厳や正義感を逆手さかてにとって怒りをあおるつもりだったのだろうが、リヴィア氏の告発もあいまって、最終的に貴女あなたの計略に


——だがこうして直接貴女あなたの秘密を知ってしまった以上、私は最早もはや生きてここを立ち去ることはできないのだろう。それもまたこの国の平和の実現に必要なことなのであれば、今ここで命を落とそうとも心残りはない。



 穏やかに自身を納得させたイリアは、まぶたを閉じて自らに下される処遇を静かに待ち望んだ。風の流れも感じられず、沈黙に包まれた広場はさながら時間が止まったかのような錯覚をもたらした。


 少し離れたところで、ルーシーがまた1つ小さな溜息を漏らしているのがわかった。



「それなら仕方ない。……やれ。」



 冷酷れいこくに突き放すようなルーシーの宣告の直後、2発の銃声が沈黙を引き裂いた。




 だがイリアは身体に何の痛みも感じないどころか、銃弾をかすめたような反動すら覚えることがなかった。その一方で、背後では何かが無機質に崩れる音がした。


 恐る恐るイリアが振り返ると、ウィロとナンジ―が共にみずからの頭部を拳銃で撃ち抜き、広場の隅で無惨むざんに横たわっていた。



——何だ…? 一体何が起きたんだ…!?



 2人のうちどちらに駆け寄るべきなのか、どちらが確実に助かる見込みがあるのかなどとイリアは当惑していた。だが1秒が刻まれていくごとに、2人とも即死であり何をほどこすことも叶わないという現実が強引に押し付けられていた。



——何故なぜだ…どうしてこんなことになっているんだ…!?



 心臓が早鐘はやがねを打ち、全身蒼白そうはくになり飛び出しそうなまなこでぎこちなくルーシーを振り返ると、その表情はかつて見たことがないほど残忍でおぞましいように感じられた。


 そして、聞いたことのない低い声音ではっきりと言い聞かせてきた。



「イリア…本当におまえには、失望したよ。」




 その瞬間、イリアの心の中で弛緩しかんしていた糸のようなものが無理矢理引き千切ちぎられたような気がした。



 そして、のどが張り裂けるかのような怒声を放った。ドランジアという名を叫んだのか、言葉として成立したのかすらわからないき出しの『憤怒ふんど』に、辺りの空気が激しく振動し弾けた。



 その怒髪天どはつてんに向かってくらい空から突如とつじょ雨のように雷が降り注ぎ、霊園の広場はイリアを中心にほとばしる雷撃と轟音ごうおんで満たされた。


 いこいの場を囲んでいた樹木や垣根が雷撃を受けて彼方此方あちこちで燃え上がったが、イリアは微塵みじんも気に留めることはなかった。

 煌々こうこうとした黄蘗色きはだいろに転じたその瞳には、なお忌々いまいましく仁王立におうだちするルーシーの姿だけが映されていた。


 イリアは全身に電撃をまといつつ、携帯していたレイピアを引き抜くと、雄叫びと共に激しい剣幕でルーシーへり掛かった。



 だがその刹那せつなルーシーの前に大きな影が立ちふさがり、イリアの突撃がい止められた。

 

 紫紺しこんのローブをまとい、無機質な白い仮面を着けた大柄な人物が、両手で握る黒い警棒のようなもので電撃を帯びた刀身を受け止めていた。

 イリアは額に青筋を浮かべながら強引にその防御を突破しようとレイピアを振るい、その度に全身から電撃がほとばしって追撃を掛け続けた。


 それでも大柄な人物はひるむことなくこれをなし続け、電撃はまとっているローブや警棒のようなものに吸収されているのか弾かれているのか、あまり通用しているような手応てごたえがなかった。



 やむを得ずイリアが後退すると、円形の広場では他にも同じような身形みなりの人影がざっと確認できるだけでも10人近く現れて包囲しており、そろって警棒のようなものを構えていることに気付いた。


 目の前の大柄な人物はともかく男女の区別はほとんど付かなかったが、彼らもまた『かげの部隊』であることは言われるまでもなく自明であった。


 

 『憤怒ふんどの悪魔』を宿したイリアの周辺は常に空気がむしられるようにして弾け、電撃となって見境なく飛び散っていたが、包囲する『かげの部隊』は何ら臆する様子が見られなかった。


 彼らの武装の詳細は判然としなかったものの、ルーシーが最後の悪魔を捕らえるため周到に対策を講じていたのかもしれないと考えると、イリアの憤懣ふんまんは更にたかぶつのっていった。



「…無駄な抵抗は止めて大人しく捕らえられるんだな、イリア。私をあやめれば厄災の無い世界の実現など到底期待することは出来できないだろう。それに…ウィロ・カルミアとナンジ―・レドバッドの犠牲も無駄になってしまうからな。」



 人影から聞こえるルーシーの冷酷れいこく台詞せりふと共に『かげの部隊』が包囲を狭めようと一歩を踏み出したが、その発言が聞き捨てならなかったイリアが再びおびただしい電撃を周囲にぶちけて抵抗した。

 

 包囲網を崩すには至らなかったが、それでも足止めする程度の威力は発揮できているようであった。そしてたけり狂う形相ぎょうそうでルーシーを激しく糾弾きゅうだんした。



「責任転嫁てんか大概たいがいにしろ…その2人を殺したのは、紛れもなく貴女あなた自身だろう!?」

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