第6話 不意打ち

 具体的な期限が提示されたことで、愈々いよいよクランメはルーシーの壮大な野望に反抗する策を切らしかけていた。


 正確に言えば、これだけ詰問きつもんしてもまったく引き下がることなく堅牢けんろうな壁のようにそびえるルーシーを前にして、次第に無力感を覚えあきれ返るようになりつつあった。



「…一体何を根拠にそないな時間制限ができんねん。うちは悪魔宿した身でどんだけ普通に生きられんのか予想もつかないんや。おまえに命を握られとるようなもんなんやで。せやからちゃんと確実性を保証してくれへんと、納得して協力する気なんて更々さらさら起きひん言うてんのに…。」



 だがそのねたようなクランメの態度をたしなめるように、ルーシーは黄金こがね色の鋭い眼光をもって断言した。



「根拠? そんなものを言う必要があるのか? 私がやると明言したことはこれまですべて実行してきた。私は野望を果たすそのときまで、おまえの命をないがしろにするつもりはない。だからおまえはここに引きこもってやるべきことをやっていればいい。」




 その粗暴とも受け取れる台詞せりふに、気圧けおされたクランメの心の内には再び冷たく燃え上がる確かな衝動があった。



——ああもう…本真ほんまにうちは、おまえのそういうとこが大っ嫌いやねん。



 それは頭ごなしな仕打ちに対する怒りではなく、根拠などなくとも成しげることを当然に期待させ妄信してしまうような、無敵を思わせる権威性に対する『嫉妬しっと』であり、快感に似た不可解な心地良さが同じように膨らんでいた。



——せやけど、そないな感情の波に揉まれることになんも抵抗のない自分もおる。理不尽に命をもてあそばれることが悔しくて腹立たしいはずやのに、その卑屈な感情がうちにみ付いた悪魔の餌になっているのがわかる。



 悪魔が顕現したクランメに対してはむしろそのようにして悪徳をあおり続けることが、生命活動を持続するための妥当な手段であることを、当の本人も認めざるを得なかった。



「…阿漕あこぎな奴やな。それが他人ひとに協力を申し出る態度なんか。」


「特に意見もないのなら、今日からでも命題に取り掛かってくれ。連絡をくれれば、『封印』の実験には極力立ち会うつもりだ。」



 これで要件を済ませたと判断したのか、ルーシーは今度こそ研究室を後にしようと荷物をまとめ、颯爽さっそうと扉に向かって歩き出した。


 だがクランメはその背中に向かって、最後に一矢いっしむくいようと牽制けんせいを飛ばした。



「おいドランジア、もし5年以内の約束が果たせんかったら、多少はうちの氷結で痛い目にうてもらうで。…いや、それ以前に約束を破ろうもんなら、おまえの氷像をこしらえて敬礼させてもらうわ。」



 だがそれを聞いたルーシーは、鼻で笑うように警告を言い残した。



「残念だがおまえは私を殺すことはできない。悪徳とは矛先ほこさきが決まっているものだ。矛先ほこさきを向けた対象が存在しなければ、ラ・クリマスの悪魔は顕現する理由を失い人の身から離脱する。だがそれは悪魔と融合した肉体にとっての死を意味する。つまり、おまえが悪魔を宿しつつ生きながらえるためには、常に私に矛先ほこさきを向け続けるだけにとどめなければならないのさ。」





 それから2年後、ルーシーは宣言通り大陸議会の議員として転身した。そこには例によってドランジア派閥はばつからの強い推薦すいせんが根底にあったため、参入は時間の問題だろうとクランメは構えていた。


 だがルーシーはその聡明さと権威性をもって発言力を高め、日に日に一般市民の支持も増やしていった。驚いたことに、千年祭の翌年を目途めどにセントラムで大規模な地質調査を実施するよう提言し予算を要求するまでに至っていた。


 みずからが担う命題の保険を自力で作り出していくその手腕に、クランメは当然に『嫉妬しっと』した。新聞や噂を通してあからさまに有能さを突き付けられることが、不本意ながら生命活力の増長に寄与していた。



 一方のクランメも仕事や研究の合間をって、ルーシーより課された命題に少しずつ取り掛かっていた。

 悪魔を宿した日を境に体質が慢性的な冷え症をわずらってしまったかのように変化しており、館内でもストールやセーターといった防寒具を身に付けざるを得なくなっていた。


 そんななかクランメはみずからの能力や実用性を踏まえ、過冷却という疑似封印の手段を思い付くまでには然程さほど時間を要しなかった。


 だがそれが機能するかという実験は、みずか魔魂まこんを生成できない以上、多忙なルーシーの同席を得た上で試行錯誤を繰り返さねばならず、進捗しんちょくとしてはかなり緩やかなものであった。


