第3話 命日

 イリアは不図ふと思い至って机上にあった燭台しょくだいに火をともすと、便箋びんせんの表面を被せるようにしてあぶった。

 幼少の頃に父ジオラスが自分を驚かせようと披露ひろうした技を不図ふと思い出し、試そうと思い立ったのである。


 すると裏面に、焦げ付いた文字が徐々に浮かび上がってきた。


 だがイリアは期待通りの展開とは裏腹に、表向きの字面じづらよりもはるかに長い文章が姿を現していく様を固唾かたずを呑んで見守っていた。


 

——これは他人ひとに怪しまれないように秘密の伝言を届けるための方法なのだと、父から言い聞かせられた当時の私はとても感動していたものだ。そしてリヴィア氏も科学には精通している人物ゆえに、このような技法を知っていても不思議ではないと思っていたが…。


——実際に受け取る立場になると、おののいてしまいそうになるな。



 実際に秘密の伝言としてあぶり出された文面には、とても切迫した信じがたい内容がつづられていた。


 それでもイリアの脳内では、クランメが普段通りの独特な口調で語り掛けてくるような、飄々ひょうひょうとした台詞せりふとなって再生されていた。



『会合の無期限延期ってのは言葉のあややな。厳密に言えばうち個人の無期限離脱や。実はうちはラ・クリマスの悪魔のうち1体を5年ほど前から宿しとってな、厄災根絶のためドランジアに協力させられてたんやけど、もうお役御免やくごめんみたいなんや。』


『6月30日の午後には奴の部下が来て、うちに宿る悪魔を『封印』するつもりや。悪魔とうちの命が同化しとる以上、それはクランメ・リヴィアという人間の死を意味する。本真ほんまはどうにか言いくるめて逃げおおせたいところなんやけど、いずれにせよ今後の地質調査計画にうちがかかわるんはもう無理やって意味やねん。』



——どういうことだ? リヴィア氏に厄災をもたらすす悪魔が宿っている? 議長が彼女を利用していた…?



『信じられへんかもしれんけど、ここ30日の間に頻発しとる厄災は、ドランジアが『かげの部隊』を使つこうてほとんど意図的に引き起こしているようなもんなんや。大陸の平和のためにラ・クリマスの悪魔を捕らえるには、その悪魔を誰かに顕現させることが大前提やからな。』


『結果としてドランジアは5体の悪魔の『封印』に成功したんやと思う。そして愈々いよいようちの番が回ってきたんや。ここまで来れば『封印』の装置を作らせとったうちはもう用済みってことなんやろな。』


『でもな、別にこれは救援要請とちゃうねん。すべてはうちの自業自得が招いたことやし、出来できる限りうちが落とし前つけなあかん。そもそもこの手紙が7月以降に届く可能性もあるしな。』



 今日がまさに6月30日であり、時刻はだ朝の8時前を指していた。イリアは今ぐにでもアーレアへ向かってクランメを保護するべきではないかと腰を浮かせていたが、見透かされたようにいさめる文章が続けられていた。



——わからない…リヴィア氏の周りで何が起こっているんだ? 何故なぜみずからの危難を、いつ受け取られるかも定かでない便箋びんせんしたためているんだ?



『ほんでもこの告発をつづっとるんは、ささやかな自己満足の抵抗にすぎひん。このことを出来できるだけドランジアに近い誰かに1人でも知っといて欲しかったんや。結果として、顔の狭いうちにはイリア・ピオニー隊長しか適切な相手が思い浮かばんかった。』



『せやけど。もしうちが宿す悪魔が『封印』されれば、残るのは『憤怒ふんどの悪魔』ただ1体になる。つまりドランジアは、『憤怒ふんどの悪魔』を顕現させる女にもう目星を付けとるはずなんや。不安をあおるようで申し訳ないけども、貴女あなたもその候補の1人かもしれへん。』


『その悪魔の性質上、うちみたいに奴と個人的な接点のある者が狙われる可能性が高いねん。せやからこれはわずかでも可能性を潰すための足掻あがきなんや。最後の悪魔を顕現させないことは勿論もちろん、ドランジアがすべての悪魔の魔力を集めたうえで実現させようとしとる陰謀を阻止するためにな。』



