第7話 救いの手

「…サキナ…なのか…!? どうしてそこに…いや、大丈夫か!?」



 突如とつじょそびえ立った氷柱とそこに捕らわれた少女の姿が目に入るやいなや、カリムは思わず目をみはって立ち上がり、戦慄わななきながらも駆け寄った。

 その手前でむなしく横たわっていたディヴィルガムに気付くと、戸惑いながらも拾い上げた。


 一方でクランメはカリムの一連の反応を観察したのち、ゆっくり起立して歩み寄りながら贋作がんさくの杖を放り投げるように返却した。



「カリム君が持ってとったディヴィルガムは良く出来できまがもんや。本物は仲間の女の子に持たせて奇襲をかけるって魂胆こんたんやったんかもしれへんけど…君のその様子やと本真ほんまなんも知らされんおとり役に仕立てられとったみたいやな。まぁ、敵を騙すにはまず味方からって作戦は別に珍しいことやないと思うけどな。」



 クランメが紺青色こんじょうしょくの瞳をサキナに向けると、彼女が紫紺しこんのローブで全身をおおいながらもその生地きじがかなり厚手のもので、せめてもの氷結対策を施していたようにうかがえた。


 とはいえほぼ全身を氷にうずめられてしまっては上塗うわぬりする冷気にあらがえる余地もなく、屈辱にもだえる少女の表情が耐えがたい寒さに青褪あおざめていくのは時間の問題だろうと見越していた。



——さて、どないしよか。ドランジアの刺客しかくとはいえ、他の厄災みたく無暗むやみ他人ひとの命を奪うような真似まねをするつもりは更々さらさらないんやけどな。



 カリムとの交渉がすっかり中断されてしまったクランメは、次の一手を熟慮する合間に、氷結に捕らわれた少女をたしなめようと高圧的に語り掛けた。



「命狙われとるってわかっててなんも対策せえへんわけがないやろ。この地下空間にこっそり忍び込もうおもたら下水道から舞台のかげふた開けて上がってくるしかないねん。せやからうちはわざとそこが死角になるよう座っとったんや。」


「けどそれ以前にな、君の敵意が本物のディヴィルガムを通じてうちの背中に犇々ひしひしと伝わってとんねん。んやで。その辺がおろそかになっとったというか、なんか気にさわることでもあったんか?」



 講釈を垂れながらも、クランメが実際にサキナの存在に気付いたのは、カリムに『貪食どんしょくの悪魔』の顛末てんまつについて主観を述べていたときであった。


 その最中さなかにあからさまに突き刺すような敵意を背後から感じたクランメは、その線を辿たどった先におおよその見当を付けて反射的に氷柱を生成させていた。

 長く悪魔を宿し続けていたことで皮肉にも魔力操作が洗練されてきていたが、流石さすがに死角で行使したぶん氷柱は大袈裟おおげさな規模になっていた。


 一方のサキナは、全身を徐々にむしばむ冷気に歯を食い縛ってあらがいながら、問いかけにはこたえず白煙混じりの苦しげな呼吸を繰り返しているのみであった。



 その氷柱の下の方を、カリムは拾い上げた本物のディヴィルガムでしきりに打ち付けていた。

 だが隕石部分が氷柱に当ってもにぶい音を地下空間に反響させるのみで、わずかなひびすらも生じる様子がなかった。


 次第に取り乱していくようなその情けない背中に気付いたクランメは、あきれたように言い聞かせた。



「そないな乱暴してもその氷は壊れんし、大事な隕石が傷付くだけやで。確かにその氷はうちが魔力使つこうて作り出したけどな、それは周辺の魔素まそ出来上できあがったもんであって、魔力のかたまりとはちゃうねん。」


魔素まその使い方には二通ふたとおりあるって説明したやろ。せやからそれは自然に気温の変化でけるか、うちが固めた魔素まそをもう一度動かすかせえへんと無くならん。…まぁ、この地下空間の室温で前者が望めへんことくらいわかるやろ。」



