第5話 すぐ傍に

 『かげの部隊』という組織の存在自体についてはイリアも噂で小耳に挟んでいた。大陸議会の関係者や大陸軍などに紛れ込んで諜報ちょうほうを担っていると聞き及んでいた。

 

 だがその存在意義ゆえに規模や拠点すらも判然とせず、噂以上に確固たる情報などつかみようがなかった。そのためイリアは部隊を率いながら、その構成員各人を殊更ことさら監視し疑るようなことはしなかった。


 とはいえ最も近い場所にいたウィロとナンジ―が『かげの部隊』であったことはあまりにも衝撃的であり、ルーシーが厄災を意図的に引き起こしていたという話がイリアの中で一気に現実味を帯び始めていた。



——メンシスとグリセーオで起こった厄災は、どちらも私の部隊が立ち寄ったその日のうちに発生していた。それは彼らが議長の命を受けて画策かくさくした結果だというのか?


——それだけではない。セントラムの厄災も、議長とカルミアが率いた第1部隊が帰還した後に起こっていた。…初めから国土開発支援部隊は厄災を引き起こす都合の良い駒として利用されていたというのか!?



 円形の広場で三方向から牽制けんせいを受け身動きが取れなくなってしまったイリアは、なんとかこの状況を打開すべく、ルーシーをにらみ付けて口撃こうげきを試みた。



「…議長、流石さすがにこのような仕打ちは私の父上が黙っていないのではないですか?」



 大陸平和維持軍元帥げんすいジオラス・ピオニーは、代々のドランジア一族とともに内戦時代以降の国政を先導してきたピオニー家の現当主でもあり、現代にいても首相であるルーシーと言わば車の車輪のような協調関係を維持していた。


 その元帥げんすいの娘をたとえ大義のためであったとしても人知れず亡きものにすることは、長らく持続してきた協調関係に不和を生じさせるのではないかと訴えかけようとしていた。



 だが一方のルーシーはかすかに口元を緩ませながら、イリアの精一杯の反撃をもなした。



折角せっかくだから教えておいてやる。『かげの部隊』は今から13年前に、私の父であるナスタ―・ドランジアとジオラス・ピオニーが共同で立ち上げた秘密組織だ。表向きを諜報ちょうほう員として、その実ラ・クリマスの悪魔を根絶することを目的とした人材を教育し訓練させるためのな。」



 その事実によって、イリアの目論見もくろみ呆気あっけなく頓挫とんざした。


 だがウィロやナンジ―のような存在が大陸軍に紛れていた以上、『かげの部隊』への父ジオラスの関与は可能性として否定できなかったことも本心であり、苦し紛れの抵抗であったことを認めざるを得なかった。


 ルーシーは追い打ちを掛けるように、なおもその背景について語り続けた。



「とはいえ、父の急逝きゅうせいともない悪魔の根絶に向けた動きはぐに下火になった。それから10年近くは元帥げんすいに組織の統率を任せたきりになってしまったが、それでも諜報ちょうほう活動だけでなくラ・クリマスの悪魔の調査や戦闘訓練も継続されておられた。」


「おまえの父にはとても感謝しているよ。私が政界に参入し、父の遺志を継いで厄災の根絶を掲げたときも、迷うことなく賛同して私に『かげの部隊』をゆだね、計画のために助力を惜しまなかったのだから。」



——助力だと? 父上もまた度重たびかさなる厄災にともなう国民の困窮こんきゅうを…大勢の民の命が失われることを承知していたというのか!?



