第4話 悪魔の器

 グラティア州西端に位置するソンノム霊園は高台から海洋を見下ろせるような地形でおごそかに営まれており、水平線に沈みゆく夕陽ゆうひに照らされた色鮮やかな花畑が浜風に揺られてきらめいていた。


 その最奥さいおうの広場にドランジア一族が眠る墓があり、ルーシー・ドランジアは代々の一族の名が彫られた墓石の前に3基の花束を供えてしばたたずんでいた。

 時刻は18時を回っており、一般市民の入園は締め切られていたため、霊園を囲む木々の静かになびく音だけがその場を支配しているようであった。


 ルーシーは墓石に何を語り掛けることもなく、やがて気が済んだのかきびすを返して正門へと戻る坂をゆっくりと下っていった。



 だがその先の円形の広場に、1人の見慣れた女性が待ち構えるように直立していた。


 朱色を基調とした制服に大陸軍所定のよろいまとい、桃色がかった金髪をあごの高さで切り揃えた銘家めいけの令嬢、イリア・ピオニーであることは遠目からも視認できていた。


 ルーシーがその5メートルほど手前で足を止めると、丹念たんねんに整備された垣根と花壇に囲まれた空間は、いこいとは正反対の張り詰めた空気へと一転した。



「久しぶりだな、イリア。こんな僻地へきちまで私を訪ねて来るとは、一体何の用事だ?」



 ルーシーは挨拶あいさつ手短てみじかに、早速さっそく要件を聞き出そうとした。


 事前に何の約束も取り付けないどころか私的な時間に介入すること自体不躾ぶしつけであるにもかかわらずルーシーが相手をしてくれるのは、家柄としてだけでない付き合いがあるからこその恩情なのだろうとイリアは捉えていた。


 そしてそれをあだで返すような質問を投げ掛けようとしていることに、今更ながら気後きおくれしていた。



 それでもクランメ・リヴィアの安否を思うと、やはり引き下がるわけにはいかなかった。


 アーレア国立自然科学博物館の近辺は通過しなかったため、今日の午後にルーシーのつかいなる人物と対峙たいじしていたはずのクランメの生死がどうなったのかは知るよしもなかった。


 イリアは意を決してそのクランメからの告発文書を取り出すと、あぶり出された裏面を掲げながらルーシーへ問いかけた。



今朝方けさがた私の元に、1通の怪文書が届きました。その差出人は、昨今さっこん度重たびかさなる厄災がすべて議長によって仕組まれた陰謀であると訴えております。…そのようないわれをこうむるようなお心当たりが、議長にはございますでしょうか。」



 質問は単刀直入でありながら、最終的にやや回りくどい表現となった。それを聞いたルーシーは腕を組んで怪訝けげんな表情を浮かべたが、口を開くまでにほとん猶予ゆうよはなかった。



「陰謀とは人聞きが悪いものだな。だが私が意図的に厄災を引き起こしているのは紛れもない事実だ。」




 ルーシーが呆気あっけなく告発内容を認めたことに、イリアは驚愕きょうがくを隠せず唖然あぜんとした。



——何故なぜだ。何故なぜすんなりと話を進めてしまうのだ。


——仮に事実だとしてもうそぶくなり怪文書の信憑性しんぴょうせいを疑うなり、それに踊らされて遠路遥々はるばつ駆け付ける私を嘲笑あざわらうなり、いくらでも迂遠うえんにすることは出来できるだろうに。



 それにもかかわらず一国の首相は何ら包み隠すことなくあっさりと肯定を示し、狼狽うろたえるイリアに対しなおも落ち着いた声音で問い返した。



「何をそんなに驚いているんだ? 態々わざわざここまで来てそれを尋ねるということは、おまえもある程度の疑念をいだいているからなのだろう?」


「そ、そのようなことは……私はただ、国家転覆てんぷく吹聴ふいちょうするようなやからを廃絶するために…。」


「別にとがめるつもりはない。大方おおかたクランメが知り得た事実を第三者にのこそうとたくらんだものだろう。そんなことが言えるのはこの世界であいつしかいないからな。」



 ルーシーはクランメとの接点まで認めたうえで、怪文書の差出人まで容易たやすく見透かしてしまった。


 だがその発言を聞いたイリアは今一度いまいちど拳を握り締め、臆することをめ改めてルーシーを詰問きつもんしようとした。



——リヴィア氏のことを何だと思っているのか。…私が疑いたいのはそのひけらかすような悪意だ。貴女あなた何故なぜおおやけに隠して一国を揺るがすようなたくらみを進めているのか、リヴィア氏に代わって私が明らかにしなければならないのだ…!




