第7章 崩る紫芍薬

第1話 暗雲

——ラ・クリマス共和国 大陸平和維持軍 国土開発支援部隊 第1部隊活動日誌(抜粋) 


——記入者:部隊長イリア・ピオニー



【ラ・クリマス大陸暦999年5月16日 アヴスティナ連峰のふもとにて】


——野営ののち、明朝までにクラウザへと到着。ラピス・ルプスの民のおさを名乗るオドラ―・ベル氏に大陸議会より預りし勧告文書並びに食糧品等の物資を受け渡す。ベル氏の応対は、比較的我々と良好な関係を意識していたものと思われた。



「…見えてきた。あれがクラウザだ。」



 明朝の冷たく静まった空気をき分けた道の先に、2本の古びた石造の柱が忽然こつぜんと立ち並んでいた。はたから見れば、山壁が風化し切り崩されたようなその地形に人が住んでいるなど誰も想像出来できないように思えた。


 だが今や稀有けうな人種となったラピス・ルプスの民は確かにそこで何百年と集落を営み続け、その辺鄙へんぴな石像が唯一の目印なのだとイリアは事前に情報を得ていた。



「ふぁ~あ…にしても隊長、本当にこんな朝早く尋ねて大丈夫なんすか?」



 イリアがぎょする馬の後方では副隊長の1人であるウィロ・カルミアが、揺られる馬の上で欠伸あくびをしながら癖毛くせげの金髪を掻いていた。



「ちょっと、あんたはそれより先に自分の身嗜みだしなみを気にしなさいよ。みっともないわね。」



 同じくその隣で馬にまたがり部隊を率いているもう1人の副隊長ナンジ―・レドバッドが、藍色あいいろかった黒髪をなびかせながら気怠けだるそうな同僚をとがめた。



うるせぇな。そっちこそ顔が真っ青じゃねぇか。『獣人じゅうじん』との対面を前に気後きおくれでもしてんのか?」


「仕方ないでしょ、ただでさえ冷え込んでるんだし。あと『獣人じゅうじん』は蔑称べっしょうなんだから気を付けなさいよ?」



「…すまないな、変則的な遠征で無理をさせてしまって。」



 イリアはいつも通りとげのある口論を繰り広げる2人の副隊長を振り向きながら、りんとした声音で申し訳なさそうに言い聞かせた。


 だがウィロとナンジ―はかさず喧嘩けんかを中断し、互いに表情を柔らかくし合ってイリアに言葉を返した。



「私たちは大丈夫ですよ、隊長。これもドランジア議長の指示ですから、何の心配もしていません。」


「そうそう。明日は安息日あんそくびだし、今日も変則的なぶん早く仕事を切り上げられると思えばどうってことないっすよ。」



「…相変わらず休むことばかり考えててあきれるわ。よく隊長を前に軽々しくそんな口がけるわね。」


「ちゃんと夕方発の機関車でヴィルトスに帰省する許可もらってるからな。俺は仕事以前に愛する妻子のために生きてんだよ、あんたにゃ当分その心はわからんだろうけどな。」


「はいはい。愛する妻子のためにちゃんと身嗜みだしなみ整えて仕事に励んで、さっさと昇格でもしていきなさい。」



 なおも続く2人のやり取りを背に、正面に向き直ったイリアの口元は自然とほころんでいた。



 ウィロはよわい28、ナンジ―はよわい29と自分より歳上であり、大陸軍の所属歴としても先輩に当たる存在であった。

 それでも2人は隊長に任命された自分に敬意を払いつつも、ピオニー家という由緒ある家柄を敬遠することなく、時には親身に接してくれていた。


 気さくだが要領の良いウィロは、大陸議会ドランジア派閥はばつであるヴェルフ・カルミア議員の末子で妻子持ちであった。一方で冷静で面倒見の良いナンジ―はあまり過去を明かさないものの、大陸東部の出自であると聞いたことがあった。