 予定調和の帰結と言わんばかりの現状がむなしく、悔しく、瀬無せない思いで、沈静化していたはずの感情が再び沸々ふつふつと膨れ上がってくるような気がした。



「…それはつまり、私が悪魔のうつわとして犠牲になることも父上は承知しておられると?」


勿論もちろんだ。我が国の平和のためならばよろこんで娘の命を差し出そうと、面と向かってお答えくださった。」



 うつむき加減に問いかけを絞り出すイリアに対し、ルーシーは着々と迫り寄っていくかのように薄情な答えを突き付け返していた。


 答えを聞くたびに視界が狭まっていくかのような、眩暈めまいに似た錯覚におちいっていくにもかかわらず、イリアはなお藻掻もがくように質問を繰り返していた。



「…いつからなんですか。一体いつから、私をうつわとして見ていたんですか。」


「どうでもいいことを聞く余裕があるんだな。…無論、それはおまえと初めて会ったときからだ。」



**********



——ラ・クリマス大陸暦986年7月1日



 当時よわい13だったイリアが学舎から自宅に戻ると、父ジオラスからしばらくの間居候いそうろうとして面倒を見ることになったよわい15の少女を紹介された。


 ルーシー・ドランジアというその少女の名を聞いた時、イリアは今朝方けさがた学舎で話題になっていたドランジア一家毒殺事件を思い出し、彼女のくら黄金色こがねいろの瞳に背筋が凍るような緊張を覚えた。



 庶民の出身であったドランジア家は代々国政にたずさわりつつも、生活環境は昔からどちらかといえば裕福な一般家庭という域を出ず、その防犯意識があだとなって此度こたびのような悲惨せいさんな事件が生じたのではないか、などとささやかれていた。



 亡くなったのは当時の首相ナスタ―・ドランジア、義息ぎそくであるシェパーズ・ドランジアとその息子ナトラ・ドランジア、そして使用人の女性の4人であった。

 ナスタ―の妻は数年前に他界しており、娘でありルーシーの姉に当たるシーラ・ドランジアは事件の数日前から何故なぜか行方をくらましていたと報じられていた。


 いまだ容疑者の手掛かりがなく、唯一の生存者であるルーシーはなおも命を狙われている可能性を考慮し、代々のよしみで警備の厚いピオニー家の邸宅ていたくしばしし身柄を保護することになったのであった。



 イリアは初対面こそルーシーに気後きおくれしてしまったものの、不謹慎ふきんしんわかっていながら姉が出来できたかのようなささやかな高揚と期待があった。


 自身は3人兄弟の末子で歳上の2人の兄はすでに実家を出て大陸軍に入隊していたため、豪勢な邸宅ていたくいささか物寂しく感じていたからである。



 だがルーシーは一向にイリアと関係を築こうとはせず、貸与された自室と学舎を日々往復するのみで、何かに取りかれたかのように勉学に励んでいた。

 厳密に言えば、イリアから見て勉学以外に傾注けいちゅうするものが思い浮かばず、その近寄りがたい雰囲気により事実を探るすべを持ち得なかった。


 もし凄惨せいさんな事件を引きふさぎ込んでいるのなら、藻掻もがき苦しんでいるのなら、ささやかでも寄り添い助けてあげたいとこいねがった。


 だが一夜にして家族を失った他人にどのように接すればいいのかわからず、かえって視線を合わせることすらはばかられるようになってしまっていた。




 そのまま3年の月日が流れ、グラティア学術院への進学が決まったルーシーは入寮することとなり、ピオニー家を離れる日が訪れた。


 イリアがようやくルーシーと真面まともな会話が出来できたのは、その別れぎわのことであった。それも、イリアがり切れぬ思いを振り払いようにルーシーを背後から呼び止めた格好かっこうであった。



