第2話 擦れ違い

——ラ・クリマス共和国 大陸平和維持軍 国土開発支援部隊 臨時部隊活動日誌(抜粋) 


——記入者:部隊長イリア・ピオニー



【ラ・クリマス大陸暦999年6月16日 グラティア州トレラントにて】


——メンシス港の竜巻被害にともなう国土開発支援部隊の再編により、本日臨時部隊が発足した。部隊長には第1部隊から異動したイリア・ピオニーが、副隊長には同じく異動したナンジ―・レドバッドが就任した。


——当部隊は本日を含めた3日間、ソリス港に集約する輸出入品の流通網整備を務めたのち、第1部隊が担っていたグリセーオへの定期配給を引き継ぎつつ、大陸東部で柔軟な立ち回りが可能な遊軍部隊として遠征に出る予定である。



 なお第1部隊の部隊長はルーシー・ドランジア議長が臨時で兼任しウィロ・カルミア副隊長が補佐に当たる、とつづろうとしてイリアはその手を止めた。


 これは臨時部隊の活動記録でも筆者の所感でもない、尊敬する元部隊長の下で従事してみたかったというただの我欲がよくに過ぎなかったからである。



【同年6月19日 グラティア州トレラントにて】


——本日はグリセーオへ配給する定期物資を調達するため、第1部隊と入れ替わりでセントラムを訪問する予定であったが、未明より街中に伝染病が蔓延まんえんしたとのしらせとあわせて待機命令が下された。


——現地に駐屯ちゅうとんしている大陸軍の報告により、その病は東部地域でまれに見られる『魔性病ましょうびょう』であると推測されている。大陸議会では早急そうきゅうな対策が検討されており、明日にも医療部隊が緊急編制されセントラムへ出立するだろう。



——聞いた話では長くても7日ほどで自然に終息する伝染病とのことだが、メンシスが機能停止におちいっている状況下で大陸随一と言われる農産物の産地であるセントラムまで流通網が遮断しゃだんされては、到底大陸東部へ物資は行き渡らない。


——現状は蒸気機関車に積載できるだけの食糧品等を詰め込み可能な限り往復させているが、それでも十分な措置とは言えないだろう。



【6月24日 プディシティア州セントラムにて】


——セントラムに蔓延まんえんしていた『魔性病ましょうびょう』は22日を境に沈静し始め、本日ようやく物資調達のため当部隊も訪問許諾きょだくが下った。


——発生から昨日までの4日間はグラティア州やミーティス州での流通補佐に従事していたが、グリセーオへの定期配給を依頼するどころか、そもそもの物資を集約する余裕もなかった。それ程までにメンシスとセントラムの機能停止は大陸中に多大な混乱をもたらしていた。



——大陸議会ではこれらもまたラ・クリマスの悪魔による厄災だと判断している。伝承される厄災が短期間で立て続けに起こるなど前代未聞の非常事態だが、我々は目の前の出来できることを手分けして片付けていくしかない。


——セントラムでは成人男性を中心に多数の犠牲者が出ており、豊作期を迎えた農産物の収穫等に大幅な遅れが出ているが、当部隊は明日にはグリセーオへたねばならず、その一助いちじょとなれないことが誠に残念である。



【6月25日 カリタス州グリセーオにて】


——本日は昼過ぎにグリセーオへ到着し、予定より5日遅れでの定期配給を実施した。グリセーオの食糧品事情は想像以上に深刻化しており、支援が遅れていることに対する不平不満が跋扈ばっこしていた。


——この街でも芋類の生産や畜産業は盛んだと聞いていたが、その2つはあくまで相互関係として成り立っている背景もあり、近年増えすぎた人口をまかなうことなど到底出来できない。



——元々食糧品の多くは南方を中心に他所よそから大量に調達していたことから、むしろ他地域からも食糧品を求めて人が集まり、治安に影響する悪循環が起きていた。


——しかし当部隊は予定通り早々にグリセーオをち、今晩はフースクスの大陸軍駐屯地に滞在している。食糧品を届けなければならない場所は他にもあるため、グリセーオに戻れるのはまた7日後となる。