「…クランメ・リヴィア女史じょしは、本日貴女あなたつかわした部下に命を奪われるだろうとつづっておりました。それもまた事実なのですか。」


「部下をつかわしたことは事実だが、それが必ず達成されるとは限らない。もっとも、私は成し遂げられる前提で動いているがな。」


何故なぜ、意図的に厄災を引き起こすなどという所業に及んでいるのですか。」


いまだこの大陸にみ付くラ・クリマスの悪魔が、我が国の平和と発展の弊害へいがいとなるからだ。ゆえに悪魔を顕現させ、順次『封印』を進めている。」



「…そのために罪のない者が悪魔を宿し犠牲になっているのですよね?」


「ああ、それ以外に適切な方法がないからな。」



 淡々としたルーシーの回答に、次第にイリアの表情は強張こわばり声音が震えはじめていた。



「…それだけではございません。ここ30日間の相次ぐ厄災により、何も知らぬ国民もまた生活が脅かされて深刻な混乱の渦中かちゅうにあり、あまつさえ軍民問わず多大な犠牲者を生み出しております。」


如何いかに素晴らしき偉業の実現に向け励まれておられるとしても、昨今さっこん凄惨せいさんたる時世を代償として押し付けることは、軍人の1人として看過かんか出来できかねます。」



 イリアの一息で吐き出すような抗弁に、ルーシーも小さく溜息をついて言い返した。



「厄災が起きれば甚大じんだいな被害が起きるのは当然だ。いまは壊月彗星かいげつすいせいが最接近する時期ゆえ猶更なおさらその規模は計り知れないものとなる。」


「だが悪魔を順次『封印』する計画が大陸全土に知られ渡ったらどうなる? それこそ国民の不安をあおり、悪魔を宿すかもしれない者が槍玉に挙げられしいたげられ、あずかり知らぬところで厄災が勃発ぼっぱつするかもしれない。それこそ手に追えぬほどの被害を生み、国家は存亡の危機にひんするおそれがある。」


「確かに現状も被害は深刻だが、計画的に引き起こすことで厄災自体は長期化することなく終息させられている。ゆえにそれを陰謀と形容される筋合いはない。」



 何とも非情で辛辣しんらつな物言いに、イリアは眉間みけんしわを寄せて戦慄わなないていた。

 ラ・クリマスの悪魔を排除する大義名分とはいえ、あまりにも国民をないがしろにしたうえなん悪怯わるびれる姿勢をいだかないことが信じられなかった。



「計画的…? 交易の拠点や産業の中枢ちゅうすうを潰し、多大な犠牲者を生み出すことが議長にとって計算通りなのだとしたら、陰謀と言わずして何と称されましょうか。」


「おまえと違って、私は長期的な視野を持たねばならないのでな。半永久的にラ・クリマスの悪魔をこの大陸から排除できるのであれば、国として許容できる範囲の損害だと考えている。」



 イリアは手にしていたクランメの伝書の淵を一段と強く握りながら、更なる疑惑についてルーシーを追及した。



「…リヴィア女史じょしは、議長が使用されている『封印』の装置なるものが不完全な代物であると指摘されています。現状ではラ・クリマスの悪魔を半永久的に排除する保証はないと。」


「本当に悪魔を『封印』するために厄災を引き起こしているのですか? もし別の目的を掲げておられたり、何の確証もなく悪魔を捕らえておられるのならば、それこそ陰謀と形容されても可笑おかしくないのではないですか?」