 クランメの冷徹な指摘をカリムは受け入れざるを得ず、愕然がくぜんとしてその場に崩れ落ちた。


 だがその無様な姿をとがめるように、氷柱に捕らわれているサキナがかすれた声音で訴えかけた。



「…私のことは構うな……早く悪魔を討つんだ…!」



駄目だめだ。『嫉妬しっとの悪魔』を討ったとしてもこの氷は消えない。君を助けることができない。」



 カリムはひとごとつぶやくように答えると、それが気にさわり何か言葉を投げつけようと藻掻もがくサキナを背に、クランメに向かって深々とこうべを垂れた。



「リヴィアさん、お願いします…サキナを解放してください。」




 その迫真の懇願こんがんは、青年に対し陰鬱いんうつな印象をいだいていたクランメにとって意外とも言える反応だった。



——なんや青臭いな、そないな真摯しんしな頼み方されたら調子狂うてまうやんけ。…本真ほんまにうちが悪魔らしい悪者わるもんになってしもてるみたいやんか。


——せやけど、こうなった以上背に腹は代えられへん。君のその感情、存分に利用させてもらうで。



「カリム君、それはうちの幇助ほうじょに協力することと引き換えにそのの解放をうって意味でええんやな?」



「…その通りです。」



 カリムの静かだが確かな返答が地下空間に染み渡ると、サキナはたまらずカリムをにらみ付けののしった。



「この腰抜こしぬけが…! …過去を清算した気になって腑抜ふぬけたおまえに…情けを掛けられるくらいなら…このまま死んだ方がましだ……!」



「……。」



 だがカリムは思い詰めた表情のまま解放を待つばかりであった。顔も上げず硬直しているかのような姿勢をなげくように、サキナは更に悲痛な声音を荒げた。



「ふざけるなよ……私はもうここで…結果を出さなきゃいけなかった…………だからもう自分の命なんて…惜しくない…! ……それなのに…おまえは何も知らずに…勝手なことを……!」



「…そうだ。俺は何も知らない。何もわからないままここに来てしまった。だから何もわからないまま、君の命を無下むげにするわけにはいかない。」



 ようやく上体を起こし口を開いたカリムだったが、うつむき加減にサキナに背を向けたまま、自身に言い聞かせるように答えていた。

 そのわびしい背中に向かって、なおもサキナは罵倒ばとうを繰り返した。



「おまえは…『かげの部隊』失格だ…! ……散々悪魔のささやきに…惑わされやがって…! ……そいつをす逃がそうものなら…私はおまえを裏切り者として…即刻そっこく突き出してやる……!」



「それが正しいことならば、俺は構わない。それで俺が命を奪われたとしても、君が俺の遺志を継いで厄災の無い世界を実現してくれるのなら…それでいい。」



 感情を押し殺すようなカリムの返事を聞いたサキナは、染み込む冷たさと積み重なる屈辱とでより一層もだえるかのように表情を強張こわばらせ、かすれた声音を震わせながら口元から白煙を上げた。



「臆病者…! 軟弱者…! ……おまえのせいで…私はまた…罪を…背負うことになる……!」




 そのとき、サキナの周囲がえぐり取られるように氷結が消滅し、ぐったりした身体が氷柱を滑り落ちた。

 

 慌ててカリムがサキナを抱きかかえるように受け止めたが、全身をまとうローブはひどく湿って想像以上に冷たく、重くなっていた。



 一方でカリムの背後では、懇願こんがん通りサキナを解放させたクランメが、高出力の魔力行使による反動でその場にうずくまっていた。


 魔力の操作が洗練されてきたとはいえ、氷結を一気に昇華させ、かつ必要最小限の出力に済むよう調整することは決して容易なわざではなかった。

 結果としてサキナの肉体は冷え切ったままであり、衣類を乾燥させるべく更に手を加えなければならなかった。


 だがそれは保護というよりも、想定しうる上での最悪の懸念けねん払拭ふっしょくするために踏むべき段階の1つに過ぎなかった。

 クランメはカリムとサキナが若々しく葛藤かっとうをぶつけ合っている最中さなか不図ふとした違和感をいだいていたのである。



 この2人の関係性は知るよしもなかったが、これまでの悪魔との対峙たいじを経て、それなりに連携し関係を築いてきたことがうかがえた。

 