 だがその翌朝、フースクスの駐屯地ちゅうとんちでは大陸軍治安部隊が何やら慌ただしく動き回っていた。

 イリアが通りすがりの軍人に事情を尋ねると、グリセーオが未明から青白いつるで埋め尽くされる厄災に見舞われていることをしらされた。



 5年前にグリセーオで経験した厄災の再来にイリアの表情は青褪あおざめ、そのうえで何も力添えができないことに落胆した。珍しく放心状態におちいるその姿を、ナンジ―が案じて静かに寄り添っていた。



「あのときは私も居合わせていたので、青白いつるの厄災のことはよく覚えています。確かに住民の安否は心配ですけど、あれは他の厄災とは違ってただちに人命にかかわる脅威ではないはずです。治安部隊もしばし厳戒態勢が敷かれるとのことですし…お気持ちはわかりますが、私たちは私たちの任務をまっとうしましょう。」



「…そうだな。だが、こんなに悔しいことはない。メンシスとグリセーオの厄災は我々の訪問の1日後、セントラムは1日前に厄災に見舞われている。1日でもずれていれば、我々は現地で1人でも多くの住民を救う手助けができたのかもしれないのに。」



 イリアが率いているのはあくまで国土開発支援の部隊であり、国防や治安維持にかかる部隊とは根本から役割が異なる。それは非常事態のときほど厳格に意識されねばならず、私情を挟むなどもってのほかであった。


 昨日励まし合ったばかりのジェルメナ孤児院の管理人ステラ・アヴァリーの無事を祈りながら、イリアは瀬無せない想いをいだきつつカリタス州を後にした。



【6月28日 ラヴォリオ州クィンクにて】


——本日中にトレラントへ帰還する予定であったが、昨日の明け方頃に蒸気機関車が蒼獣そうじゅうの襲撃を受けたことで点検に追われ、明日中の運行復旧を目指していると聞き及び、最寄りであるクィンクの大陸軍駐屯地ちゅうとんちにて一夜を明かすことになった。


——風蜂鳥かぜはちどりによるしらせがなかったため滞在先で聞いた情報であるが、昨日巨大な蒼獣そうじゅう突如とつじょグラティア州へ侵攻し始め、トレラントで迎撃し退けたものの多大な犠牲者や損害をこうむったとのことであった。



——今でも旧城郭都市と呼ばれるほどの堅牢さを誇っていたはずのトレラントが壊滅したことはにわかに信じがたい。だがそれよりも、軍事と流通の一大拠点であった街まで機能不全におちいったことが、最早もはや受け入れがたい現実である。



【6月29日 グラティア州トレラント近郊臨時拠点にて】


——蒸気機関車が復旧し、午後にクィンクへ到着し折り返す便に乗車してグラティア州へ帰還した。トレラント近郊に設営された臨時拠点に滞在することとなったが、道中に立ち寄ったトレラントの有様は凄惨せいさんたるものであった。


——手の付けようのないおびただしい瓦礫がれきの山は、如何いかむごい戦闘が繰り広げられたかを物語っていた。戦死したほとんどの隊員は蒼獣そうじゅうに呑まれて骨ものこらなかったという。



——ここ30日で実に5件もの厄災が発生し、国民はおろか軍人も混乱を通り越して憔悴しょうすいしてきているように見える。それは我が部隊も同様だが、本日は安息日あんそくびということもあり、せめてもの休養にてられたのではないかと思いたい。





 翌日、イリア率いる臨時部隊は滞在している臨時拠点の整備に終日従事することになっていた。明日にはまたセントラムへとち、グリセーオを含めた東部地域へ物資配給等の遠征に出向かなければならない予定となっていた。


 もっとも厄災の被害に見舞われたグリセーオで、従来通りに定期物資を届けることが妥当な支援と言えるのかどうか、さすがのイリアでも疑問をいだかずにはいられなかった。



——現地の厄災はフースクスでしらせを聞いたその日のうちに終息したらしいが、被害の全容についてはいまだに正確な情報を得られていない。情報のやり取りもままならないほど大陸全土が困窮こんきゅうしているのだ。