 決して長い付き合いとは言えないが、イリアは自身に対する2人の姿勢や気遣きづかいが有難ありがたく、信頼を寄せていた。




 イリアが率いる国土開発支援部隊第1部隊は、セントラムで調達した物資をグリセーオに配給しつつ、大陸北東部カリタス州や東部ラヴォリオ州の貧困地域を巡回してセントラムに戻るという7日間周期の業務に従事していた。とはいえそのうち1日は安息日あんそくび所謂いわゆる休日である。


 だがほぼ年中大陸内を行脚あんぎゃしている国土開発支援部隊には、風蜂鳥かぜはちどりを通じて既定きていの道筋から外れた訪問先が大陸議会や大陸軍本部から指示されることが屡々しばしばあった。

 特に今回はアヴスティナ連峰という遠方へ出向くことになり、隊員の足並みは重苦しいものがあった。



 大陸平和維持軍元帥げんすいジオラス・ピオニーの娘であるイリアには家名に恥じぬ厳格さが常に求められていたためか、仕事以外では寡黙かもくになり、どのような任務であってももっぱみずからの振舞ふるまいをもって部下に意思を体現するようになっていた。


 その分ウィロとナンジ―が屈託くったくのない言動で部隊の空気をなごませる役回りとなっており、その両副隊長の働きぶりにイリアは精神的にも助けられていた。




 だが目前に迫っていた石造りの門の前に突如とつじょ小柄なラピス・ルプスの民の少女が現れると、部隊の空気は一転して緊張感に包まれその足を止めた。

 要件を伝えるべき相手は集落のおさだったが、仁王立におうだちするその少女は露骨な敵意を差し向けていたからである。



「このような朝早くから大陸軍が何用か。それともわしの知らぬ間に人間の活動時間が早まっておったのかのう?」



 彼女の態度はもっともであり、人間であってもこのような明朝に突然門戸もんこたたかれれば機嫌を損ねて当然の無礼であることは重々承知していた。

 背後では両副隊長含めた隊員がみな固唾かたずを呑んで、イリアの立ち回りを見守る視線を送っていた。



 だがイリアは皮肉交じりの歓迎を受けながらも、静かに馬から降りて表情を変えることなくその少女へ歩み寄った。

 決してこの不躾ぶしつけな訪問が、悪い結果をもたらさないという確信があったからである。



——それでもえて隊長…いやドランジア議長はこの時間帯に集落を訪ねることをはっきり指示された。議長の指示はいつも迷いがないうえに的確で、恐ろしいほどに上手く物事が運ぶ。




 最終的にはこちら側の事情を深く説明するまでもなく、後から現れた一族のおさが第1部隊の訪問に理解を示し、無事に任務を遂げることができた。


 それが200年以上生きると言われたラピス・ルプスの民の思慮深しりょぶかさにるものなのかはイリアにはわからなかったが、ルーシー・ドランジアを信頼した結果が自身の心の内にまた1つ積み重なったことは確かであった。


 イリアの大陸軍としての生き様は何よりルーシーへの畏敬いけいの念によって支えられ、一歩を踏み出す確かな原動力になっていた。




【同年6月2日 ラヴォリオ州ユーノスにて】


——昨夜ディレクタティオの大聖堂があおき炎で焼け落ちたとのしらせを風蜂鳥かぜはちどりにて受け取った。


——安息日あんそくびであった昨夜の礼拝に参列していた正教徒数百名が犠牲となったその蒼炎そうえんは、伝承されるラ・クリマスの悪魔による厄災だと大陸議会は考えているようだ。


——当部隊もその不幸な犠牲をいたみつつ、予定通りラヴォリオ州を巡回し、夕刻までには同州セプテムへと向かう。



【6月8日 ラヴォリオ州ノヴェムにて】


——安息日あんそくびであるが、大陸議会より通達があったので日誌にしるす。


——かねてより採決が争われていた関税法にかかる特措法が明日にも成立見込みとなったことから、その通達ならびに大陸軍としての関係構築のため、メンシスへの訪問が指示された。訪問予定日は11日とし、前日までにセントラムに到達し物資補給をせよとのことであった。



——今や我が国の2大貿易港と称されながらもいまだに領主の監督権が根強く、これまで大陸軍による介入が不十分だった地にこれから足を踏み入れると考えると、身が引き締まる思いである。