 だが今回は最初から別々の指示が下されていたように見えたうえ、サキナと呼ばれた少女の方が劣等感をいだいているのか、発言の真意は不明瞭ふめいりょうだったが、何か自棄やけを起こしているように感じられた。


 そして一連の観察から、1つの疑問が浮上してきていた。



——本真ほんまにうちを奇襲する作戦やったら、カリムとサキナの立ち位置は逆転してへんと可笑おかしい。少なくとも成功率を上げるなら、実績のあるカリムに潜入せんにゅうを任せた方がええはずや。なんで反撃されやすい対象にこのを立てて、精神的に追い込ますようなことさせてんねん。



 そのように思案しながらサキナの苦悶くもんの表情をながめていると、その違和感は最悪な形でに落ちた。少女がつのらせ充満させつつある感情に気付いてしまったからである。


 その感情のたかぶりすらルーシーの想定の範囲内であるという可能性を疑ったとき、吐き気に似た不快感を覚えたのであった。



——ドランジアの野望をくじく最も簡単な方法、それはうちが自害することや。


——『嫉妬しっと』をつのらせとるもんに目星を付けるんは7つの悪徳の中でも難儀なんぎな部類に入る。せやから奴は早い段階からうちに唾付つばつけとったようなもんやし、その言動で適度な『嫉妬しっと』を意図的に与え続けてうちを今日まで生かしてきよった。



——そんでもうちが追い詰められた末、自害という選択肢を採って抵抗する可能性も皆無かいむとは言えへん。せやから奴は今この状況にいても、手堅く保険を作っとるんやないか?



——あのには恐らく『嫉妬しっと』か、しくは『憤怒ふんど』につながる悪徳が充分に育ってるんや。そしてドランジアの話にれば、


——うちが自害すれば『嫉妬しっとの悪魔』が、そうでなくとも『憤怒ふんどの悪魔』があのに宿る可能性がある…どう転んでもええように最初から仕組まれとるんやないんか? そう考えると、あのをこのまま起こしとくこと自体が危険やないんか!?



「…カリム君、ちと退いてくれ…! うちが今から、そのを……!?」




 だが反動をこらえつつい寄るようにクランメが手を伸ばした先では、思いもよらぬ光景が広がっていた。



 カリムは膝を付いてかがみながら左腕でサキナを抱える一方で、右手に握られたディヴィルガムの先端からはほのかに青白く輝くつる状の物体が湧き出し、カリムの右腕に絡みつつサキナの全身に巻き付いていた。


 サキナは依然として身体を震わせながら、弱々しく抵抗するようにカリムの襟元えりもとつかみ、か細い声音で訴えかけた。



「…余計なこと……しないでよ……。」



「ごめん。俺が不甲斐無ふがいないばかりに。」



 だがカリムはサキナの閉じかけたまぶたからのぞ鈍色にびいろの瞳をじっと見つめたまま、辿々たどたどしくも切実に言い聞かせた。



「俺…もうどうしたらいいのかわからないんだ。1人じゃ何もわからない。何もできない。だから、考える時間が欲しい。協力してくれる人が欲しい。そのためには君しか、頼れる人がいないんだ。だから…俺は今ここで、君を失うわけにはいかないんだ。」



 その情けない言葉の羅列られつを聞いたサキナからは、あきれたような小さな溜息がこぼれた。


 だがやがて全身を青白いつるおおい尽くされていくに連れ、その口元がわずかにほころんでいくように見えた。


 つるは湿ったローブの内部を辿たどって地肌にも直接絡み付いており、そのぬくもりに表情は安堵あんどし、サキナは呼吸を落ち着かせながら微睡まどろむようにまぶたを閉じていった。



「…うん……また、あとでね……。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る