第8話 いのちのつかいみち

 あたかも青白いまゆくるまれ、穏やかな眠りにいたサキナを静かに足元に横たわらせたカリムは、ディヴィルガムを支えに蹌踉よろめきながら立ち上がった。


 その一連のやり取りをつくばるような格好かっこうのまま凝視していたクランメは、愕然がくぜんとしてこうべを垂れた。



「…なんで…なんでそないなことができんねん…。」



 そのうつろなつぶやきを質問と捉えたカリムは、生命活力の分配により少しやつれた表情を浮かべつつ、振り返って答えた。



「具体的な原理は僕もよくわからないんです。でも、ラ・クリマスの悪魔を『封印』する手順に従った後、魔力の残滓ざんしみたいなものが隕石の中にこびり付いているのか、その悪魔の力を再現することができるみたいなんです。一度きりなんですけど…。」



やかましい。…もうしゃべららんといて。」



 だがクランメはその台詞せりふを強引にさえぎると、その場でへたり込むように姿勢を変えた。うつむき加減なその顔はすっかり血の気が退いており、呼吸が早く、荒くなっていた。


 その様子に明らかな異変を察知したカリムはただちに駆け寄ろうと一歩を踏み出したが、クランメは紺青色こんじょうしょくの瞳を揺らめかせながら制止を訴えかけた。



「あかん。はよう逃げろ。もう…耐えられへんのや。」


「ど…どういうことなんですか!?」



「……すまん、ゆるせ。」




 次の瞬間、地下空間の彼方此方あちこちで何か砕け散るようなけたたましい音が響き渡った。


 床や壁から、そして天井からいくつもの巨大な氷柱が突き出るように生成され、たちまち広々とした空間を埋め尽くした。



 カリムとサキナの周囲を避けるように突如とつじょとして生じた異変は、ほんの数秒の間に壮大な氷洞ひょうどうを作り上げ、冷気があふれて更に室温を下げていた。


 そしてその元凶とおぼしきクランメは、その身体を一際ひときわ巨大な氷柱に深く呑み込まれていた。




——寒い。



 瞳を見開いたまま氷の中に閉ざされているクランメは、かろうじてまだ残っていた意識の中で最初にそう感じた。


 そして氷の中で寒さへの耐性が失われているということは、『嫉妬しっとの悪魔』を宿す身としての余命が迫ってきている証拠でもあった。



——まったく、情けない人生の終焉しゅうえんや。結局『嫉妬しっと』をこじらせて自分で自分を滅ぼしてまうねん。




 自虐に浸るように、クランメは引き金となった瞬間を思い起こしていた。


 青年が自分の知らない隕石の秘密を知り使いこなしていたことに『嫉妬しっと』した。年端としはもいかない男女のもどかしい関係性をの当たりにし『嫉妬しっと』した。いずれも一因ではあるが主たる要因ではなかった。



 確かにラ・クリマスの悪魔を宿して以来、浪漫ろまんいだいていたはずの隕石に忌避感きひかんを覚えてしまい、また感情を制御するため人とのかかわりも仕事以外は極力最低限に抑えてきた。


 『嫉妬しっと』の対象が増えてしまわないよう神経をとがらせ続けた。


 色恋いろこいなどもってのほかで、これらの欲求の抑圧を酒で解消することも逆効果に思えて、只管ひたすらふさぎ込むことにてっしていた。


 感情を落ち着けている間は、瞳の色は元に戻っていた。だがそうして周囲に異変を察知されないよう気を配りつつ役務をまっとうするだけの生き方は、孤独で、退屈で、憂鬱ゆううつだった。



 ゆえにクランメは、自身と同じくルーシーに利用される身であり、私情の持ち込みなど許されない『かげの部隊』にはいくらかの親近感をいだいていた。



 だからこそ、カリムがサキナに訴えかけていた内容には、裏切りに似た強い衝撃を浴びせられた。


 それはずっと自分が誰かに言いたかった言葉であり、誰かに言ってほしかった言葉であった。



 同じ穴のむじなだと思っていた青年に、深い葛藤かっとうの末、醜態しゅうたいさらしながらもすがり付ける相手が存在していたことに『嫉妬しっと』した。

 役目を満足に果たせず自棄やけを起こしても、救いの手を差し伸べてもらえる少女に『嫉妬しっと』した。

 

 結局自分だけが何者にも頼れずうずくまるしかないのだとおのが身をおとしめることで、相対的に世間を生きる人々に『嫉妬しっと』した。



 そうして矛先ほこさきが定まらなくなった悪徳は案のじょう暴発した。暴発してり減った宿主の命に、悪魔は容赦なく見切りをつけようとするのであった。


 悪徳をこの上なくつのらせた者の、天罰とも言えるむなしき末路であった。死の間際まぎわにして、クランメはこの大陸で厄災がめぐる摂理に触れられた気がした。



——疲れた。…もう、なんも考えたない。



 クランメはまたたく間に氷柱に体温を奪われ、脳内まで凍り付いたかのように思考がままならなくなっていた。身体は痛みや苦しみを通り越し、さながら氷と一体化してしまったかのようなむなしい心地良さがあった。