『奴に使わせとる『封印』の装置はまだ試作段階で、本真ほんまに悪魔をこの大陸から半永久的に引きがせるんか何の確証もないんや。せやけど奴はそれを承知の上で、国民の生活や生死をないがしろにしてまでも厄災を引き起こさせて『封印』を進めとる。』


『具体的に何をたくらんどるのかはうちもつかめてへんけど、そのはかりごとろく顛末てんまつにならんことくらいは想像にかたくないんや。奴も悪魔を宿したうちと同じように魔力を扱えるみたいやからな。』



『…気付いたら長文になってしもてかさがさね申し訳ない。せやけどもしこの世界が何か変わってしまうのならば、せめてその理由を誰か1人でも知っといて欲しかった。くれぐれもドランジアには気ぃ付けとくれ。悪魔にそそのかされた分際ぶんざいで言える口やないけど、ラ・クリマスが1日でも早く平穏を取り戻せることを願っとる。』




 最後はまるで走り書きのようで、取り留めのない締めくくりになっていた。


 それだけクランメに余裕がなかったのだろうとおもんぱかると、イリアは居ても立っても居られなくなり、自室を飛び出していた。



——リヴィア氏からの告発はまるで絵空事えそらごとだった。悪魔を『封印』する装置だの魔力だの、到底現実の話だとは思えない。…だがいたずら妄言もうげんを書き連ねているとも思えなかった。


——もしそのすべてが事実だとしたら、リヴィア氏が誰にも頼れず追い詰められた挙句あげく私を選んで情報をのこそうとすがってきたのだとしたら……その一切を無下むげにするわけにはいかない。



——私は、真実を知りたい。知らなければならないんだ。




「カルミア副隊長、すまないが後でもう一度私の部屋まで来てくれないか。」



 イリアは外でナンジ―と話し込んでいたウィロに声を掛けると、余程よほど思い詰めた顔をしていたのか、ウィロがお道化どけたような返事を寄越よこしてきた。



「どうしたんすか隊長、さっきより顔色悪いっすよ。あ、もしかして何か深刻な話っすか? 実は副隊長が不甲斐ふがいないから俺と交代してほしいとか。」


「…あんたねぇ、笑えない冗談は大概たいがいにしなさいよ。」



 ぞんざいな扱いにあきれたナンジ―は、ウィロを小突こづきながらにらみ付けた。だがイリアは、その思い詰めた表情のままナンジ―にも声を掛けていた。



「いや、可能ならレドバッド副隊長も同席してほしい。…その方が都合は良さそうだ。」




 イリアが自室に戻ると、間もなくしてウィロとナンジ―はそろって部屋を訪ねてきた。不穏な空気を察したのか、ウィロは開口かいこう一番、りることなく冗談を使い回してきた。



「お待たせしました、隊長。やっぱり改まって俺とレドバッドを呼びつけるってことは、そういう人事関係の話なんすか?」


「カルミア副隊長さん、まずは隊長がお話しされる番なのでそれまで黙っててもらえますか?」



 ナンジ―が冷淡な口調で露骨に苛立いらだちを表し始めたので、イリアも余談を挟むことなく、机越しに早速さっそく本題に入ることにした。



「…カルミア副隊長、本日中にドランジア議長と面会することは可能か? 至急確認したい案件が発生してな、言伝ことづてではなく私が直接おうかがいを立てたいのだが…。」



 ルーシー・ドランジアはだ第1部隊隊長を臨時で兼任していたはずであり、副隊長として彼女の補佐に当たっているウィロであればその動向を把握することができると踏んでいた。

 明日にはセントラムへたねばならないことから、クランメの告発の真偽を確かめるためには今日中になんとしてもルーシーと接触する必要があった。


 他方のウィロは、その突飛とっぴな質問に目を丸くして回答した。



「議長は終日しゅうじつ大陸議会での公務っすよ。昨日ならともかく、一応週明けということもあってご多忙ですし、隊長といえども飛び入りで面会の時間を作る余裕はないと思いますけど…あっ、でも夕方ならお会いできなくもないかもしれないっすね。」