 だが声音に荒々しさが増していくイリアに対し、ルーシーは依然として落ち着き払った冷淡な口調で応戦していた。



勿論もちろんクランメが仕上げた『封印』の装置が完全でないことは承知している。だが私の目的が厄災の無い世界の実現であることに間違いはない。」


「…ならば、一体どのようにして実現されるおつもりなのですか!?」


「それをおまえに明かす必要はない。」



何故なぜ…どうしてそうなるのですか!?」



「私がおまえを最後の悪魔を宿すうつわとして選んだからだ。」




 ルーシーの断言は、一瞬で血の気が退くような宣告となってイリアを叩きつけた。そしてひるむ間も与えずに、薄気味悪うすきみわる台詞せりふが続けられた。



「昨夜おまえの自室に届けておいた差し入れのリンゴは美味うまかったか? もしそれを食べたのなら、今のおまえは悪魔を顕現させやすい体質になっているはずだ。」



 言われるまでもなく、確かにイリアは臨時拠点の自室に置かれていたリンゴを口にしていた。昨日は復旧した蒸気機関車の到着を待ちびて拠点への帰還が遅滞し、まともな食事にありつけていなかったからである。


 軍人用の配給だと捉えて何ら怪しむような余地もなかったが、素朴そぼくな味わいであることに変わりはなく、何ら体調に異変を覚えることもなかった。

 ルーシーの言う『悪魔を顕現させやすい体質』が具体的に何を指すのかも、まったくもって理解できなかった。


 それでも尊敬し従っていたはずの人物に、悪魔を宿すうつわなどという蔑称べっしょうされたことには愕然がくぜんとした。



 だがその一方で、たかぶっていたはずの感情は宣告の衝撃によりかえって落ち着きを見せていた。クランメがつづった忠告通りの展開に馴染なじむように、イリアは冷静さを取り戻し始めていたのである。



——議長はやはり私に『憤怒ふんどの悪魔』の目星を付けていた。私のいかる感情をあおって誘導し、悪魔を呼び寄せようとしているのだ。…さて、どうすべきか。


——本当に私の命を最後に大陸の平和が実現されるのなら、悪魔を身に宿すことはやぶさかではない、他人が犠牲になるくらいなら私が軍人の1人として命を捧げるべきだ…と考えていた。



——だが結局議長からは、何も納得できる答えを得られていない。本当にこの国の良き未来に貢献しる犠牲なのか確証がない。…私を標的にしているのなら、打開策を生み出すまで時間を稼ぐことくらいはできるのではないか。



 イリアは思案をめぐらせながら一歩後退あとずさろうとしたが、その瞬間左後方から拳銃の発砲音が響き、張り詰めていた空気をつんざき震わせた。



 かすかに火薬の臭いが浜風にって漂って来ていた。



「動かないでください、ピオニー隊長。」



 そして同じ方向から投げ掛けられた言葉に、深々と胸を突かれたような感覚を覚えた。聞き慣れていたはずのナンジ―・レドバッドの声音はかつてないほど冷たく、低いものであった。




「…レドバッド副隊長、君には拠点で隊員を束ねる指示を出していたはずだが?」



 無情な牽制けんせいを差し向けられたイリアは身動みじろぎすることなく、感情を押し殺したように背中でナンジ―に問いかけた。


 この状況で真っ当な回答が得られるとは期待していなかったが、その返事は右後方から同じく聞き覚えのある飄々ひょうひょうとした声音にって返ってきた。



「すみません、隊長。俺もそいつも、。」



 ナンジ―の立ち位置からして右後方にも同様に拳銃を向けている者がいるとイリアは推察していたが、その正体がウィロ・カルミアだとわかると愈々いよいよ動揺を隠せなくなった。


 そしてその反応を興味深そうにながめていたルーシーが、牽制けんせいを重ねるように語り掛けた。



「背後に立つ2人はおまえの部下である以前に、私が統括する『かげの部隊』の初期構成員なのだよ。私が掲げる厄災の無い世界の実現のため忠誠を誓ってもらっている。…イリア、おまえに今この場で主導権は与えられていない。逃げおおせようなどと考えないことだな。」

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