 なお、このときからすでにディヴィルガムに魔魂まこんを吸収させ、魔素まそを仕込んだ液瓶に投下するという順序は確立されていた。



 そして更に年月が過ぎ、ルーシーは当時の大陸議会議長の任期満了にともない、諸外国でも例を見ないよわい27という若さで議長ならびに首相の座に選出されることになった。


 その頃にはクランメもまた、封瓶の試作品をおおむね完成させていた。だがそれは理論上魔魂まこんという代物しろものと言わざるを得ず、実際に悪魔を捕らえた上での検証には至っていなかった。



——そもそもラ・クリマスの悪魔の定義ってなんやねん。霊的な存在なんか? 霊的な存在は凍結保存ができるんか?


——大前提として、悪魔をくるめた魔魂まこんは一般人でも視認できるとドランジアは言うとった。でも魔力自体は詰まるところ、魔素まそと悪魔と悪徳の3つの要素が重なり合わんことには具象化せえへん。そのいずれかが欠ければのや。


——悪徳を供給されなくなった悪魔が凍結保存できるかわからん以上、たとえ過冷却が機能したとしても、魔魂まこんは内側から崩壊してただの魔素まそからだけが封瓶に残るんちゃうか?



 その疑問はルーシーに風蜂鳥かぜはちどりで問いただしても明確な返答が得られず、憶測を続けるにも限界があった。


 それどころか、壊月彗星かいげつすいせいが再び接近する時期を迎えるに当たり、ルーシーは試作段階の封瓶を数十本用意するよう要求してきていた。ラ・クリマスの悪魔を見つけやすくなる時期だからこそ、その検証をすべきだと意に介さなかった。


 クランメ自身もその主張には理解を示さざるを得ず、その要求に応えていた。元よりみずからに課された命題は悪魔の『封印』方法をであったため、及第点には達したと判断して、後はルーシーからの連絡を待つことにしていた。



 案のじょうルーシーは首相の座に就いてもなお、ディレクタティオ大聖堂から十字架を譲渡じょうとしてもらうという交渉にはあり付けていないようであった。



 だがクランメもルーシーもよわい28を迎え、壊月彗星かいげつすいせいがまた一段と接近してきた頃、そのディレクタティオ大聖堂があおく焼け落ちて多数の教徒が死亡したという衝撃的な事件を、クランメは新聞を通じて知ることになった。


 それがラ・クリマスの悪魔による厄災であると直ぐにわかり、脳内ではルーシーに対する様々な憶測や疑心が飛び交った。



——この国の歴史的建造物が焼失した以上、現場は大陸軍が掌握せざるを得なくなる。そうすればドランジアの主導で十字架を押収することも不可能とは言えない。…もしかして、そのために奴は意図的に厄災を生み出したんか!? うちが以前、悪魔を顕現させられた時のように…!



 だが首相となったルーシーには、今まで以上に迅速じんそくな連絡を交わすことが出来できなくなっていた。


 その事件から7日ほどが経った頃、封書と共に簡易な小箱が送り付けられてきた。小箱の中身は、グレーダン教徒が一般に身に付けている黒いペンダントだった。


 だがクランメがそれを拾い上げると、てのひらかすかにしびれるような違和感を覚えた。そして封書にしたためられた内容に、思わず息を呑んだ。



『それは焼失したディレクタティオ大聖堂の地下から押収された一品だ。手に取ってわかると思うが、微量の隕石成分を含有がんゆうしている。これはかつて『魔祓まばらいの儀』で使用された十字架を細かく砕いて加工したものだ。』


『大聖堂の祭壇に飾られていた十字架はうにただの石像にり替えられ、希少な鉱物を含む装飾品として加工されて闇市場に流され、内戦時代後より再興するグレーダン教団の資金源になっていたというわけだ。とはいえ、7本の十字架すべてが砕かれ失われたわけではない。その残骸ざんがいや装飾品を出来る限り押収し、成分分析を進めていくつもりだ。』



**********



「…で、それが例のペンダントや。あんときは中間報告のつもりでうちに寄越したんやと思っとったけどな…。」



 クランメは白衣のポケットから小箱を取り出すと、机上を滑らせてカリムに見せつけた。とはいえその外観をながめただけでは、隕石成分が含まれているかなどわかるはずもないことは承知していた。