 その曖昧あいまいな返事にもかかわらず、イリアはやや身を乗り出して更に詳細を聞き出そうとした。



「夕方なら議長はお手隙てすきということなんだな? 面会できる時間帯や場所はわかるか?」


「いや、お会いできても仕事の話が出来できるかはわからないっすよ? 18時頃にソンノム霊園へ展墓てんぼに向かわれる予定らしいっすから。」



「ソンノム霊園? ……ああ、そうか、今日は…。」




 ソンノム霊園とは、グラティア州の西端に位置する所謂いわゆる公営墓地である。そして13年前の6月30日は、ドランジア一家毒殺事件という世間を震撼しんかんさせたいたましい日であったことをイリアは思い出した。



 当時の首相であったナスタ―・ドランジアらが無惨むざんにも命を奪われたその事件はいまだ犯人が確保されておらず、当時学生だったルーシーは学舎で遅くまで勉学に励んでいたことで唯一の生存者となっていた。


 ナスタ―らの遺骨が納められているのがソンノム霊園であり、ルーシーはその墓参りのために時間をいているとのことであった。



 それを知ったイリアは、流石さすが故人こじんしのぶ場で告発された陰謀について追及することは失礼にも程があるように思えた。

 してや州の西端ともなると、ここから馬を走らせても片道で数時間は要する距離であった。


 絵空事えそらごとのような疑惑を問いただすために自らの業務を押し退け時間を掛けることが果たして妥当と言えるのか、逡巡しゅんじゅんの末にすっかり及び腰になってしまっていた。



『もしこの世界が何か変わってしまうのならば、せめてその理由を誰か1人でも知っといて欲しかった。』



 それでも、クランメの切羽詰せっぱつまったような筆跡がイリアの脳裏にこびり付いてぬぐえなかった。



——議長はこの国を変えてしまうような手腕の持ち主と持てはやされているし、実際その技量は遜色そんしょくないものだと多くの国民に支持され、期待されている。


——だがそれが大陸全土に災禍さいかを生み多大な犠牲を要求するものだとしたら、それが人知れず計略されているものだとしたら…実現される新しき世界を私は歓迎できるのだろうか。



——あまつさえリヴィア氏が警鐘けいしょうを鳴らすようにまったく別の目的のために厄災が利用されているのだとしたら、それこそ一国の軍人として看過かんかするわけにはいかない。


——だが展墓てんぼに向かわれる議長に、有耶無耶うやむやな了見で面会しようと長時間にわたり現場を空けるなど身勝手にも程がある。せめてこの2人には了解を得ようと思っていたが、やはりそれも難しいか……?




「馬の手配なら帰りぎわにしてきますよ、隊長。そんなに難しい顔してるんなら、駄目だめもとでも行ってきた方がいいっすよ。」



 いつの間にか項垂うなだれ頭を抱えていたイリアを励ますかのように、ウィロがほがらかに声を掛けてきた。



「そうですね。そんな顔でまた遠征にたれても足元が覚束おぼつかないでしょうし、本日中の業務は私どもに任せて議長をお尋ねください。」



 ナンジ―までもがなだめるような声音で後押ししようとしたので、イリアはばつが悪くなって余計に顔を上げづらくなった。



——まったく…この2人には、いつも気遣きづかわれてばかりだな。



 直々じきじきに歳上の副隊長2人を呼び出しておきながらふさぎ込むような醜態しゅうたいさらしていたことが、何とも未熟で恥ずかしかった。

 だがそんな自分でも隊長として顔を立て気遣きづかってくれることにこたえなければならないと、大きく息を吐いて腹を決めた。



「…2人とも、感謝する。15時頃には出立しゅったつしたいので、カルミア副隊長にはそのように手配してほしい。レドバッド副隊長にはその後の部隊の指揮を任せたい。私は…遅くとも明日の朝までには、ここに戻るつもりだ。」

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