「あ、あの……どうか、お身体にお気をつけて…。」



 だが緊張から取るに足らない送り言葉しかひねり出せず、イリアはかえって居たたまれない焦燥しょうそういだいてしまった。

 いまだに何を考え、何を見つめているのかわからないその姿に、掛けるべき適切な言葉が最後まで思い浮かばなかった。


 一方のルーシーはそんな姿を見遣みやることなく背中で返事をした。



「ああ、世話になった。ピオニー家の方々には感謝している。」



 だが他愛たあいのない謝意の後、ルーシーは少しだけ何か考え込むように立ち止まったかと思えば、不意に1つの質問をイリアに寄越よこしてきた。



「…イリア、おまえは将来の自分の姿をどう想像している?」



 すっかり虚を突かれたイリアは、早まる動悸どうきを抑えて口籠くちごもりながらも、その胸に拳をえてはっきりと宣言をしてみせた。



「私は…父上や兄上のようにピオニー家の名に恥じぬ立派な軍人となり、国民を助け、平和な世界へのいしずえとなれるよう邁進まいしんしていきたいと考えています!」



 初々ういういしくも勇ましい台詞せりふを聞いたルーシーは、半身をひるがえして眼鏡越しの黄金色こがねいろの視線でしっかりイリアを捉えてこたえた。

 イリアにはその口元が、心なしかかすかにほころんでいるように見えた。



「私も同じだ。ドランジアの名に恥じぬようこの国のために尽くしてみせる。責務を果たすべき者同士、より一層励んでいこうじゃないか。」




 それから2年が経ち、学舎の高等科を卒業したイリアは大陸平和維持軍へと入隊し、更に2年間の養成課程を経て国土開発支援部隊第1部隊に配属されることとなった。

 その間もルーシーから別れぎわに贈られた激励げきれいの言葉が心の内で鮮明に輝き続けており、軍人として学び成長するうえでの確固たる原動力となっていた。



 当のルーシーと再会するのはそのまた1年後のラ・クリマス大陸暦994年、イリアがよわい21の頃であった。

 大陸随一と言われるグラティア学術院を早期卒業したというルーシーが、よわい23にして第1部隊の隊長として新たに着任したのである。


 奇跡的な再会と、共に仕事ができる期待感で心がおどったイリアだったが、周囲の隊員の視線は必ずしも歓迎するものばかりではなかった。


 如何いかに優秀な触れ込みがあるとはいえ、所定の養成課程を大幅に短縮させたうえ、国策に掲げた物資配給の指揮を任されるという厚遇こうぐうを好ましく思わない者は少なからず存在していた。


 してやその国策の原案が学術院に修められたルーシーの論文なのだとささやかれると、本来の軍隊を統率する能力すら懐疑的にならざるを得ないようであった。


 

 そのような不和がかげながらにじむなか、第1部隊はセントラムを経てグリセーオを訪問する運びとなった。


 製鉄や採石等の産業が発展し急速に成長するこの街のなかでも、比較的貧しく物資が行き渡りづらい地域で大陸軍自ら食糧品をおろしたり、孤児院等の軍管轄かんかつ施設へ配給を実施することが目的であり、1泊2日の滞在予定であった。



 その2日目の午前中にはおろした食糧品をすべさばき終えて撤収準備に入るなかで、イリアはふらりと居なくなったルーシーをさがし出し報告をするよう指示を受けた。

 当時のイリアはジオラス元帥げんすいの娘とはいえ、何ら特別扱いなどされない生真面目きまじめな隊員の1人であった。


 初めて訪れたグリセーオの広い街中で宛もなくルーシーをさがし出すことは骨が折れたが、軍管轄かんかつ施設に目星を付けて訪ねようと切り替えた矢先、街外れにあるジェルメナ孤児院の方角からこちらへ向かって歩いてくる新隊長の姿を捉えることができた。



「…隊長!…予定しておりました任務が、すべて完了致しました!」



 ルーシーの前に駆け付けたイリアはやや肩で息をしながらも、背筋を伸ばして敬礼した。



「そうか、ご苦労だったな。」



 約5年ぶりに再会したルーシーの表情は一段と凛々りりしくなっていたが、以前と違ってどこか物腰柔らかになったようにも見えた。


 イリアは昨日から真面まともにルーシーと会話ができていなかったので、部隊が待機している場所までの帰路に就きながら多少なりとも言葉を交わすことができるのではないかと密かに期待していた。



 だがその直後、ルーシーの後方で何かが盛大にひしゃげる音が響いた。


 イリアは振り返った視界に、建物の内側から膨張し破裂するようにき上がる青白いつるかたまり突如とつじょとして映り込み、この世のものとは思えぬその禍々まがまがしさに思わず身体が硬直してしまった。

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