——とはいえ、13日にグリセーオへ定期物資を届けるためにはセントラムへ蜻蛉返とんぼがえりをしなければならない。だが今週ラヴォリオ州で訪問できなくなる地域は他の部隊が足を運ぶよう、別途べっと調整がされているらしい。



【6月11日 ヒュミリア州メンシスにて】


——同州内の大陸軍駐屯地ちゅうとんちち、午前中にはメンシスの領主ホリー・エクレット伯爵はくしゃくを訪ねた。


——9日に可決された特措法の施行にともない、早くて来週16日には輸出入品の検査体制を整えるため別部隊が派遣されることも予定通り伝えた。


——エクレットていに寄贈した物資はセントラム産の果実が中心で挨拶あいさつ代わりのようなものであったが、当の伯爵はくしゃくは終始落ち着かない様子で我々をしていたようにうかがえた。



「そりゃ当然でしょうね。メンシスには密輸品が出回ってるって話っすから、伯爵はくしゃくからすりゃ俺達の来訪は摘発てきはつ前の最終勧告みたいなもんすよ。」



 セントラムへ戻る道中、エクレット伯爵はくしゃく謁見えっけんした感想を答えたイリアに、ウィロは清々せいせいしたかのような相槌あいづちを打った。

 

 メンシスが密輸品の温床おんしょうとなっている実態はイリアも把握しており、先日の特措法成立はその現状を打破し共和国の基盤をより強固にする好機だと捉えていた。

 だがその一方で少し勇み足が過ぎたのではないかともかえりみており、似たような心境をナンジ―が吐露していた。



「でも翌年に控えていた千年祭を念頭に掲げた措置とはいえ、ちょっと大陸議会側の圧力が強いように感じるわね。猶予ゆうよを与えればそのぶん闇市場を隠蔽いんぺいされやすくなるんだろうけど…海賊との接点もあるってうわさだし、今後大陸軍と何かしらの衝突は避けられないような嫌な予感がするわ。」



 その懸念けねんに対し、現職議員の末子であるウィロがあきれたように反論した。



「そうは言っても、特措法はここ半年くらいずっと議会でめてたんだぜ。グレーダン教派閥はばつがずっと抵抗してたのが、この前の大聖堂焼け落ちの一件以来打って変わって妥協するようになったんだ。今更伯爵はくしゃく狼狽ろうばいしたところで、呑気のんきな奴だとしか思えねぇけどな。」


「そうなんだ。…でもグレーダン教派閥はばつって、所謂いわゆる保守派でしょ? 千年祭を踏まえるのなら猶更なおさら特措法を争う理由が思い浮かばないんだけど。」


「そんなの、奴らが密輸に何かしら関わって甘い蜜吸ってたからだろ。実際そういううわさもあったしな。やましい理由があるからみにくねばってたんだ…きっとそれが、大聖堂の焼け落ちを機に大陸議会側に露見しちまったから法案に折れたに違いねぇよ。」



 議員の息子であるとはいえ憶測で語るのは良くない、とイリアは釘を刺そうとしたが結局その台詞せりふは呑み込んでしまった。雑談程度で逐一ちくいち口を挟むような事柄でもないと思い直したからである。


 自分の使命とは自国の平和と発展の一助となることであり、どのような世迷よまよごとまみれようと任ぜられた目的のために隊員を先導することだと常にきもめいじていた。




【6月12日 プディシティア州セントラムにて】


——昨日訪問したメンシスにて大規模な竜巻が発生し、甚大じんだいな被害をもたらして交易都市としての機能を喪失したとの一報が入った。


——迅速じんそくな復興支援並びに流通網の再構築にともない国土開発支援部隊の再編が実施されるため、遠征中の全部隊へ15日の安息日あんそくびまでにトレラントに帰還するよう緊急指令が出された。



——当部隊は明日のグリセーオへの定期配給のほか主要地域をめぐって帰還する行程となるが、恐らくトレラントへの到着は早くても15日の昼過ぎになる見込みである。安息日あんそくびに休めず隊員には負担をかけるが、このような深刻な事態にこそ国のため尽力してもらうよう理解を求める他ないだろう。

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