——以前は緻密ちみつに交わされていたはずの上層部からの連絡も、最近はとどこおり気味になっている。度重たびかさなる厄災で、根幹の指揮系統も疲弊ひへいしきっているのかもしれない。


——そんななか、我々は決まり切った任務を繰り返し踏襲とうしゅうするだけで、充分に役目を果たしていると言えるのだろうか。



 他方でイリアは貸与されていた自室の鏡の前で身嗜みだしなみを整えながら、そのくらい目つきに不図ふと気が付き、自身もまた精神的な疲労を払拭ふっしょくし切れていないことに気付いた。



——如何いかに有能な人間でも、1人がこなせるわざは限られている。だがこういうとき隊長として、ピオニー家の者として為すべきことは何なのだろうか。


——下された任務を忠実に遂行することは当然として、それ以上の何かを国民のために為すべきではないのか? しかし根拠なく隊員に無理をいるわけにもいかない。我々の限られた手で今以上に何を尽くすことが妥当なのだろうか…?




 葛藤かっとうまみれて答えの出ない自問を繰り返していると、不意に何者かが部屋を訪ねてくる音がした。


 イリアが咳払せきばらいを挟んで入室を許可すると、颯爽さっそうと部屋に足を踏み入れて来たのは、第1部隊副隊長のウィロであった。



「ご無沙汰ぶさたしてます、隊長。しばらく見ない間に少しせましたか?」



 ウィロはいつもと変わらない調子で挨拶あいさつを繰り出して来たが、今のイリアにとっては苦笑も難しい冗談であった。当のウィロも少しやつれているように見えたからである。

 そのような現状を踏まえ、イリアは久々の部下との面会を手短に済ませようとした。



「…要件は何だ?」


「ああ、えっと、昨日の夕方に大陸軍の本部へ隊長宛の手紙が届いてたんすよ。今日なら直接渡せるだろうと思って、朝一で届けに来たんす。」



 そう言ってウィロはかばんから取り出した封筒をイリアに手渡した。


 イリアがそれを裏返して確認した差出人の名は、クランメ・リヴィアだった。



 イリアは以前に何度かクランメと顔を合わせたことがあった。数年前に大陸議会でセントラムにおける大規模な地質調査計画がルーシーから提起された際、定期的に現地を訪問している国土開発支援部隊がその調査支援に関与することとなり、アーレア国立自然科学博物館で隕石を研究しているという彼女と挨拶あいさつを交わす機会があった。


 その後も年に一度程度だが打ち合わせの時間を設けることがあり、本年も3日後にはその会合が予定されていた。

 もっと昨今さっこん趨勢すうせいかんがみてイリアは欠席するつもりでいたが、それでいてだ何も連絡していなかったことを思い出した。



「それじゃ隊長、俺は失礼します。…一応もうしばらくこの拠点内には居ますけどね。」



 ウィロが敬礼して足早に退室すると、イリアもまた机に向かって封筒を開いた。


 中身は便箋びんせんが1通だけで、その内容も3日後の会合の無期限延期をしらせる簡潔な文章に、この時世じせいに大陸軍を率いることに対する慰労いろうの言葉が添えられているに過ぎなかった。



 そのねぎらいは素直に嬉しいとイリアは感じたものの、このような事務的な連絡のためだけに態々わざわざ自分宛に伝書を寄越よこしてくることには疑問を抱いた。


 会合をみずからが主宰しゅさいしているわけでもなく、社交辞令だとしても、そもそもクランメから伝書を受け取ること自体が初めてであった。

 そのうえ便箋びんせんも何か上質そうな硬めの素材であり、文章量に対してやたらと大きく、あまりにも仰々ぎょうぎょうしく感じられた。



——リヴィア氏とは特段親しい間柄でもないし、私に直接会合の件を伝えてくること自体が不自然だ。…いや、もしかして何かこの内容とは別に、私に伝えたいことが隠されているということなのだろうか?

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