 あくまで度重なる厄災の発端ほったんとなった物的証拠として提示し、クランメはようやく主張を結ぼうとしていた。



「その数日後にメンシスで別の厄災が起こった。メンシスが密輸品の温床おんしょうになっとったことくらいうちでも知っとる。そのペンダントもそこで密かに流通しとったに違いあらへん。せやからその時点で、ドランジアが標的と場所を選んで意図的に厄災を引き起こしとることはおおむね予想がついた。…だが、奴に渡した封瓶は1本たりとも戻ってけえへんかった。」


「そうして大人しく待ちほうけとる間にもセントラムで、グリセーオで厄災が続いて、3日前にはトレラントが『貪食どんしょくの悪魔』による襲撃を受けた。そして今日、ディヴィルガムを携えた君が事情を知らされずにうちの前にやってきた。…如何いかにドランジアとの約束がゆがんできてるか、もうわかってもらえるやろ?」



 固唾かたずを呑んで独白に聞き入っていたカリムの前で、クランメはまた一段と前のめりになって訴えかけた。



「ドランジアの真の目的はラ・クリマスの悪魔の半永久的な『封印』やない。集めた魔魂まこんを一緒くたにして計り知れないほどの魔力を手に入れようとしとる…かつて預言者グレーダンが執行した『魔祓まばらいの儀』を再現するみたいにな。せやから封瓶による一時的な『封印』で構へんとでも思っとるんや。その分だけ厄災を短期間に集中させればええだけの話やからな。」


「その上で何を仕出しでかそうと企んどるのかまではわからんけど、その目的のためなら国民の犠牲をいとわん非情な奴の考えることや。君らにも秘匿ひとくしとる時点で絶対洒落しゃれにならん顛末てんまつになると確信しとる。うちかて『封印』はもっと長期的な計画やと思っとったんよ。」


「せやからうちを見逃す幇助ほうじょをしてくれって取引は、そないな脅威を阻止することにつながるはずなんや。そしてその交渉は…ディヴィルガムを託されとる君にしかできひんというわけなんや。」




 ようやく自らの主張を経て警鐘けいしょうを鳴らし終えたクランメは、珈琲コーヒーを口にしようとカップをまみ上げたが、うに空になっていることを失念していた。


 もう一度れ直そうと粉末の入った瓶のふたを開けようとしたが、その前に一連の独白を受けて葛藤かっとうさいなまれている様子のカリムから、しぼり出すような質問が挟まれた。



「リヴィアさんのおっしゃることは大体理解したつもりです。しかし、その理屈であればリヴィアさんは狙われる順番として最後になるんじゃないんですか?」


「うちが最後と知られたら警戒されると思われとんのやろ。封瓶の予備はまだ持っとるはずやし、きっと残る『憤怒ふんどの悪魔』にも目星が付いとるんやろな。」


「いえ、だからその…僕は最初に『貪食どんしょくの悪魔』を確保できなかったって言いましたよね? ディヴィルガムで仕留しとめられず逃げられてしまい…トレラントを蹂躙じゅうりんしたのち宿主とともに消失してしまったんです。」


「…なんや? 君はトレラントで『貪食どんしょくの悪魔』と対峙たいじしてたんとちゃうんか?」



 カリムが気まずそうに小さくうなずくのを見て、クランメは更にきな臭さを覚えた。その曖昧あいまいな情報のせいで、自分が次の標的にされているという主張に筋を通し切れていなかった。


 それもまたルーシーによる攪乱かくらんめいた策略であるかのように思えたが、そうでなくともクランメには古い付き合いであるがゆえの確信があった。



——ドランジアは憎らしい程に有能で、あからさまな妥協や嘘を許さない奴だとうちは散々思い知らされて来とんねん。あいつは確かにうちにこう言った…『、おまえの命をないがしろにするつもりはない』と。


——つまり、野望を果たす準備が整ったから、うちがそのにえになるときが来たってことなんやろ!?



「あのとき現場にドランジアが直接出向いとったことは新聞でも報じられとる。奴の魔素まそ掌握しょうあくする能力なら、魔力が浸透した宿主を悪魔ごと魔魂まこんに変形させても可笑おかしない。」


「『貪食どんしょくの悪魔』はドランジアが密かに、自らの手で捕らえとるはずや。それを前提に動いとるから、無駄に回りくどい作戦立てて来てんねやろ?」



 その苛立いらだつような台詞せりふが終わると同時に、クランメの背後の空気がきしんだ音を響かせ、舞台のかげから突き上がるようにして巨大な氷柱がり出した。


 そこには呑まれるように捕らわれた1つの人影があり、不意打ちをらったことで手放された本物のディヴィルガムが、乾いた音を響かせて舞台に転がり落ちた。



 氷柱の中から腕と顔だけを露出させた格好かっこうで表情をゆがませていたのは、サキナであった。

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