 その極寒ごっかんに身をゆだねていると、今日こんにちまでつちかってきた知識やルーシーへの抵抗のための計略など、ありとあらゆる物事が自分にとって無意味で無価値であるように思えた。



 『嫉妬しっと』にしか生き甲斐がいを感じられなくなっていた自分に、張り裂けるような嫌悪けんおいだいた。

 『嫉妬しっと』し続けなければ救いの望めない人生がずっと息苦しく、心はうに限界を超えていたことに気付いた。


 すがり付くような未練もなく、ただ利用されるだけの生きざまを終わらせてしまおうと、ふさぎ込んで自然と事切れるのを待ち続けていた。


 この選択すらもルーシーの思惑おもわく通りだったのかもしれないが、それで野望の実現を遅らせることができるのなら本望だった。



——これで…よかったんや……うちは…充分……。




 だがクランメはみずからを幽閉する氷柱が外側からしきりに何かでなぐり付けられ、自分をたたき起こすように断続的なにぶい騒音と振動が伝わってくることに気付いた。


 おぼろげな意識のもとで焦点を合わせると、カリムが必死の形相ぎょうそうたたえながら、氷柱に杖を突き立て続けているのがわかった。



——無駄やって言うたんに……何をそんな今更…気張きばっとんねん……。



 最早もはや何をカリムに説明したかすらも曖昧あいまいでどうでも良くなっていたが、その打ち付けられる鉱石の部分から何の気配も感じられないことに気付き、クランメはぼんやりと認識を改めた。



——ああ…それはまがもんやった方か……。



 だが贋作がんさくの杖とはいえ、元より氷塊ひょうかいを砕くような道具足り得ないことに変わりはないはずだった。

 それがわかっていて何故なぜこれ程までに差し迫った表情で無駄な足掻あがきをしているのか、クランメは考えることも億劫おっくうになっていた。



 『かげの部隊』として『嫉妬しっとの悪魔』をす逃すことはゆるされないことから、自害に対する青年の抵抗は当然の行動と言えなくもなかった。


 それでもその使命感を根底から揺るがし、現に深い葛藤かっとうさいなまれている青年の姿を見た。自分の命を悪魔ごと捕らえたとしても、厄災の無い世界の実現にはつながらない可能性は充分に示唆しさしたはずだった。



 結局青年の真意がわからないゆえに、クランメはそのむなしい抵抗がただ極寒ごっかん安寧あんねいおびやかすだけのわずらわしい嫌がらせに思えてきていた。


 同時に、当初自分が持ち掛けた取引が中途半端にとどこっていたことも思い出し、このまま大人しく死を待つことに未練が生まれてしまっていた。



——はぁ、しんど。…死ぬときくらい…静かにさせてや…。




 苛立いらだちがつのったクランメは、残存する魔力を振りしぼって氷柱にあなを開け、最低限カリムを招き入れられるような空間をこしらえた。


 結果として下半身以外が氷柱から露出しつつ横たわる格好になったが、衣服も髪も湿って冷たく、真面まともに身体を動かすことも叶わなかった。

 眼鏡は最早もはや使い物にならず、依然として視界は不明瞭ふめいりょうなままだった。


 そんななか、カリムが恐る恐る氷穴ひょうけつへと足を踏み入れて来るのを察した。



「リヴィアさん…大丈夫ですか…!?」



 大声を出したつもりはないのだろうが、狭い空洞で震えた声が反響してクランメは頭が割れそうな思いだった。それでもかろうじてかぼそい声音をしぼり出し、おぼろげに視線を合わせようとした。



「……やかましいねん…本真ほんまに……まだなんか…用事あるんか……?」



「すみません。お尋ねしたいことはまだ山ほどあるんですが…1つだけ、これからの自分の選択のためにかせてください。」



 カリムがどのような表情を浮かべているのかクランメにははっきりと見定められなかったが、遠慮のない姿勢の割には落ち着いているように感じられた。



「……言うてみ。」



「えっと…リヴィアさんは以前議長に魔力入りのリンゴを食べさせられたっておっしゃってましたよね。被験者第1号だって。…貴女あなた。」



 その厳選したであろう口早な質問の意図は、クランメにはさっぱり推測できなかった。この状況下でなくとも、恐らく同じ反応を示していたかもしれなかった。



「……どういう意味やねん。」



「議長はその直前にグリセーオにおもむいてたっておっしゃってましたよね。5年前、グリセーオで起きた厄災がリンゴを使った最初の実験だったんじゃないかと思うんです。僕はその厄災の被害者で…そのとき議長ともかかわりを持っていたんです。」



 詳細を聞き出したところで、凍り付いた脳内では真面まともに状況を整理することも出来できそうになかった。


 5年前に突如とつじょ来訪したルーシーに人生を大きくゆがまされた、その直前にグリセーオという遠く離れた地で起きた事件など、聞き及んだかいなかも判然としなかった。


 だが、1つだけ確実に示せそうな答えなら持ち合わせていた。



「…ようわからへん…けど……ドランジアは…無謀な手を…打つような奴とちゃう……と思う…。」



「ありがとうございます。…それを踏まえて、最後にお願いがあります。」



 カリムはその謝意と共に、右手に握りしめていた杖をクランメに近付けた。その先端からは冷え切った身体にも突き刺さるようなしびれを感じ、いつの間にか本物のディヴィルガムに持ち替えていたことをクランメは察した。



「リヴィアさん、貴女あなたの力を僕に貸してください。議長から真実を聞き出すために、貴女あなた。」




 隕石から伝わる刺激によりわずかに明瞭めいりょうになった脳内で、クランメは今度こそカリムの切実な懇願こんがんの意図を把握した。


 この青年が自分の主張をすべからく斟酌しんしゃくしたうえで、自分を悪魔ごと捕らえることが主たる目的ではないことはうかがえた。

 すなわち、その副産物と言える『氷結』の魔力を即席の武器にしたいのだろうと解釈した。


 その愚かな魂胆こんたんを推測したとき、クランメの口元からはむせるような溜息がこぼれた。



「…君……人の命を…安く…買いたたこうと…しすぎなんちゃう。」



「すみません。でも顛末てんまつによっては、僕は議長と対峙たいじしないといけなくなるかもしれないので。」



阿呆あほか…そんでもまだ安いわ……君の私利私欲しりしよくんために…死にかけの命…渡す気ないわ。」



 だがこのに及んで、ただ無価値な命のまま終わってもいいとは思えなかった。散々利用されもてあそばれる命なら、せめて自分の望む価値を付与したいとこいねがった。



「真実を…聞き出すなら……全部や。…ドランジアの…陰謀を……うちの力を使つこうて…全部、暴くんや…!」


「…そのうえで君が…本真ほんますべきことを……あのと、考えるんや…!」


「……それでようやく……うちはむくわれる……。」



 とはいえ交渉としては結局のところ、命を投売なげうりしていたようなものであった。


 それでも当初の脅迫に似た切り出しにもかかわらず、自分の話を正面から受け止めてくれたこの青年に切なる想いを訴え託すことは、ただふさぎ込んで死を迎えることよりも多分に価値を成すのだと思いたかった。



『人生はなんかをのこせて初めて意味があるもんやと思っとるからな。』


『それ以前に約束を破ろうもんなら、おまえの氷像をこしらえて敬礼させてもらうわ。』



 かつて自分の口が確かに語った言葉が、不意に心の中に湧き上がってきた。決して満足いく人生ではなかったが、少なくとも誰かに何かをのこし継承させられるのなら、それで充分だと思えた。



「…ありがとうございます。必ず、そうしてみせます。」



 カリムが声音を震わせながらもはっきりと返事を告げると、クランメは安堵あんどすると同時に『嫉妬しっと』した。間もなく消えゆく自分と対照的に、意を決して新たな一歩を踏み出そうとする若者に『嫉妬しっと』した。


 そしてクランメはそのかすかな感情を最後の魔力に変換して解き放った。


 氷穴ひょうけつの外で、何処どこかが砕け崩れるような音が聞こえた。



「…帰り道は…下水道から行くんやで…。」


「……ほな、後のことは……頼んだわ…。」



 そうしてやるべきこと、言うべきことをすべて吐き出すと、途端とたんに胸が詰まって意識が遠退とおのいていくような重苦しさが一気に襲い掛かってきた。


 だがかさずその苦しみをき消すように温かな波紋が全身をでたのち、身体が空気にとろけて浮かび上がるような感覚に満たされた。



 間もなくしてクランメは、魔力と一体化した身体が、意識が、愈々いよいよ隕石に吸い込まれていくのだと察した。


 それでも、あれだけ鋭い敵意を向けられていたはずの隕石に捕らえられる過程は何の苦しみも感じず、むしろ安らぎを覚えるような温かさがあり、凍り付いてた身も心もすっかりほぐしていくようであった。



——わからんもんやな……こうして最期さいごを迎えるんが、よっぽど真面まともな気ぃするわ……。



——ほな…ちゃんとこの世界の顛末てんまつに…うちの…命も…連れてって…くれよ……。





 氷洞ひょうどうと化した広大な地下空間は、青年の足音を吸い上げて張り詰めたように沈黙を保っていた。


 カリムは無事だった自分の荷物から液瓶を取り出すと、かじかんだ手でなんとか固く締まったふたを開け、ディヴィルガムを傾けてほのかに青く輝く魔魂まこんを注ぎ込んだ。


 液体がうねり、魔魂まこんは今までと同様に一瞬で凍り付いたが、それが自分にとって本当に正しい行いなのかはうにわからなくなっていた。



 休息の眠りにいているサキナを見遣みやると、身体に絡み付いている青白いつるが徐々にかぼそり減ってきていた。


 もう残されている猶予ゆうよほとんど無いのだと覚悟を決めたように、カリムは大きな白い息を吐いてゆっくりと立ち上がった。

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